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第319話

Auteur: 藤崎 美咲
星乃の目がぱっと明るくなり、驚いたように律人の方を見つめた。

律人はそんな彼女の顔を見て、ふっと安堵の色を浮かべ、心の中で小さくため息をついた。

彼は、彼女のこういう前向きで負けず嫌いなところが好きだった。でも同時に、少しだけ嫉妬もしてしまう。

彼の目の前で、星乃が嬉しそうにしている時の多くは、たいていUMEの未来の話をしている時だった。

本当は、彼女がUMEの未来を考えるとき、自分たちの未来のことも少しだけ思い浮かべてくれたらいいのに――そう思っていた。

「律人、来てたのね」

柔らかな女の声が隣から聞こえた。

星乃が振り返ると、長い巻き髪にドレスをまとった女性が、ワイングラスを手にこちらへ歩いてくるところだった。

胸元にはアンティーク調のブローチ。穏やかで上品な雰囲気の女性だ。

星乃はその姿を見た瞬間、どこかで見たことがあるような気がした。

律人?

その呼ぶ声も、妙に親しげに聞こえる。

星乃はちらりと律人を見た。二人の自然な視線の交わり方を見て、胸の奥で小さくつぶやく。

――もしかして、律人の元カノ?

「あなたが、星乃デザイナーね?」

星乃が考え込んでいると、女性がにこやかに声をかけた。

その言葉に、星乃は一瞬きょとんとした。

ここ数年、周りからは「星乃さん」や「奥さま」、あるいは「星乃」と呼ばれることがほとんどで、「デザイナー」と呼ばれるのは本当に久しぶりだった。

胸の奥に、少し複雑な感情が広がる。

かつての彼女の夢は、優れたAIロボットのデザイナーになることだった。

でも、結婚生活の中で、その夢をほとんど忘れかけていた。

「デザイナー」と呼んでくれたこの人は、きっと初めてだ――そう思うと、自然と好感を抱いていた。

「紹介するよ。僕のおばさんの、白石恵理」と律人が言った。

星乃は目を丸くする。「おばさん?お若いですね」

星乃は思わず驚いてしまう。どう見ても律人と同世代にしか見えない。

白石家は子どもの数が多く、年齢が律人と近い叔母もいると聞いていた。

ただ、星乃が会ったことのある人はもうずっと昔のことで、しかもそのときは特別な状況だった。

顔はよく覚えていないが、声と、その人が最後に言った言葉だけは、今でも忘れられない。

「前を向いて。もう振り返っちゃだめ」

淡々とした声が響いた瞬間、星乃ははっとした。

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