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09:森の歌声2

last update Last Updated: 2025-09-19 18:33:02

 この日から、エリアーリアはアレクを連れて森を歩くのが日課になった。

 エリアーリアは森の様々な知識を彼に教えた。食べられる草や木の実、きのこ。毒のあるもの。薬草になるハーブの見分け方。

 特殊な性能を持つ樹木の樹皮や、その他の素材になり得る植物たちなど。

 森の獣たちの習性に、天候が変わる兆しの読み方。

 木々を渡る風の魔力の感じ方。

「アレク、あれを見なさい」

 エリアーリアが指さした先には、一本の古いミズナラの木がある。古い木はあちこち傷ついて、もう枯れかけていた。

「あの木はもう寿命を迎えるけれど、古い木は死んでしまった後もしばらく残るの。深い洞がリスや小鳥の住処になったり、きのこが菌糸を張り巡らせて原木になったりもする。森の命は何一つ無駄にならない。命は全て繋がっていて、一つの事柄に気を取られすぎると、別の思わぬ場所に影響が出ることもある。森を知るには細部だけではなく、全体を見なければ駄目」

「繋がっている……」

 アレクは古い木に歩み寄って、そっと手を触れた。

 樹皮はからからに乾いていて、もう生命を感じられない。

「獣の体は、死ねば大地に還る。他の獣や虫たちが食べて、最後には骨になってね。そうして次の生命を繋いでいく。植物も同じなのよ」

 自然の化身である魔女の教えは、アレクにはなかなか理解が追いつかなかったが、それでも彼は熱心に学んだ。

 日に日に回復していくアレクの様子に、エリアーリアは内心で安堵する。安堵した自分に気づいて、心の中で舌打ちをした。

 アレクに心を許さないように、エリアーリアは自分に言い聞かせる。

 森の教えは最低限。できるだけ事務的に。いっそ冷たいほどに。

 けれどアレクは、彼女の冷たい言葉とは裏腹に、毎食用意される滋養のあるスープや的確な薬の処方に、隠された優しさを感じ取っていた。

 そんなある日のこと。いつものように森に出た先で、アレクが口を開いた。

「もう少し体力が戻ったら、俺が狩りをしよう。いつまでも世話になってばかりではいられ

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  • 悠久の魔女は王子に恋して一夜を捧げ禁忌の子を宿す   09:森の歌声2

     この日から、エリアーリアはアレクを連れて森を歩くのが日課になった。 エリアーリアは森の様々な知識を彼に教えた。食べられる草や木の実、きのこ。毒のあるもの。薬草になるハーブの見分け方。 特殊な性能を持つ樹木の樹皮や、その他の素材になり得る植物たちなど。 森の獣たちの習性に、天候が変わる兆しの読み方。 木々を渡る風の魔力の感じ方。「アレク、あれを見なさい」 エリアーリアが指さした先には、一本の古いミズナラの木がある。古い木はあちこち傷ついて、もう枯れかけていた。「あの木はもう寿命を迎えるけれど、古い木は死んでしまった後もしばらく残るの。深い洞がリスや小鳥の住処になったり、きのこが菌糸を張り巡らせて原木になったりもする。森の命は何一つ無駄にならない。命は全て繋がっていて、一つの事柄に気を取られすぎると、別の思わぬ場所に影響が出ることもある。森を知るには細部だけではなく、全体を見なければ駄目」「繋がっている……」 アレクは古い木に歩み寄って、そっと手を触れた。 樹皮はからからに乾いていて、もう生命を感じられない。「獣の体は、死ねば大地に還る。他の獣や虫たちが食べて、最後には骨になってね。そうして次の生命を繋いでいく。植物も同じなのよ」 自然の化身である魔女の教えは、アレクにはなかなか理解が追いつかなかったが、それでも彼は熱心に学んだ。 日に日に回復していくアレクの様子に、エリアーリアは内心で安堵する。安堵した自分に気づいて、心の中で舌打ちをした。 アレクに心を許さないように、エリアーリアは自分に言い聞かせる。 森の教えは最低限。できるだけ事務的に。いっそ冷たいほどに。 けれどアレクは、彼女の冷たい言葉とは裏腹に、毎食用意される滋養のあるスープや的確な薬の処方に、隠された優しさを感じ取っていた。◇ そんなある日のこと。いつものように森に出た先で、アレクが口を開いた。「もう少し体力が戻ったら、俺が狩りをしよう。いつまでも世話になってばかりではいられ

