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第157話

Author: 藤崎 美咲
遥生は彼女を信じていた。だからこそ、彼女の側に立ち、この七日間の賭けに付き合うことを選んだ。

けれど、もしあのとき彼女の身体の状態を知っていたなら、彼はどんなことがあっても、決して承諾しなかっただろう。

遥生は唇を引き結んだ。「沙耶に約束したんだ。君のことは僕がちゃんと守るって。もし君まで倒れたら、UMEなんて存在する意味がなくなる」

水野家の人間関係は冷えきっていた。沙耶は家のために政略結婚を強いられた。そのことが遥生に深い衝撃を与え、彼は怒りのままに家との縁を断ち切った。

UMEを立ち上げた理由の一つも、沙耶を守りたかったからだ。

遥生は沙耶を本当に大切に思っていた。

妹として、心から愛していた。

そして沙耶が去ったあと、星乃のこともまた妹のように可愛がるようになった。

星乃は彼の気持ちを理解していた。彼が本気で自分を守ろうとしていることも分かっていた。

「でも、本当に大丈夫なの」小さな声でそう言う。

「それに、UMEが一刻も早く国内市場を取らなきゃ、今の白石家には太刀打ちできない。沙耶が安心して戻ってこられる日は、きっとその先にしかないの。

これはUMEが帰国して初めて挑む戦い。絶対に引くわけにはいかない」

遥生の表情が変わらないのを見て、星乃は彼が決して折れないつもりなのだと悟る。

少し考えてから、そっと彼の腕を引っ張り、潤んだ瞳で見上げた。

「……遥生」声がやわらかくなる。

その甘くやわらかな響きに、遥生は一瞬言葉を失った。

期待を宿した彼女の視線を前に、「だめだ」という言葉がどうしても口から出てこない。

彼は星乃の性格をよく知っていた。頑固で、一度決めたら絶対に引かない。

頭の中はプロジェクトのことばかりで、無理に休ませても、きっと落ち着いて休めないだろう。

どうしても譲らない彼女に、最後は小さく息を吐いて言った。「……分かった。けど、今夜はちゃんと休めよ」

やっと彼が折れたのを感じて、星乃は素直にうなずく。

今の彼女の体調では、無理をすれば事態をさらに悪化させるだけだ。

遥生に促され、薬を飲んだあと、星乃は再び深い眠りについた。

個室の病室は静まり返っていた。

月明かりはカーテンの向こうに遮られ、白い光が床に落ちることもない。

数分後、ベッド脇に置かれたスマホが震えた。

遥生が手に取ると、画面には「悠
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