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第2話

Author: 九桜冬実
病院で健康診断を受けていたとき、南は採血の場面で怖くて涙が止まらなかった。

百合子は一言も発さずに5本の採血を終え、立ち上がると少し眩暈がした。

採血室を出ると、幸雄、洋子、司が待ち構えていたが、目に入ったのは卓に支えられながら出てきた南だけで、三人はすぐに彼女を取り囲んで気遣いの言葉をかけた。

南は感極まって言った。「長年初めて家族の温もりを感じた。本当の両親のもとに戻れて本当に良かった。昔の辛かった日々を思い出すのが怖いくらい……」そう言いながら、彼女の目には再び涙が浮かんでいた。

百合子は冷たく顔を背け、見ようとしなかった。

卓はその時ようやく百合子のことに気づき、「体の調子は大丈夫か?」と声をかけた。百合子は首を振って、大丈夫だと示した。

洋子は上から目線で言った。「百合子、今夜は一緒に食事しよう。お手伝いさんに栄養満点の鶏スープを作らせたわ。南もあなたも好きでしょ」

「ありがとう、お母さん」南は甘えるように洋子の腕に絡んだ。

でも百合子はもともと鶏スープが好きではなかった。

たった数日で、かつて自分を愛してくれた母親は、鶏肉アレルギーのことをすっかり忘れてしまったのだ。

「お腹すいてないから、みんな先に行って。私はここで少し休むわ」

白野家の人々は本当にアート展に行くことに決め、司は卓を誘って一緒に出かけた。

卓は出発前に百合子を一目見たが、南はすぐに彼の手を握った。「卓も、このアート展にきっと気に入るわよ」

そして百合子は病院のベンチに一人で座って、苦々しく思った。みんなは、彼女が南のかつての生活を奪ったと思って、すべてを南に譲るべきだと考えている。でも、それは決して自分の意思でそうなったわけではなかったのに。

その夜、百合子は健康診断の結果を受け取った。卓も南を連れて病院に戻ってきた。

三人が鉢合わせると、南がすぐに口を開いた。「そうそう、百合子。別荘に置いてあったあなたの服、お手伝いさんに整理してもらったの。いつでも取りに来ていいよ」

百合子は低い声で返した。「ああ、ちょうど全部取りに行こうと思ってたところ」

卓は彼女を一瞥して言った。「外は雨だ。車で一緒に送るよ」

病院を出ると、南は卓の腕にしがみついた。「卓、一緒に傘をさしたいな」

傘は一本しかなく、卓は南がそれを共有し、百合子は雨に濡れながら駐車場まで歩かざるを得なかった。

南が先に助手席に乗り込むと、卓はようやく傘を百合子の方に差し出した。

彼は自ら彼女のために後部座席のドアを開け、「採血部位を濡らさないように。帰ったら栄養のあるものを食べて、しっかり補給するんだ」と優しく声をかけた。

百合子は彼のこの施しめいた気遣いに感謝することもなく、無言で車に乗り込んだ。

白野家の別荘に着くと、南は百合子をドレッシングルームに案内し、卓に甘えた声で「誕生日ケーキ買ってきて」とねだった。

百合子と南だけになった時、南はドアに寄りかかりながら言った。「ありがとうね、留学の枠を私に譲ってくれて。卓がずっと説得してたんでしょ?これで卓の気持ちを引き戻せると思ったの?」

百合子は背を向けたまま答えた。「考えすぎだよ」

彼女は素早く自分の服を整え、立ち去ろうとしたが、南に遮られた。

「百合子、卓にもう近づくなって警告しておく。彼は本来、私の婚約者だったのよ」

百合子はおかしそうに笑った。「今は私の彼氏よ。どうして近づいちゃいけないの?」

南は鼻で笑った。「忠告を聞かないなら、痛い目に遭うわよ」そう言うと短く指笛を吹き、階下からすぐに二人の影が上がってきた。

百合子は一瞬凍り付いた。ドレッシングルームに入ってきたのは、赤髪と金髪の男で、どちらもかつて南と同じ村に住んでいた顔見知りの者だった。

南は彼らに手で合図した。「約束通り、さっさとやっちゃいなさい」

赤髪と金髪はいやらしい目つきで百合子に近づき、彼女を押さえつけて服を引き裂き始めた。百合子が叫ぼうとした瞬間、口を塞がれてしまった。

南は彼女を睨みつけて言った。「こっちの好意を踏みにじるなんて、これからは人前に顔を出せないようにしてやる」

百合子は恐怖で震えた。彼女には、この男たちが自分に何をしようとしているのか分かっていた。狂ったように赤髪の手に噛みついた。

赤髪は痛さで叫び声を上げ、百合子は彼を突き飛ばして逃げ出した。

玄関にいた南が彼女を引きずり戻し、「早く押さえつけろ!」と叫んだ。

赤髪と金髪が再び飛びかかろうとしたその時、階下から白野家の人々の声が聞こえてきた。

百合子が声を上げようとした瞬間、南が先に叫び出した。「助けてくれ!父さん、母さん、百合子が悪い奴を連れてきて私を襲わせようとしてるの!」

幸雄と洋子はその声を聞いて、慌てて階段を駆け上がってきた。二人は一目で、南が服を乱して床に座り込んでいる姿を目にした。

赤髪と金髪はその隙を突いて老人二人を押しのけ、別荘から逃げ出した。

南は百合子を指さしながら泣き叫んだ。「怖すぎるよ!父さん、母さん、百合子は私を殺そうとして人を雇ったの。しかも、私の恥ずかしい写真まで撮って……」

百合子は呆然とした。南こそが彼女を陥れようとした張本人なのに、今になって逆に罪を擦り付けようとしている。

幸雄は百合子を叱りつけた。「お前は本当に懲りないやつだ。この前、脅した件で大目に見てやったばかりだろう。数日も経たないうちにまたこんなことするなんて……どうして南を放っておいてやれないんだ?」

幸雄の目には、百合子の悪女ぶりはすでに決定的だった。

洋子は上着を脱いで南をかばいながら、百合子を非難した。「あなたは本当に酷いわ。昔の情がなければ、とっくに警察を呼んで連れて行ってもらっていたわよ」

司がこの時戻ってきて、事件の経緯を聞いた後、即座に百合子に命じた。「南に謝れ」

百合子は弁解しようとした。「お兄ちゃん、私じゃないの、南が私を陥れようとしたの!」

「兄なんて呼ぶな。謝らないどころか、南を中傷するとはな」

司はそう言うと、百合子の腕を掴んでバルコニーへと引きずり出し、強く押しやった。「今日になって初めて、お前がこんなに卑劣な人間だと知った。ここでしっかり反省しろ!」

そう言い終えると、バルコニーのドアに鍵をかけた。

ちょうどその時、激しい雨が降っており、百合子はたちまち全身ずぶ濡れになった。

彼女はガラスのドアを叩きながら、絶望的に叫んだ。「出してよ!ドアを開けて!私は南を陥れていないよ!」

ガラス越しに彼女が目にしたのは、白野家の人々が南を慈しんでいる光景だった。

戸一枚を隔てて、まるで天と地ほどの違いがあった。

百合子は扉に身を寄せてしゃがみ込み、荒れ狂う豪雨の中で自分をぎゅっと抱きしめた。
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