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    (このままではいけない。ただでさえ魔女の禁忌に触れているのに) こみ上げる感情を押し殺すために、エリアーリアはわざと冷たく言った。「戯言はそこまでにして。勘違いしないで。私はあなたを助けるけれど、それだけ。傷が癒えれば、あなたはただの他人よ」 顔を背けたまま鋭く言い放つ。 その言葉に、アレクの瞳が一瞬だけ悲しげな色を浮かべたのを、エリアーリアは気づかないふりをした。◇ あれから数週間が過ぎて、森は初夏の色合いを濃くしていた。 アレクの体力はずいぶんと回復している。小屋の周りで薪を集めたり、水を汲んだりと、軽い手伝いができるようになった。 アレクは元の豪奢な服を脱ぎ捨て、エリアーリアが用意した素朴な布の服を着ている。ちくちくと肌触りはあまり良くないけれど、動きやすい。彼はけっこう気に入っていた。 エリアーリアとアレクの関係は、一言では言い表せない。 治癒者と怪我人としては、エリアーリアの態度は冷たかった。アレクと視線を合わせるのを避けて、薬草を調合する作業台にこもりがちになっている。(あくまで契約よ。傷が癒えるまでの、一時的なもの) そんなことを考えていると、散歩に出かけたアレクが戻ってきた。「深緑の魔女。森でこんな実を見つけた。きれいな色だ。食べられるだろうか?」 嬉しそうに手に持っているのは、真紅の木の実。 エリアーリアはため息をついた。「その赤い実は毒よ。食べたら死ぬわ」「えっ」 アレクは目を丸くして木の実を見ている。「……捨ててくる」 しょんぼりした様子で小屋を出て行きかけたので、エリアーリアは呼び止めた。「待ちなさい。毒だって使い道はある。よく干して他の薬草と混ぜ合わせれば、薬になるの。ここに置いておいて」「そうか! 良かった」 アレクの無邪気な笑顔に、エリアーリアの心がちくりと痛んだ。「あなた、そんな様子じゃこ

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     エリアーリアは台所に立って、手早くスープを作った。数種類の薬草を組み合わせた、滋養効果のあるものだ。 アレクはそれをおずおずと受け取って、一口ずつゆっくりと飲んだ。少し苦みのある温かいスープが、呪いと傷とで弱りきった彼の体に染み渡っていく。 頭を傾けるたび、彼の銀の髪がさらりと揺れた。 その姿を冷静に観察しながら、エリアーリアは言った。「傷が癒えれば、すぐにここから出て行ってもらうわ。それまでは、私の指示に従うこと。いいわね?」 それは、彼と彼女の間の境界線を示すもの。契約と言ってもいいだろう。 アレクのためではない。これ以上の深入りをしないよう、エリアーリアの心に築いた防壁だった。「ああ……恩に着る。君の邪魔はしない。約束する」 彼の素直な感謝の言葉が、その壁をわずかに揺るがした。 エリアーリアはそれに気づかないふりをして、冷たい声で言う。「あなたの服、治療に邪魔だから切ってしまったの。ポケットに指輪が入っていたから、そこに置いておいたわ」「……指輪」 アレクの瞳にわずかな焦りが滲んだ。指輪には王家の紋章が刻まれている。身分を偽ったとバレたのかと、心配しているのだろう。 エリアーリアはそれ以上、特に何も言わない。 彼は黙って指輪を手に取ると、指に嵌めた。◇ それから数日が過ぎた。 エリアーリアは書物を何度も読み返し、呪いへの対抗手段を探っていた。 根本的な解呪法は見つけられなかったが、いくつかの薬草を練り合わせることで、呪いの活動を抑えるのに成功した。 彼女の手のひらの上で、緑の魔力が光の粒子となってハーブに溶け込んでいく。(まったく、面倒。魔法が使えない以上、傷を治すのも薬草頼みだわ。調合に魔力を混ぜるのがせいぜい) そんなエリアーリアの様子を、アレクがその様子をじっと見つめていた。 彼の夏空のような青い瞳は、澄み渡っている。そこには恐怖も疑念もなく、純粋な好奇心と

