LOGINエヴァレット侯爵家の次男でオメガのマシューは、王宮の池に落ちた衝撃で前世の記憶を取り戻す。 ここは、ゲームプログラマーの佐藤柾木がチームリーダーを務めていた〝聖なるオメガの恋愛法則〟の世界。 佐藤は悪役令息オメガのマシュー・エヴァレットに転生していた。 マシューの末路は、罪人アルファの慰み者。 必死に立ち回るマシューだが、結局、断罪されてしまう。 しかし── 気付いた時には、王宮の池に落ちていた……。 断罪を何でも繰り返すマシューは、やがてそれがヒロインの悪意であると気付く。 ◎注意 この物語は、主人公が性的被害を被るトラウマ描写を含みます。
View Moreふわっとした浮遊感があった。
次に続いたのは、急速に落ちる感覚。 目に映る空の青さと、今目覚めたばかりのようなちぐはぐな感覚。 そして続いた、水の冷たい感触と、鼻と喉を塞ぐ窒息感。──溺れる!
手を伸ばし、できうる限りの力を使って水面に出ようともがくが……。
なぜか思ったほどの浮力も膂力も感じられなくて。──もう、だめだ……。
と思った時に、誰かの力強い腕が、ぐいと俺の腕を掴み持ち上げた。
「エヴァレット侯爵! こちらです!」
耳に遠く響いた少年の声に、奇妙な懐かしさを感じる。
しかしその声に郷愁を感じている余裕はない。 力強い大きな手が俺の背中を叩き、鼻と口から水を吐く。 息を吸いたいが、肺はいまだに水を吐く動きを続け、酸素を欲する俺の意識とは裏腹に咳き込む。「息をしなさい! マシュー!」
「がはっ! げほっ!」 「落ち着いて。ゆっくり息をするんだ……」再び、先刻の声が耳元で言った。
顔を上げると、黒髪に目鼻立ちの整った金色の瞳が、心配げに俺を覗き込んでいる。「ありがとうございます! アレクシス王弟殿下!」
周りは慌ただしい空気と騒がしい声が満ちているが、その話題の全ては〝溺れた俺〟の話のようだ。
俺の背中をさする大きな手と、一番近くで聞こえる声に聞き覚えはあるけど、誰だかがわからない。 そもそも、俺は咳き込むほうが忙しくて、そちらを気にする余裕がなかった。──あれ……?
口元を拭った自分の手を見て、そのサイズ感にものすごい違和感を覚える。
でも、なんでおかしいと感じたのか、理由がわからない。──なんだこれ? なにが起こった……?
理論立ててものを考えたいのに、喧騒と混乱が思考を邪魔する。
それ以上に、溺れたショックなのか異様に疲れて……。 俺は、あえなく意識を手放した。だが、父の奮闘もむなしく、俺の刑は確定した。 正確には、父が奮闘する隙もなく、兄が父を下剋上してしまったらしい。 牢内でいまいち情報が掴めずにいたが、裁判で引っ張り出された時に、俺の弁護士と名乗る人物が現れた。 無能で、弁護なんてする気が微塵もないおっさんは、自分は侯爵家に雇われたと言ったが。 雇った〝侯爵〟がスチュアート……つまり兄の名前だったことで、父が隠居させられて、領地に幽閉されたことを知った。 兄は、俺の無罪を証明する気なんてなかった。 世間も〝侯爵家のオメガが嫉妬で神子様を迫害〟という話題のほうが面白いから、そっちを支持した。 そうして、俺は本当に隷奴へと落とされた。 北の開拓地は、荒涼とした景色が広がるなにもない土地で。 夏は短く、常に寒風が吹きすさび、作物が実らない場所だ。 重犯罪や政治犯といった、なまじアルファなだけに下手な牢獄に入れておくと、いろいろ禍根になりそうな者が送られてきている。 そしてそこで、俺は初めてのヒートを味わった。 この世界に転生してから、経済的にも周囲の愛情的にも満たされた環境で育ってきた俺は、抑制剤を切らしたことなどない。 王妃様と抑制剤がどれほどまずくて、飲むと体調を崩すかについて話をしたが。 ここにきて、それでも絶対に飲めと言われた理由がわかった。 全身が熱くなり、手足が震え、目の前が霞む。 しかし本当に恐ろしいのは、ヒートそのものではない。 オメガから溢れ出るフェロモンによって、理性を失い、本能に駆られたアルファたちだ。 隷奴のオメガには、それぞれに粗末な掘っ立て小屋があてがわれているが。 入口に筵が下がっているだけのその小屋に、獣と化したアルファがこぞって押しかけ、小さなオメガの体を奪い合うように貪り、蹂躙していく。 オメガ自身も、ヒートによって熱に狂い、自ら身を投じる。 その暴力と狂乱を、俺はまるで、自身の魂が幽体離脱したかのような感覚で、ぼんやりと天井から状況を見下ろしていた。 そし
