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「ねぇねぇ。一組の川音君、生徒会会長に立候補したらしいよ」
「そうなの? 絶対投票しよ〜! 川音君以外に考えられないもん」
「川音君って部活も委員会も入ってるよね。それで常に成績上位だし、すごすぎ」
通りすがりに聞こえた会話が、凪いだ海の浅瀬で跳ねた。
目指してる姿がある。
理想は少しずつ、だが着実に具現化できていると思う。
温厚篤実で完全無欠。絵に描いたような優等生に向けて。
「川音、一生のお願い! 英語の課題写させて!」
もちろんいいよ。
「……お、川音。悪いけどこのプリント、教室の掲示板に貼っておいてくれないか?」
はい、もちろん。
頼まれたら笑顔で引き受けるのがモットー。その甲斐あり、教師からの信頼も厚い。
一年生からは羨望の眼差し。三年生からは称賛、時々嫌味を言われる高校ライフを送っている。
これで良いのかと訊かれると、一瞬固まるけど。それでも昔よりはマシだと思う。
泣き虫で引っ込み思案で、いつも誰かの影に隠れていたあの頃よりは。
高校生活二年目。川音深白《かわねみしろ》は窮屈なネクタイを緩め、小さく息をついた。
今日は朝から一年の女の子に告白されて焦ったけど、穏便に断った。
部活に専念したいから。勉強に集中したいから。テンプレだけど、それが一番相手を傷つけずに済む。
……いや。傷つかずに済んだのは俺の方かも。
女の子は恋愛対象じゃない、なんて言ったらどうなるか。考えただけで恐ろしくて身震いする。
「川音君、生徒会選挙に出るんだって? 私達応援してるから頑張ってね!」
「ありがと! 頑張るよ」
絶対に隠さなきゃ。
単純だから女の子からキャーキャー言われるのは普通に嬉しいし。一部を敵に回しても、ひとりで何でもできる人間でいたい。
都内でも有数の進学校だからか実力主義的なところがあって、ひとつの分野で突出してるとそれだけで人気が出る。ファンクラブもあったりして、ほとんどアイドル扱いだ。
俺も元は地味で、窓際にぽつんといるタイプだった。超弩級の人見知りで、過緊張。クラスメイトの前で自己紹介をさせられたときは膝と声が震え、隣の女子から具合が悪いのかと本気で心配されたほど。
しかし紆余曲折を経て、今は学校の中心人物になるほどに変貌した。
必死に“変わろう”としたのは、ある存在がいたから。
彼と再会したときに成長した自分を見せたくて、今日まで努力してきた。
「おーい、川音ー」
「川音君、体育祭のことなんだけど」
「川音先輩、今日の練習内容は何を……」
一歩廊下に出ると、すぐ誰かに引っ張り出される。
昔の自分なら死んでもあり得ないこと。だからすっごく充実してるはずだ。……なのに、視界がぐらぐらする。
「大丈夫。全部やっとくよ」
優しく微笑むと、皆の不安そうな顔がパッと明るくなる。
だからこれが最適解なんだと思っていた。
( 作り笑いし過ぎて顔面神経痛になりそうだけど…… )
放課後。ひとり教室に残り、頼まれた仕事を片付ける。
優等生のふりは正直疲れる。でもそのおかげで刺激的な日々も送れてるし、何とかこなさないと。
椅子の背にもたれて天井を見上げる。小さなため息をついた時、ふとスマホが鳴った。
「ん?」
それは一件のメッセージだった。
とても懐かしい……心の底から会いたいと願っていた、ひとりの少年からの。
スマホの画面に表示されていた言葉は、『今夜そっちに行けそう』というもの。
なんっっ!!!
