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離別

last update publish date: 2026-06-17 05:57:58

「女御の猫だとご存じだったのですか? それで、あの袋を……」

 貴晴は織子に訊ねた。

「女御?……ああ、ではやはり、あの方は春宮様のお母様だったのですね」

「ご存じなかったのなら何故、言葉をにごしておられたのですか?」

 単に暗くてよく分からなかったという事だったのか?

「父が春宮冊立の邪魔をしていたとか、私が邪魔をするとかおっしゃっていたので……」

 つまり帝や春宮が関わっているようだから言いづらかっただけか……。

 春宮冊立の邪魔を出来るような立場の人間となると身元はかなり絞られる。

 二年前に一度襲撃されていて内親王だという事を人に知られたくないと思えば春宮や女御と関わりがあるというわけにはいかないだろう。

 そういえば――。

「都の近くまで戻ってきてから襲撃されたんですよね? 退下たいげした斎王を狙う理由は……さきの帝が春宮冊立の邪魔をしていたと思っていたから、その逆恨みだったということですか?」

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  • 影の弾正台と秘密の姫   参考文献一覧と作中に関する補足

    敬称略 順不同鏡山昭典『私撰 枕ことば辞典』阿部萬蔵・阿部猛『改訂版 枕詞辞典』八條忠基『詳解 有識装束の世界』倉本一宏『平安京の下級官人』和田英松『官職要解』榎村寛之『斎宮-伊勢斎王たちの生きた古代史』承香院『あたらしい平安文化の教科書』繁田信一『平安朝の事件簿 王朝びとの殺人・強盗・汚職』こさかべ陽子『よく分かる平安時代』『平安時代の絵事典』『光る君へ』ついに最終回…時代考証が語る平安貴族の「政治」と「恋愛」<上>https://www.yomiuri.co.jp/column/japanesehistory/20241209-OYT8T50192/『光る君へ』ついに最終回…時代考証が語る平安貴族の「政治」と「恋愛」<下>https://www.yomiuri.co.jp/column/japanesehistory/20241209-OYT8T50194/望月光『望月光の古文教室 古典文法』荻野文子『マドンナ古文 パーフェクト版』『落窪物語』『平中物語』『御堂関白記』『小右記』『堤中納言物語』『日本書紀』『古事記』『古今和歌集』『山槐記』『源三位頼政集』小松英雄『伊勢物語の表現を掘り起こす』望月光『望月光の古文教室 古文読解編』荻野文子『マドンナ古文常識217』荻野文子『マドンナ古文和歌の修辞法』岡本梨奈『岡本梨奈の1冊読むだけで古文の読み方&解き方が面白いほど身につく本』木下武司/亀田龍吉『万葉集 植物さんぽ図鑑』成清弘和『律令家族法の研究』『令義解』『律令制と古代社会』河添房江『紫式部と王朝文化のモノを読み解く 唐物と源氏物語』八條忠基『有職故実から学ぶ年中行事百科』梶川敏夫『ビジュアル再現 平安京 地中に息づく都の栄華』梶川敏夫『新版よみがえる古代京都の風景

  • 影の弾正台と秘密の姫   羈旅(きりょ)

     随身が猫を捕まえ、糸毛車が動き出そうとしたのを見た貴晴は思わず牛車の外に飛び出した。「貴晴!?」 隆亮が驚いたような声を上げる。 貴晴はそれには構わず糸毛車に駆け寄ろうとして足を止めた。 隆亮が出世できなくなったら困るか……妻達が。 貴晴は牛車の中の隆亮を振り返った。「お前はそこにいろ!」 と言ってから、「そこの車、止まれ!」 と青糸毛の牛車を止めた。「誰だ、お前は! この車に乗ってるのがどなただと……」 郎党が刀の柄に手を掛けて誰何する。「私は弾正台だ!」 貴晴がそう言うと、青糸毛の前簾が僅かに動いた。 乗っている者が外を覗いたのだろう。「そいつの狩衣は黄丹よ! 春宮でなければ着られない色を着るとは不届きな! やってしまいなさい!」 青糸毛の中から女性の声がした。 郎党達が一斉に斬り掛かってくる。 貴晴は抜刀すると太刀を横に払った。 郎党が叫び声を上げて転がる。 続いて背後で絶叫が上がった。 振り返ると隆亮が郎党を斬り捨てたところだった。「おい! 出世できなくなるぞ!」 貴晴が隆亮に声を掛ける。「私はお前の手伝いを命じられてるんだから、これは仕事だ」 隆亮は嬉々としてそう言いながら別の郎党を斬り付ける。「これは仕事じゃ……」「お前、弾正台だって名乗っただろ」 隆亮が更に別の郎党を斬る。 失敗した……。 隆亮が側にいない時にするべきだった。 あの女御だと気付いて咄嗟に牛車を止めてしまったが……。 私が全ての責任を被れば隆亮はお咎めなしにしてもらえるだろうか……。「春宮になりたいのでしょうけど、そう

