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第9話

作者: ゆゆ
渉の視線が、そのボイスレコーダーに落ちた。

彼が動く前に、背後にいた遥の顔色が変わった。

遥は声を詰まらせ、涙を堰を切ったようにこぼした。

「違うわ、あれは私の声じゃない……嘘よ、全部でっち上げよ……

雅美さん、そこまで私が憎いの?私の評判を地に落とすだけじゃ飽き足らず、今度はこんな手を使って……私が翠ちゃんを殺そうとしたなんて、デマまで流すの?」

彼女はもう片方の手で力なく自分の下腹部を覆い、体を小さく丸めた。

「渉さんが翠ちゃんをあんなに可愛がっているのに、私もあの子を自分の子供だと思っているのに、どうして私が傷つけたりするのよ?これじゃ、私に死ねって言ってるようなものじゃない……私とこの子は……いっそ死んで消えた方がマシなのね……」

渉の困惑に揺れていた表情が、完全に冷めきった。

彼は腕の中で気絶しそうになるほど泣きじゃくる遥を見下ろし、それから顔を上げて、波一つない静かな表情の雅美を見た。

「雅美。お前は遥を陥れるために、俺たちの娘の命までダシに使ったのか?」

雅美は静かに彼を見つめた。かつて深く愛したその顔を透かして、彼のすべてを見極めようとするかのように。

しばらくして、彼女はごく微かに笑った。

「渉、あなたって本当にどうしようもないくらいに目が曇っているのね」

雅美は彼の返事など待たず、背を向けて病室のドアを開け、中へ入っていった。

病室の中は静かで、翠は青白い顔をしていたが、呼吸は安定して眠っていた。

雅美はベッドのそばに歩み寄って静かに座り、指先で娘の柔らかな前髪を撫でた。

彼女の心は不思議なほどに凪いでいた。先ほどの茶番劇が、彼女に残っていた最後の一欠片の感情まで絞り尽くしてしまったのだ。

彼女は窓から夕日が差し込むまで、長い間病室に座り続けた。

スマホの画面が光った。新着メッセージが二件。

一件目は、渉からだった。

【遥は精神的にかなり追い詰められているし、お腹の子も危険な状態だ。医師からも刺激は禁じられている。

何があろうと、あの子は原田家の血を引いている。

彼女を落ち着かせるため、何らかの立場を与えるかもしれない。お前は大人しくしていろ、お前の立場には影響しない】

言葉の端々から、あからさまな「えこひいき」が透けて見えた。

渉はボイスレコーダーが本物かどうかさえ尋ねようとはしなかった。いや、彼にとっては、遥とお腹の中の子のほうが、何よりも大切なのだ。

雅美はその数行の文字を見つめたが、顔には何の感情も浮かばなかった。

指を動かし、短く返信した。

【好きにすれば】

もう一件のメッセージは、楓からだった。

【雅美。すべての手続きは済ませておいた。書類は空港へ送らせてある。翠の親権に関する書類も同封してあるからね。元気でね】

雅美は深呼吸をしたが、胸の奥にあった息苦しさはもう消え去っていた。彼女はただ一言だけ返信した。

【ありがとうございます】

雅美は翠の退院手続きを済ませた。

あどけない翠は、甘えるように身を預けてきた。「ママ、お家に帰るの?」

「ええ、帰るわよ」雅美は娘の額にキスをし、彼女を抱いて車に乗り込んだ。

あまりにも多くの思い出が詰まったあの家に戻っても、雅美は一切立ち止まらなかった。

真っ直ぐに二階へ上がり、ウォークインクローゼットに入ってスーツケースを取り出し、荷造りを始めた。

その動きは無駄がなく、微塵の躊躇いもなかった。

自分と翠の生活に必要なものと、大切な記念品だけを詰め込んだ。

それ以外の高価な宝石やドレスには、一切手を触れなかった。

そんなものと引き換えにしていたのは、もういらない。

最後に、「家」と呼ばれた場所をぐるりと見渡したが、目線に一片の未練もなかった。

ここにはもう温もりなどなく、ただ精巧に作られた抜け殻が残っているだけだ。

雅美は翠を抱きかかえ、スーツケースを引いてドアを開けた。振り返らずに車に乗り込み、そのまま空港へと向かった。

飛行機が雲を突き抜けて上昇し、窓の外には雲海がどこまでも広がっていた。

翠は腕の中で静かな寝息を立てている。

地上で起きたことのすべてが遠のき、ついには視界から完全に消えていった。

飛行機は新しい街へと降り立つ。そこには渉も、遥も、あの息の詰まるような愛憎のしがらみも存在しない。

彼女と翠の新しい生活が、今始まったのだ。
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