Войти次に目覚めたとき、俺はマシューの部屋にいた。
見慣れた豪華な家具と、見慣れた大きな窓。「旦那様! マシュー様の意識が戻られました!」
俺が首を動かしたことに気づいたメイドが、扉の外に走っていく。
腕を上げ、手を目の前にかざす。──ちっさ……。
どやどやと駆け込んでくる、大人、数人分の足音。
「マシュー!」
「おとたま。おかたま……」抱きしめて来た父上の顔は、俺が覚えているものよりもずっと若い。
「良かった! 目覚めないかと思ったわ!」
泣き崩れる母上の仕草。
「王弟殿下が、おまえを池から掬い上げてくださったのだ。後でお礼の手紙を書くのだよ?」
俺の頭を撫でながら微笑み、涙ぐむ父上の顔。
──え……、マジで時間巻き戻ってる?
兄のスチュアートも、付き添われて俺の前に歩み出るランドル
真っ赤になったアレクシスは、ハンカチでぐりぐりと自分の顔面を拭い── それから改めて俺に視線を向ける。 俺は、その様子を黙って見ていた。「いきなり……、随分大胆だね」 「メルヴィンの魔力の残滓に触れた時に……。俺も自分の番は、あなた以外にいないと……気づいたんです」 「なにそれ……。……僕のアプローチに、あんなに及び腰だったのに……。三段跳びでプロポーズなの?」 アレクシスは両手で顔を覆っているが、耳まで赤くなっている。「ちょっと! なんできみ、そんなしれっとしてるのさっ!」 「しれっと……は、していません。……というか……」 少し、言うのを迷ったけれど。 俺は、アレクシスに嘘を言いたくなかったので、全てを打ち明けようと心に決める。「俺……、たぶんまだ……、怖いです」 「僕が?」 「いえ、アルファに触れられるのが……です」 告白に、それまで照れまくってねじれていたアレクシスが、真顔になる。「それって……、僕も含めてって、話……だよね?」 「ええ」 「なのに、番になるのは僕だけって、言うの?」 「矛盾して……ますよね」 そう……、この矛盾は、俺の中で全く解決されていない。 俺がアレクシスに、なんの照れもなく告白が出来たのは、そういう意味ではいまだに──気持ちが解離したままなのかも……と思う。 アレクシスは立ち上がると、テーブルを回って俺の傍に立った。「傍に立たれて、怖い?」 「……いいえ」 「うん」 アレクシスは、そっと手を伸ばすと、俺の肩に触れた。「怖い?」 「……大丈夫……だと思います」 「そう……」 それからアレクシスは、身を屈めると、無防備にぽかんと顔を上げていた俺に、くちづけをする。「……っ!」 それは、やんわりと唇を吸うだけの、優しくも軽い接触だったが、されると思ってなかったからすごくびっく
メルヴィンの最後の魔法は、アレクシスの魔封じのチョーカーの拘束を打ち破るほどの爆発力によって、魔道具を破壊したが。 そもそも〝ロケットで隣家に行く〟ような例えが出るほど、強大な魔力を消費して実行される魔法は、魔封じを破壊した後のパワーでは出力不足で不発に終わった。 魔法の拘束を解かれたために、リセットのたびに封じられていた記憶が、蘇ったのだ。 ただその記憶の蘇りは、物理的にメルヴィンの傍に居たことや、精神的にメルヴィンと関係が深かったことなどが絡み合って、取り戻した記憶の断片に個人差が生まれている。 というのが、アレクシスの仮説だ。 俺も、それについては同意する。 もっとも結びつきの強かった俺は、自分のみならずメルヴィン=一ノ瀬の記憶まで共有してしまった。 なおかつ、俺と一ノ瀬が意識として前世を思い出す前……。 魂が、純粋に輪廻して生まれ落ちた時間軸が存在したことまでも、思い出してしまったのだ。 平民に生まれ、スラムでヒートを起こしたメルヴィンが、報われぬまま哀しい生涯を閉じようとしていた時。 侯爵家の次男オメガとして生を受けたマシューは、王太子の婚約者候補であったけれど、王弟のアレクシスと恋に落ちていた。 俺の記憶が蘇る以前のマシューの人格は、正直に言って俺とほとんど大差のない〝オタク気質〟を持っていて、魔法学に興味津々だった。 結界石に魔力を注ぐほどの魔力を持つアレクシスとは、そういう縁で知り合い、同じ学問に興味を持つ……いわゆる〝趣味が合う〟友人として、急速に仲が深まったのだ。 だが、アレクシスの立場は、王宮の中でかなり危うい。 本人がどれほど玉座に興味がなくとも、血筋故に一部の貴族の〝神輿〟として担ぎ出される可能性がつきまとう。 一方で、ランドルフの少々軽率な性格を憂いていた陛下は、才気のある王弟とどちらを王太子にすべきか、かなり迷っていたらしい。 そういう意味では、陛下は父ではなく、正しい為政者といえる。 王になりたくないアレクシスは、そのために派手な動きは極力控えていたが── 唯一の問題が、俺との関係だった。
