Share

第8話

Author: ココジャム
護衛たちが、泣き叫ぶ父を無理やり引き剥がした。

ヴァレンティ家では代々、直系の人間は一族専用の霊廟へ葬られる。

それが長年続いてきた絶対のしきたりだった。

けれど祖母は、それを認めなかった。

「この家の嘘と野望に、この子の灰を穢させるつもりはないわ」

誰にも逆らわせない声だった。

祖母は、自らの意思で百年続いた慣習を断ち切った。

葬儀も、身内だけで静かに済ませると決める。

大勢を集めた派手な告別式は開かれなかった。

白々しく哀悼の意を捧げに来る同盟ファミリーのボスたちも来ない。

祖母が用意していたのは、たった一つだけだった。

真っ白なシルクのドレス。

私の十八歳の誕生日に合わせて、密かに仕立ててくれていたものだ。

冷え切った安置室の中で、祖母は静かに水を張った。

そして自分の手で、私の顔についた汚れを優しく、丁寧に拭っていく。

そのあと、皺だらけの手で白いドレスを着せてくれた。

その時だった。勢いよく扉が開く。

母がよろめきながら飛び込んできた。

両手は血で汚れ、目には縋るような色が浮かんでいる。

「……お義母様、お願いです……」

声はかすれてい
Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter

Latest chapter

  • 忘れられた双子が死んだ夜   第9話

    SUVは厳重な警備を抜け、祖母の私有ワイナリーへ入っていった。ここには、ニューヨークの裏社会の喧騒は届かない。冷酷な駆け引きも、誰かを値踏みする視線もない。あるのは、早朝の静寂だけだった。祖母は暖炉の前へ歩いていき、マッチで乾いた薪へ火を灯す。柔らかな金色の光が、冷え切った安置室の気配を少しずつ追い払っていく。祖母はそのままテーブルへ戻った。リビングの長いテーブルの中央へ、私の骨壺を静かに置く。それから、白い祈りのキャンドルを三本灯した。小さな炎が揺れる。祖母は目を閉じ、胸元でゆっくり十字を切った。ヴァレンティ家に古くから伝わる、最も神聖な別れの儀式だった。私は宙に浮かびながら、その光景を見つめていた。その瞬間、祖母が、ふいに目を開ける。白く濁りながらも鋭い光を宿した瞳が、真っ直ぐこちらを見た。「シエナ」掠れた声だった。涙を堪え続けていたせいで、声まで滲んでいる。「おばあちゃんには見えてるよ」胸の奥で、何かが一気に崩れ落ちた。十八年間、押し殺してきた苦しさも、寂しさも、全部溢れ出す。「おばあちゃん……!」私は泣きながら祖母へ駆け寄った。抱き締めてほしかった。温かい人間のぬくもりに触れたかった。けれど、私の手は祖母の身体をすり抜ける。何も掴めない。私は呆然と、自分の透けた指先を見下ろした。祖母は何も言わなかった。ただ、震える腕をゆっくり広げる。そこに誰かがいるみたいに。本当に私を抱き締めようとしてくれているみたいに。死によって隔てられた祖母と孫は、その静かな家の中で、長い時間一緒に泣き続けた。やがて祖母は涙を拭うと、ゆっくり立ち上がった。外の果樹園へ向かい、真っ赤に熟した林檎を一つもいでくる。流し台で丁寧に洗い、傷ひとつないくらい綺麗に磨き上げた。そして白いキャンドルの隣へ、そっと置く。「この血塗れの家じゃ、あの子たちが与えるものには、いつだって血と火薬の臭いがついて回るわ」祖母は骨壺を撫でながら、小さく笑った。「おばあちゃんには宝石も金もないけどねぇ。でも、綺麗な林檎を一つくらいならあげられるわ」ぽたり、と涙が落ちた。彼女の乾いた指先が、骨壺を優しくなぞる。祖母は私を見上げる。疲れているけど、どこまでも優

