しかし、私の頭を悩ますのは国の問題だけではなかった。
◇ 「夕食も……食べない、だと?」「はい……陛下。王妃陛下はこれから、朝夕どちらも陛下とはお食事を共にしないという事でございます。」
食事の部屋の扉前に立ち、強張った表情でホイットニーが告げる。
「陛下、良かったですね。
これからは煩わされずに済みます。」側にいたランドルフが嬉しそうに耳打ちする。
気まずそうに俯いていたホイットニーは下がらせた。「あ、ああ…そうだな。」
私はランドルフに、煮え切らないような返事をした。
煩わされずに…確かにそうだ。
大した会話もないくせに、毎回毎回私と食事をするアデリナ。
あの何とも言えない、監視するような瞳を向けてくるアデリナ。 そのくせ、目が合えばすぐ逸らすアデリナ。寝室に続き、あの薄青紫の目で食事中に監視される事もない。
煩わしさから解放されたのだから、喜んでいいはずなのに。小さな炎がつくように胸の片隅に怒りが湧いた。
「おやすみなさいませ。」
「ああ。」
ランドルフが扉を閉めると、一気に寝室に静寂が訪れた。今夜もまた一人。
ゆっくりとベッドに転がって息を吐き、ふと瞼を閉じた。
護衛兵達は扉の向こう側で待機中だ。今この瞬間、私の眠りを妨げる者はいない。
広々としたベッドを使えるのだ。
性悪妻に腕が当たる心配をする事も、鼾が煩くて眠れない思いをする事も、誤って抱きつく心配をする必要もない。 時々気を遣ってアデリナを抱いた。子供を作るのは王族としての義務だから仕方ない。
嫌ともいいとも言わないアデリナを抱くのは、とにかく気を遣った。普通の王族にしてみれば、回数は少ない
何でクブルクの兵がこんな所に……? 穏やかないつもの午後。 休日だというホイットニーにヴァレンティンを預けて、私は夕食の材料を買いに町に来ていた。 そこでこの騒動。 中には王宮で何度か顔を合わせたクブルクの兵もいる。咄嗟に壁際に隠れてやり過ごした。 王宮の兵という事は、私達を探してるのは間違いなくローランドだ。 何で今さらローランドが私を探してるの? 私達はもう離婚したのよ? あの後ローランドは、リジーと幸せになったはずでしょ? なのに私とヴァレンティンを探してるって事は………やはり物語の強制力というやつで!? 本来なら私もヴァレンティンも死ぬはずだから、その未来通りに! ……逃げなきゃ! ヴァレンティンを守らなきゃ!! 何とか兵達に見つからずに無事に家までたどり着く。 ホイットニーに状況をうまく説明する間もなく、私は荷物をまとめ始めた。 「ホイットニー、悪いんだけど、今すぐ家を出る準備をして!」 「え?一体どうされたのですか? アデリナ様!?」 「ローランドが……私とヴァレンティンを探し回っているみたい。」 「え……ローランド様が?なぜ今さら? もうお二人は離婚なされたはずでは……」 「分からないけど…… もしかしてヴァレンティンの王位継承とかの問題をめぐって、殺すためかもしれない。」 下手したらリジーに子ができた可能性もある。 その為に邪魔なヴァレンティンを狙っているのかも。 「そんな……果たして本当にそうなのでしょうか?」 「分からないけど、今は確認してる暇はないの! とにかく必要な物だけまとめてくれる?」
初めは怒りに震えた。 けれどアオイの消息が不明のまま、時間だけが虚く過ぎていった。 後から後から、アオイにちゃんと説明した上で、愛してると伝えればよかったと後悔ばかりが募った。 言葉足らずだった自分を何度も悔いた。 私がリジーを愛するはずがないと。 あんな風に私のアオイを罠に嵌めた女など、誰が愛すると言うんだ。 あんなに性格の腐っている女を、私が愛することは一生ない。 私が生涯愛するのはアオイ。お前だけだ。 私を懸命に愛してくれて、私の子を身籠ってくれたお前だけなんだ。 幼い頃、体の弱かった私は両親に愛されず、寂しい思いをしながら過ごしてきた。 だが病気で寝込んだ私を何だかんだ言いながらも世話を焼く、アオイに何度も癒された。 