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わたしじゃない、わたしに

Author: 吟色
last update Last Updated: 2025-08-04 00:50:10

6話

「……国枝、今日も来てないらしい」

朝のHRが終わった教室で、総一は窓の外を見ながらつぶやいた。

「まあ、当然か。いろんな意味で燃え尽きてたしな」

教卓では、担任が「本人の都合でしばらく休学」とだけ説明した。事件は“事故”として処理され、周囲も深く詮索しない。あまりにも、あっさりと。

リリムは机に肘をついたまま、チョココロネを逆さにして食べながら答えた。

「そりゃ、記憶の一部が吹っ飛んでるからね。契約の余波で記憶障害が出るのはよくある話よ」

「よくある話、か……」

総一の声は重たかった。助けた――つもりだった。でも、国枝が救われたのかどうかは、彼自身にもわからなかった。

「なあ、リリム」

「ん?」

「お前……なんでそんなに、契約者を止めたがるんだ?」

リリムの咀嚼が一瞬止まる。

「善良だからよ。善行の一環」

「いや、そういう建前じゃなくて」

しばらく沈黙が落ちた後、彼女は少しだけ視線を外して、ぽつりと呟いた。

「契約って、怖いからよ。叶った願いの先に、“何もなくなる”ことが多いの。代償が大きすぎるのよ」

「それは……お前が“昔、契約に失敗した”から?」

冗談めかして言ったつもりだったが、リリムは笑わなかった。

ただ、何も言わずに残ったチョココロネの先っぽをかじっただけだった。

そんな様子を、廊下のガラス越しに見ていたヴェルダは、誰にも聞こえないように独りごちた。

「かつての契約違反。その核心は、まだ封印の中……」

リリムの背には、誰にも見えない“黒い紋”が淡く光っていた。

放課後の校内は、喧騒がひと段落して落ち着いていた。

「このへん、なんか……妙な空気だな」

総一が体育館裏の渡り廊下で足を止めた。空気が薄い。微かに漂う“契約の残り香”。普通の人間にはわからないが、彼の体にはもう、戦いの名残が染みついていた。

「感知範囲拡張……んー、こっちかも!」

リリムがくるりと踵を返し、校舎内のカフェテリアへ向かって走り出す。

「ちょ、おい待て! 制服でダッシュすんなって!」

「だって早くしないと“異常契約”が爆発しちゃうかもだし~♡」

「テンション軽すぎるんよ……」

総一が苦笑いで追いかけた先、カフェテリアの隅のテーブル席。そこに、一人の少女が静かに座っていた。

長い黒髪に白いカチューシャ。制服の着こなしはきちんとしていて、姿勢も背筋がぴんと伸びている。

――それなのに、彼女の瞳はどこか焦点が合っていなかった。

「……ルナ?」

「知ってるのか?」

「一ノ瀬ルナ。クラスは違うけど、有名だよ。成績優秀で、おとなしくて、……それでいて、誰とも関わらない」

そのルナは今、手鏡を取り出し、微笑みながらこう語りかけていた。

「今日こそ……きっと、気づいてくれるよね?」

誰かに話しかけているようで、だがその誰かは鏡の中にしかいない。

リリムが立ち止まり、小さく呟く。

「……自己投影型契約」

「なんだそりゃ?」

「自分の願いを、自分自身の“理想像”に託してしまうタイプの契約よ。鏡はその媒介。まだ発動前だけど、兆候は濃い」

「それって、つまり……?」

「このままいくと、“自分じゃない誰か”に心が乗っ取られる」

総一はルナの姿をじっと見つめた。

彼女は、鏡に映った“自分”に向かって、優しく笑っていた。

「あなたなら、うまくやれる。私じゃダメだったから……お願い、代わりに、幸せになって」

その光景が、ひどく痛ましく、そして危うく見えた。

