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愛の果てに、君はいない
愛の果てに、君はいない
Author: ととまる

第1話

Author: ととまる
家同士の縁談によって、高瀬真帆(たかせ まほ)は、上流社会で「血も涙もない男」と恐れられる黒川恭介(くろかわ きょうすけ)との結婚を強いられた。

恭介は冷酷非情で、情け容赦のない男だと噂されていた。

幼い頃から誇りが高く、気の強かった真帆は、誰かに自分の人生を決められることが何よりも嫌いだった。ましてや、ろくに知りもしない、好きでもない男と結婚するなど、到底受け入れられるはずがない。

だから真帆は、ことあるごとに反発した。

恭介が最高級のジュエリーを贈っても、ろくに目も通さず金庫へ放り込み、「趣味が悪い」と言い捨てた。

オークションへ連れていかれても、途中で席を立ち、親友の岸本奈緒(きしもと なお)と買い物へ出かけた。

接待で酒を飲みすぎた恭介を迎えに来てほしいと秘書から連絡があっても、スマホの電源を切り、そのまま眠ってしまった。

一度など、恭介が胃出血で入院したとき、真帆はパリにいた。奈緒とブランドショップを回っている最中にその知らせを聞いても、「そう」と一言返しただけで、何事もなかったように次の店へ入っていった。

