Masuk北村雅斗(きたむら まさと)と結婚して5年目。 私・北村唯月(きたむら いつき)は自殺した。 もう、あの人の仕打ちには耐えられなくなって、屋上から飛び降りた。 まるではねを失った蝶のように、吸い込まれるように落ちていった。 私の死を知った雅斗は、忘れられない人だった中洲琴美(なかす ことみ)の遺影を抱きしめ、狂ったように笑った。 「やっと、琴美の仇を討てた」 だが、その後―― すべての真実を知った雅斗は、私の墓の前に土下座し、何度も額を地面につけて謝った。
Lihat lebih banyak目の奥がじわりと熱くなり、視界がぼんやけていく。私はずっと、5年前にした決断を悔やんでいた。どうして昔は、雅斗が琴美を失えば、その心が自分のもとへ戻ってくるなんて思ったのだろう。だから琴美を間接的に死なせてしまったあと、悲しみに沈みながらも、少しでも早く彼女の代わりに雅斗の妻になりたいと思ってしまった。我に返ってから、そんな自分の考えを心底憎んだ。琴美は、私の親友だったのに。どうして、そんなふうに思ってしまったのだろう。私は決して立派な人間なんかじゃなかった。自分勝手で、薄情だった。それでも雅斗のことは、本気で好きだった。琴美のことも、確かに一番の親友だと思っていた。17歳から23歳まで。琴美が死んで半年が経った頃、紀子が私のもとを訪ねてきた。悲しそうな顔で、こう言った。「唯月も知ってるでしょう。夫が何年か前に事故で亡くなって、私ひとりでは北村グループを支えていくのが本当に大変なの。今はね、雅斗と結婚してもらわないと困るのよ。そうすれば、ご両親の力を借りて北村グループを支えられるでしょう?」私は頷いた。そして雅斗は、両親と私の信頼を利用し、1年も経たないうちに槙沢家の事業を乗っ取り、北村グループはたちまちK市でもっとも力のあるグループへとのし上がった。その日、雅斗は家に戻り、琴美を見つけ、これまでに起きたことをすべて話した。琴美は体を震わせながら、雅斗の頬を思いきりひっぱたいた。それから、彼女を偲ぶために作られていたあの部屋へ駆け込み、飾られていた絵も写真も、すべて引き裂いて焼き尽くした。琴美は、声を上げて泣いた。けれど、もう私を呼び戻すことはできない。誰かに悪く言われたり、いじめられたりしたとき、いつも真っ先に助けに駆けつけてくれた、あの女の子を。数日後、私の告別式が行われた。琴美も、雅斗も来た。私の遺影の前に、黒い服を着た四人が並んだ。人生でいちばん大切だった四人が、ようやく全員そろった。ひとりも欠けていない。私は宙に浮かびながら、それで十分だと思った。その後、琴美はこの街を離れることを選んだ。雅斗は引き止めなかった。空港のロビーに立ち、愛する人が去っていくのを、ただ見送るしかない。その目は苦しげに赤く腫れている。雅斗もきっと、自分
私がいつから、雅斗を好きになったのだろう。たぶん中学生の頃、不良たちに絡まれた私を助けるために、雅斗が腕を骨折したときだ。あと少しで、一生絵を描けなくなるところだった。あるいは、雷が怖くて怯えていた私を、何度も何度も慰めてくれたときかもしれない。雅斗は、私に優しすぎた。誰もが、私たちはそのまま恋人になって、結婚するのだと思っていた。けれどその後、琴美が現れた。私は雅斗への想いを、胸の奥へ埋めた。けれど、運命とは皮肉なものだった。私は雅斗と結婚し、彼がそばにいる夢を見た。そして、夢から覚めたとき、雅斗はもういなかった。次の瞬間、空は私の気持ちに応えるように暗く曇った。雨粒がぽつり、ぽつりと雅斗の顔を濡らしていく。私には、それが涙なのか雨なのか、もう見分けられない。ほどなくして、雅斗は理名が私にしてきたことをすべて知った。そして、ありとあらゆる手を使って能口家を叩き潰した。能口家は、雅斗がここまで容赦ないとは思っていなかった。巻き返そうと動いた時には、もう何をしても手遅れだった。これも、5年にわたって紀子が厳しく雅斗を鍛えてきたおかげなのだろう。雅斗は早い段階から一人前になり、陰でグループの全企業の実権を一手に握っていた。雅斗は母親への復讐として、紀子を閉じ込めた。この男は、誰もが思っていたより、ずっと冷酷だった。すべてを片づけたあと、雅斗は母を見舞うために病院へ向かった。父は訪ねてきた相手が雅斗だと知ると、声を抑えながら怒りをぶつけた。「何しに来た。帰れ」雅斗は病室の外に立ったまま、動かなかった。何とも言えない表情を浮かべ、その瞳にはうっすらと涙が滲んでいる。かすれた声で、父を呼んだ。「隆司おじちゃん……」その聞き慣れた呼び方に、父の体がこわばった。あの頃の、まだあどけない少年の姿が目の前に浮かんだのだろう。けれどしばらく黙ったあと、父はそれでも扉を閉めようとした。雅斗は目を真っ赤にし、扉に手をかけて押し止めた。父を見つめ、すがるように言った。「お義父さん……中に入れてください。お義母さんの顔を一目だけ見せてください」父は後悔にまみれた雅斗の顔を見て、この男がすべての真実を知ったのだと悟った。父は小さく息を吐いた。「雅斗、もう話すことなんて何