思わずスマホを落としかけた。もう一度見て、見間違いじゃないことを確認する。
とうとうこの日が来た…………。
深呼吸し、即座に『迎えに行く』と打った。返事を待つより前に立ち上がり、鞄を取る。
生徒会の仕事なんてしてる場合じゃない。一目散に彼が到着する空港へ向かった。
心拍数が尋常じゃなく上がってるし、足元が覚束ない。
ふわふわした感覚に支配されながら、何とか目的のターミナルに着いた。
早く、早く……。電光掲示板を見上げながら呼吸を整えていたけど、急に見た目が不安になって手洗いに入った。
鏡の前に立ち、乱れた髪を手櫛で整える。軽く香水をかけ、襟元を正した。
緊張して吐きそう。でも、倒れそうなほど嬉しい。
到着ロビーに戻ってスマホを取り出すと、ちょうどメッセージの通知音が鳴った。
『今着いた』と書かれていた為、周りを見渡す。たくさんのフライト客がゲートから出てきたが、捜してる人物は見当たらなかった。
あれ。いないぞ。
心配になり、思いきって電話をかけた。どきどきしながら待っていると、三コール目で声が聞こえた。
『もしもし』
「あっ。もしもし。……今どこ?」
心臓が爆音を鳴らしてる。
努めて平静に尋ねると、相手は鼓膜を震わす低音を紡いだ。
『多分、目の前』
「え」
スマホを耳から離し、視線を上げる。そこにはひとりの青年が佇んでいた。
こっちが制服だから、尚さら麻痺していたのかもしれない。私服姿の彼は大人びた印象で、全く知らない人に見えた。
会うのは六年ぶりの幼馴染。
ずっ……と会いたかった、大切な存在。
「ひ、久しぶり。全然分からなかった、ってか……」
誰だ、このイケメンは。
美形過ぎて思考が停止した。人見知りだった頃と同じぐらい挙動不審になり、目を泳がせる。
子どもの頃も端正な顔立ちをしてたと思うけど、次元が違う。艷やかな黒髪、切れ長の瞳にすらっとした長駆。
幼馴染の貴島月仁《きじまつきひと》は、モデルか、とツッコみたくなるほどの美青年に成長していた。
「何があったんだよ、月……貴島」
「その台詞そっくりそのまま返すよ。一瞬、誰だか分からなかった。……川音」
思わず苗字で呼んでしまったけど……本当に会いたかったし、会えてすっっごく嬉しい。
なのに面影がなさ過ぎて、完全に知らない人のオーラが流れている。
いや、落ち着け俺。最後に会ったのは小学生だったんだ。声変わりもするし、別人になってて当然だろ。
凍てついた空気を打破するべく、彼の手を引いた。
「腹減ってない? 何か食いに行こう!」
周りにも再会を喜んでる人達がいたが、静かに見つめ合ってる自分達とは対照的。
居づらくてすぐさま場所を移ることを提案してしまったが、貴島は特に気にしてなさそうだった。
( 落ち着いてるなぁ…… )
ただ歩いてるだけで見惚れそうだけど、変な感じだ。
昔の彼はもっとお喋りで、活気的な少年だった。
ところが今の彼は寡黙で、恐ろしくクール。六年の月日が彼を変えてしまったらしい。
「ラーメン好き?」
尋ねるとコクッと頷いた為、彼とレストラン街のラーメン屋に入った。カウンター席に案内され、お通しのネギのせメンマを食べる。
「学校はいつから来るの?」
「来週の月曜から」
「じゃ、一緒に行こうぜ」
微笑みかけると、彼は一瞬驚いた顔を見せた。
いやいや、何でそこで驚くんだ。
「何、駄目?」
「違う。やっぱり雰囲気違うと思って」
「そう?」
「あぁ。真っ先に迎えに来たのも驚いた」
注文したチャーシュー麺が目の前に置かれる。手探り状態ではあるが、互いに言葉を発するタイミングを慎重に取り出していた。
割り箸を渡すと、貴島はようやく口端を上げた。
「ありがとな」
「……おぉ」
何か、改まって言われると照れる。
顔が熱くなった気がして、慌てて視線を前に戻した。
貴島とは、小学校五年生まで一緒だった。
家が隣だった為、物心ついた時から一番近くにいた。同い年なのにしっかりして、頼もしい彼に随分助けてもらっていたと思う。
でも六年前、俺は親がやってる割烹屋の移転の為東京へ引っ越すことになった。貴島の家と距離があるから、ずっと会えずにいたけど。
