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第4話

Autor: 鉄壁のタワー
翌朝、目が覚めると、看護師たちから異様な視線を感じた。

病室の外には、スマホを手にした人たちがひしめいている。何人もの配信者が廊下を塞ぎ、私と奈々美に向けて、ひっきりなしにカメラを回していた。

「あいつ、中絶の費用と慰謝料として10億も受け取ったのに、こっそり子どもを産んだんだよ」

「10億を5年で使い果たして、病気の娘を連れて資産家の元夫に金をせびってるらしいよ」

「昨日なんて、結婚指輪まで売ったんだろ?それで同情を誘って、まだお金を出させようとしたって話だ」

私はSNSを確認すると、ようやく状況を理解した。

昨日の深夜、由梨が長文の投稿を公開していた。

そこには、10億円の振込記録、海外不動産の購入履歴、ブランド品の購入明細などが添えられ、さらに、私が買取専門店で結婚指輪を売る様子を撮影した動画まで載せられていた。

けれど、その動画からは――裕翔が200万を払って指輪を買い戻しても、私には1円たりとも渡さなかったことがきれいに切り取られていた。

映像に残っているのは、私がカウンターの前で指輪を査定してもらっている場面。そして、私が去った直後、険しい顔をした裕翔が店へ乗り込んだ場面だけだった。

由梨は投稿の最後に、こう書いていた。

【藤田社長は、お子さんに必要な治療費であれば、すべて負担する意思があります。それにもかかわらず、あずささんは支出の管理を拒み、現金を直接渡すよう要求しています。さらには結婚指輪を売却し、病気のお子さんまで利用して、藤田社長に罪悪感を抱かせようとしているのです】

コメント欄は、すっかり炎上していた。

【子どもまで利用して同情を引こうとするなんて、最低】

【こんな親に育てられる子どももかわいそう】

病院名だけでなく、病棟や病室まで特定されていた。

配信機材を抱えた人たちが次々と押しかけ、まるで見世物でも眺めるように、私たちのいる病室を覗き込んでいる。

私は看護師に頼んで警察を呼んでもらった。けれど、人の波はなかなか収まらない。

そのうちの一人が、奈々美の前にスマホを突きつけた。

「ねえ、お嬢ちゃん、君のママに、病気のふりをしてパパからお金をもらおうって言われたの?」

奈々美が怯えて、私の胸へ身体を縮める。

私はすぐに奈々美の顔を手で覆った。

「この子はまだ5歳ですよ。カメラを向けないで!」

ところが、その男は引き下がるどころか、ますます近づいてくる。

「何をそんなに慌ててるの?子どもを利用して同情を引くようなことをしておいて、本人に本当のことを知られるのが怖いのか?」

「ママは嘘をついてない!」

奈々美が突然、私の腕の中から飛び出した。小さな身体を広げ、私の前に立ちはだかる。

「ママは嘘つきじゃない!ママはね、奈々美のお薬を買うために、毎日ご飯を1回しか食べてないんだから!」

人々の声が、ぴたりと止まった。ほんの数秒ほど、廊下が静まり返る。

けれど、すぐに別の誰かがスマホを掲げた。

「まだ5歳なのに、平然と嘘をつくようになっては、さすがに可哀想だよ」

奈々美の身体が、怒りと恐怖で小刻みに震えた。

そして次の瞬間、鼻から、突然鮮血が溢れ出した。

小さな身体が、ゆっくりと後ろへ倒れていく。

モニターが、けたたましい警告音を響かせた。

医師が駆けつけ、病室にいた人たちを全員外へ追い出した。奈々美はそのまま救急処置室へ運ばれていった。

私はその場にしゃがみ込み、奈々美の血で真っ赤になった手を見つめていた。

指先からこぼれた血が、一滴、また一滴と床のタイルに落ちていく。

医師の話では、強い刺激を受けたことで、血液凝固の働きが急激に弱くなっているという。

このままでは、いつ内臓から出血してもおかしくない。

私は赤く灯った手術中のランプを見つめながら、裕翔に電話をかけた。再会してから、私から連絡するのは初めてだった。

裕翔はすぐに電話に出た。

「……やっと頼る気になったのか?」

声が震えそうになるのを、必死に堪える。

「ネットに出回っている動画、奈々美の顔もカルテも映ってる。今すぐ削除させて」

裕翔は数秒、黙った。

「用はそれだけ?」

「はい、お金はいらない。私のことも、庇ってくれなくていい。ただ、奈々美を守って」

「分かった」

返事は驚くほどあっさりしていた。

けれど、次の瞬間。

スマホから、ファイルの受信を知らせる音が鳴った。

送られてきたのは、例の治療費に関する合意書だった。

「サインしろ。これから奈々美の治療費は、藤田家から病院へ直接支払う。ネットの騒ぎも、俺のほうで抑えさせる」

私は送られてきた書類を見つめた。

「奈々美の動画を削除することと、私がこの書類にサインすることに、何の関係があるの?」

裕翔の声が冷たくなる。

「お前が騒ぎを大きくしたのは、昔のように、自由に使える金を俺から引き出すためだろ?あずさ、奈々美のことなら責任を持って面倒を見る。でも、お前をこれ以上甘やかすつもりはない」

