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第3話

Author: 真夏の猫
梓が目を覚ました時、既に病院の病床の上だった。

全身がだるくて力が入らず、蛇に咬まれた腕は完全に感覚を失っていた。ぼやけた人影が視界を揺らし、その度にめまいと吐き気が襲ってきた。

医師は毒性が強いが、幸い搬送が早かったと言った。

診察室を出た医師と入れ替わるように、翔太が現れた。冷たい瞳の奥に、かすかな後悔の色が浮かんだ。

「雪乃に悪気はなかった。店主に騙されていたんだ。あの蛇に毒があるなんて知らなかった。彼女自身もすごく驚いている。この件はこれで終わりにしよう。俺が償うから」

梓は静かに彼を見据え、もはや心に揺らぎは感じなかった。「翔太、あなたは本気で彼女がわざとじゃないって信じるの?」

翔太は眉を顰めた。彼女の眼差しがなんとなく彼をイライラさせた。「彼女はまだ子供だ。どうしてもと言うなら、直接謝罪させるよ」

梓は胸が締め付けられる思いだった。自分の命は、雪乃のたった一言の謝罪と同価値なのか。

「そのうち、パリのファッションショーに連れて行ってやる」彼は再び上から目線で言い放った。

梓は唇を歪ませた。五年前からずっと、ショーに同行してほしいと懇願し続けてきたのに、一度も聞いてくれなかった。

今さら雪乃の謝罪の代わりに、自ら連れて行くと言い出すなんて。

「結構よ。帰って。あなたの望み通り、彼女に迷惑はかけないから」翔太に背中を見せて、目を閉じて、込み上げる失望を押し殺した。

翔太は彼女がわがままを言ってるだけだと思い、そのうち機嫌を直すだろうと高をくくって、さっさと立ち去った。

「ゆっくり休め」

梓は黙ったまま、彼の足音が遠のいていくのを聞いていた。

その後、二度と彼の姿を見ることはなかった。

……

翔太が寸刻も離れず雪乃を見守り、彼女の肌が少し赤くなっただけなので、病院中の主任医師を総動員して診察させた。

さらに彼女の好みに合わせて病院のフロア全体を飾り付け、飼い猫や犬まで連れてきて付き添わせた。

看護師たちはこぞって雪乃を羨み、誰もがこんなに自分を寵愛してくれるおじさんが欲しいと思った。

梓の心はすでに静まり返り、まるで他人事のように感じていた。

退院当日、駐車場で翔太と雪乃に出くわした。雪乃は大きな百合の花束を抱え、花のように笑っていた。翔太は車もたれかかり、雪乃を見つめる目には秘めたる深い愛情が宿っていた。

「おばさん、怪我は大丈夫?本当に申し訳ない、わざとじゃなかった」

雪乃は梓の姿を見かけるや、花束を抱えたまま駆け寄り、詫びるように彼女に差し出した。

梓は激しくくしゃみをし、花を脇へ押しやった。雪乃はそれに合わせるように一歩下がり、口を開く前に翔太が近づいてきた。

翔太は雪乃を自分の側へ引き寄せ、「迷惑かけないと言ったはずだろう。この態度はなんだ?」

梓は百合アレルギーだと説明しようとしたが、彼の怒りを含んだ表情を見て言葉を飲み込んだ。

まあ、わざわざ説明する必要もない。

「本当に詫びる気があるなら、これに署名して」梓は鞄から離婚協議書を取り出し、署名欄のページを差し出した。

翔太は受け取ろうとせず、眉をひそめて彼女を睨んだ。

その時、傍らの雪乃が突然泣き出した。「花びらが散っちゃった、もう綺麗じゃない」

翔太は素早く離婚協議書を掴み、目も通さず署名した。

彼は離婚協議書を梓に投げつけると、すぐに雪乃の方を向いて慰めた。「よしよし、泣かないで。また買いに行こう」

雪乃は頷き、彼の胸に寄り掛かりながら立ち上がった。

「翔太、あなたが署名したのは離婚協議書よ」

梓は彼の署名を見つめ、自虐の笑みを浮かべた。

翔太の動きが止まり、一瞬嘲るような眼差しが走った。

「お前にそんな勇気はない」

「あるわ」梓は静かに言い放ったが、翔太は既に車に乗り込み、彼女の言葉に耳を傾けることもなく走り去った。

梓は弁護士を訪ね、離婚協議書を手渡すと、離婚手続きを全面的に委任した。

疲れ切った体を引きずりながら自宅に戻った梓が別荘の扉を開けると、鼻を突き刺すような百合の香りが襲いかかり、彼女は連続くしゃみに襲われて思わず後ずさって屋外に出た。

リビングは百合の花で埋め尽くされ、彼女と翔太の結婚写真は切り刻まれて床一面に散乱していた。雪乃は彼女の部屋から現れ、手に彼女の一番好きだった服を持ちながら、眼前で袖を切り落とした。

「雪乃、やめて!」梓が怒号を上げ、我を忘れて飛び込み、服を奪い返そうとした。

これは亡き親友が心を込めてデザインして仕立ててくれた、世界に一つだけの服だったのだ。

雪乃は彼女の勢いに嚇かされ、慌てて後退した。

「怖がらせないでよ!謝って!」

「服を返しなさい!雪乃、私の物を勝手に触る権利なんてないでしょ!」破壊された服を目にして、梓の胸中で怒りと悲しみが込み上げてきた。

「ここはおじさんの家よ。私は好きにしていいんだから、あんたには関係ない!今すぐ謝らないと、おじさんにいじめられたって告げ口するわよ!」

翔太に何でも許されると甘やかされた雪乃は、服を奪い返すと残りの袖をずたずたに切り裂いた。

「どうせボロ服でしょ?あなたが好きなら、猶更切り裂いてやる!」

梓は胸が締めつけられる思いで、ついに堪忍袋の緒が切れ、手を振りかぶって雪乃の頬を叩くと同時に服を奪い返した。

「私を殴るなんて!」雪乃は頬に手を当てて愕然とし、猛然と梓を押しのけた。

梓は不意を突かれ、階段から転がり落ち、天地が回る感覚の後、地面で身動きが取れなくなった。雪乃はゆっくり階段を降りてくると、腹を蹴りつけ、さらに彼女の上に馬乗りになって左右の頬を容赦なく叩き続けた。

「私に手を上げるなんて…ぶっ殺してやる!」

梓はかすかな体力を振り絞って雪乃を押しのけると、雪乃は執拗に彼女を蹴り続けた。

「もういい加減にしろ!雪乃!」身も心も引き裂かれるような痛みに襲われて梓は叫び出した。

ちょうどその時、玄関でドアが開く音がした。雪乃は慌てて傍らに座り込み、打たれた頬をさすりながら、涙を浮かべて泣きじゃくった。

翔太が入ってくるなり彼女の泣き声に気づき、手に持っていたものを投げ捨てて駆け寄ると、心配そうに事情を尋ねた。終始、梓の方には一瞥もくれなかった。

「おじさん、この人が私を殴ったの!」
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