「お前のお父さんも大変だな。急にシンガポールに単身赴任とか」
「あぁ。でも二年だけだし、兄貴の家に居させてもらえることになったから。むしろついてた」
彼は父子家庭だ。そのお父さんが海外赴任することになり、急遽お兄さんが住んでる東京へやって来た。
半年前、久しぶりに彼から連絡を受け取った時、それはもう嬉しくて舞い上がった。
ずっと一緒にいたかったのに、離れなくてはいけなくなった親友。彼が自分が通う高校に転入するというのだから。
住所を移したり大変だったはずだけど、転入試験も問題なかったようだ。学校に生徒の枠が空いてることも幸いで、無事来週から一緒に通うことができる。
再会したときはやっばい緊張してたけど、ようやく喜びが込み上がってきた。
「前の学校はどうだった? 勉強難しかった? 部活とか、委員会は入ってた?」
「質問攻めだな」
貴島が苦笑したから、口を手で覆った。
訊きたいことがたくさんある。でも大移動で疲れてるだろうし、今日は彼を労らないと。
「悪い、それはまた今度! とりあえず、再会に乾杯!」
「はいはい。乾杯」
瓶のコーラをカチンと鳴らし、一気に呷る。冷たい炭酸は涙が出るほど辛かったが、頭の中がすっきりした。
( 貴島…… )
親友。……以上、の青年。強くなりたいと思ったのも、全部彼がいたから。
昔はいつも心配をかけていた。だから今度は俺が彼を支えてみせる。
「貴島、困ったことがあったら何でも言ってよ。学校でもそれ以外でも」
「頼もしいな。……それじゃ、早速ひとついいか」
「何!?」
役に立てると思ったら嬉しくて、箸を置いて横を向いた。すると貴島は不敵な笑みを浮かべ、俺の額を指でつついた。
「学校の中。案内して」
「え」
あまりに些細なお願いをされ、拍子抜けしてしまった。
「そんなん頼まれなくてもする」
「そっか。サンキュー」
でもそんな小さなことすら確認しないといけないほど……俺達の距離は遠のいてしまったのかもしれない。
実際大人びた彼と相対するのは、妙に緊張する。他人行儀になりそうだけど、これは本意じゃない。
コーラを飲み、申し訳なさに俯く。
「貴島は……引くほどカッコよくなったな」
「何だソレ」
貴島は、ここで初めて可笑しそうに肩を揺らした。ひとしきり笑った後、意味ありげな視線を寄越す。
「俺からすれば、お前の方がきらきらしてて焦るよ。驚いたけど、中身は変わってなくて安心した」
「いや、中身の方が変わったよ。自分で言うのも何だけど、昔より百倍しっかりしてる」
「ほー……別に変わらなくても良いのに。川音はそのままで」
彼からすれば、何気ないひと言だったのかもしれない。
しかしそれは心の柔い部分に突き刺さった。
死ぬ気で勉強して、上がり症を克服して、揺るがない優等生像を築いた。それはかつての情けない自分を知る、貴島に胸を張って会う為だったから。
幼い頃はちょっと揶揄われただけで泣いていた。そしてその度に貴島に守られていた。
でももう甘えてはいけない。寄りかかってもいけない。
弱い心を戒めるようにシャツの裾を握り締めると、貴島は切れ長の目をさらに細めた。
「……ご馳走様」
「あ、もう食ったんだ。早いな」
俺はまだ半分しか食べてないのに、貴島はスープも半分近く飲んでいた。慌てて残りを食べようとすると、「ゆっくりでいい」と袖を引かれた。
でも横からちょいちょい視線を感じるから、超スピードで完食した。
「美味かったな」
「うん。……うぷ……っ」
店を出て、人の少ない電車に乗り込む。慌てて食べたせいでラーメンが逆流してきそうだ。最高に苦しかったけど、どこか楽しそうに窓の外の景色を眺める貴島を見て心を落ち着けた。
「川音はすっかり東京に染まってるな」
「そりゃ六年もいればな。貴島もすぐ慣れるよっ」
むしろ俺から言わせれば、彼の方がオシャレで目を引く。知らない道も颯爽と歩くし、心なしかすれ違う女性の視線も感じる。
ガラガラだったからシートに座り、肩を寄せ合った。
大したことじゃないのに、何故かどきどきする。
相対してるよりはマシなんだけど。……何か喋らなきゃ。
「あ。荷物はもうお兄さんの家に送ってるんだっけ?」