  • 影の弾正台と秘密の姫   離別

    「女御の猫だとご存じだったのですか? それで、あの袋を……」  貴晴は織子に訊ねた。 「女御?……ああ、ではやはり、あの方は春宮様のお母様だったのですね」 「ご存じなかったのなら何故、言葉を濁しておられたのですか?」 単に暗くてよく分からなかったという事だったのか?「父が春宮冊立の邪魔をしていたとか、私が邪魔をするとか仰っていたので……」 つまり帝や春宮が関わっているようだから言いづらかっただけか……。 春宮冊立の邪魔を出来るような立場の人間となると身元はかなり絞られる。  二年前に一度襲撃されていて内親王だという事を人に知られたくないと思えば春宮や女御と関わりがあるというわけにはいかないだろう。 そういえば――。「都の近くまで戻ってきてから襲撃されたんですよね? 退下した斎王を狙う理由は……前の帝が春宮冊立の邪魔をしていたと思っていたから、その逆恨みだったということですか?」 「いえ、どなたかに春宮位を奪われるかもしれないと……それで帝が私の言う事を信じるとかなんとか……でも、私は今の帝とお話ししたことは……」  織子が首を傾げながら言った。 斎宮に旅立つ儀式をすっぽかしたのだから今上帝が織子に会ったことがあるとしても十二年以上前だ。 となると、帝は織子の言うことを信じているというより恐れていて、つつじの君が廃太子をしろと言ったらその通りにするかもしれないと思っていたのかもしれない。  そもそも、帝が織子を恐れているのは大赦させるために女御が毒を飲ませたせいなのだから自業自得なのだが――。「帝には他に親王様がいらっしゃらないのですから廃太子などあるわけないのに……」  織子は『帝には他にご存命のご兄弟はいらっしゃらないし……』と言いながら首を傾げている。 祖父が言っていたように、皇族しか皇后になれなかった時代は帝の意向がもっと尊重されていたから春宮選びにもその意思が反映された。  ただ、それも相当大昔の話だ。

  • 影の弾正台と秘密の姫   恋

     それが二年前のことだった――。 それ以来、祖父とは口を利いていなかったから詳しいことは知らないが、おそらく今の春宮を押している勢力――多分、春宮の母親の女御やその父親――が、帝が隠し子を春宮に立てようとしているようだという噂と聞き付けて貴晴の命を狙ったのだ。 迷惑な……。 だから皇族も貴族も嫌いなのだ。 皆、他人の気持ちを考えずに勝手なことばかり……。 弾正台に補すという話があった時、すぐに〝弾正宮〟にしてやるという意味だと察しが付いた。  弾正台というのは親王がなる名誉職のようなものだからだ。 だが親王宣下――親王の身分を与えること――の有無はともかく、貴族の腐敗を正す気があるというのならなってもいいかと思ったのだ。 大納言の姫と釣り合う身分も欲しかったし……。 そういえば、内大臣が中の姫の恋人のことを相談した女御は春宮の母親だと言っていたな……。 貴晴を狙ったのと、内大臣の中の姫の恋人を殺したのが同じ女御だとしたらやたら殺意が高い女性だという事になる。「きゃーーーーー!」  不意に織子が悲鳴を上げた。「つつじの君!」  貴晴は慌てて立ち上がると、 「失礼します!」  御簾を払った。「あ、た、多田様、違います」  つつじの君が慌てたように顔を隠す。 「え?」 「そ、そちらに……」  つつじの君が震える指で貴晴の後ろを指す。 振り返ると背後に蛇がいた。  どうやら庭から這い上がってきたらしい。  こういう事は偶にあるのだ。 毒蛇ではない。  貴晴が蛇を掴んだ時、郎党達が駆け付けてきた。 蛇を差し出された郎党は顔を引き攣らせながらも受け取った。「あ、あの、殺さないで下さいね」  つつじの君が、蛇を持って出ていく郎党に声を掛ける。〝蛇は神様の使いなので轢き殺すのは良くないと……〟

  • 影の弾正台と秘密の姫   冬 六

    「おい、卿が訪ねてこられたぞ」 つつじの君と御簾越しで向かい合っていた貴晴に隆亮が声を掛けた。「祖父上が?」 貴晴が怪訝な面持ちで言った。 ここは右大臣邸だ。 となると普通なら右大臣に会いにきたと思うところだが今は内裏が方塞りだから別邸に行っていてここにはいない。「お前に会いに来たのか?」 貴晴が訊ねると、「いや、それが……」 隆亮はつつじの君がいる御簾の方に視線を走らせた。 貴晴がそれ以上訊ねる前に祖父が入ってくる。「祖父上、ここには姫君が……」「その姫君にお目に掛かりたい。お顔を拝見出来ませぬか?」 祖父が御簾の方に目を向けて言った。「祖父上! 失礼でしょう。貴族の姫君の顔を見たいなど……」「貴族ではない」 祖父が貴晴の言葉を遮る。「祖父上! いくら祖父上でもつつじの君への無礼は……!」「た、多田様!」 織子が宥めるように声を掛ける。「その方は前の斎王……織子内親王様――そうではありませぬか?」 祖父が織子の方に顔を向けた。「さら……? 祖父上、つつじの君の名前は違います」 大納言の邸の前にいた女性が『しきこ』と言っていたはずだ。「いえ、織姫の『織』って書いて『さら』って読むんです」 織子の言葉に貴晴が振り返る。 更紗織の『さら』か……? 女性の名前は予想も付かない読み方をすることが多い。『明子』とかいて『あきらけいこ』とか『兄子(さきこ)』、『亀子(ふみこ)』などである。 それはともかく、内親王なら名前に『子』が付いていたのも納得がいく。『子』が付くのは皇族か帝の妃、もしくは官位がある貴族の女性なのだ。