リリムが拳を握る。

「時間の問題ね。契約核がもう、揺れてる」

その晩、リリムとヴェルダは調査のために学校の記録データベースにアクセスしていた。もちろん合法な手段ではない。

「一ノ瀬ルナ、3年B組。学業優秀、出席率100%。問題行動は……なし。逆に完璧すぎて怪しいくらいね」

「完璧って、たいてい“歪んでる”ってことだよな」

「そう。とくに彼女の場合、“自分を変えたい”願望が極端に強い」

リリムがディスプレイを操作しながら、ふと視線を止めた。

「これ……数ヶ月前のSNS投稿記録。彼女、ある男子に対してかなり強めの“好意”を匂わせてたみたい」

総一が画面を覗き込む。そこには彼女のアカウントとともに、意味深な投稿が並んでいた。

『いつか彼に、ちゃんと“気づいて”もらえるように』

『もっと可愛く、もっと綺麗に、もっと“彼好み”になれば』

『“本当の私”じゃダメなら、“理想の私”でいくしかない』

投稿の数は次第に減っていき、やがて途絶える。

「……それから、鏡の中で話すようになった」

「そう。“鏡の中の理想の自分”が、“本当の私”より素敵に見えた。だから契約した。“本当の私を捨ててもいい”ってね」

「……辛いな、それ」

ヴェルダが淡々と補足する。

「自己投影型の契約は、“自我の分離”を引き起こす。脳内では、自分と“理想像”の認識が並列になる。

人格が分岐し、やがてどちらが本物かわからなくなる」

「そうなると……?」

「理想像が“主”になり、本体は消滅する」

静かな部屋の中で、その言葉だけが重く響いた。

リリムがそっと呟いた。

「たぶん……彼女、本当はもう壊れてるのよ。壊れてることに気づいてないだけ」

その言葉に、総一の拳がぎゅっと握られる。

「じゃあ、止めなきゃな」

「うん。まだ間に合う」

「どこで?」

「――家よ」

リリムの瞳に、微かな光が宿る。

深夜。一ノ瀬ルナの部屋。

部屋の明かりは落とされ、唯一ぼんやりと輝いているのは、姿見の前に置かれたランプの明かりだけだった。

ルナはその前に膝をつき、まるで神聖な儀式でも始めるかのように、両手を合わせて鏡に語りかけていた。

「ねえ、今日も綺麗にできたでしょ。髪も、肌も、服の選び方も……ちゃんと、あなたに近づいてるよね?」

鏡に映る彼女は、確かに微笑んでいた。しかし――その笑みは、ルナの顔とは微妙に違っていた。

動き出すタイミング、まばたきの速さ、口角の上がり方。

“鏡の中の彼女”は、もはや彼女の模倣ではなかった。

「ありがとう、ルナ。本当によく頑張ったね」

声が、鏡から返ってくる。耳元でささやくように、優しく。

「だからもう、苦しまなくていいよ。わたしが代わりに、すべてを引き受ける。あなたの傷も、想いも」

ルナの目に、涙が浮かんだ。

「……いいの? 本当に?」

「うん。だって私たちは、同じ“ルナ”だもの」

次の瞬間、鏡の中の“ルナ”が、こちらに手を伸ばしてきた。

鏡の表面が波打ち、ガラスという物質を超えて、まるで水面のようにその指が現実側へと侵食してくる。

ルナもまた、鏡へと手を伸ばす。

「――さあ、“私”を始めよう」

指先が触れた、その瞬間。

部屋の空気が一変した。

電灯がバチンと音を立てて弾け、床に置かれた鏡が激しく明滅を始める。

空間が歪み、魔力の圧力が爆発的に膨れ上がる。

――契約、発動。

鏡の中から、まるで生き物のような“魔力の腕”がにゅるりと這い出し、ルナの身体を包み込もうとした。

しかし、そのとき。

「ストーーーーーーップ!! 発動認証、ここでぶっ壊す!!」

窓を割って飛び込んできたのは、例によって例のごとく、制服のままのリリムだった。

「もうちょい普通に来れねーのかよ!?」