「あぁ。だから楽だったよ」
電車を乗り換え、貴島の最寄り駅のホームに降り立つ。まだ話していたいけど、時間も遅いしあまり引き留められない。
それでも手を後ろに回してソワソワしてると、彼は含みのある笑みを浮かべた。
「お前、ずっと落ち着きないな」
「あ。だって……」
久しぶりに会ったのに。会えたのに、貴島はちょっと落ち着き過ぎだ。
不安になる。嬉しいのは俺だけなんだろうか。
「貴島が、何か静かだから。俺何かしちゃったかな、って思って……」
迎え役には相応しくなかったか。
恥ずかしいけど、俯きがちに尋ねた。手が震えていたから、気づかれないようポケットに入れる。
ああ……やっぱり訊かなきゃ良かった。
微妙な反応が返ってきたらど───しよ。
恐る恐る顔を上げると、彼は不思議そうに首を傾げた。
「いつもこうだよ。むしろテンション高い」
「ほ、ほんと?」
「六年ぶりに会えて、嬉しくないわけないだろ」
彼は至極真面目に告げた。表情が一切変わらないから不安で仕方なかったけど……どうやら喜んでくれていたらしい。
ホッとして、ひとり息をつく。すると貴島は思い出したように鞄からお菓子を取り出した。
「来てくれたお礼」
「わっ。そんなお気遣いなく……でも貰う。ありがとう」
貴島がくれたのは、俺が大好きだった地元の銘菓。有り難く受け取り、今度こそ改札口まで向かった。
変化はあるけど、根本的なところは変わってないんだろう。
底なしの優しさとか。上手く言い表せないけど……何の根拠もないのに、俺は彼を絶対的に信頼している。
そう思わせる理由があったんだ。忘れるほど、ずっと遠い昔に。
何にせよ、躊躇いなく空港まで駆けつけるぐらい大事な存在。
腰元までしかない鉄柵を挟み、改札から出た彼と向き直る。
「貴島っ」
柵に腕をかけ、声を潜める。
「あのさ。真面目な話。……会えて嬉しかった」
でか過ぎて手に負えない感情。隠さないと、と思うのに無理だった。
引かれることを覚悟して待ってると、貴島は一瞬顔を逸らした。瞼を伏せ、静かに告げる。
「それ俺の台詞」
視線を交差させ、互いに吹き出した。
彼はやっぱり落ち着いていたけど、優しく微笑んでいた。逡巡の後こちらに一歩寄り、俺の前髪にそっと触れる。
「気をつけて帰れよ」
「うん。おやすみ」
その後も無言で見つめ合ってしまったせいか、周りの視線を少し感じた。咳払いし、慌ててその場から離れる。
貴島の後ろ姿が見えなくなってすぐ、またメッセージが届いた。
『今日はありがと』、という一文だけ。
けど存外嬉しいもので……しばらくその場で画面を眺め続けてしまった。
今思うと、普通に病んでたな。いや、今もか。父の海外赴任は驚いたけど、東京に行くことが決まった夜は眠れなかった。深白に会える。そのたったひとつの事実が、俺の全てを支配していた。記憶の中で止まった、世界で一番大切な存在。彼に会えることが最大の喜びで、……ほんのちょっと不安で。けど居ても立ってもいられず、彼に連絡した。彼は即座に空港まで迎えに行く、と返してくれた。俺のことをまだ覚えてくれていた。それだけでも目眩がするほど嬉しいのに、会いに来てくれる。夢でも見てるんだろうか。「もしもし」『あっ。もしもし。……今どこ?』空港の到着ロビーで、久しぶりに聞いた声。電話越しだからか、尚さら知らない人と話してるように感じる。でも、間違いなく深白だ。同じように耳にスマホを当てて佇んでいる姿を見たとき、息するのを忘れた。ああ。びっくりするぐらい大人になったけど……間違いなく、深白だ。『ひ、久しぶり。全然分からなかった』気まずそうに、少し照れくさそうに話す。見るからにガチガチだったけど、そのぶんこっちは冷静になれた。緊張はしてるけど、俺と会ったことを喜んでくれてる。俺もそう。昔のテンションなら、多分会った瞬間に思いきり抱き締めてた。でも大人になって、無駄に狡猾になって、感情を出せずにいる。深白の素直さが羨ましい。そして、愛おしい。でも苗字で呼ばれた時はちょっとムカッとした。というのは内緒だ。深白に触れていると、六年という月日は気が遠くなるほど長くて、あっという間に感じる。