LOGIN体育館が崩落したとき、私・京谷涼寧(きょうたに すずね)は義妹の京谷優衣(きょうたに ゆい)とともにステージの下敷きになった。 ただ膝をすりむいただけの優衣が「もう足が動かない」と泣きわめき続けた。すると、私の恋人・深沢陸(ふかさわ りく)と兄の京谷康平(きょうたに こうへい)は、現場の救助隊員を全員、彼女の救助に向かわせた。 コンクリートの塊に体の半分を押し潰され、痛みに耐えながら陸に助けを求める。 「陸、助けて。内臓を傷めたみたい……痛い」 しかし、彼は人垣の向こうから冷たく言い放つ。 「優衣はダンスをやってるんだ。足が大事なんだよ!」 兄も眉をひそめ、私をたしなめる。 「涼寧、わがままを言うな。優衣は今年、芸大の実技試験を控えてるんだ。まずは優衣を優先してやってくれ」 上着に大量の血が染み込んでいることに、誰も気づいていない。 救急車の中で、医療機器がけたたましい警告音を鳴らした。救急隊員が私の上着を切り開き、ようやく異変に気づく。 鉄筋が、すでに私の肺を貫いていた。
View More兄は刑務所の中で、私に何通も手紙を書いた。最初の手紙には、母が亡くなった年のことが綴られている。あのとき、兄は私の手を握り、一生かけて私を守ると母に誓ったのだという。2通目の手紙には、初めて私を部屋から追い出した日のことが書かれている。あの日、優衣が熱を出していた。兄は、私がドアを叩く音が優衣の眠りを妨げたと腹を立てた。しかし、彼はすっかり忘れていた。私がドアを叩いたのは、喘息の発作が起きて、病院へ連れて行ってほしかったからだ。3通目、4通目……兄はこれまで見落としてきた些細な出来事を、すべて思い返していた。本当は、忘れていたわけではない。ただ、私が生きているうちは、いつも謝るのを後回しにして、埋め合わせならいつでもできると思っていただけだ。今になって初めて、自分が見過ごしてきたことが、取り返しのつかないものだったと気づいた。……陸は、病院の仕事を辞めた。医師免許を取り消されたあと、彼は一人で遠く離れた山間部へ向かい、救助隊に加わって、ボランティアとして働き始めた。取り残された要救助者を見つけるたび、誰よりも先に現場へ飛び込んでいく。ほんのかすり傷であっても、相手が本当に無事なのか、何度も確かめずにはいられない。どうしてそこまで必死になるのかと、同行者の一人に尋ねられる。陸は首から下げた指輪に触れながら、低い声で答える。「かつて、一番大切な人を見捨ててしまったからです」しかし、これからどれだけ多くの人を救っても、私が戻ってくることはない。……3年後、兄は刑期を終えて出所する。京谷家には戻らず、再就職もしていない。彼は自分の財産をすべて売り払い、あの体育館の跡地のそばに、誰もが利用できる救急ステーションを建てた。そこには、たった一つのルールが設けられている。【いかなる時も、傷病の程度に応じ、救助の優先順位を決めること。身分や職業、あるいは自分との関係を理由に、命の危険にさらされている人を見捨ててはならない】救急ステーションの開設日、兄は私の写真の前に白いヒヤシンスの花束を置いた。それは私が幼い頃、一番好きだった花だ。陸もやってきた。ボランティア活動中に遭遇した土砂崩れで障害を負った彼は、歩くときに杖が必要になった。2人は人垣越しに視線を交わすが、言い争う
病院を去った日、陸は私の遺品を抱えたまま、入り口で一晩中座り込んでいた。翌朝、廃墟となった体育館で、彼が私を押し潰した瓦礫を手で取り除いているところを、通りかかった人が目撃した。鉄筋で手のひらを切っても、まるで痛みなど感じていないかのようだ。誰かが立ち去るよう促しても、彼はただ低い声でつぶやく。「涼寧は下に埋まっていたとき、きっと怖かったんだろうな。今、迎えに行く」しかし、両手が血まみれになるまで掘り続けても、私を生き返らせることはできない。……兄の状況は、さらに深刻だ。責任者として、重大な安全上の問題があると知りつつも、規定に違反して文化祭を続行した。事故が起きたあとも、救急対応に必要な人員を別の場所へ回し、その結果、重傷者の救命を遅らせた。警察に連行される前、兄が唯一求めたのは、私の葬儀に参列することだった。葬儀の日は、ひどい土砂降りだった。手錠をかけられたまま墓前に立った兄は、何度か口を開きかけたものの、最後までまともに言葉をつなげられずにいた。やがて泥水の中にひざまずき、私の墓石を何度も拭いながら泣き崩れた。「涼寧、俺が悪かった。もう一度だけ、チャンスをくれないか。これからはお前が一番だ。もう誰かに譲れなんて、絶対に言わないから……」冷たい風が墓地を吹き抜けていく。私は兄のそばに立ち尽くしたまま、何も答えない。幼い頃の私は、確かにその言葉を聞きたかった。優衣が母の形見を奪ったとき、兄には味方をしてほしかった。陸が優衣のために何度も私を置き去りにしたときも、兄に抱きしめてもらい、私は決して一人じゃないと言ってほしかった。しかし、今になってそんな言葉を聞かされても、もう遅すぎるのだ。……優衣は傷害罪で起訴された。彼女は、自分は殺していない、ただ陸と兄がどちらを助けるのか試したかっただけだと主張し続けた。しかし、安全点検報告書、録音データ、そして監視カメラの映像など、優衣の犯行を裏付ける証拠はすべてそろっている。裁判で、検察官が彼女に問いかける。「体育館の西側がいつ崩落してもおかしくないと知りながら、故意に京谷涼寧さんをそちらへ誘導した理由は何ですか?」優衣は長い沈黙のあと、突然笑い出した。「あいつは愛されていないって証明したかったからよ」そ