雅斗の声には、少しも感情がない。実の母を脅すことにも、ためらいはない。彼にはわかっている。自分を産んだこの女が大切にしているのは、家が栄えるかどうかと、自分のプライドだけなのだと。紀子は実の息子からそんな言葉を浴びせられ、信じられない顔で立ち上がった。「今、私を脅してるの?」雅斗は紀子をじっと見据えた。紀子はずっと、自分が厳しくしつけてきたからこそ、雅斗はここまでの地位を築けたのだと思っている。けれどそんな息子が、今では他人のために自分を脅してくる。普段から品位を何より大事にしている紀子も、とうとう堪えきれなくなり、琴美の悪口を容赦なく口にした。「私が仕組んだとして、それがどうしたの?ただ琴美を別の町へ追いやりたかっただけよ。あの子は死んでないんでしょう?まさか、実の母親を殺して、あの子への償いにするつもりなの?」その言葉が引き金になり、雅斗は突然、抑えが利かなくなった。その目には、激しい憎しみと怒りが渦巻いていて、実の母親をただ睨みつけている。自分と愛する人を引き離した張本人。自分を5年間も苦しめ、さらには別の女の人生まで壊した元凶。雅斗は立ち上がると、紀子へ荒々しく詰め寄った。固く握りしめた拳から、爪が食い込んで血が滲んだ。正気を保つだけで精いっぱいだ。「どうして……どうして俺にこんなことをした!」紀子と雅斗は、張り詰めた空気のまま睨み合った。だが次の瞬間、紀子は息子の目に宿る激しい感情を見た。すると、さっきまでの怒りが嘘のように消え、ゆったりと腰を下ろした。どうせ琴美は死んでいない。雅斗がどれだけ腹を立てたところで、自分に手を出すことなどできない。紀子は顔を上げ、陰鬱で恐ろしい表情の雅斗を見ながら、何でもないようにお茶をひと口飲んだ。「唯月が死んだそうね。これだけ長い間、あの子を苦しめたんだもの。もう気は済んだでしょう。ちゃんと理名を妻に迎えなさい。琴美は外に囲えばいい」雅斗は母を信じられないような顔で見つめた。ある恐ろしい考えが頭に浮かんだ。――このすべてを、母は知っていたのだ。「琴美が死んでないことも、唯月が無実だったことも知ってたのか?それなのに、どうしてこんなことができるんだ……母さん!」私は宙に浮かびながら、取り乱している雅斗を見つめ、ほん
「唯月!」突然、身を裂くような悲痛な女の叫び声が響き渡った。霊安室いっぱいに、言いようのない悲しみと痛みが広がっていく。私は振り返った。そこにいるのは、母だ。今、母は人々の後ろから駆け寄ってきて、涙をぼろぼろとこぼしている。母は私の遺体を前に、おそるおそる手を伸ばした。けれど、触れる寸前でびくりと手を引っ込めた。そして何度も首を横に振った。「そんなはずない。唯月が私を置いていくなんて……嘘よ。こんなの、全部嘘……」父が電話を受けたとき、母は何かがおかしいと気づき、警察署までついてきたのだ。私の遺体を目にした母は、激しい悲しみに襲われ、その場で気を失ってしまった。雅斗は母を運ぶのを手伝い、北村病院へ搬送した。弱り切った母の姿を見た雅斗の顔には、珍しく戸惑いが浮かんでいる。救急処置室の外で、雅斗は唇を震わせながら呟いた。「お義母さん……どうして、こんなに体を悪くしているんですか」父はそんな雅斗を見て、皮肉っぽく唇を吊り上げた。「お前が病院に入れさせなかったんじゃないのか?今さら善人ぶって何の真似だ」雅斗は途方に暮れたような顔をした。そんなことをした覚えはない。壁にもたれかかり、眉間を押さえた。いつもまとっているスーツは、体に妙にだぶついて見えた。雅斗は、いつの間にか随分とやつれている。母を北村病院に入れさせなかったのは、紀子の指示だった。紀子は、雅斗がこれ以上私の両親と関わることを、嫌がったのだ。槙沢家が破産してからというもの、紀子は私たちを見下すようになっていた。「俺は一度も、お義母さんを病院に入れないでくれなんて言っていません。むしろ、病院には一番いい病室を取っておくように言いました」父は手を振り、これ以上雅斗と話そうとはしない。「もういい。お前と争っても仕方がない。帰ったら、あの金持ちのお母さんにちゃんと聞いてみろ」そのとき、雅斗のもとへ秘書の健一からメッセージが届いた。【社長、今回のことは本当に唯月さんのことを誤解されていると思います】そのあと送られてきた証拠を目にした雅斗は、すぐさま病院を飛び出し、北村家へ戻った。その頃、紀子は家で理名と楽しそうに話している。槙沢家が破産してからというもの、紀子は何とかして雅斗の妻を別の女に替えようとしていた