成長した彼は、ぽっかり空いた俺の記憶を補完してしまう。「月仁〜。そろそろ帰ろっ!」高校三年生になった。受験間近、卒業も控えてる。でもそれ以上に、二人で始める新生活に心を躍らせている。鞄を持ち、同じ歩幅で廊下を歩く。今ではすっかり甘えたな、元優等生の恋人の隣で。「な、今日の弁当どうだった? 初めて味噌カツに挑戦したんだけど」「あぁ、めっちゃ美味かった。ありがと」「ほんと? 月仁の感想って美味いばっかなんだもん」「ははっ、ごめんごめん。ボキャブラリーないからな……」放課後の、誰もいない昇降口で向かい合う。この何でもない、温かい時間と空間が宝物。「美味しかったから、また作ってほしいな。お願い」微笑むと、深白は露骨に顔を赤くした。この素直さ……もと
「月仁、どうしたの? 家入らないの?」古くぼやけた記憶。しかし断片的に色づいて、光の粒を散らしている。“彼”といるときは全部そうだ。幼い頃の記憶なんて黒で塗りつぶしてしまいたいけど、どうしても守り抜きたい記憶もある。隣の家に住んで、物心つく前から顔を合わせていた隣人。深白との記憶。小学生の頃、月仁は完全な鍵っ子だった。父子家庭で父の帰りは夜遅く。年の離れた兄は部活に打ち込んでいる。だから簡単なレトルト食品をつかって一人で食べることも多かった。しかし今日は家の鍵を忘れてしまった。絶望感から額を押さえていると、見覚えのある影が重なり、蜜柑を差し出された。「大丈夫? ほらっ」男とは思えない可愛らしい笑顔を浮かべるのは、俺の幼馴染。幼稚園に入る前から見ている深白は、小学生になってもか細くて、危なっかしい。もちろん身長は伸びてるんだけど、中性的であどけない顔をしてるせいか、あまり同い年とは思えなかった。いつも後ろを振り返り、彼がついてきてるか心配していたけど……今は自分の方がよっぽど問題だ。「サンキュー。……家の鍵忘れちゃってさ。兄貴が帰ってくるまで待ってる」スマホなんて持ってないから、ため息をついて家の前の小さな階段に座り込む。蜜柑を食べてると、隣でハラハラしていた深白は、パッと明るい顔をして手を叩いた。「月仁。お兄さん帰ってくるまで、俺の部屋にいなよ!」「え? いいよ。お前の家のひとに悪いから」「大丈夫大丈夫。父さんも母さんもお店の準備してていないもん」そう言うと深白は俺の手を引き、自身の家に引き入れた。「でも、誰でも簡単に家に入れるなよ?」「もちろん。月仁だからだよ」こんなことが何回かあった。深白と俺は家が隣だけど中学年まではクラスが別で、行き帰りしか顔を合わせることがなかった。優しくて大人しい深白は他の男子からいじられやすくて、彼自身悩んでいた。だから俺もできる限り傍にいて、彼を守った。誰に言われるまでもなく、そういうものだと思った。女子を泣かしてる男子に注意するように。気付いた時には当たり前のように隣にいた深白を守るのは、俺の役目だと。でも深白のすごいところは、どんなに辛くても、泣かされても、周りに助けを求めないことだ。一度泥だらけになって帰ってきたことがあり、俺は初めてというぐらい腹が立ったけど、深白は最後まで弱音を吐か
「って、もう知ってるか」「まーな」自惚れじゃない。即答できるほどには、毎日甘やかされていた。あと、地味に愛が重かったりするし。でもそれは俺も同じだ。月仁に堂々と甘えられるようになったけど、そのぶん妬くことも増えた。近付けば近付くほど火傷する、眩い存在。やっぱり、誰かに攫われるのは耐えられない。「俺も月仁が好き。もう百回ぐらい言ってるけど」「そうだな。これからは毎日聞けると思うと、幸せ」「毎日言うこと前提かよっ」もちろん良いけど。彼の膝に跨り、肩に手を添える。「じゃあ、ちゃんと捕まえて。……離さないでよ」「当然。子どものときは何もできなかったけど。本当は、初めて会ったときからそのつもりだった」儚くて、触れたら壊れてしまいそうな男の子。彼を守り抜いて、笑顔にしたいと思った。それが今では、自分の方が────。「お前はいつまで経っても俺のお姫様だよ」「そ、そういうのは思っても心の中だけにしろっ」「無理だな。