  • 忘れられた双子が死んだ夜   第8話

    護衛たちが、泣き叫ぶ父を無理やり引き剥がした。ヴァレンティ家では代々、直系の人間は一族専用の霊廟へ葬られる。それが長年続いてきた絶対のしきたりだった。けれど祖母は、それを認めなかった。「この家の嘘と野望に、この子の灰を穢させるつもりはないわ」誰にも逆らわせない声だった。祖母は、自らの意思で百年続いた慣習を断ち切った。葬儀も、身内だけで静かに済ませると決める。大勢を集めた派手な告別式は開かれなかった。白々しく哀悼の意を捧げに来る同盟ファミリーのボスたちも来ない。祖母が用意していたのは、たった一つだけだった。真っ白なシルクのドレス。私の十八歳の誕生日に合わせて、密かに仕立ててくれていたものだ。冷え切った安置室の中で、祖母は静かに水を張った。そして自分の手で、私の顔についた汚れを優しく、丁寧に拭っていく。そのあと、皺だらけの手で白いドレスを着せてくれた。その時だった。勢いよく扉が開く。母がよろめきながら飛び込んできた。両手は血で汚れ、目には縋るような色が浮かんでいる。「……お義母様、お願いです……」声はかすれていた。「せめて……シエナに靴だけでも履かせてあげたいんです……」母はベッド脇へ座り込む。震える指先が、私の足へ伸びた。――カチリ。冷たい金属音が響く。祖母は視線すら向けないまま、腰のリボルバーを抜いていた。銀色の銃口が、真っ直ぐ母の額へ突きつけられる。「出ていきなさい」感情のない声だった。「あなたに、この子を触る資格はないわ」母の身体がびくりと震える。そのまま力が抜けたように床へ塌れ込んだ。泣きながら抵抗する母は、護衛たちに抱えられ、そのまま外へ連れて行かれる。火葬室の防音ガラスの向こう側で、炉に火が入った。低い唸りとともに炎が燃え上がる。母はガラスへ縋りつき、狂ったように私の名前を叫び続けていた。窓を叩き、爪を立て、声が潰れるまで泣き叫ぶ。最後には力尽きたように、その場へ崩れ落ちた。父もまた、膝をついたままだった。手すりを握る手に力が入りすぎて、爪が割れ、血が滲んでいる。赤い雫が磨き上げられた床へぽたぽた落ちていった。私は宙に浮かびながら、その光景を見下ろしていた。呆れるほど滑稽だった。今さ

  • 忘れられた双子が死んだ夜   第7話

    大広間には、耳をつんざくような泣き声が響いていた。重い扉を閉めていても嗚咽は外まで漏れていたらしく、騒ぎを聞きつけた下位ファミリーの妻たちが、次々とホールへ集まり始める。ヴァレンティ家に取り入り、夫たちがその庇護で成り上がってきた女たちだ。本来なら誕生日パーティーへ招かれていた客だった。けれど今、彼女たちの視線は荒れ果てた室内を通り越し、祖母の腕の中へ向けられていた。そこに抱かれている、私の死体へ。「まあ……」赤いドレスの女が、シャンパングラスを片手に口元を押さえる。驚いたような顔をしていた。でもその声には、隠しきれない悪意が滲んでいる。「ヴァレンティ家も大変ねぇ。跡継ぎを取り違えるなんて」肩を竦めながら、わざとらしく笑った。「死ぬはずだった娘が生き残って、生きていた娘が死ぬなんて」くすり、と喉を鳴らす。「神様ですら、双子を見分けられなかったのかしら?」その瞬間、空気が凍りついた。母がゆっくり顔を上げる。頬には涙の跡が残っていた。けれど目に宿っていた絶望は、もう別のものへ変わっている。マフィアの妻らしい、狂気じみた殺意だった。カチリ。乾いた金属音が響く。次の瞬間、母は腰の銃を抜き放っていた。スライドを引き、そのまま女へ飛びかかる。金髪を鷲掴みにし、砕けたグラスの上へ叩きつけた。女は悲鳴を上げる暇もなく床へ引き倒される。そして次の瞬間には、冷たいベレッタの銃口が、口紅のついた口へ無理やり捩じ込まれていた。硬い銃身が頬の内側を裂く。血と唾液が混ざり、顎を伝って滴り落ちた。「んっ、う……!!」女は恐怖で白目を剥き、必死にもがく。母は髪を掴んだまま、低く囁いた。「今、なんて言ったの?」銃口をさらに押し込む。「「もう一回言ってみなさい……」その声は震えていた。けれど怒りだけは異様なほど冷たい。「次、私の娘が死んだなんて口にしたら、あんたの脳みそでこの床を塗りたくってやるわよ」「ママ、やめて!!」ヴィヴィアンも悲鳴を上げた。泣きながら母へ飛びつき、銃を押さえようとする。「この人たちにこれ以上言わせないで! みんな帰らせて、ここから追い出して!」甲高い叫び声だった。ヴィヴィアンは怯えていたのだ。誰かに本当のこと