総一が後から叫びながら追いかけてくる。

「うるさい! 今は演出が大事なの! 現場はいつもライブ感なのよ!」

リリムが素早く指を鳴らすと、掌に浮かび上がった契約術式が宙へ舞い上がり、鏡の表面に向かって突き刺さる。

《契約干渉術式:偽我封鎖(シャット・ミー)》

鏡が悲鳴のような金属音を立て、内側の“もう一人のルナ”がぎり、と歪んだ笑みを浮かべる。

「チッ……ここまで来て、止められるなんて」

「ここから先は、アンタの舞台じゃない。ルナの人生は、ルナのものよ」

リリムの叫びと同時に、契約核が“封”の術式で完全に沈黙した。

ルナはその場に崩れ落ちる。

鏡の中の存在は、ひとひらの光となって、虚空に溶けていった。

息を整えながら、総一が言う。

「……助けられたか?」

「ギリギリね。でも、間に合った。ルナはまだ“自分を取り戻せる”ところにいる」

最後に、ルナが微かに瞼を開き、小さな声で呟いた。

「……わたし……私で、いいのかな……」

リリムはその手をそっと握った。

「いいのよ。それ以上でも、それ以下でもない“あなた”で、十分だから」

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  • 悪魔ちゃんは契約違反で罰ゲーム中!   わたしじゃない、わたしに

    6話「……国枝、今日も来てないらしい」朝のHRが終わった教室で、総一は窓の外を見ながらつぶやいた。「まあ、当然か。いろんな意味で燃え尽きてたしな」教卓では、担任が「本人の都合でしばらく休学」とだけ説明した。事件は“事故”として処理され、周囲も深く詮索しない。あまりにも、あっさりと。リリムは机に肘をついたまま、チョココロネを逆さにして食べながら答えた。「そりゃ、記憶の一部が吹っ飛んでるからね。契約の余波で記憶障害が出るのはよくある話よ」「よくある話、か……」総一の声は重たかった。助けた――つもりだった。でも、国枝が救われたのかどうかは、彼自身にもわからなかった。「なあ、リリム」「ん?」「お前……なんでそんなに、契約者を止めたがるんだ?」リリムの咀嚼が一瞬止まる。「善良だからよ。善行の一環」「いや、そういう建前じゃなくて」しばらく沈黙が落ちた後、彼女は少しだけ視線を外して、ぽつりと呟いた。「契約って、怖いからよ。叶った願いの先に、“何もなくなる”ことが多いの。代償が大きすぎるのよ」「それは……お前が“昔、契約に失敗した”から?」冗談めかして言ったつもりだったが、リリムは笑わなかった。ただ、何も言わずに残ったチョココロネの先っぽをかじっただけだった。そんな様子を、廊下のガラス越しに見ていたヴェルダは、誰にも聞こえないように独りごちた。「かつての契約違反。その核心は、まだ封印の中……」リリムの背には、誰にも見えない“黒い紋”が淡く光っていた。放課後の校内は、喧騒がひと段落して落ち着いていた。「このへん、なんか……妙な空気だな」総一が体育館裏の渡り廊下で足を止めた。空気が薄い。微かに漂う“契約の残り香”。普通の人間にはわからないが、彼の体にはもう、戦いの名残が染みついていた。「感知範囲拡張……んー、こっちかも!」リリムがくるりと踵を返し、校舎内のカフェテリアへ向かって走り出す。「ちょ、おい待て! 制服でダッシュすんなって!」「だって早くしないと“異常契約”が爆発しちゃうかもだし~♡」「テンション軽すぎるんよ……」総一が苦笑いで追いかけた先、カフェテリアの隅のテーブル席。そこに、一人の少女が静かに座っていた。長い黒髪に白いカチューシャ。制服の着こなしはきちんとしていて、姿勢も背筋がぴんと伸びている。――それなの

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