周囲の誰もが思っていた。

ここまで好き勝手に振る舞っていれば、真帆はいずれ恭介から手痛い仕打ちを受ける、と。

だが、恭介は何もしなかった。

それどころか、真帆のわがままをすべて受け入れた。

真帆がジュエリーを放り出せば、翌日にはさらに高価なものを贈った。

オークションを途中で抜け出せば、秘書に会計を任せ、真帆が一度だけ目を留めた品を落札して届けさせた。

迎えに来なかったときも、運転手を呼んで一人で帰宅し、責める言葉ひとつ口にしなかった。

あの入院のときでさえ、旅行から戻った真帆を、退院したばかりの恭介が出迎えた。

まだ顔色も戻っていないというのに、彼は新しく買ったダイヤモンドのネックレスを自ら真帆の首にかけ、低い声で尋ねた。

「楽しかったか?」

そのとき、真帆は思わず固まった。

すぐ目の前にある恭介の顔を見つめる。

彫りの深い端正な顔立ちに、冷ややかな目元。気品と近寄りがたさを併せ持ち、人混みの中にいてもひと目で視線を奪うような男だった。

けれど、そのとき真帆を見つめる彼の目には、苛立ちも怒りもなかった。

そこにあったのは、真帆には理解できないほど深い想いと、ひたむきな眼差しだけだった。

その瞬間、真帆の胸の奥で、何かがかすかに揺れた。

それからも、恭介の甘やかしは続いた。

真夜中に、街の反対側にある老舗洋菓子店のプリンが食べたいと言い出せば、恭介は自ら車を走らせて買いに行った。

奈緒と車を飛ばして警察に止められたときも、自ら迎えに来て引き取り、きつい言葉ひとつ浴びせなかった。

思いつきで乗馬を習いたいと言い出せば、予定していた会議を延期し、一日中馬場で付き合った。

真帆が固く閉ざしていた心は、恭介の根気強い優しさによって、少しずつ開かれていった。

真帆には、これまで恋愛経験がなかった。

恭介が初めてだった。

彼は甘い言葉など口にしなかったが、その行動のすべてで、真帆を誰よりも大切にしてくれた。

やがて真帆は、彼の帰りを待つようになった。

彼の好みを覚え、帰宅が遅い夜には、玄関の明かりを残しておくようになった。

いつしか、真帆は恭介を愛していた。

結婚して3年。

この穏やかな日々が、これからもずっと続いていくのだと思っていた。

ところが、結婚3年目を迎えた頃、恭介は突然変わった。

毎晩決まった時間に帰宅し、真帆と夕食を囲んでいた男が、家に帰らない日が増えた。

電話はなかなかつながらず、メッセージの返信も次第に遅くなった。ときには、彼のシャツから見知らぬ女の香水が香ることさえあった。

真帆が問いただしても、恭介は淡々と答えるだけだった。

「最近、忙しいんだ」

真帆はその言葉を信じた。

以前から仕事の多い男ではあったが、それでも必ず真帆と過ごす時間をつくってくれていたからだ。

だが、ある日のことだった。

真帆は恭介に伴われ、取引先が集まるパーティーに出席していた。

途中で化粧室へ行き、会場へ戻ろうとしたとき、突然ひどい目眩に襲われた。

身体が異様に熱い。

真帆はすぐに異変を悟った。

誰かに、何かを盛られたのだ。

朦朧とする意識を必死につなぎ止めながら、真帆は恭介を捜した。

数人の取引先と話していた彼を見つけると、その袖をつかむ。

「恭介……具合が悪いの。たぶん、何か盛られた……」

声が震えた。

恭介は会話を止め、真帆へ顔を向けた。だが、その眼差しはひどく冷めていた。

彼は一度真帆を見ただけで、背後に控えていたボディーガードへ命じた。

「妻を病院へ連れていけ」

真帆は耳を疑った。

「……え?」

「このあと、どうしても外せない用がある。先に病院へ行って診てもらえ」

恭介は真帆につかまれていた袖を静かに引き抜いた。

「恭介!」

信じられない思いで、真帆は彼を見上げた。

「私はあなたの妻でしょう?誰かに薬を盛られたのよ。それなのに、一人で病院へ行けっていうの?」

恭介はわずかに眉を寄せた。その顔には、かすかな苛立ちさえ浮かんでいた。

「真帆、どうしても外せない用事なんだ。今は言うことを聞いてくれ」

それだけ言うと、もう真帆には目もくれなかった。

取引先に軽く断りを入れ、そのまま会場の出口へ向かって歩き出した。

一度も振り返らない背中を見つめながら、真帆は心臓を鷲づかみにされたような痛みを覚えた。

どうしても外せない用事?

薬を盛られ、助けを求めている妻を置いていくほど、大切なことなのだろうか。

薬は急速に全身へ回り、視界がぼやけ始めた。真帆は舌を強く噛み、痛みで意識をつなぎ止めた。

支えようとするボディーガードの手を振り払い、よろめきながら会場の外へ飛び出す。

ちょうどそのとき、恭介の車が走り去っていくのが見えた。

真帆は通りかかったタクシーを止め、後部座席へ転がり込むように乗り込んだ。

「前の黒いマイバッハを追ってください!」

運転手は、真っ青な真帆の顔と、ただならぬ眼差しに驚いたようだった。

だが何も聞かず、すぐにアクセルを踏み込んだ。

車は街を大きく横切り、やがて一軒の高級レストランの前で止まった。

真帆は料金を払い、足元をふらつかせながら車を降りた。

恭介の長身が、レストランの中へ消えていく。

大きなガラス窓越しに、彼が向かっていく席が見えた。

そこに座っていたのは、高瀬和香(たかせ わか)だった。

真帆の実の姉。

全身から、一気に熱が引いた。

真帆がこの世で最も嫌っている相手は、和香だった。

幼い頃から、和香は人前では優しく穏やかな姉を演じながら、陰では真帆をいじめ、何度も罠にはめてきた。

子どもの頃の真帆は、そのたびに両親へ訴えた。

だが、両親はいつだって和香の味方だった。

「あなたは妹なんだから、お姉ちゃんに譲りなさい」

「和香はあんなに聞き分けのいい子なのよ。そんなことをするはずがないでしょう。あなたの勘違いよ」

何度訴えても、返ってくる言葉は同じだった。

やがて真帆は何も言わなくなり、ただ和香をますます嫌うようになった。

恭介と結婚したあと、一度だけ何気ない会話の中で、真帆は実家での出来事を話したことがあった。

そのとき恭介は何も言わなかった。

だが、それ以降に参加した親族の集まりでは、和香に対してひどく冷淡だった。話しかけられても、存在しないかのように無視することさえあった。

それなのに、どうして今、真帆をパーティー会場に置き去りにしてまで、和香に会いに来たのだろう。

真帆は冷たい壁に背を預け、窓の向こうにいる二人を見つめた。

和香は白いワンピースをまとい、長い髪を肩に流していた。

その顔には、いつもの柔らかな笑みが浮かんでいる。

恭介は彼女の向かいに座り、真帆には一度も見せたことのないほど穏やかな表情をしていた。

自ら水を注ぎ、ナプキンを差し出す。

その仕草は、あまりにも自然で親密だった。

和香が微笑みながら口を開いた。

「恭介、私と食事をするために、真帆を一人で置いてきたんでしょう?そんなことをして大丈夫なの?あの子、具合が悪いって聞いたけど」

恭介は和香を見つめた。

声は低かったが、静かな店内では、ガラス越しの真帆にもはっきりと聞こえた。

「問題ない。真帆より、君のほうが大事だ」

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