謁見の間を退室すると、外にアレクシスが待っていた。「時間、あるよね?」「……はい」 ちょっと……、いや、かなり意識してしまって、上手く返事が出来ない。 だが、その辺りの感情も込み込みで、話をしなきゃと思っていたので、俺はアレクシスのあとをついて行った。 行く先は、あの温室。 今日は、堂々と正面から入る。「今日は特別に、すごいお菓子を用意してあるからね」 温室に俺を招き入れたアレクシスは、殊更嬉しそうだ。 俺は俺で、ちょっと緊張しながら入室した。 アフタヌーンティー・テーブルには、俺の好きな生菓子がどっさり乗っている。 そして、ゴーレムが淹れてくれる、極上のお茶。 俺とアレクシスは、向かい合って座った。「ランディは、王太子を辞させてくださいって、陛下に訴えたんだよ」「知ってます。家でも、兄が父上に、後継の座を降りますと言って、少し騒ぎになりました」 もちろん、同じ騒ぎがブラッドリーの家でもあったに違いない。「陛下は、最初は聞き入れるつもりだったんだよ。それで、僕を王太子にするからって、打診をしてきてね」「どうやって、断ったんですか?」「あれ? なんで断ったってわかったの?」「今日、謁見の間にいらっしゃったランドルフ殿下は、王太子のサッシュを付けてましたし。アレクシス殿下は性格的に、国王になるのなんて面倒だと思っているでしょう?」「それも、マサァーキの慧眼ってやつ? 敵わないな……」 アレクシスは、肩を竦めた。「だってさ、メルヴィンの時空魔法は、本当に欠損した手足とか、死にかけてた患者を治してみせたわけでしょ? 陛下も、教会も、魔法省の魔導士たちも、全員が認めたわけじゃない?」「まぁ、実際に本物でしたから」「でも表向き、あれは〝ペテン〟でしたってことになった。ってことは、全員が騙されてたってことになるじゃない? なのに、若者だけが〝誑かされた〟ってことに
アレクシスが言った通り、数日経ってから王城から呼び出しが掛かり、父上を始めとした重鎮はもちろん、上位も下位も含めて全ての貴族の当主が集められた。 陛下からの布告は、教会の上層部の陳謝とともに行われたらしい。 なぜ〝らしい〟なのかと言えば、戻った父上から説明されただけだからだ。 あまりにも鮮やかな〝ペテン〟であったが故に、教会も王室もてっきり騙された……というオチになった。 まぁ、時空魔法なんてとんでもない話をしたら、国民も浮足立つし、別の政治的な面倒事とか、犯罪的なナニカとかが入り混じるのが目に見えていたから、そういうことにしたんだろう。 そうして事態がある程度収束したところで、俺は久々に王宮に来ていた。 今日の登城は特別な意味がある。 というのも、王妃教育ではなく、陛下と王妃様のいる謁見の間で、正式に〝王太子との婚約〟を解消する儀式をするためだからだ。 正式な手続きが終わったところで、一段高い玉座にいた王妃様がわざわざ降りてきて、名残惜しそうにハグしてくれた。「あなたがランドルフの后になればいいって、思っていたんだけど……」 以前にも言ったが、オメガの出生率は0.5%。 高位貴族の子供の中に、ランドルフと年齢の見合うオメガは俺しかいない。 ある意味、貴族社会の〝夫人〟的な立ち位置にいるオメガは、なんというか……同類相求む……みたいなところがある。 少々年齡が離れていても、王妃様にとって俺は数少ない〝話せる仲間〟になりうる者だったんだろう。「申し訳ありません」「いいんです。マシューの所為ではありませんからね」 ちょっと涙ぐみながら、王妃様は陛下の隣に戻っていった。
次に目が醒めた時、俺は侯爵家の自室にいた。 父上と、母上。 それにアレクシス。 その後ろに、アルフォンスとランドルフ、それにブラッドリーとスチュアートもいた。「マシュー……」 父上が安堵した顔になり、母上が俺をぎゅうと抱きしめる。 不安になって自分の手を見たが、小さくはなっていなかった。「あ……の……」「卒業式のダンスで、倒れたんですよ」 母上が言った。「え……?」 目線をやると、アレクシスがぱちりとウィンクをしてくる。──ああ、何も知らない父上たちに〝そういうこと〟で話してあるのか……。 俺は母上の背中に腕を回す。「すみません。ご心配をおかけしました」「王妃教育で、根を詰めすぎたんでしょう……」 しれっと、アレクシスが言った。「申し訳ありません。私も、マシューに気遣いが足りておりませんでした」 後ろのランドルフが、深々と頭を垂れる。「殿下。王族がそのように、気安く頭を下げてはなりません」 注意をしたのは、父上だ。「いいえ、父上。私どもは、マシューのことを……少々、侮っておりました」 ランドルフに続いて、スチュアートが謝罪する。「スチュアート?」「申し訳ありません、エヴァレット侯爵閣下。私どもは、マシュー様の注意を聞かず、自分達が神子を騙ったメルヴィンに、謀られていることに気づいておりませんでした」 一緒になって頭を下げていたブラッドリーまでもが、そんなことを言ったので、父上は更に混乱してしまった。「しかし……、メルヴィンはローズベリィ家が後ろ盾になり、陛下も認めた神子様だぞ? そんな不敬なことを言っては……」
