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7.もう一度、歩き出す前に⑥

作者: 鷹槻れん
last update 最終更新日: 2026-01-22 13:31:52

 会計を済ませる頃には、カートの中はすっかりいっぱいになっていた。

 フードの大袋、ケージの箱、食器台、ミツバチレインコート。

 そのどれもが、私ひとりでは絶対に選ばなかったものばかりだ。っていうか、こんなに一気に買ったら絶対持って帰れないから、最初からご飯だけ……みたいに品目を絞っていたと思う。

 それに……孝夫さんにお財布を握られているから、足が確保できていたとしても、そもそもこんなに自由になるお金自体がない……。

「あ、あの……私、ちゃんとお支払いしたいです。でも……ごめんなさい。今はこれだけしか手持ちがなくて……一気に全額は無理なので……とりあえずご飯と食器のお金だけでも……」

 お財布を取り出して、中にあるだけのお札を取り出そうとした私の手を、梅本先生が視線だけで制した。

「いい」

「でも……うちの子のものばかりですし……」

「考えてみろよ。俺が買いたくて入れたもんがほとんどだろ? 桃瀬先生はもともと控えめに買いたがってた」

 それでもお財布を手放せずにいたら、

「ほら。今日は桃瀬先生が前に進む日だ。俺はそんな桃瀬先生にエールが送りたいんだよ」

 そう言って、少しだけ視線を逸らしてから、「門出の祝い」とか。

「でも……」

「ほら、俺の顔を立てると思って、――な?」

 どう考えてもそこまでしていただく義理なんてないのに、梅本先生はまるでそうしてくれないと自分が困るみたいな言い方をして私をじっと見つめてくる。

 それ以上お断りの言葉を重ねたら、梅本先生の面目をつぶしてしまう。そんな感じだった。

 結局、私はそれ以上言いつのれなくて……支払いをする彼の横で、うなちゃんを撫でながら所在なく立っていた。

「あ、あの……梅本先生、今日は本当に……」

「すみません、は無しだからな?」

「……っ!」

「いつも言ってるだろ? どうせ言われるなら……」

「――お礼がいい?」

「そういうこと」

 ニヤッと笑みを向けられて、私は梅本先生に「ありがとうございます」ってなんとか言うことができた。

「俺の方こそ、うなぎと一緒に暮らせる機会をサンキューな。――あー、犬との暮らし、マジ楽しみ!」

 うなぎをよしよしと撫でてくれる梅本先生の横顔を見つめながら、私はこの人には敵わないなって本気で思った。

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  • 恋人未満の彼と同棲生活(仮)始めます   7.もう一度、歩き出す前に⑥

     会計を済ませる頃には、カートの中はすっかりいっぱいになっていた。 フードの大袋、ケージの箱、食器台、ミツバチレインコート。 そのどれもが、私ひとりでは絶対に選ばなかったものばかりだ。っていうか、こんなに一気に買ったら絶対持って帰れないから、最初からご飯だけ……みたいに品目を絞っていたと思う。 それに……孝夫さんにお財布を握られているから、足が確保できていたとしても、そもそもこんなに自由になるお金自体がない……。「あ、あの……私、ちゃんとお支払いしたいです。でも……ごめんなさい。今はこれだけしか手持ちがなくて……一気に全額は無理なので……とりあえずご飯と食器のお金だけでも……」 お財布を取り出して、中にあるだけのお札を取り出そうとした私の手を、梅本先生が視線だけで制した。「いい」「でも……うちの子のものばかりですし……」「考えてみろよ。俺が買いたくて入れたもんがほとんどだろ? 桃瀬先生はもともと控えめに買いたがってた」 それでもお財布を手放せずにいたら、「ほら。今日は桃瀬先生が前に進む日だ。俺はそんな桃瀬先生にエールが送りたいんだよ」 そう言って、少しだけ視線を逸らしてから、「門出の祝い」とか。「でも……」「ほら、俺の顔を立てると思って、――な?」 どう考えてもそこまでしていただく義理なんてないのに、梅本先生はまるでそうしてくれないと自分が困るみたいな言い方をして私をじっと見つめてくる。 それ以上お断りの言葉を重ねたら、梅本先生の面目をつぶしてしまう。そんな感じだった。 結局、私はそれ以上言いつのれなくて……支払いをする彼の横で、うなちゃんを撫でながら所在なく立っていた。「あ、あの……梅本先生、今日は本当に……」「すみません、は無しだからな?」「……っ!」「いつも言ってるだろ? どうせ言われるなら……」「――お礼がいい?」「そういうこと」 ニヤッと極悪な笑みを向けられて、私は梅本先生に「ありがとうございます」ってなんとか言うことができた。「俺の方こそ、うなぎと一緒に暮らせる機会をサンキューな。――あー、犬との暮らし、マジ楽しみ!」 うなぎをよしよしと撫でてくれる梅本先生の横顔を見つめながら、私はこの人には敵わないなって本気で思った。***

