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第5話

Author: 花柳響
last update Last Updated: 2026-01-01 06:00:19

「……は?」

 契約延長?

 私は、その言葉の意味が瞬時に理解できず、間抜けな声を上げた。

 エントランスの冷たい夜風が、急に生々しく感じられる。

「けいやく、えんちょう……って、何よ。もう、あの二人はいない。私の復讐は終わったわ。あんたの仕事も、ここまでよ」

「そうかな?」

 湊は、ポケットに片手を突っ込んだまま、あの人を食ったような半笑いを崩さない。都会のネオンを反射して、彼の瞳が底知れなく光る。

「君は、あのまま帰るつもりだったのかい? あの二人……拓也、と言ったかな。彼らが、君たちが本当に付き合っているか、まだ疑っているとしたら?」

「……!」

 心臓を冷たい手で掴まれたような感覚。

 確かに、そうだ。今日のところは完璧に撃退できたと思った。でも、後で「あの男、誰だったの?」「本当に付き合ってるの?」と共通の友人に探りを入れられるかもしれない。あの二人の性格なら、あり得ることだ。もし嘘だとバレれば、今日の勝利は一転、惨めな道化の戯言と化す。

「中途半端な復讐は、かえって自分の首を絞めることになる。……違うかい?」

 ぐうの音も出ない。この男は、私の浅はかなプライドと、その裏にある脆い弱さを、最初から完全に見透かしている。

 悔しいけれど、彼の言う通りだ。

「……で。延長っていくらなのよ。言っとくけど、私、そんなにお金持ってないんだから!」

 私がなけなしのプライドで財布を握りしめて睨みつけると、湊は心底おかしそうに、ふっと息を漏らした。

「料金の話は、場所を変えてしよう。ついてきて」

 そう言うと、彼は有無を言わさず私の手首を掴んだ。

 骨張った、けれど力強い指先。その体温の高さに、びくりと肩が跳ねる。

「ちょっ、どこ行くのよ!」

「僕の職場さ」

 抵抗する間もなく、彼が向かった先は、なんと、今しがた式を挙げたホテルの、その上層階へと続く専用エレベーターだった。

 重厚な扉が音もなく開き、私たちを呑み込む。ボタンには「Executive Floor」の文字。

 そして、私たちが辿り着いたのは。

「……嘘でしょ」

 息を呑む、という表現では足りなかった。

 エレベーターを降りると、そこにはただ一つの扉しかなかった。重厚な扉が開いた先は、最上階のスイートルーム。それも、Imperial Dragon Hotel(インペリアル・ドラゴン・ホテル)の中でも、最もグレードの高い「インペリアル・スイート」であることは、この業界で働く私には一目でわかった。

 不躾なほど広く、静まり返った空間。踏みしめる絨毯の毛足の深さが、ここが別世界であることを教えてくれる。空気が違う。

「な……っ、なんで、ホストのあんたが、こんな部屋に……!」

「僕の『職場』だと言っただろう?」

 湊は、まるで自分の家のように、慣れた手つきでジャケットを脱ぎ、上質なカウチソファに放る。ネクタイを緩め、シャツのボタンを一つ外す。その無防備でだらしないはずの仕草一つにも、隙がないほどの色気が漂う。

 窓の外には、東京の夜景が宝石箱をひっくり返したように、という陳腐な比喩では足りないほどの光の粒子が、足元まで広がっている。現実感が、ない。

 その非現実的な光景を背に、湊が私に向き直った。

「さて。契約延長の話だったね」

 緊張が、走る。ここは密室だ。二人きり。高層階特有の静けさが、やけに耳につく。私のヒールの音だけが、カツンと乾いた音を立てた。

 私は、虚勢を張るように、クラッチバッグを胸に抱きしめた。これが唯一の盾だ。

「い、いくらなのよ! 先に金額を言って! 時給は払うんだから!」

「時給、ね」

 湊は、部屋の豪奢なミニバーから重厚なワインボトルを取り出すと、どこか楽しそうに呟いた。

「今日の君の『復讐劇』、実に面白かった。おかげで、退屈な予定をすっぽかす、いい口実ができた」

「はあ?」

「だから、まあ……」

 彼は、二つの薄いクリスタルグラスに、血のように濃い赤い液体を注ぎながら、私を振り返った。

 夜景を背負った彼の瞳が、得体の知れない昏い光を宿している。その視線だけで、絡め取られそうだ。

「今日の報酬は、君でいい」

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