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ちょっとだけ、ありがとうって言いなさいよ

Auteur: 吟色
last update Date de publication: 2025-08-05 13:29:18

朝。快晴。窓のカーテンの隙間から陽光が差し込み、部屋を温かく照らしていた。

だが、その平穏をぶち壊す存在が、布団の上にいた。

「おいコラあああああああああああ!!!!!」

総一の怒声が、朝っぱらから部屋中に響き渡る。

「ちょっと! なに大声出してんのよ、この人間は!」

布団から飛び起きたのは、パジャマ代わりのシャツ一枚という破廉恥仕様の悪魔、リリムであった。しかもボタン半分外れてる。寝相が壊滅的らしく、シャツが片肩落ちており、片脚は総一の腰に絡まっている。

「いや、なにしてんだよマジで!? なんで俺のベッドに入ってんだよ!? どこで寝るつもりだったか覚えてるか!?」

「覚えてるわよ。人間界のベッドは最高ね♡ ふかふかであったかくて、しかも……あんたの体温が、ちょうどいいのよね」

「いらんこと言うな!」

総一が枕を振りかざす。リリムはそれをひらりと避け、シャツをたくし上げながらあくびをひとつ。

「うーん……そろそろ起きる時間か。今日の下着、白のレースにしようかしら」

「実況するな! てか着替えんな目の前で!!」

ガチャ。

「朝ごはん、できました――うわっ」

ヴェルダがトーストを持って入ってきた瞬間、絶妙なタイミングでシャツを脱ぎかけていたリリムと目が合う。

「……清楚にしろって言ったの、忘れてませんよね?」

「清楚ですう♡ 私は今、人生で一番清楚なんですう♡」

「はい、罰ゲームポイント加算」

「おのれヴェルダ……! そんな権限いつ得た!?」

総一は脱力しつつも、内心でほんの少しだけ安堵していた。昨日のような契約事件がない平穏な朝。それだけで十分だった。

ただ――そんな彼の胸中に、ひとつだけ気がかりがあった。

(……あのときリリムが、国枝を止めるときに見せた顔。あれは……)

