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第4話

Author: 真夏の猫
雪乃は翔太の胸に飛び込むと、梓を指差しながら涙に濡れた顔で泣きじゃくった。

「雪乃に謝れ!」

翔太は冷ややかな眼差しで梓を見据え、彼女の悲痛な表情に思わず眉をひそめた。

「梓、お前には本当に失望した!」

梓は彼を見上げると、心の愛情がじわりと消えていった。

「何があったか聞かないの?」

「どうでもいい。謝れ!」

翔太は梓の反論に違和感を覚えた。従順だったかつての彼女の方が好ましかった。

梓は苦い笑みを浮かべ、確かにどうでもいいと思った。

雪乃の泣き声がさらに激しくなり、翔太にしがみついて離そうともしない。

翔太は部下に命じて梓を押さえつけ、雪乃への謝罪を強要した。彼女は無理やり腰を折られ、抵抗する力もなく、体の痛みが増すばかりだったが、それでも決して口を開かなかった。

彼女は翔太のために十数年間も妥協してきたが、もうこれ以上自分を犠牲にするつもりはない。

「私に間違いはない。謝る必要などない」

翔太は梓の強く失望に満ちた視線を受けて、胸がざわめき、得体の知れない感情が胸中に広がっていった。

彼女のこんな姿を見るのは初めてだった。

「おばさんが謝らないなら、こっちから仕返しするわ!」

雪乃はボディガードに梓の頬を押さえつけさせ、力任せに二発のビンタを浴びせた。

翔太は制止せず、雪乃の目は勝ち誇った色に輝き、さらに何度も彼女の頬を叩き続けた。

梓の口角から血が滲み、翔太に向けられた視線には深い失望がにじんでいた。

「雪乃、もう止めろ!」

翔太は雪乃の手首を掴み、梓の大きく腫れ上がった頬を見て眉を強く顰め、瞳にかすかな動揺の色が浮かんだ。

「うん……手が痛いからやめる」

雪乃は涙目で手のひらを翔太に差し出した。「おじさん、痛いからフーフーして」

翔太はそっと彼女の手を下ろし、気まずそうに梓の方へ視線を移した。

「今夜はオークションがある。後で運転手が迎えに行く」

梓はぐったりと床に座り込み、瞳には深い絶望が広がり、涙が止めどなく溢れ出た。

痛みが全身に走り、梓は凍えるように床で縮こまった。

やがてゆっくりと立ち上がると、彼女は結婚写真をゴミ箱に投げ捨て、自分の持ち物をまとめると、アイスランド行きのチケットを手配した。

日が暮れる頃、翔太の運転手が彼女を迎えに来た。断る余地などなかった。

オークション会場は活気に満ち、梓は翔太の隣に着席させられ、雪乃は反対側に座っていた。

翔太は雪乃と談笑し、彼女が欲しがる品を次々と最高値で落札して彼女を悦ばせ、周囲の者たちを驚嘆させた。

体裁を繕うため、翔太は時折普通の品を梓のために落札することもあった。

休憩時間、梓はトイレで数人の女に取り囲まれた。

「梓さん、そのお顔はどうなさったのです?」

「もちろん雪乃さんにお仕置きされたのよ。藤原社長と結婚すれば愛されるなんて、ほんとに考えは甘いね」

「おばさんのくせに、雪乃さんをいじめるなんて。藤原社長が一番かわいがってるのが雪乃さんなのに」

これらは雪乃の取り巻きだった。梓は苦々しげに眉をひそめ、関わり合いを避けようとした。

立ち去ろうとしたその時、雪乃本人が背後から現れ、嘲るような視線を向けた。

「おばさん、そんな惨めな顔でよく外出できるよね。周りの人に笑いものにされないのが不思議だわ」

「雪乃、今度は何をするつもり?」梓は警戒の目で彼女を睨んだ。

「もちろんおじさんにあなたが嫌いになって、遠ざけてもらうためよ」

雪乃は顎をしゃくり上げ、側に控えている者たちに目配せして、「さあ、始めなさい」と命じた。

取り巻きが梓を洗面器に押し込み、服を濡らした途端、雪乃が突然泣き声を張り上げた。

「おばさん、私が悪かった」と叫んだ。

その時、ドアの外に翔太の足音が響き、これらの取り巻きが素早く梓を押さえ込んだ。

「何事だ?」翔太が入ってくると、雪乃はすぐさま彼の胸に飛び込んで嗚咽した。

「おじさん!おばさんが私をいじめてたの!復讐しようとしてるの!」

「藤原社長、私たちが止めなければ、雪乃さんは溺死されるところでした」

「ええ、確かにこの目で彼女が雪乃さんの頭を洗面器に押し込むのを見ました」

……

翔太は顔を曇らせ、冷たい視線で梓を睨みつけた。「あいつらの言ってることは本当か?」

梓はその視線を真っ直ぐ受け止め、胸が痛んだ。「あなたにとって、私はそんな人間に見えるの?」

懐に抱かれた雪乃は涙が雨のように流れ、その涙が彼のシャツを濡らしていた。翔太は眉をひそめたが、それでも雪乃を信じていた。

「お前はいつも子供に意地悪する。いい加減に目を覚ませ。彼女をプールに連れて行け。雪乃にしたことを、そいつにもしてやれ!」翔太は雪乃を抱きかかえ、その場を立ち去った。

「翔太!そんなことしてはいけない!私は彼女に触れてもいない!」梓は必死にもがいた。「どうして私の言葉を信じてくれないの!」

数人の女が梓をプールに引きずって行った。梓に平手打ちを加えた後、冷たい水の中へと放り込んだ。

梓は必死にもがいたが、頭が水面に出るとすぐに押さえ込まれ、水中に押し戻された。何度も繰り返されるうちに力尽き、ついに全身が水に沈んだ。

窒息感が遅い、意識が徐々に遠のき、やがて真っ暗な闇に飲み込まれた。

再び目を覚ますと、別荘のベッドの上だった。ナイトスタンドには幾つかのギフトボックスが置かれている。

梓は冷笑した。これが翔太なりの償いというわけか。

その後数日間、翔太は姿を見せなかった。

梓は体調を整えると、実家に戻った。

離婚のことを母に話すと、母は驚く様子もなく、ただ心痛そうに彼女を抱きしめた。

「梓、目覚めて何よりよ。あなたの人生はまだ長いのだから、たった一人の男のために足を止める必要はない」

梓はふと後悔が込み上げた。母の忠告に従わなかった。母は唯一、翔太との結婚が幸せになれないと看破していた人だったのだ。

母は何度も言っていた。翔太はあなたを愛していないと。それなのに彼女は妄執に取りつかれて、その言葉を信じようとしなかった。

楚山家を出た梓は、出入国在留管理局でビザ申請の手続きを済ませた。

あと数日もすれば、彼女はここを離れられる。
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