  • 恋人未満の彼と同棲生活(仮)始めます   7.もう一度、歩き出す前に⑤

     梅本先生はうなちゃんが乗ったカートを押しながらどんどんペットコーナーを歩いていく。 次に立ち止まったのは、ケージが陳列された棚の前だった。「これとかどう? うなぎが入っても十分な広さだし、掃除もしやすそうだ」 「でも……こんな立派なの……」 「使うのはうなぎだぞ? 狭いのはストレスだろ」 「それはそうですけど……」 「だったらこれでいい」  淡々と言いながら、梅本先生はお目当てのケージが入った大きな段ボール箱をごく自然にカートへ積んでしまう。 今までマンションでうなちゃんが使っていたケージより一回り大きいそのケージは、確かに快適そうに見えた。 (嬉しいけど……いいのかな? こんな大きなの置いたら、梅本先生のお部屋、狭くなっちゃうよ?)  思うけれど、ちらりと見た梅本先生の横顔はどこか楽しそうで……私はこれ以上遠慮を連ねるのは逆にいけないことに感じてしまう。「あー、そういや、飯の皿もいるよな」 「えっ?」 「お前、どんな皿、使ってたんだ?」  うなちゃんに聞いている体で、私に問いかけられている気がする。 「えっと……今まではステンレス製のこれくらいの大きさの器を使っていて……」 「ステンレスと陶器のがあるけどステン使ってたのってなんかこだわりあんの?」 「いえ、別にそんなにこだわりは……。強いて言えば割れなくて丈夫だから……でしょうか」 「そっか……」  梅本先生は少し考える素振りをみせてから、食器台とセットになった、器を指さした。 「これとかどう? 地べたに直接置くよかうなぎも飯、食いやすそうじゃね?」  フードスタンドは自動給水器付きで、ペットボトルに新鮮な水を満たしておけば、いつでもお皿に新しい水が供給されるようになっていた。  スタンドに描かれた犬の絵と、器の内部に描かれたパウ柄がとても可愛らしい。  ご飯皿は重めの陶器で、食器台にセットすれば簡単にひっくり返らないタイプ。しかも少し傾斜が付けられているから、うなちゃんが無理なく口をつけられそうに見えた。 「素敵……」  思わずつぶやいたら、「じゃ、これに決まりな」って……返ってきて、ハッとする。  ——私のバカ!  これじゃ、今さらほかの安い器がいいなんて言っても、信憑性がないじゃない!「あ、あの