陸は完全に理性を失い、優衣の首を絞める手に、ますます力がこもる。警察官と警備員がすぐに駆け寄り、陸を床に押さえつける。優衣は床にうずくまり、激しくせき込んでいる。涙と鼻水にまみれ、普段のか弱い姿は見る影もない。それでもまだ諦めきれないのか、兄のほうを振り向き、泣き叫ぶ。「お兄ちゃん、助けて!私を本当の妹として大切にするって、お母さんに約束したじゃない!」兄はゆっくりと顔を上げる。ほんの数時間で、その目からはすっかり光が失われていた。「俺の妹は、たった一人だけだ」兄の視線は優衣を通り越し、私の遺体へ向かう。「だが、俺はその妹を……死なせてしまった」優衣の表情が、醜く歪んでいる。「今さらいいお兄ちゃんぶらないでよ!小さい頃は、あんなに涼寧を可愛がってたじゃない。なのに、どうして私が何度か泣きついただけで、あいつのことを意地悪で、わがままで、思いやりがないなんて思うようになったの?教えてあげようか?あんたは最初から、あいつのことなんて愛してなかったからよ!あんたはただ誰かに頼られたいだけ。自分がいい人だって言われたいだけなのよ!あいつがどんどん成長して、あんたを必要としなくなったから、その愛情を私に向けたんでしょ!」兄は雷に打たれたように、呆然と立ち尽くす。私もその瞬間、これまでのさまざまな出来事に、ふと納得がいった。母が亡くなってから、兄は私にとって唯一の頼れる存在だった。しかし成長するにつれ、私は自分で問題を解決することを覚え、夜な夜な枕を抱えて兄のもとへ泣きつくこともなくなった。一方、優衣は雷雨の夜になると兄の部屋のドアを叩き、宿題が分からないと泣いて助けを求めた。誰に会っても、兄が自分にとって何より大切な人だと口にしていた。そのうち兄は、誰かに必要とされる満足感を、家族への愛情だと思い込むようになったのだ。私が傷つき、痛みを感じることを、兄が知らなかったわけではない。ただ、私の強さでは、誰かを守りたいという兄の欲求を満たせなかったというだけのことだ。……警察官が優衣を連行していく。ベッドのそばを通りすぎるとき、彼女はふと立ち止まる。そして、白い布をかけられた私を憎々しげに睨みつける。「どうして……2人は私を選んだはずなのに、どうしてあんたは、死んでも
映像が終わる。陸は真っ暗になった画面を見つめたまま、どさりと床に膝をついた。「俺は、見ていた……」両手で頭を抱え、髪をかきむしる。「こいつが涼寧を突き飛ばしたのを、はっきり見ていたんだ。涼寧は、俺に助けを求めていたのに……」突然、陸は自分の顔を思いきり殴りつけた。一度。そして、もう一度。たちまち口の端から血が流れ落ちる。「どうして、涼寧の手を引いてやらなかったんだ?あと少し手を伸ばすだけでよかったのに……」私は彼の前に立ち、静かにその答えを口にする。――立ち止まれば、優衣がけがをするかもしれないと恐れたからだ。陸は自分がどんな選択をしても、私ならいつまでも待ってあげると思い込んでいたからだ。しかし、今度ばかりは彼を待つことができなかった。警察官が優衣の前に歩み寄り、手錠を取り出す。「あなたが崩落の危険性を知りながら規制テープを外し、京谷涼寧さんを危険な場所へ突き飛ばしたことが、映像から確認されました。警察署までご同行願います」冷たい手錠が手首にはめられた瞬間、優衣はようやく動揺をあらわにする。「殺すつもりなんてなかったの!ちょっとぶつかっただけで、お姉ちゃんが勝手によろけたのよ!それに、体育館が崩れたことまで私のせいだっていうの?報告書を受け取ったのもお兄ちゃんだし、文化祭を続行するって言い張ったのもお兄ちゃんじゃない!」優衣は突然、兄を指さす。「あいつを殺したのは、お兄ちゃんよ!」兄の体がびくっとこわばる。設備点検を担当していた職員が、冷ややかな目で兄を見据える。「1週間前、我々はすでに京谷さんに使用中止の報告書を提出していました。しかし京谷さんは、妹の実技試験の映像を文化祭当日に撮り終えなければならないと言って、規制テープを1本張るだけにして、外部には知らせないよう指示したんです。もし規定どおりに体育館の使用を中止していれば、今日の事故は起きなかったはずです」兄の体がぐらりと揺れ、背中が壁に激しくぶつかる。「俺は……」唇を震わせながら、声を絞り出す。「西側に行かなければ、事故は起きないと思っていました」職員は怒りのこもった目で兄を睨みつける。「安全に関わる重大な問題だと知っていながら、文化祭の続行を認めたんでしょう!現場
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