「裕翔。あなたの娘が今、生死の境をさまよってるのよ?こんなことを言ってる場合じゃないでしょ?」

「俺は、穏便な解決策を提示してるだけだ。本当に奈々美のことを思ってるなら、意地を張らずに、こっちの提案を受け入れるべきだ」

私はスマホを握りしめた。指先が白くなるほど、強く。

裕翔には、いつだって自分だけの常識と正義を持っている。

私が頼れば、裕翔に屈したことになる。頼らなければ、娘を利用して金をせびることになる。

何をしても、裕翔の中では私は――欲深い元妻だ。

「……サインしない」

それだけ告げて、私は電話を切った。

その後、ネットに出回っている動画や誹謗中傷の投稿をすべて保存し、弁護士に渡して証拠として確保してもらった。

1時間後、奈々美の容体は、ひとまず安定した。

隣県の公立病院にもその知らせが届き、予定を早めて救急搬送車を手配してくれることになった。

「娘さんをこのままここに置いておくのは危険です」

病院の担当者はそう言った。

「搬送車は今夜こちらに到着します。転院の手続きも済んでいますから、いつでも出られます」

午前3時、私は奈々美を抱き上げ、救急車に乗り込んだ。

誰にも別れを告げることなく、そのまま、病院をあとにした。

……

救急車が市街地を離れていく頃も、裕翔はまだ執務室にいた。

机の上には、あずさの署名を待つ書類が置かれている。

由梨がコーヒーを運んできた。

「次の治療費が発生すれば、あの人もさすがに折ってくれますよ」

その声には、何の不安もなかった。

裕翔も小さく頷く。

400万円すら用意できなかった人が、藤田家から治療費を出してもらえるという条件を、本気で拒み続けられるはずがない。

そう思っていた。

翌日、藤田グループでは、子どもの医療支援を目的としたチャリティー配信が行われていた。

由梨はあの高価なドレスに身を包み、裕翔の隣に立っている。

司会者が笑顔で問いかけた。

「藤田さん。慈善活動で最も大切にすべきことは、何だとお考えですか?」

裕翔が答えるより先に、由梨が口を開いた。

「善意にも、節度は必要だと思います。私たちは、本当に助けを必要としている方にはできる限り手を差し伸べたいと思っています。でも、かわいそうだからといって、相手の要求を何でも受け入れるつもりはありません」

その言葉をきっかけに、コメント欄にあずさと奈々美の名前が流れ始めた。

【病気の子どもを連れて藤田さんに金をせびってた元妻、あの書類にはもうサインしたの?】

【まさか、子どもを利用して社長に復縁を迫ってるんじゃないだろうな】

由梨は裕翔をちらりと見て、自信ありげに微笑んだ。

「あずささんは、少し意地を張っているだけです。お子さんのためにも、すぐに社長の支援を受け入れるはずです」

裕翔も、それを否定しなかった。

すでに受付には指示を出してある。あずさが現れたら、すぐに自分のところへ通すように。

もしあずさが折れて頭を下げるのなら、ここ数日の騒ぎについては、咎めるつもりもなかった。

ただし、治療費の管理は相変わらず由梨に任せたい。

子どもを利用して自分を思い通りに動かそうとしても、無駄だと分からせる必要があるのだ。

配信が途中まで進んだ頃、コメントが、突然、増えていった。

【森下あずさが声明を出してるぞ!】

【5年前の手術記録と銀行の取引明細を公開してる!】

【あの遠藤由梨って人……怪しくない?】

裕翔は眉をひそめ、隣の由梨を見る。その顔から、さっと血の気が引いていた。

コメントはさらに勢いを増し、同じフレーズが連投されていく。

【森下あずさは1万円しかもらっていなかった】

裕翔はすぐにスタッフへ合図した。

「配信を止めろ」

そしてスマホを取り上げ、投稿された声明を開く。

添えられた1枚目の画像は、振込記録のスクリーンショットだった。

5年前、由梨からあずさへ1万円が振り込まれている。

振込名義の横に記されたメッセージ欄には、たった数文字だけが残されていた。

【中絶費用】

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