  • 恋人未満の彼と同棲生活(仮)始めます   7.もう一度、歩き出す前に④

    ホームセンターに着くと、入口の脇に犬を乗せられるショッピングカートがいくつか並んでいた。四方に囲いがあって、台座も広い。プラスティックの箱が設置されていて中にはペットシーツが敷かれていた。箱はうなぎでも十分乗れる大きさだった。 上段の空いたスペースと、下段に買い物したものを乗せるようなシステムらしい。 梅本先生は迷わず下段に買い物かごを乗せると、 「ほら、乗っとけ」 「わふっ」 10キロちょっとある中型犬のうなぎを軽々と抱き上げ、あっという間にカートへ乗せてしまう。箱の中はそんなに窮屈ではないみたいで、うなちゃんは楽しそうに尻尾を振りながら良い子にしてお座りした。 「うなちゃん」 カートのそばへ呆然と立ち尽くしたままの私を、うなちゃんがカート上から鼻先を前に突き出すようにして見つめてくる。そんなうなぎが可愛くて、私は思わず笑みがこぼれてしまった。 うなぎの元気さにつられるように、私の胸の奥の重たいものも少しだけ軽くなった気がした。 梅本先生はちょっぴりふらつく私を気遣いながらも、うなぎが乗る大きなカートを上手に取り回しながら、迷わずペット用品売り場へ直行する。私はそんな彼のあとを、はぐれないように歩いた。 梅本先生が押すカートの中、目の前を目まぐるしく移ろっていく商品棚にうなちゃんは興味津々みたい。 「飯、こいつがいつも食べてるの、どれ?」 聞かれて、辺りをキョロキョロと見回してから、柴犬の写真が目印になった赤いパッケージを指さすと「『ピュアわん』か。……んー、一番でっかいのは……これだな」 「こ、こんな大きなの……」 いつもは徒歩で持ち帰るのが大変で、3キロ入りを買うのが関の山。なのに梅本先生は迷わず10キロ入りをカートへ入れてしまう。 「中型犬だぞ。減るの、早いだろ。車で来てるんだ、遠慮すんな」 ぶっきらぼうな言い方なのに、どこか〝私の体調も気遣ってくれている〟響きがあって、なんだか恥ずかしくなる。 「あの……私がいつも大きなの買えないでいたの……」 「あ? 桃瀬先生、車持ってねぇだろ? 話聞く限りじゃぁ旦那が桃瀬先生の買い物にいちいち車、出してくれてたとも思えねーなって思っただけだ」 「ご、ごめんなさい……」 なんだか気遣わせてしまったことが申し訳なくてしゅんとしたら「俺さ、謝られるより礼言われる方が好きなんだけど?」っ

  • 恋人未満の彼と同棲生活(仮)始めます   7.もう一度、歩き出す前に③

    梅本先生は私の手を引いて、公園横の小さな駐車場へ向かった。 梅本先生は迷わず一台の黒いSUV車に近付くと、ロックを解除する。車内はまだほんのりと温かくて、エンジンを切ってそれほど経っていないことがうかがえた。 (……きっとホテルからこっちへ直行してくださったんだ) 普段梅本先生がこの車に乗っておられるのを見たことはない。でも、昨日アパートの駐車場にこれと同じ車が停まっているのを見かけたのを覚えている。きっと昨日ホテルまで行くのに乗って行かれていたんだと思う。 私が『今からマンションに戻って、夫と話し合いをしてきます』と送った短いメッセージを見て、心配してすぐに駆けつけてくださったんだと分かって、胸の奥がじんと熱くなった。 「乗って? このままホームセンターへ行こう」 相変わらず飾り気のない、用件のみを伝えるような物言い。向けられる表情も強面さんだからなんだか怖い。でも、その実、彼がとっても優しいことを私は知っているから……素直に「はい」とうなずくことができた。 後部のスライドドアを開けるなり、うなぎが何のためらいもなく車内へ乗り込んだ。 「あっ」 そのままシートへお座りするうなちゃんを見て慌てたら、「毛のことなら気にしなくていい。あとで掃除すりゃいいだけだ」って、優しすぎませんか? 孝夫さんは決して愛車にうなちゃんを乗せようとはしなかった。 うなちゃんが体調を崩して大変な時ですら、「どうしてもってんならタクシーで行け」と冷たくあしらわれたのを覚えている。 結局一〇キロ以上あるうなちゃんを抱いて、私は歩いて動物病院へ行ったのだ。 移動用ケージを買っていたならば、あるいはタクシーを拾うこともできたのかもしれない。 でも、孝夫さんから生活するのにギリギリのお金しか渡されていなかった私には、それを買うゆとりがなかった……。 (そういえば……お給料の振込先、変えてもらわなきゃ) 今のままでは孝夫さんが管理している〝私名義〟の通帳へお給料が振り込まれてしまう。 私に任せるのは不安だから、と結婚してからずっと……お金は全て孝夫さんに握られていた。 考えてみれば、それだっておかしな話だよね? どうして私、今まで何も思わず彼に従っていたんだろう? せめて自分が稼いだお金くらいは、自分で管理すべき

