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第2話

Author: ととまる
真帆の頭の中で、何かが激しく弾けた。

――真帆より、君のほうが大事だ。

どういう意味なのだろう。

恭介と結婚して三年になるが、真帆は一度も甘い言葉などをかけられたことがなかった。

最も大切にされていた頃でさえ、恭介が想いを示すのはいつも行動だった。「君が一番大事だ」と、言葉ではっきり伝えられたことなどほとんどない。

それなのに今、彼は和香にそう告げた。

薬のせいで身体は熱を帯びているのに、胸の奥は凍りついたように冷たい。

真帆は立っていることさえままならなかった。

今すぐ店内へ駆け込み、どういうことなのか問いただしたかった。だが、足はその場に縫いつけられたように動かなかった。

そのとき、突然事故が起きた。

レストランの二階では、改装工事が行われていたらしい。

資材を山積みにした台車を作業員が運んでいたが、何かの拍子に手を離れ、勢いよく階下へ滑り出した。

その先には、和香の座る席があった。

「危ない!」

誰かの叫び声が響く。

恭介はほとんど反射的に立ち上がり、和香を強く抱き寄せた。そのまま自分の背中を盾にして、落下してきた資材から彼女をかばった。

激しい衝撃音とともに、破片が四方へ飛び散った。

和香は恭介に覆いかぶさられるように守られ、かすり傷ひとつ負っていなかった。

一方、恭介は低くうめいた。

こめかみが切れ、あふれ出した血が顔の片側を赤く染めていく。

腕や背中も破片で傷つき、白いシャツは瞬く間に血でにじんだ。

「恭介!」

和香が真っ青な顔で悲鳴を上げた。

だが、恭介はわずかに眉を寄せただけだった。腕の中から和香を解放し、かすれた声で言った。

「大丈夫だ」

ボディーガードと店の従業員が、すぐに二人のもとへ駆け寄った。

恭介は支えられながら立ち上がった。顔色は恐ろしいほど青ざめていたが、それでも真っ先に和香を見た。

「病院で手当てを受けてくる。血を見るのは苦手だろう。ついてこなくていい。先に家まで送らせる」

静かな声でそう言い聞かせると、ボディーガードに肩を支えられながら、足早に出口へ向かった。

入口のそばに立っている真帆には、最後まで気づかなかった。

その場に取り残された真帆の身体から、すべての温度が失われていく。

恭介は、和香を守るためなら自分の命さえ惜しまない。

あれほどの傷を負っても、最初に気遣ったのは、和香が血を怖がっていないかどうかだった。

病院へついてこなくていいと優しく言い、彼女を安心させていた。

その一方で、妻である真帆がすぐそばに立っていることには、気づきさえしなかった。

「驚いたでしょう?」

耳元で柔らかな声がした。

真帆は身体をこわばらせたまま、ゆっくりと顔を向けた。

いつの間にか、和香が目の前に立っていた。

事故の恐怖が残っているのか、顔はまだ青ざめている。

けれど、その眼差しにはいつもの穏やかさが戻っており、隠そうともしない優越感が浮かんでいた。

「恭介が私を守るためなら、命まで投げ出せるなんて思わなかった?」

和香は一歩近づき、真帆にしか聞こえないよう声を落とした。

「真帆、ずっと不思議だったんじゃない?どうして恭介が、あなたと結婚したのか」

真帆は黙ったまま、和香を見つめた。

和香は笑った。

その笑みには、露骨な嘲りがにじんでいた。

「本当のことを教えてあげる。ずっと前、恭介は何者かに命を狙われて、ひどい怪我を負ったの。そのとき助けたのが、私よ。私は彼を人目につかない場所へ隠して、三日三晩つきっきりで看病した。意識を取り戻してから、恭介はずっと私を捜していたの。やがて、あの日助けたのが高瀬家の娘らしいと突き止めて、うちにやって来た」

そこで言葉を切り、真帆の瞳が大きく揺れるのを見つめる。

和香の笑みは、さらに深くなった。

「でも、調べた情報が間違っていた。恭介は、あの日自分を助けたのがあなただと思い込んだの。だからあなたと結婚して、どれだけわがままを言われても、何もかも許してきた」

真帆は息をすることさえ忘れた。

結婚したばかりの頃、恭介が向けてくれた、どこまでも寛容な優しさ。

真帆を見つめる、ひたむきで愛情に満ちた眼差し。

あれはすべて――

彼が人違いをしていたからだったのだろうか。

「その後、どういうきっかけかは知らないけど、恭介は真相に気づいた。昔、彼を助けたのはあなたではなく、私だったと知ったの」

和香は小さくため息をついた。だが、その声には隠しきれない誇らしさがにじんでいた。

「だから、あなたに向けていた優しさを取り上げた。それだけのことよ。真帆、この3年間、あなたが受け取ってきたものは全部、本当は私のものだったの。彼の優しさも、甘やかしも、そして愛情さえもね」

真帆は唇を開いたが、喉がひどく乾いており、声は出なかった。

「恭介は責任感の強い人よ。真実を知ったからといって、簡単にあなたと離婚することはできない。結婚した以上、あなたに責任を取らなくてはいけないと思っているから。だから耐えているのよ。心では私を想い、私を愛して、どれほど苦しんでいても、あなたの夫でいなければならない」

さらに真帆へ顔を寄せ、悪意を含んだ声でささやく。

「でも、あなたは人一倍プライドが高いものね。真実を知ったあとも、自分のものではない結婚にしがみついて、お姉ちゃんの相手を奪い続けるような、みっともない真似はしないでしょう?」

真帆は、穏やかな仮面の下に隠された和香の得意げな顔を見つめた。

胸を無理やり引き裂かれ、そこへ冷たい風を吹き込まれたようだった。内臓まで凍りつき、激しく痛んだ。

そういうことだったのだ。

この三年間のすべては、ただの滑稽な人違いだった。

恭介は時間をかけて真帆の心を開き、恋を知らなかった彼女に愛を教えた。それなのに、初めから彼が愛していたのは真帆ではなかった。

最初から、そう言ってくれればよかったのだ。

真帆は、誰かを愛することもできる。そして、その人を手放すことだってできる。

どれほど愛していようと、ほかの女を想っている男を奪うつもりなどない。

ましてや、その男の心に自分の居場所が初めからなかったのなら、なおさらだった。

真帆の顔から血の気が引き、その瞳から光が失われていくのを見て、和香は満足そうに笑った。

そして真帆の肩を軽く叩き、弾んだ声で言う。

「これで、話すべきことは全部話したわ。どうするかは、あなたが決めて。でも、私を失望させるようなことはしないわよね?」

そう言い残すと、和香は勝ち誇ったように背筋を伸ばし、その場を立ち去った。

真帆は一人、その場に立ち尽くした。

どれほど時間が経ったのか分からない。

薬の作用はまだ身体の中で荒れ狂っていたが、胸の痛みのほうが、すでに身体の苦しさを上回っていた。

真帆はふらつきながら通りへ出ると、走ってきたタクシーを止めた。

「病院へ……お願いします」

身体に入れられた薬を、どうにかしなければならなかった。

そして、何もかもきれいに目を覚まさなければならない。

病院で処置を終えた頃には、すでに深夜を回っていた。

真帆は病室のベッドに横たわり、天井を見つめたまま、ひと晩中眠れなかった。

翌朝早く、弁護士へ電話をかけた。

「できるだけ早く、離婚の手続きを始めてください」

迷いのない声で、そう告げた。

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