  • 忘れられた双子が死んだ夜   第6話

    昼の陽射しがステンドグラスを通り抜け、色のついた光を床一面へ落としていた。なのに屋敷の中は、妙なくらい静まり返っている。暖房は限界まで上げられていた。熱風が絶えず吹き出しているのに、それでも私は分かっていた。もう、どれだけ温めても遅い。死んだ身体は、二度と温かくならない。その時、ヴィヴィアンの部屋の扉が激しく開いた。目を真っ赤にした母の手を振り払い、裸足のまま飛び出してくる。「どいて!」階段へ向かいながら叫んだ。「シエナに会わせてよ!」螺旋階段を駆け下りる足音が、静かなホールに大きく響く。けれどヴィヴィアンは途中で足を止めた。リビングの真ん中に、父が座り込んでいたからだ。ドン・マルチェロ・ヴァレンティ、ニューヨーク裏社会で恐れられてきた男。その父が今は冷たい床の上で、私を抱き締めている。脱いだジャケットを丁寧に私へ掛け、自分の胸へ寄せるようにして。力の抜けた身体、不自然に傾いた首。長い髪が床へ流れている。銃を握り続けてきた大きな手が、今は私の指を必死に擦っていた。何度も、何度も。「もう少しだ……」父は壊れたみたいに呟く。「もう少しで温かくなるからな、シエナ」掠れた声だった。「パパがちゃんと温めてやる。だから寒くないぞ……」ヴィヴィアンの呼吸が止まる。「……パパ?」父はゆっくり顔を上げた。その顔には、優しくも恐ろしい笑みに歪んでいた。「静かにしう」唇へ指を当てた。「シエナが寝てるんだ」目だけが異様に光っていた。「熱を出して寝てるだけなんだ。熱が下がれば元気になる」父は私を見下ろしながら、優しく笑う。「昔からそうだっただろ? 一晩眠れば、また元気になるんだ」ヴィヴィアンは父を見つめた。その目に一瞬だけ苛立ちが滲む。そして耐えきれなくなったみたいに声を荒げた。「パパ、現実を見て!」震えた声だった。「シエナは死んだの! チップはゼロになったのよ!」ガンッ!次の瞬間、黒いグロックがテーブルへ叩きつけられた。ヴィヴィアンが息を呑む。父がゆっくり顔を上げた。その目は真っ赤に充血していて、追い詰められた獣みたいだった。「黙れ」低い声。「それ以上喋るな」ヴィヴィアンは顔を青くし、その