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     翌朝。嵐が過ぎ去った後のように、小屋に静けさが戻っていた。 柔らかな朝日が室内に差し込み、舞い上がる塵を金色に照らしている。ベッドの青年は、穏やかな寝息を立てていた。  呪いの解呪には至らなかったものの、エリアーリアの治療は一定の効果を発揮していた。生命の魔法が喰われるのであれば、対症療法として解熱の薬草や魔力抑制の煎じ薬を使う。その結果、危険な状態は脱することができた。  青年の肌に刻まれた黒い茨の紋様は、今は脈動をやめて古びた入れ墨のように沈んでいる。  エリアーリアは夜を徹した看病の疲れから、椅子に座ったまま浅い眠りに落ちていた。 ばさり、と。布が擦れる物音で、エリアーリアの意識は浮上した。  彼女が目を開けると、青年がベッドの上に半身を起こして、じっと見つめているのに気付いた。彼の顔色はまだ悪かったが、熱は引いたようだ。  心臓がドキドキと嫌な音を立てる。 青年の正体を知ってしまった今、視線の一つ、動作の一つに意味を探ってしまう。エリアーリアはいつでも魔法を発動できるよう、油断なく感覚を研ぎ澄ませた。 青年がゆっくりと口を開いた。「ここは……?」 熱に浮かされていた濁りが消えて、夏空のような澄んだ青い瞳が、まっすぐにエリアーリアを射抜いている。「君が、助けてくれたのか……? 君は……女神様か……?」「寝言はそれくらいにして。私は魔女よ。この森の主である、深緑の魔女。――気分はどう?」 エリアーリアは、努めて冷静な声を出した。  青年はゆっくりと身を起こし、見慣れない小屋の中を戸惑いの表情で見回した。「気分はいい。あれほど苦しかったのが、嘘のようだ」「そう、それなら良かったわ」「ここは深緑の森なのか? 魔女の森と名高い、禁断の森」「ええ、そうよ。人間の身でよく入り込んだものだと感心していたの」「魔女は人と関わらないと聞いている。それでも助けてくれたのか?」「……気まぐれよ」 エリアーリアが冷たく言うと、青年はどこか安心したように頷いた。「ありがとう、深緑の魔女。俺の名はアレクという。それ以外のことは……よく思い出せない」(嘘ね。瞳の奥が揺れている。身分を明かすつもりはないのね) 呪いによって刻まれた、彼の本当の身分。忘れるはずもない。  だが、ここでアレクの嘘を暴く必要もない。傷がもう少し治れば、追い出す