照れてるところが可愛いから」月仁は深白の顎を掠め取り、唇を重ねた。この温もりを失わないように。長く、深く溶け合っていく。「ん……っ」一緒に過ごす度に……触れ合う度に、固めた壁が一枚一枚崩れていく。最後に残ったのは、泣き虫で寂しがりな自分。こんな姿見せたくなかったけど、ほんとはずっと暴いてほしかった気もしてる。謎過ぎだ。でもひとつだけ言えるのは、俺はずっと月仁が好きだったということ。傷つくのも傷つけるのも怖くて動けなかった俺を、彼はいとも簡単に抱き上げてくれた。どんどん惚れて、深みに入ってしまいそうで怖い。「深白」でも彼は、そんな俺の不安も取り払ってしまう。「大丈夫。心の準備だけしておいて」「準備。って、何の」「俺に愛される準備」はぁ〜……。もはや感嘆のため息だ。自信満々というか、余裕たっぷりというか。もう、その全てが愛おしい。「……わかった! 覚悟しとく」今度は俺から彼の額にキスし、微笑んだ。「月仁。これからも、末永くよろしく」「あぁ。愛してるよ、深白」まだまだ明日の景色も見えてない。でも俺達の想いは、長い年月をかけて成長した。誰にも打ち明けないまま、暗い土の中に埋めていたけど……少しのきっかけで芽を出し、光を浴び、花を咲かせる。きっと皆そうなんだ。ほんのちょっとの我儘と、勇気があれば
うわ──────。恥ずかしい。恥ずかしくて五回は死ねる。顔から火が出そうだ。また半泣きになってると、月仁は身を乗り出し、俺の頭を撫でた。「お前はほんっ……とに可愛いな」「だって……! 好きなんだからしょうがないだろっ」「うんうん。しょうがない」月仁は笑いながら俺の頬を撫でる。若干からかわれてる気がしてムッとしたけど、それに気付いたのか彼は真剣な表情になった。「俺なんて、自分をコントロールすることに毎日必死だからな」「コントロール?」「可愛がり過ぎて嫌われるかもしれないから。二十四時間我慢してる」それは俺以上にやばいかもしれない。改めて、彼もものすごい葛藤をしてることに驚く。でも最終的に痛感したのは……俺も彼も、もっと触れ合っていたい願望があるということ。「好き過ぎるのも地獄だな。離れていたときの方が地獄なのにさ。……触れる距離にいるのに触っちゃ駄目、って罰ゲームみたい」「うん。……わかる」互いに見つめ合い、吹き出した。想いは通じてるし、代え難い関係も手に入れたけど、全てが叶ったわけじゃない。まだまだ限られた選択の中から未来を見つけ、選び取る必要がある。それでも月仁と一緒に考えられるなら、こんなに嬉しいことはない。月仁といたら大勢に非難されて、彼にも迷惑をかけてしまうと思っていた。でもそんなのは痛い勘違いで、周りの優しさを無視した思い込みだった。驚きつつも見守ってくれる周りに感謝して、今日も“俺らしく”生きたい。七年前の俺が見たらびっくりするだろうな。また月仁に甘えて、且つ奔放に過ごしていたら。「月仁君、お疲れ様。もう上がって、深白と夜ご飯食べな」「お疲れ様です。あ、でもご飯は大丈夫ですよ」両親の店でバイトを始めた月仁も、だいぶ慣れたみたいだ。夕方からとは言え忙しい時間帯なので、二人はとても助かったと喜んでいる。俺も嬉しくて、以前に増して店を手伝うようになった。「遠慮しないで! 深白ー、これ裏に持って行って」「おっけ。月仁、俺の部屋で食べようぜ」「でも、いつも悪い」「いやいや、作ったもん食べない方が駄目! ってことで、ほら!」丼が乗ったお盆を片手に、もう片方の手を月仁に差し出す。彼は少し微笑み、俺の手をとり、お盆にも手を添えた。厨房に向き直り、母に声を掛ける。「そだな。……ありがとうございます、頂きま