  • 恋人未満の彼と同棲生活(仮)始めます   7.もう一度、歩き出す前に②

    私は一瞬、耳を疑った。 「でも……」 「でも?」 「まだ離婚、できてないし……。私が行ったら、梅本先生を家から追い出してしまいます」 昨夜、そうだったように――。 眉根を寄せて言ったら、梅本先生が小さく笑った。 「離婚するって気持ちは、もう揺らがないんだろ?」 「……はい」 「相手の浮気の証拠も、たたきつけてやった」 「……はい」 答えながら、そんな話したっけ? と思ったら、梅本先生がニヤリとした。 「頑張ったんだな」 「……え?」 「辛かっただろ。そういうの、こっちは悪くねぇのに、すっげぇ削られる」 まるで自分も経験したことがあるような物言いだった。 私は思わず、梅本先生をじっと見上げてしまう。 「――だったら気にすんな。桃瀬先生は何も恥じることはねぇし、後ろめたく感じる必要もない。何なら相手の男のせいだとでも思ってやればいい」 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に何かが溶けるような感覚があった。 止まっていたはずの涙が、再び頬を伝う。 「俺もホテルには行かねぇから……。遠慮しなくていい」 冗談みたいな言い方なのに、その声の奥には決意があった。 梅本先生が、私の頬を伝う涙を親指の腹でそっと拭ってくれる。 武骨な手指の感触に、私は何も言えず、ただされるがままだった。 ――強面な梅本先生が差し出してくれたその言葉が、どれほど優しく……そして、どれほど危ういものか……。 私にだって分かっていた。 本当は離婚が成立する前に、一人暮らしの男性に頼るなんて、あってはいけないこと。 離婚の際、相手に付け入る隙を与えかねない。 それでも今は、何かにすがらなければ歩けなかった。 「……ごめんなさい」 掠れるような声でそう言うと、梅本先生に額をピシッと人差し指で優しく小突かれた。 「謝罪は受け付けない。俺が聞きたいのは、礼の言葉だけだ」 どこかムスッとした表情。 もしかしたら、それは照れ隠しなのかもしれない。 「……ありがとうございます。お世話になります」 私は頭を下げた。 その瞬間、梅本先生がふっと息を抜いたように微笑んだ。 「行こう。うなぎも腹減らしてるだろ」 途中で「うなぎの飼育用品、買っていこうな」と言いながら

  • 恋人未満の彼と同棲生活(仮)始めます   7.もう一度、歩き出す前に①

    マンションを出て、朝の冷たい空気に触れた瞬間、足の力が抜けた。 握りしめた鞄の持ち手が、汗で滑る。 喉が痛い。泣いたわけでも叫んだわけでもないのに、胸の奥が焼けつくようだった。 階段を下りきるころには、もう呼吸の仕方もわからなくなっていた。 風が頬を撫でても、それが冷たいのか温かいのかさえ分からない。 ただ、ここから遠ざかりたかった。 なにも考えたくなかった。 足元では、うなちゃんが心配そうにこちらを見上げている。 私はリードを握りしめ、トボトボと歩き出した。 「ごめんね……うなちゃん。ごはんとか……持って来られなかったね」 孝夫さんと決別する〝ついで〟に、それらを取りに行くつもりだったのに、そんな余裕はどこにもなかった。 それが、ますます情けなくて。 気づけば、ポロポロと涙がこぼれ落ちていた。 これは、別に孝夫さんとの別れを惜しんでの涙じゃない。 何だか分からないけど、とにかくすごく、悔しかった。 「私って……孝夫さんにとって、何だったんだろ……」 声にした途端、余計に虚しさが押し寄せてくる。 どれくらい歩いたのかも分からないまま、気が付けばいつもの公園前に立っていた。 無意識に、足が勝手にここへ向かっていたらしい。 習慣って怖いな……とぼんやり思う。 「うなちゃん、今日の夜、どうしよっか」 口に出した途端、現実がのしかかる。 この東屋で一晩明かすのは、体調を崩した今の自分には自殺行為に思えた。 かといって、まだ離婚できていない身の上では、梅本先生のアパートに戻るわけにもいかない。 そんなことをしたら、また梅本先生をご自宅から追い出してしまいかねない。 「ホテル……」 無意識につぶやいて、うなちゃんと顔を見合わせた、そのときだった。 「……桃瀬先生」 名前を呼ばれて、顔を上げる。 少し離れた場所に、梅本先生が立っていた。 陽射しが背中から射して、輪郭だけがぼんやりと光っている。 信じられない。というより――どうしてここに? 色々な感情が一気に押し寄せてきたのに、何ひとつ言葉にならなかった。 「行くとこ、ないだろ」 怖いお顔。 それとは裏腹に、穏やかな声。 けれど、その瞳の奥には確かな焦りがあった。 私は

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