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第2話

作者: 匿名
最後には、両親が私を説得するために残ってくれた。

「一緒に京城へ戻らないか?」

これが初めての誘いではなかった。

私は力なくソファに腰を下ろし、両親の希望に満ちた目と視線がぶつかる。

彼らは京城で最も大きな法律事務所の創業者であり、私が弁護士を目指したのも彼らの影響だった。

本来なら、私が大人になったら家の事務所で経験を積ませるつもりだったのに、大学院で慎吾と出会い、彼についてA市へ来ることになった。

彼は田舎出身だから、家庭が裕福な人をひどく嫌っていた。

だからこの五年間、私は自分の本当の出自を彼に一度も話したことがなかった。彼の目には、私も同じく田舎出身の人間だった。

五年という歳月で、私は無名の新人弁護士から、そこそこ名の知れた存在になった。彼と私は三年連続で事務所の賞を取り、みんなから「最強カップル」と呼ばれるようになった。

生活もどんどん良くなっていったし、彼もきっと気にしないだろうと思っていた。でも、結局その話をする機会はなかった。

思い返して、私はひとつため息をついた。

もう、言う必要もないのかもしれない。

「うん、分かった。京城に戻るよ」

両親の目がぱっと輝き、私の手をぎゅっと握ってきた。

「えらい子だ。すぐにチケット取るからね。もう、こんなところで我慢しなくていいんだよ!」

両親を落ち着かせた後、私はひとりで家に戻った。

部屋の中はいつも通り、静まり返っていた。

適当にインスタントラーメンを作って、スマホでSNSを開くと、花音の最新投稿が目に入った。

写真の中の彼女は、体にぴったりとしたスポーツウェアを着て慎吾とツーショットを撮っていた。二人はとても親しげな様子だった。

【結婚式を控えた師匠を無理やり引っ張り出してゴルフしてきた!ちょっと怒ってたけど、「うちでご飯食べよ」って言ったらすぐ機嫌直ったよ、えへへ】

その投稿を見た瞬間、私は思わずえづいてしまった。

分かっていた、今夜も彼は帰ってこない。いつもと同じ。

でも幸いなことに、私たちはまだ籍を入れていなかった。もう、無理して笑う必要もない。

翌朝、荷物をまとめて弁護士事務所に辞職の申請を出しに行った。

成績が良かったこともあり、上司はなんとか引き止めようとしていた。話し合いの途中、慎吾が書類を持って部屋に入ってきた。

私はちらっと彼を見た。首元にはキスマーク、彼の周囲には甘ったるい桃の香りが漂っていた。

どう見ても、昨夜はかなり乱れていたようだ。

以前の彼は、体に痕をつけられるのを嫌がっていた。仕事に支障が出るからと。

だから私も、そういう時は自分を抑えて、シーツを握るだけにしていた。

彼が嫌だったのは、痕じゃなくて、それをつける相手が私だったから。

彼が入ってくると、上司がため息をつきながら口を開いた。

「ちょうどいいところに来たな。彼女を説得してくれ。辞めるって言ってるんだ。ケンカでもしたのか?」

「彼とは関係ありません」

「辞職するのか?」

二つの声が重なった。視線の端で、彼が私をじっと見つめているのが分かった。唇を少し引き結んでいた。

「やっぱり、昨日俺が急に結婚式をキャンセルしたから怒ってるんだろ?」

上司は気を利かせて部屋を出ていった。ドアが閉まるや否や、彼は私に詰め寄ってきた。

「昨日は花音が足を怪我したからキャンセルしたって言っただろ?お前、ほんとに心が狭いな」

私はできるだけ冷静に、嘘をついた。

「怒ってなんかないよ。辞めるのは、ちょっと疲れたから。少し休暇を取りたいだけ」

彼は腕を組み、眉を寄せて疑わしげに私を見た。

「休暇なら有給でいいじゃん。突然辞めたら、周りは花音のせいだって思うだろ?あの子、まだ若いんだよ?事務所でやっていけなくなるぞ」

彼は忘れていた。

今年、私はすでに有給を全部使い切っている。それも、彼が何度もキャンセルした結婚式のために。

でも彼が心配しているのは、花音の立場だけだった。

胸が、ひどく冷えた気がした。

私は再び彼の首元のキスマークに視線を落とす。言葉は出なかった。

彼はそれに気づき、反射的に自分の首を隠した。

「これは……蚊に刺されただけ。変な勘ぐりはやめてくれよ」

意外だった。彼が私と口論にならずに、説明してきたことが。

でも、その言い訳はあまりに下手で、昔の私なら信じていたかもしれない。

私は黙ってうなずいた。

慎吾はほっとしたように笑い、私の肩を抱いた。

「そうそう、それでこそ大人の女だよ。大きな器がないと、いい弁護士にはなれないからな。

辞めるのはやめとけよ。今夜は月光レストランでディナーでもしよう。埋め合わせってことで、な?」

私は何も答えなかったが、彼はそれを了承のサインだと受け取った。

本当は、ちゃんと別れを告げるつもりだった。

でも、もう彼に京城へ行くことも話したくなくなった。

「師匠!」

ノックもせずに花音がドアを開けて入ってきた。

慎吾は驚いて、私から手を離した。

花音は申し訳なさそうに笑った。

「ごめんなさーい、師匠とお姉さんがデート中だったかな?でも仕方ないの、ちょっとこの案件分からなくて……」

慎吾は彼女の言葉を聞くと、私を振り返ることもなく彼女の元へ歩いていき、書類を手に取って丁寧に教え始めた。

花音はわざと彼にぴったりと寄り添い、二人は私の目の前でひそひそと話し始めた。その空間は、まるで私を締め出すようだった。

そして、花音は慎吾の腕に手を絡ませて部屋を出て行った。

ドアが閉まる瞬間、花音は振り返って、私に向かって挑発的に微笑んだ。

バタン――。

静まり返った部屋に、私の呼吸音だけが響いていた。

次の瞬間、手首の玉のブレスレットが外れて、床に落ちて砕けた。

理由なんて、ない。

それは、私たちが付き合って一年の記念日に慎吾がくれたプレゼントだった。あのとき彼は、「このブレスレットみたいに、俺たちもずっと円満でいよう」って言ってくれたのに。

私はしばらく黙っていたが、やがて痛む手を気にせずに破片を拾い集めた。

私たちの絆の名残と一緒に、それをゴミ箱へ捨てた。
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