月仁の笑顔は眩し過ぎて、時々目を覆いたくなる。超強力な光のシャワー。加えて真顔で甘い台詞を言うもんだから、こっちも感覚が麻痺してきた。「じゃ、じゃあ……今日も一緒にいる」「ああ。てか、嫌がっても俺が居座るけど」月仁は不思議そうに肩を竦める。俺にとって「ずっと」、っていうのは相当なバカップルだと思うんだけど、彼にとっては違うらしい。「俺は月仁といるだけで幸せだし……幸せ過ぎて罰があたるんじゃないか、って思うんだ」「相変わらず殊勝だな。せっかく脱優等生したんだから、中身ももっとはっちゃけろよ」はっちゃける……。彼の言葉に少し考えて、確かにそれもそうか、と頷いた。優等生を演じていたときと同様、中身も見た目に合わせていくべきだ。ただ、俺はまだ怖がってる。本当の自分を見せて、周りに失望されることに。他人の評価を気にしてることが分かったのか、月仁は俺の前に屈み、小さな声で囁いた。「ちなみに俺は、取り繕ってないお前を好きになったんだからな」「あ……」そういえば……物心ついた時から一緒にいたから、月仁は俺の全部を知ってる。弱いところも恥ずかしいところも、分かった上で俺のことを好きになってくれたんだ。そう思ったら、やっぱり有り難いし……嬉しくてたまらない。素の自分を受け入れてくれた彼は、唯一にして最大の誇り。そして、愛しい存在だ。「月仁! ……好きだ!」「唐突な告白だな。でも、ありがとう」一応周りに人がいないことを確認した上で、彼に好きをぶつけた。恥ずかしいし怖いけど、尋常じゃなく心が躍る。胸の辺りが温かくなる。好きな人に想いを伝えるって、こんなにも大事なことだったんだな。─────川音君と貴島君って、もう学校公認のカップルだよね。「って女子達に言われてるぞ。もう隠しても意味ないから、堂々とイチャつけば?」「いやいや……」昼休み。月仁と中庭のベンチで昼ご飯を食べてると、都波がニヤニヤしながらやってきた。俺はできれば卒業まで目立たず、大人しく過ごしたい。月仁とは一緒にいたいけど、俺らのことで周りが盛り上がるのは避けたかった。ところが月仁は違うようで。「それはいいかもな。周りに気を遣わずに、深白を可愛がれるってことだし」「つ……月仁君? 何言ってるのかな?」彼は表情こそ変えないものの、腑に落ちた様子で腕を組んだ。目立つのが
「あれって貴島君?」「誰抱えてんのかな?」「えっ……川音君じゃん!」やっっっばい。それはもう、史上最高に。この学校の伝説になりそうなほど、今の俺は注目されている。体育館に繋がる外廊下を歩いて、校舎に移動する。月仁は俺を抱え、平然と真ん中を歩いた。放課後なのは不幸中の幸いだけど……誇張ではなく、俺も月仁も学校では知られた存在。だから俺達を見つけた生徒は、皆興味津々で寄ってきた。「お。貴島、川音のこと捕獲できた?」現れるやいなや、都波も呆れた様子で腕を組んだ。隣にはクラスの女子達もいる。「できたみたいだな。でも今度は展開進み過ぎな気が」「まあまあ、都波君。無事くっついて良かったじゃん」「最近の二人、ほんと見ててムズムズしてたから良かった〜。スッキリした!」えっっ。どう反応するのが正解だろう。男が男を抱っこして現れたんだから、気持ち悪がるのが自然だろうに。彼らは落ち着き払い、むしろホッとしている。……っていうか、俺と月仁がひっついてんのが当然みたいな空気だ。よく分からないけど、とにかく誤魔化さないと。「いやいや……! 俺、外で転んで足挫いちゃってさ。立てなくて困ってたら月仁が運んでくれたん」「抱っこしようか。って俺が訊いたら、してくれって言ったんだよ」何て!!?フリーズした。聞き間違いかと思って見上げたけど、月仁は「な?」と笑顔で覗いていた。いやいや。な? じゃない!「えーっ! 川音君、貴島君に甘えてたの?」「わ〜! かわいい〜!」「ち、違うよ!」あらぬ誤解を受け、慌てて手を振る。しかし彼女達の熱は高まる一方で、全く落ち着く気配がない。あぁ、もう!「月仁、下ろせっ」「ん? ……今は大人しくしといた方がいいと思うけど」月仁はなにか言いつつも屈み、俺を下に下ろした。散々恥ずかしい姿を見られてしまったが、これでよし。自分の席に足早に向かい、鞄を取りに行った。すると都波が不思議そうに首を傾げて。「川音、足挫いてないじゃん」「あれ。じゃホントに貴島君に甘えてたんだ!」「ほあっ! ちっ違……っ!!」しまった。ここから逃げ出したい一心で墓穴を掘った。これじゃ何を言っても苦し紛れの言い訳に聞こえてしまう。月仁は別次元を見てるけど、絶対笑いを堪えてるし。く……っ。「もっもう帰る!! また明日!」「バイバーイ、川音君