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007

last update publish date: 2026-08-31 07:28:21

 そこからは、奏多が台所に立ち、神津はちゃぶ台前であぐらをかいて、その後ろ姿を眺めていた。

(いいなぁ……、こう言うの……)

 奏多が背中を向けていることを良いことに、神津は舐めるように奏多を見つめていた。その間に、デミグラスソースの良い匂いが漂ってくる。

「おまたせ。できたよ」

 そう言って、奏多がちゃぶ台の上にメインの平皿を置いてから、炊き立てのごはんとコンソメスープを並べる。

「家庭の味だから、神津さんの口に合えば良いけど」

「奏多の作ったおにぎりが、今の俺のごちそうだから、大丈夫」

「ん? うん?」

 自分が言ったことは理由になっていない気がするが、奏多は上手く騙されてくれたようだ。神津主導で手を合わせると、奏多もそれに倣った。

「ん! 美味い!」

 神津はハンバーグを箸で切り分けて、一切れを口に運ぶ。神津のひと言にホッとした表情をした奏多を見て嬉しくなった神津は、食べ終わるまで「美味い、美味い」を繰り返した。

 そして再び奏多が台所に立って洗い物をしている後ろ姿を、神津がちゃぶ台に片肘を置いて眺めると言う構図ができ上がった。

(こんな日々が、毎日続いて欲しいな)

 神津は奏多と一緒に住むことを夢想していた。ただ、同棲したい理由は邪なものだけではなく、セキュリティが皆無に等しいこのアパートに、奏多独りを置いておけないと思ったからだ。

(ドラマ放映が始まったら、奏多は間違いなく有名人になるからなぁ)

 本人は気付いていないが、奏多は天性の輝きを持っている。見る者を惹き付ける輝きが。それ故に、悪い方向に事が進むことは十二分にあった。――脅迫行為や、ストーカーなど。

(こんなところに住んだままだと、君が傷付けられるかもしれない)

 そんなことは、神津には耐えられなかった。けれど、金銭援助を奏多は受けてはくれない。

(……よし)

 神津は心を決めると立ち上がり、シンク前の奏多に歩み寄った。

「奏多……」

 神津は名前を呼ぶのと同時に、奏多を背中から抱き締めた。奏多の身体が瞬時に硬直する。蛇口から流れる流水音が、やけに大きく聞こえた。

「奏多……。俺は、君を大事にしたいと思ってる。俺の提案に、耳を傾けてくれないか」

 神津は自分の大きい心音が奏多に伝わっていないことを願いながら、続きを話す。ありがたいことに、奏多に抗う素振りはなかった。

「この部屋は、奏多を外からの悪意から守ってはくれない。奏多が許してくれるなら、……俺のマンションに、一緒に、住んでくれないかな」

 「どうだろうか」と続けた神津に、奏多は水道の蛇口をゆっくりと締めた後、

「どうして、俺にそこまで?」

 と、問うた。予想できた問い掛けに、一度深呼吸をしてから、

「――奏多が、好きだから」

 と、自分の想いを伝えた。その瞬間、奏多が息を呑んだのがわかる。神津にとっては針のむしろにいる時間。その間、神津は祈ることしかできない。

(頼むっ! 「うん」と言ってくれ!)

 神津がそのようにずっと思ってると……。緊張したままだった奏多の身体が弛緩し、溜め息のような吐息が吐かれる。そして、奏多は自分を包む神津の腕を優しく解き、身体を反転させて神津に向かい合った。

「――ごめん、なさい。神津さん」

 断りのセリフに、神津は口唇を横一文字に引く。自分を見上げる奏多は、心底済まなさそうな表情をしていた。

「俺は、神津さんに想ってもらえるような人間じゃないです。ごめんなさい」

 奏多に断られた神津は、頭部を金づちのようなもので殴られたような感覚を引きずった記憶しか残らないまま、奏多のアパートをいつの間にか後にしていた。

 奏多のアパートを放心状態かつフラフラした足取りで出た神津は、悲しみを懸命に堪えて運転し、昔からの腐れ縁である俳優仲間であり親友の海崎貴臣のマンションにアポなしで突撃した。

「たかおみー! 聞いてくれー!」

 エントランスでのインターフォン連打の末に応答に出た海崎に、神津は外聞はばからず泣き言を言う。海崎は「こんな司は珍しいな」と思いつつ、エントランスの自動ドアを開けて、神津を招き入れた。

 そして六階にある海崎の部屋に入るや否や、海崎に泣き付き、引き摺られる形でリビングに連れて来られた。

 ローテーブル前に座り込んだ神津は、それはもう、ひどい顔をしていた。そんな神津に、未開封のシェリーウッドのマッカランの瓶を置いた。もちろん、ショットグラスを二つ置くことも忘れない。

 海崎は二つのグラスにウイスキーを注ぐと、うち一つをテーブルの伏している神津に手渡した。顔を上げた神津はそれを受け取ると、一気にあおり飲んだ。その様子に、「よっぽどのことがあったんだな」と、海崎は思った。

「何があったの、司」

 海崎もひと口ウイスキーを飲み、神津に問い掛ける。神津は珍しく号泣しながら、奏多のアパートでの顛末を騙った。

「――あー、つまり。司はフラレたわけだ。顔だけでやってきた報いだね」

「言わないで! 傷心に塩塗り込まないで!」

 神津は机上のマッカランを掴み取ると、そのまま一気にあおり飲み始めた。

「え! ちょっと! 司!?」

 さすがに高濃度アルコールを大量に飲むのは身体によろしくはない。瓶の中身のほとんどを飲んでしまってからようやく口を離した神津は、赤い顔をしてぐらりと身体を揺らめかせた後、後ろにひっくり返ってそのまま寝てしまった。

「あー、もう。言わんこっちゃない」

 海崎が知る限り、神津がフラれると言うのを聞いたことがない。

「それがまさかの同性相手とはね」

 完全に酔い潰れている神津の顔をまじまじと見て、海崎は独り言を呟いた。

「きっと、その子に何か事情があったんじゃないのかなぁ」

 でなければ、「想ってもらえるような人間じゃないです」なんて自分を卑下するようなセリフは出てこない。

「司に迷惑掛けたくない何かが、あるんだと思うよ」

 「まぁ、今の司には聞こえないか」と、嘆息した海崎は、寝室から持ってきたブランケットを神津に掛けると、仕事で溜めていた映画を一本ずつ消化していくことにした。

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