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第3話

作者: ココジャム
「シエナ」

父は地下室の扉越しに、静かな声で呼びかけた。

「チョコレートを持ってきたぞ。甘いものでも食べて、もう機嫌を直せ。いつまでも拗ねるな」

私は父の前へしゃがみ込んで、彼を見つめる。

父の目は真っ赤に充血していて、目元の皺も去年よりずっと深くなっていた。髪には白いものまで混じっている。

まだ四十五歳なのに。

まるで地獄を這いずり回ってきた老人のような顔だった。

「パパ、私はここにいるよ。

私、死んじゃったの。だからお願い……扉を開けて、ちゃんと見てよ」

もちろん、私の声は届かない。

「シエナ?」

父はもう一度名前を呼びながら、扉の下の隙間へチョコレートを押し込んだ。

私は父の頬へ触れようとする。

でも指先は、父の身体をすり抜けた。

父は深くため息をつく。

「まったく……まだ根に持っているのか」

呆れたような声だった。

高価な革靴の先で、さらにチョコレートを奥へ押しやる。

「いいだろう、そこでおとなしくしていろ。だが、これ以上騒ぎは起こすな」

そこで一瞬、父の声が掠れた。

「……ヴィヴィアンがいなくなったら、その時は全部埋め合わせしてやるから」

私は、父が地下室へ入るのを待たなかった。

遠ざかっていく背中を見つめながら、小さく呟く。

「もういいよ、パパ」

埋め合わせなんて、しなくていい。

だって、もう間に合わない。

父が去ったあと、廊下は再び静けさに包まれた。

しばらくして、ホールの方から扉の開く音が聞こえる。

部屋から出てきた母は、ヴィヴィアンを起こさないよう、そっと扉を閉めた。

そのまま廊下に立ち尽くし、ぼんやり何かを考え込む。

やがて地下室の扉へ視線を向けると、唇をきゅっと結んだ。

迷っているみたいだった。

けれど最後には、小さく息を吐いてこちらへ歩いてくる。

そして、さっき父がいた場所へしゃがみ込んだ。

「シエナ……」

今にも消えそうな声だった。

「ママを恨まないでね」

震える指先で、扉の彫刻をそっとなぞる。

「あなたが傷ついてるのは分かってる。でも……ヴィヴィアンには、もう今日しか残ってないの」

そこで言葉が詰まる。

「だから、せめて最後くらい、幸せなままでいさせてあげたいのよ……」

私は母の前へしゃがみ込んだ。

母の目元が濡れている。

でも彼女は、それを隠すみたいにすぐ拭った。

「ヴィヴィアンがいなくなったら、あなたの欲しいもの、全部あげるから」

無理やり明るく言おうとしている声だった。

「新しいフェラーリだって買ってあげる。ミラノのファッションショーにも連れて行ってあげるわ。五番街の宝石店も欲しがってたでしょう? 全部あなたに譲る」

ぽたり、と涙が落ちる。

冷たい床に、小さな染みが広がった。

「だから今日だけは……お願い。もう騒ぎを起こさないで……」

返事はない。

地下室は静まり返ったままだ。

その沈黙が続くにつれて、母の顔から悲しみが消えていく。

代わりに浮かんできたのは、苛立ちだった。

母は勢いよく立ち上がる。

「……なんて恩知らずな子なの!」

怒りを押し殺しきれない声だった。

「少しは思いやりってものがないの!? ここまでしてあげてるのに……!」

吐き捨てるように言う。

「蛇みたいな子に育っちゃって!」

そのまま背筋を強張らせたまま、早足で去っていった。

もうすぐパーティーが始まる。

その時、屋敷の外からエンジン音が響いた。

ヴァレンティ家前当主、祖母のドナ・カテリーナが、護衛を引き連れて姿を現す。

彼女の手には、年代物のオルゴールが抱えられていた。

祖母はリビングの革張りのソファへ腰を下ろすと、鋭い目で室内を見回した。

やがて祖母は眉をひそめる。

「ヴァレリア、シエナはどこかしら?」

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