人から優しくされるということを、人の温かさというものを、そして不器用ながらも愛というものを、アオイ。お前に教えて貰ったんだ。 やっと愛を知ったのに。 人を愛する事ができたのに…… アオイは実家にも戻ってないという。マレハユガ大帝国の皇帝に、娘を見つけなければ殺すと脅された。 あんなにアデリナを嫌っていた母上までも。 何やらアオイの素直さが気に入ったらしい。 しかもサディークのあの王太子までもが彼女の失踪の噂を聞きつけて、文句を言ってくる。 「我が国が和平条約を結んだのは王妃陛下です。 王妃が無事に戻らなければ……条約は破棄させて貰いますよ。」 うるさい。お前に言われなくても、必ず見つける。 だが、一体どこに消えてしまったんだ…… クブルクの大規模な軍を使い、アオイ達の捜索を開始してはいるが、一カ月経っても何の手掛かりも掴めなかった。 そこで神殿にも協力を依頼した。 「陛下。貴方がしっかり王妃陛下を捕まえておかないから」 呆れたようにイグナイトが溜息を吐いた。 「分かっ
そうして私は心を鬼にし、アオイを北棟に閉じ込める様に言った。 アオイ……今は我慢してくれ。 お前に不便がないよう、部屋では快適に過ごせる様言っておくから…… 今その事をアオイに説明できない。 この状況だと、誰がアオイに危害を加えるか分からないからだ。 むしろ私がリジーに大人しく従ってると周囲に思わせておく方が、まだアオイは安全なはずだ。 悪いとは思ったが私を呼び止めるアオイを振り切り、毒に倒れたというリジーの元へ…… 彼女の自作自演の証拠を見つけに向かった。 一週間後、毒から回復したリジーが目を覚ました。 だがリジーが目覚めると同時に、私の方が疲労と熱で倒れてしまった。 早くリジーから自白を引き出し、アオイの無実を証明したいのに。 だからランドルフ達に頼み、容疑者としてリジーを招集するようにと命令しておいたのだ。 私の部屋ならあの女は必ず逃げずにやってくるだろう。 今回の件でアオイが犯人扱いされる決め手となった、アオイの髪飾り。 あれについてはリジーが私の部屋に来たあの夜に盗んだと思われる。 それにはやはりリジーの手垢が残っていた。 着色をつけた手形と、髪飾りに付いていた手垢が一致した。 それからリジーの部屋に用意されていた解毒薬の残った瓶。すでに使用されているのは、操られた侍医がリジーに飲ませたのだろう。 初めからリジーは死ぬ気などなかったのだ。 これらを叩きつけ、後はアオイから無実だと言わせれば…… だが、あの時どうやらリジーは部屋に入る直前にアオイに何かを吹き込んだらしい。 その場にアオイが来ていた事を知らないまま私達はリジーを徹底的に問い詰め、やっと自白させた。 それから仕事とリジーの件に忙殺されている間に、アオイがいなくなってしまったのだ。 離婚届と手紙を残して。 ……どうして
アオイを守るため、リジーが本性を現し、悪事を働いている決定的証拠を掴むまでわざと泳がせる事にしたのだが。 「ローランド様っ!」 看護師とは程遠い服を着たリジーは懲りずにアオイの目の前で私に抱き付き、しかもアオイに何かされたかの様に振る舞い始めた。 周囲は騒ぎ、衛兵や官僚達はリジーの弱々しい演技にコロッと騙されて、私の目の前でアオイの悪口を吐いた。 ランドルフは事の成り行きを、今は我慢の時ですと目で訴えて首を横に振った。 調査続行のために。 だがついに私の怒りは頂点に達し、アオイの前で悪口を言った奴らを叱り付けた。 すぐにでもリジーを城から追放したいほど怒りに震えていたが、アオイがリジーを罰する事は嫌がるだろうと思い、それ以上追及しなかった。 だが内心、私は荒れに荒れていた。 ……私のアオイに。私の妻を貶めようとするとはいい度胸だ。 リジー。お前の悪事の証拠を掴んだら、徹底的に追い詰め、このクブルク王宮に来た事を後悔させてやろう……!! そうして遂にあの事件が起きた————。 「陛下……!王妃陛下がリジー様に毒を… リジー様を暗殺しようとなさったと…!!」 ————やられた!!! 急いで駆けつけると、タウゼントフュースラー伯爵が勝手に兵を率いて、アオイを拘束していたのだ。 ————誰が勝手にアオイに触れてもいいと言った? 大臣と兵どもを切り刻んでやりたかったが、やはり彼らの目には生気がなく、どこか虚だった。 しかもその目はアオイに集中し、怒りに満ちていた。 このままでは本当にアオイと子供が危ない。 兵の側にいても危険なだけだ。 そうだ……被疑者という扱いにしておいてあの北棟に閉じ