  • 悠久の魔女は王子に恋して一夜を捧げ禁忌の子を宿す   05:魂喰いの呪い2

     エリアーリアは治療を一度中断すると、小屋の奥にある書棚に向かった。 書棚には多くの薬草の瓶の他、古びた羊皮紙の巻物や革の装丁の古文書が並んでいる。彼女はその中から一冊、特に丁寧な装丁がされている分厚い書物を手に取った。 それはかつて師である大地の魔女テラから写本を許された、魔女の叡智が詰まった古文書。禁術や呪詛についても記された、安易に開くべきではない知識の集積である。 青年の言葉と、呪いの紋様。二つの情報がエリアーリアの頭の中で結びついていた。もう何十年も前にこの書物で学んだ、禁忌の魔法に関する記述の記憶。(茨のような紋様。高貴な人間への裏切り……。まさか、あの禁術のはずがない。あれはただの伝説のはず) 嫌な予感が確信へと変わっていく。動揺する心を押し殺して、目当てのページを探し始めた。 ぱら、ぱらと乾いた羊皮紙をめくる音だけが、やけに大きく響いた。 ランプの灯りの下、ついに目的のページが開かれた。 そこには、今まさに青年の胸で脈打っているものとよく似た、黒い茨の紋様が禍々しく描かれている。 エリアーリアは息を呑んだ。 書物に記されていたのは、特定の血族だけを標的とし、その魂ごと喰らい尽くして存在を抹消するという、人間の闇魔術の極致――「魂喰いの呪い」。 屍の魔女の魔法を応用し、古い時代の人間たちが編み上げた禁忌の魔術だ。 書物には、あまりの悪辣さと強力さから、心ある人間の魔術師たちによって封印、破棄されたとある。 (封印……。では、誰かが破棄された術を掘り返したのね。そしてまた、人を傷つけるために力を振るっている) エアーリアは書物を手に、青年の元へと戻った。 書物によると、黒い茨は魔法陣でもある。対象の血族を指定し、相手を逃さないための術式が組み込まれているようだ。 エアーリアは青年の茨に指を伸ばし、内容を読み取っていった。「血族名、アストレア……!?」 アストレアの名を関する一族は、一つしかない。この一帯を支配するアストレア王国、その王家の血。 目の前の青年が、この呪いの標的となる高貴な血筋――アストレア王家の人間であるという事実を示していた。 エリアーリアは思わず、先ほど青年の服から転がり出た指輪を見る。その紋章に見覚えがあった。そう確か、王家の。 エリアーリアは古文書と、ベッドで苦しむ青年を交互に見つめた。

  • 悠久の魔女は王子に恋して一夜を捧げ禁忌の子を宿す   04:魂喰いの呪い

     小屋の中には、ランプの揺れる明かりと薬草をすり潰す音が満ちている。 エリアーリアは手際よく薬研を使い、乳鉢に移して薬草を練り上げた。 ベッドに寝かされた青年は呪いの熱に浮かされて、浅い呼吸を繰り返している。時折、悪夢にうなされるように眉を寄せてはうわごとを呟いていた。 エリアーリアは薬草を青年の傷に塗り込んで、それを触媒に魔力を込めた。 彼女は植物と生命の魔女。魔力は純粋な治癒の光、生命の魔法となって、エリアーリアの指先から青年の体へと注ぎ込まれていく。(治癒は得意。まだ死ぬべき定めではない動物たちを、何匹も癒やしてきた) 傷口を浄化し、断たれた肉と骨を繋ぎ、命の力を与える。いつも通りの手順を冷静にこなしていく。 けれどその瞬間、エリアーリアは未知の感覚に襲われた。 傷を癒やすはずの魔力が、黒い茨の紋様に「喰われて」いく。乾いた砂が水を吸うように、注げば注ぐほど呪いは強く脈打った。まるで歓喜するかのように。(私の生命魔法を、喰らっている? 魔力だけでなく、魔女の魔法まで?) エリアーリアの冷静さは、焦りへと変わった。こんなことはありえない。彼女の魔法は、命の力そのもの。それを糧とするなど、あまりに邪悪な術だった。◇ 呪いの脈動は強まって、青年は苦しげにうめき声を漏らした。シーツを強く握り締めて、もがくように身をよじっている。 エリアーリアは彼の額の汗を拭う。(まさか、私の――魔女の力が通用しないなんて) 魔女の魔力は人間をはるかに凌ぐ。その強大な力で百年、森を護り侵入者を拒んできた。 深緑の森にいる限り、エリアーリアはほとんど万能の存在だった。木々や獣たちは彼女にひれ伏して、彼女もまた彼らを慈しんで暮らしてきた。 それがどうだろう。 苦しむ青年を前に、彼女は無力だ。 禁忌を犯してまで助けると決めたのに、何もしてあげられない。 蠢く黒い茨から目を逸らして、青年自身へと注意を向ける。彼の苦しげなうわごとに、耳を澄ませた。「兄上……。なぜ、ですか。私はただ国と民を……」 途切れ途切れの悲痛な響き。(兄? 身内に裏切られたというの? あなたは一体、何者?) 彼の悲しみが、エリアーリアの心に染み込んでくる。 魔女としての理性を超えた同情が、彼女の心に芽生え始めていた。

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