地下の石牢に、父の侯爵と兄のスチュアートが面会に来た。 本来なら、神子を害した重罪人に面会なんて難しいのだが、牢番に相当な金を握らせたらしい。「父上!」「おまえがそんなことをするはずがないと信じている!」 鉄格子の隙間から俺の手を握った父はそう言ってくれたが、兄は一歩離れたところから俺を冷たく見下ろしていた。「本当に……、神子様になんの無礼も働いていないのだろうな?」 幼い頃から、微妙に俺を煩わしそうに扱っていたスチュアートは、ここにきてそれを全く隠す気がなくなったらしい。「確かに私は神子様と同学年ですが、クラスも違います。ほとんど、口を利いたこともありません」「だが、廊下や裏庭で、おまえが神子様を詰っている姿を見たという報告が入っている」「私は、王妃教育を受けるために、学園の授業以外の時間のほとんどを王宮で過ごしています。私の友人に聞けば、それはすぐにもわかります」「おまえの友人など、おまえのために嘘を付くに決まっているだろう」「ならば、同じことが神子様の信奉者にも言えるのでは?」 言い返すと、兄は顔を赤くして鉄格子越しに俺を突き飛ばした。「やめなさい!」 父が兄を叱責する。「家族のおまえがマシューを信じなくてどうするんだ!」「こいつはランディが神子様に気持ちを移したことに嫉妬して、神子様に暴言を吐いたのですよっ?」「おまえがその現場を見たわけじゃないんだろう! そもそも、もし本当に神子様と気持ちが通じ合ったのならば、きちんとした手順で婚約を解消すべきだ! マシューは、殿下が神子様をお選びになると言うなら、どう処すべきかわきまえている」 父が、俺を見る。「神子様と殿下が番となれば、我が王国の繁栄は約束されたも同然。私も身を引く覚悟がございます」 むしろ、穏便にそういう形にしてほしかったとすら思っている。 だが、兄はいまだに不審な顔で俺を見ていた。──やっぱ、攻略対象だからメルヴィン側なんかな…
豪華なダンスホールに、きらびやかな衣装をまとった人々が集う。 服装やら建物の様式は中世ヨーロッパ風なのに、卒業式にダンスパーティーとか、なんでそこだけアメリカンなんだろう……? なんて、プログラムを組んでいるときは考えていたが。 いざ現実となったら、それどころじゃない。 中央の大階段に、ランドルフが姿を表す。 その隣にいるのは、神子のメルヴィン。 会場内には、さざなみのようにヒソヒソ声が広がる。 そりゃそうだろう。 俺はいまだ〝婚約者〟のままなのに、代わりのエスコート役もいないまま、一人でホールに立っているのだ。──さっさと婚約破棄すりゃあ良かったのに……。 この三年、俺が思っていたのはそれだけだった。 政治的な都合も、あるのかも知れないが。 王妃教育では、将来を見据えて普通の学生では覚える必要のなさそうな歴史や語学、各国のマナーや慣習、政治と経済まで学ばされる。──婚約破棄してくれりゃ、あんな勉強もしなくて済んだのになぁ……。 そんなことを考えながら、大階段を降りてくるランドルフをぼんやり見上げていると、向こうも気づいたらしく目線が合う。「マシュー・エヴァレット」「はい」「今宵限り、あなたとの婚約を白紙にしてもらう」 ランドルフは、静かな声で言った。「え……、あ……、はい……」 俺は、実に間の抜けた返事をする。 なぜなら、「ここまで引っ張ってこれ?」って気持ちと、「やれやれ肩の荷が降りた」って安堵と、「こんな公衆の面前でするのはどうなの?」って感想がないまぜになってて、思考がまとまらなかったからだ。「私は、よもやあなたがそんなことをするとは思っていなかったが……」「……は?」「神子であるメルヴィン・ローズベリィを
俺が十五歳になって、魔法学園に入学した時。 それはゲームのメインストーリーの始まりで、ヒロインのメルヴィン・ローズベリィも入学してきた。 メルヴィンは平民だったが、欠損すら回復させる〝奇跡の治癒魔法〟を発現させたことで、教会から〝神子様〟の認定を受けた。 ローズベリィ侯爵家は教会派閥の貴族で、奇跡の神子様を養女として迎え入れた。 卓越した能力と、愛らしい容姿。 ローズピンクの髪に、ぱっちりと大きな蜂蜜色の瞳、長い睫毛にふっくらと健康的に丸い頬。 天真爛漫で明るく前向きな性格は、淑オメガ教育を徹底的に受けた貴族の子女を見慣れたアルファたちには、ひどく新鮮に見えたに違いない。 案の定、ランドルフもまた順調に、メルヴィンに惹かれていった。 だから俺は、ランドルフがどんどんメルヴィンとの距離を詰めていることに安堵し、これでやっと婚約破棄をしてもらえるのだ……と思っていた。 だが、どんだけ待ってもその気配はない。 二日に一度のお茶の席で、なんか言ってくるかと思ったが、それもない。 これはもう、言い出すきっかけをこっちが作ってやらなきゃ駄目かと思い、それとなく話を向けてみる。「殿下は、お昼を神子様と過ごされているとか?」 学年が違えば、学園内で顔を合わせる機会はほぼないはずなのだが、メルヴィンとランドルフはわざわざ待ち合わせて昼メシを一緒に食っている。 一応、裏庭辺りにいるらしいが、全く人目がないわけでもないから、公然の秘密だ。「うむ、神子様は素晴らしいな。私の知りたい、市井の生活や視点を持っている」 こんな入れ食いみたいな返事をするから、じゃあ更に話しやすい空気を作ってやろうとか、俺はこう言った。「大変親密との、お噂も聞きますが……?」「マシューまで、そんなことを言うのか?」 たちまち、不機嫌そうにランドルフの眉が寄った。「私も……とは?」「侍従や爺や、護衛どもまでが、距離が近すぎると説教を垂れる。もう、そんな忠告は聞き飽いた」 じゃあ、さっさとあっちに乗り換えろよ……と言いたいが、流石にそんなことを言えるわけがない。 ランドルフは俺を見もせずに、盛大にため息を吐き、大仰に肩をすくめているが。 ぶっちゃけ、その態度をまんまお返ししたい気分になった。 もっとも、それができるほどの友情も、信頼関係も、俺はラ