彼女が本当に何を思っていたのか、それを聞く勇気はまだ持てなかった。

「……飯食うぞ。着替えてからな」

「えー、裸エプロンでよくない?」

「ダメだ!!!」

食卓には、焼きたてのトースト、ベーコンエッグ、味噌汁(?)……というカオスな献立が並んでいた。洋と和のぶつかり合いだが、意外とうまい。

「なあヴェルダ。毎回思うけど、これどこで覚えたんだ?」

「地獄にいた頃、料理番組が好きだったんです」

「地獄、わりと文化的だな……」

そんな日常の空気の中で、ふと郵便受けに目をやると、封筒が一通、差し込まれていた。

「ん? なんだこれ……手紙?」

差出人の名を見て、総一は目を見開いた。

──一ノ瀬ルナ。

慌てて中を開ける。中には丁寧な筆跡で、こう書かれていた。

『私を、止めてくれてありがとう。

自分で壊れかけてたことにも気づいてなかった私を、

本当の“私”に戻してくれたあなたに、

どうしても一言だけ、伝えたくて。

……ありがとう。』

たった数行。でも、その言葉には、あまりに重くて、あたたかいものが詰まっていた。

総一はゆっくりと手紙をたたみ、息を吐く。

「……助けて、よかったんだな」

「当たり前でしょ」

隣で、リリムが声を上げた。

「どんなに小さくても、誰かを“ちゃんと戻す”のはすごいことなのよ。それがどれだけ難しいか、アンタはまだわかってない」

「……そっか」

「だから、ちょっとだけ……」

言いかけて、リリムは口をつぐむ。そして照れくさそうに、視線を逸らしながら小声で言った。

「……ちょっとだけ、ありがとうって言いなさいよ」

総一は一瞬ぽかんとした後、ふっと笑って立ち上がった。

「はいはい、ありがとさん。悪魔様のおかげですわー」

「棒読み!? 真面目に言え!!」

ばちん、とリリムのスリッパが飛んできて、総一の額にヒットする。

その様子を見ていたヴェルダが、冷静に言った。

「はい。リリムさん、感情表現による罰ゲームポイント加算、2」

「増えたああああああああ!!? なんでえええええ!!!?」

「“照れ”はもっとも重罪とされてますから」

「地獄のルール厳しすぎんだろ!!!」

ツッコミと悲鳴が交差する、いつもの朝。

だが、ほんの少しだけ空気が柔らかくなっていた。

そのときだった。

「……あれ?」

リリムが突然、窓の外に目を向けて動きを止めた。

「どうした?」

「……なんか、嫌な感じ。ゾワッとした……」

風もないのに、カーテンがわずかに揺れた。

その日の午後。

リリムと総一は、気晴らしも兼ねて駅前のショッピングモールへと繰り出していた。

しかしリリムの買い物とは――もっぱら「人間界のスイーツ爆買い」である。

「このマカロンって何? 甘さとカロリーの暴力? 最高ね♡」

「どっちかにしろよ……地獄生まれのくせに人間界満喫しすぎだろ」

紙袋を両手に抱えてご満悦な悪魔。その後ろを、荷物持ちと化した総一が半ばぐったりとついていく。

そんなときだった。

「……ん?」

リリムがぴたりと足を止めた。

「またか? 今度は何? クレープ? たい焼き?」

「違う。……“気配”よ」

彼女の表情から笑みが消える。代わりに、ぞわりとした寒気があたりを包む。

リリムが指さしたのは、近くの公園のベンチだった。

ひとりの少女が、白いぬいぐるみを膝にのせて、何やら話しかけている。

銀髪のボブカット。年齢はリリムや総一と同じくらいか、少し年下にも見える。

「今日はね、うさぎさん、いいことがあったの。

でも、それって……ホントに“いいこと”だったのかな?」

少女の声は微かだが、感情が透けていた。寂しさ。迷い。そして――依存。

ぬいぐるみの顔は、やけに丁寧に縫われており、両目のボタンの中に“魔力の残滓”がうっすらと漂っている。

「……やっぱり」

リリムが呟く。

「契約反応?」

「正確には“擬似核の滲出”……契約者がまだ願いを明確にしてない。でも、依存先が“すでに反応”を始めてる」

「依存……?」

「うん。ぬいぐるみ。あれは媒介体。ああいう依存対象は、契約を通して人格を得るのよ」

「つまり、“ぬいぐるみが喋り出す”?」

「そう。……最悪の場合、“代わりに生きようとする”」

その瞬間、少女がふとこちらを振り返った。

視線が合った気がした。だが、それは一瞬で――彼女はまたぬいぐるみに視線を戻す。

「ねえ、うさぎさん……私の代わりに、全部やってくれたら、楽になれるのかな……?」

総一が眉をひそめた。

「……名前、わかるか?」

リリムがスマホでこっそり情報を引きながら答える。

「たぶん、“白上ヨミ”って子。近くの女子校に通ってるって情報がある」

「次の契約者候補、決まりってわけか」

「うん。……今回は、厄介そうよ」

リリムの表情が、ほんの少しだけ曇った。

その夜、白上ヨミは自室でひとり、ぬいぐるみを抱えていた。

うす暗い蛍光灯の下、ベッドの上に座ったまま、ぽつりぽつりと語りかける。

「ねえ、うさぎさん。今日も誰とも話せなかった……。授業中も、休み時間も、みんな私を見て笑ってた。たぶん、また変なことしてたのかも」

ぬいぐるみの名は「シュエル」。真っ白な毛並みに、黒のボタンアイが特徴。縫い目の少しほつれた口元は、まるで“何かを言いたそう”に見える。

「でもね、うさぎさんだけは、ちゃんとわかってくれるよね……。私、努力してるんだよ。ちゃんと笑えるように、ちゃんと目を見て話せるように……」

ぽたり、と布団に涙が落ちた。

「……でも、ダメなんだよ。頑張っても、ダメだった。だからね――もう、“私じゃない誰か”になれたらいいのにって……そう思ったの」

その瞬間。

ぬいぐるみの目が、ゆっくりと光を灯す。

ボタンアイの奥に、赤い光がちかちかと瞬いた。

「……っ!」

ヨミは思わず身を引く。

「い、今……喋った? シュエル?」

「――大丈夫だよ、ヨミ」

低く、しかしどこか優しい“声”が、部屋の中に響いた。

「君はがんばった。もう十分、苦しまなくていい。今度は、わたしが君の代わりに生きるから」

「……ほんとに? ほんとに、そんなこと……できるの?」

「できるさ。君はもう、頑張らなくていい。君は眠って、心を休めればいい。代わりに“わたし”が、明日を生きるよ」

ヨミの手が、ぬいぐるみにそっと触れる。

そのとき、枕元のスマホがバチッと火花を散らして壊れた。

空気が濁る。電灯が点滅し、室温が一気に下がった。

「シュエル……?」

「契約、成立」

その言葉とともに、ぬいぐるみの目が赤く輝き、空間に紫の魔力陣が浮かび上がった。

“契約核”の起動だ。

――が、その直後。

部屋の外壁を突き破って、飛び込んできた悪魔がいた。

現れたのは、制服姿の少女――リリムだった。

「間に合ったわね。今回もギリギリ」

総一が後ろからひょこっと顔を出し、ぼやく。

「たまには正面から入れって……人ん家なんだぞ?」

総一が続いて転がり込む。

ヨミは驚愕の表情を浮かべ、シュエルをぎゅっと抱きしめた。

「な、なに……!? 誰なの、あなたたち!?」

リリムはその問いに、にっこりと笑って応えた。

「地獄から来た、契約違反監査官よ♡」

「肩書きだけはやたら物々しいんだな……!」

魔力のうねりが部屋を包む中、リリムが呟く。

「今回は……もっと、慎重にいかないとダメかもね」

ヨミの目には、確かに迷いと、強い依存の色が浮かんでいた。

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