  • 影の弾正台と秘密の姫   冬 五

    〝うらめども うらみつくせぬ 葛の根の いや遠長に うらみ続きぬ〟 貴晴が内大臣家に着くと随身の一人に文を見せられた。 門の近くに落ちていたらしい。 貴晴と隆亮が顔を見合わせる。「……一体どんな恨みを買っているのか伺っても?」 貴晴が内大臣に訊ねた。「人聞きの悪いことを言うな。おそらく何かの逆恨み……」 内大臣が怒ったように答える。〝延ふ葛の 後に逢はむと 契りしも 風に散る葉の うらみるなりと〟「これも逆恨みですか? 『後に逢はむ(後で会おう)』と『契りしも(約束をして夜を供にしたのに)』――約束を守らなかったんでしょう」「女を捨てたのでは? 妻にすると約束しておきながら実際は一晩か二晩で通うのをやめた……」「違う!」 内大臣は貴晴と隆亮を遮った。そのまま黙り込む。 貴晴と隆亮は顔を見合わせた。「……では、我々はこれで」「待ってくれ!」「恨まれてないなら心配いらないでしょう。我々も暇ではないのです」 貴晴が答える。「……検非違使ではないのだな」 内大臣が再び確かめるように訊ねてきた。「違います」 貴晴が即答する。「……男だ」 内大臣が苦々しげに答える。「それを隠したかったんですか? 男同士なんて別に珍しくないでしょう」「私ではない。姫だ。中の姫に男が……」 中の姫というのは内大臣の次女のことである。 どこの姫も上から大姫、中の姫か二の姫、三の姫……と呼ばれるのだ。 管大納言の姫なら『管大納言の大姫』、『管大納言の中の姫』、『管大納言の三の姫』、内大臣の姫なら『白石内大臣の大姫』、『白石内大臣の中の姫』など

  • 影の弾正台と秘密の姫   冬 四

    「あの若造とその娘は関係ないだろう」  男性がそう言うと、 「帝はその娘の言うことを信じてるんです!」  女性が言い返した。 「えっ!?」  織子は女性の言葉に声を上げた。「あの、私、今上帝とは……」 「お黙りなさい! お前の父親が春宮冊立の邪魔していたんです!」  女性が織子に怒鳴る。「父……父とも十年間会ってなか……」 「お黙り!」  女性の怒気を孕んだ声に織子は口を噤んだ。

  • 影の弾正台と秘密の姫   冬 三

    「やっぱり西の対の警備が厳重になってるようだな」 群盗の一人が仲間に囁く。 男達は音を立てないようにしながら東の対に向かった。 東の対の寝所では薄明かりが灯されていた。 小袿を着た女性が本でも読んでいるのか俯いている。「騒ぐな。大人しくしてれば殺しゃしねぇ」 盗賊が小袿の女性に下卑た笑みを浮かべながら刀を突き付ける。 俯いていた女性は重ねた小袿の下に手を伸ばした。 女性は襲の下に手を伸ばしたかと思うと微かな金属音がした。 次の瞬間、女性が振り返り銀閃がひらめく。

  • 影の弾正台と秘密の姫   冬 二

    「浮かれてるな」 隆亮が言った。「大姫とつつじの君は別人だったんだ」 貴晴は隆亮につつじの君と会った時の話をした。「牛車を止めた?」「ああ。蛇が怖いのに神様の使いだから轢かないでくれって。優しいよな」「それで、ぽーっとなってたのか」 隆亮が笑う。 なんとでも言え……。 妻が二人もいる隆亮からしたら可笑しいのかもしれないが――。 大姫は間違いなく歌会に出ていたと言うからつつじの君とは別人だと分かったの

  • 影の弾正台と秘密の姫   冬 一

    「止まってください!」 女性の声がして牛車が止まった。 貴晴と由太は顔を見合わせてから前簾から外を覗いた。 辺りには誰の姿も見えない。 牛飼童も戸惑った様子で周囲を見回していたが誰もいないのでまた牛を歩かせようとした。「轢かないでください」 再び女性の声がした。 牛車がまた止まる。 だが前を見てもやはり誰もいない。 貴晴と牛飼童が戸惑っていると、「若様……」 由太が牛車の前方を指した。 そこには――

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