王宮ではリジー擁護派が、これまで以上に過剰に彼女を擁護するようになった。 まるで彼女を崇拝する信者のように。 あの、傲慢で平民などには目もくれなかったセイディまでが、彼女を崇めるようになった。 何も知らない兵やこれまでどちらの派閥でもなかった官僚達までも…… リジーを見る目つきが皆、歪で妙だ。 あの者は一体………? 「陛下。この度、この私がリジーの後見人となりました。 つきましてはリジーをぜひ、陛下の側室にして頂きたく……」 ついにタウゼントフュースラー伯爵までもがおかしな発言をする様になった。 この国の法律は一夫一妻制で、いくら王族と言えど側室を持つ事は禁止されている。 もし妃が子を持つ事ができない場合は、妃と離婚して新しい妃を迎えるか、血族から養子を迎えるか。そう決まっている。 それを分かっていながら何故……? やはりこの者も目がおかしい。 虚で、まるで操られているかの様な…… その夜、なぜか私の部屋にリジーが勝手に入っていた。 「……リジー!?一体ここで何を!?」 「あ、ローランド様。 お聞きになりました? 私が側室候補になった事を…… そこで侍医《せんせい》からローランド様の脈を見るようにと言われました。 侍従長様からお部屋の鍵をお預かりして、こうして待たせて頂いていたのです。 体調が悪かったとお聞きしまたが、大丈夫ですか?」 ベラベラと喋りながら私に近づいて触ろうとするリジーの手を、思いっきり振り払う。 「私に触れるな……!それに私に許可もなく勝手に部屋に入ってきて、覚悟はできてるんだろうな? 侍医も侍従長も厳しい罰が必要だな……!」 「ローランド様っ……」 「それに、私をローランドと呼べるのはアデリナだけだ…!」 そこで固まっているリジーをギロっと睨みつける。 確かに最近この女のせいで多忙が続き、体調が悪かった。が、そんな大事なことまで筒抜けとは。
リジーとかいう女はやけに馴れ馴れしい。 「陛下……触診いたしますね。」 「なぜだ?なぜお前が触診を?」 そう言って侍医を見るが、彼はなぜかぼんやりしながらこの異常な事態を眺めている。 普通なら王の体をたかが一介の看護師ごときに触らせはしないはず。 妙だな……… しかもリジーは私の脈を見ながら、まるで誘惑するかのような目線を向けてくる。 体を触る手つきもどこか、男に手慣れた女のようで…… 「もういい。…私の体調に変わりはない。」 「あっ……!そんな、どうしてっ……」 彼女の手を振り解く。 それからすぐにシャツのボタンを止め、リジーと侍医に下がるように言った。 あの女の視線や仕草は一体何なのだ? ……気持ち悪い。あんな風に、知らない女に触られたくはなかった。 アオイ以外の女に……… ◇ 「どうやら元々、王妃陛下をよく思っていなかった大臣をはじめとした、数人の官僚らが噂を流しているようです。 その中でも特に、王妃陛下の侍女であるセイディ様が悪質な噂を流していると。 一方で、王妃陛下の功績を認めた者達、王妃陛下に携わるメイド達が主に王妃陛下の擁護をしているようです。 逆に大臣や官僚、ホイットニー以外の王妃陛下の侍女達が、なぜかリジー擁護派に回っています。 つまり今の宮廷は、王妃陛下派とリジー派で完全に二分されている状態です。」 調査を終えたランドルフが私の前に立ち、複雑な表情で結果報告をする。 「なるほど。 大臣や官僚となると、さしずめあの、タウゼントフュースラー伯爵辺りが首謀者だろうな。 奴は昔から金にがめつく、アデリナが財務庁の帳簿を厳しくチェックしてるのが気に食わなかったようだし&hell