  • 忘れられた双子が死んだ夜   第5話

    「どうしたの?」母はまだ、奇跡が起きたみたいな明るい声のままだった。地下室の入口で立ち尽くしている父の肩を軽く押す。「マルチェロ、そこで何してるの? 私がシエナを――」「入るな」父の声はひどく震えていた。「……え?」その背後から、ヴィヴィアンがそっと顔を覗かせる。「パパ……?」大きな瞳には、計算し尽くされた不安の色。「シエナ、どうしたの……?」彼女は心配そうな声で地下室へ呼びかけた。「お姉ちゃん、もう怒らないで出てきて? ヴィヴィアン、会いに来たよ?」私は天井近くに浮かんだまま、その姿を冷めた目で見下ろしていた。……本当に、上手い。昔からずっとそうだった。もちろん、隅で冷たくなっている死体が、その呼びかけに応えることはない。地下室は不気味なくらい静まり返っていた。そこでようやく、母も異変に気づいたらしい。彼女は父の腕を押しのけ、じめじめと暗い入口を無理やり通り抜け、地下室へ踏み込んだ。湿った冷気の奥、壁際に小さく丸まった影が見えた。「シエナ、仮病はやめなさい。起きなさい」苛立った声のまま近づいていく。そしていつものように乱暴に、私の肩を掴んで揺さぶった。次の瞬間。母の動きが止まる。そこには何の温もりもなかった。生命の兆候は一切ない。唇はぞっとするような青紫色に変わっていた。頬も、もう硬かった。「……っ」母の喉から潰れたみたいな声が漏れ、雷に打たれたようにその場へ崩れ落ちた。父は弾かれたように駆け込んでくる。狂ったみたいな勢いで膝をつき、震える指を私の鼻先へ当てた。呼吸はない。その視線がゆっくり私の手首へ落ちる。「健康だったはずの双子」のバイオウォッチ。そこに表示されていたのは、残酷な赤い数字だった。00:00:00警告灯が狂ったように点滅している。生命活動、停止。「ありえない……」父の唇が震える。「こんなの……ありえない……」乱暴に私の襟元を開き、首筋へ指を押し当てる。一秒。二秒。三秒。……何もない。そして次の瞬間、父が絶叫した。「チップが入れ替わってたんだ!」喉を引き裂くみたいな声だった。「生まれた時からずっと……ヴィヴィアンじゃなくて、シエナだったんだ!」地下室の空

  • 忘れられた双子が死んだ夜   第4話

    その瞬間、母の表情が強張った。「シエナなら……その、乗馬クラブへ行かせました」祖母と目を合わせないまま、視線をドレスの裾へ落とす。けれど祖母は何も答えない。ただ、冷え切った目でじっと母を見つめていた。「乗馬クラブですって?」静かな声だった。「だったら今すぐ呼び戻しなさい」「お義母様……!」母は慌てて立ち上がる。明らかに声が震えていた。「シエナが少し興奮していて……頭を冷やさせるために、地下室へ入れてるんです」そこで祖母の動きが止まった。空気が一瞬で張り詰める。「……地下室?」祖母はゆっくり聞き返した。「あなた、シエナを閉じ込めたの?」「でも今日はヴィヴィアンの大事な日なので……」母の声はどんどん小さくなっていく。祖母の顔色が変わった。立ち上がった拍子に身体がわずかによろめき、母が慌てて支えようとする。でも祖母は、その手を強く振り払った。「ヴァレリア!」怒りを堪えきれない声が響く。「シエナだって、あなたの娘でしょう?」母は何か言おうとした。けれど祖母は止まらなかった。「ええ、分かっているわ。ヴィヴィアンの運命がどれほど残酷かくらい。十九にもなれない人生だなんて、そんなもの悲劇以外の何ものでもない」祖母の目に涙が滲む。「だから最後くらい、幸せに送り出してあげたい。そう思う気持ちも分かるわ」でも次の瞬間、その声は鋭くなった。「じゃあシエナは? あの子の人生は違ったの!?」母が息を呑む。「シエナが自分だけのものを与えられたこと、一度でもあった? 服も宝石も全部お下がり! 護衛までヴィヴィアンへ回して!」祖母の声が震える。「あなたたち、あの子から何もかも奪ってきたじゃない!」「私はそんなつもりじゃ……」母の反論は弱々しかった。祖母は涙も拭わずに続ける。「二人とも優しい子だったのよ……」掠れた声だった。「なのに、あなたたちはシエナへ何を返したの? 少しくらい愛してあげようとは思わなかったの?」母はその場へ崩れるように座り込み、顔を覆った。肩が激しく震えている。それでも祖母は言葉を止めない。「それなのに最後くらい、姉妹を会わせてもあげなかったの?」怒りというより、もう悲鳴に近かった。「ヴィヴィア

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status