真っ白な空間に、音はない。 そこには、俺とメルヴィン……それにノイズが掛かって固まった状態のアレクシスがいた。「あんたなんかに、わかんないわよ! 本当に奪われるってのはね、最初から持ってないのに、そこから更に貶められることなのよ!」 俺を睨んだメルヴィンの言葉に、俺はようやく〝そのこと〟に気がついた。「雨の中……、スラムの石畳の記憶は……俺のじゃない……」 ヒートの匂いに誘われて、獣と化したアルファたちが、群がり、手足を抑え、本能のままにオメガの体を貪る。 あの光景は、俺の体験じゃない。「潤沢な財産と甘やかしてくれる親がいて、抑制剤を定期的に買えるような環境にいたら、わかんないでしょう!」 目の前のメルヴィンは、下町の平民が着る粗末な服装をしていた。 しかしそれは引き裂かれ、噛み傷だらけの姿だ。「おまえが、幸せになりたいと願う気持ちは、充分理解できる……。しかし、この世界の住人全ての時間と運命を奪っていい理由にはならないぞ」「所詮はゲームのNPCじゃない!」「その記憶があるなら、ここがゲームじゃないのはわかってるんだろう!」 ビクッと、メルヴィンが竦み上がった。 俺はメルヴィン……一ノ瀬を睨みつけ、そこで固まったまま消えかけているアレクシスの手を握る。 微かな、体温。 だけど、俺が握った瞬間、その手が握り返されたような気がした。「俺は、この世界でアレクシスと生きる! おまえの筋書きは、やっぱりクズだっ!」 それが──まるでコンピューターの再起動のきっかけみたいに……。 白い空間に満ち満ちていた一ノ瀬の魔力が、急速に俺の足元に収縮する。「いや! 返してよ! あたしの幸せ返してよっ!」 なにかをかき集めるみたいに空を掻くメルヴィン。 白い空間の向こう側から、景色が
侯爵家の庭で凍りついていた俺は、プロム断罪にすら至らずに〝北の開拓地〟送りになった。 神子が庭から泣きながら戻り、俺に罵倒されたと言ったら、そりゃそうなるだろう。 もちろん、父上は今までと同じように俺を庇ってくれたが、宰相職……つまり王家派のエヴァレット侯爵家と、教会派のローズベリィ侯爵家は、政治的に対立している関係だ。 その対立派閥の弱みを突くのは、政治的に当然の流れとなる。 しかも神子は国家レベルの重要人物で、俺は王太子に嫌われている婚約者だ。 陛下も裁定を下すにあたり、その辺の思惑も絡
あずまやの周りは見晴らしが良く、隠れられる生け垣は微妙に距離があって、声は聞こえるが話の内容までは分からない。 むしろ、ここまで近付いてしまったら、なまじ動くといることがバレそうな気がして動けなくなった。 と、その時。「このような場所に二人きりになっては、神子様の御名に傷がつきましょう」 ちらと聞こえたそれは、アレクシスの声だ。──アレクシス攻略に熱心なようだが……、ちぃと気が早すぎじゃね? 様子を見てると、引き留めようとしているメルヴィンの手をやんわりとほどいて、ア
ある意味、ものすごく意気込んで挑んだお披露目会だったが、すっかり空振りに終わった。 当たり前だが、上位貴族のお歴々がわんさと取り囲んで、子女が近付くことなんて不可能だったのだ。 ローズベリィ家にしてみれば、同年代の友人なんて入学後にいくらでも作れば良いとでも思っているのだろう。──少々〝破廉恥〟であっても、神子という絶対の印籠持ちだし。オメガ性だから適当な上位貴族の元に嫁がせりゃいーやって思ってんだろうなぁ……。 そんなこと、来る前からちょっと冷静になれば分かることだった。──俺って
ローズベリィ侯爵家が、神子様のお披露目会を催す……と連絡があった。 メルヴィンが奇跡の回復魔法を持っていることが判明し、政治的に教会寄りのローズベリィ家が養子先として名乗りを上げたのは、六年前。 神子はまだ九歳で、しかも平民──いや正確にはスラム街出身の子供だったために、マナーもなにもなかった。 陛下と教会の重鎮の前で奇跡の術を示し、お墨付きを得てはいたが、公的なお披露目は控えていたのだ。 だが、学校に通い始める前に、一度〝顔見せ〟が必要と判断され、十四歳の誕生日に、侯爵家でパーティーが開かれることになったわけだ。







