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第1047話

Author: 金招き
由美の視線は一瞬だけ揺れ、その後、静かに沈んでいった。

「……私が、誰にも連絡しないでって、頼んでたのに……それでも……結局、連絡したのね」

その声は、かすかで、とても弱々しかった。

そして香織も、感情を表に出さないようにしていた。

──由美がこんな状態なのだ。

自分まで苦悩を見せたら、由美はなおさら安心して治療を受けられなくなるだろう。

香織はベッドの縁に座り、由美の手を握った。

その手の甲には無数の注射痕が残り、青紫色の痣が点々と広がっていた。

香織は、力を入れるのさえためらわれた。

少しでも強く握れば、痛めてしまいそうで——

香織は俯いたまま、由美の視線を避けて言った。

「連絡してくれなかったのは、ひとりで我慢しようとしてたの……?」

由美は唇をほんのわずか動かした。

「ただ……心配をかけたくなかっただけ」

その言葉に、香織の感情が一気にあふれた。

「こんな姿になってまで、私の心配を気にするの?」

由美が返す前に、香織は言葉を続けた。

「もう伝えてあるわ。あなたを連れていくって。医者を探して治療を受けるのよ。私の知り合いの医者はたくさんいる。きっと治せるから...」

「結構よ」由美は淡々とした調子で言った。

「自分の状況は分かっている。それに……体は治せても、心まで治せる?心が死んでしまったのに、体だけ生きていて何になるの?」

「ばかなことを言わないで」

香織は低い声で言った。

「自分を捨ててはいけない。まだ子供がいるわ」

「子供……」

由美の瞳に一瞬だけ光が宿った。

そしてすぐに消えた。

──この姿では、子供を怖がらせてしまうだろう。

母親として、どうやって向き合えばいいの?

「私のことは放っておいて」

由美は決然と言った。

「私は、ここから出るつもりはないわ」

「本気で……死にたいの?」

香織の声が震えた。

「ええ、本気よ」

由美はまっすぐに答えた。

香織は、涙を堪えながら必死に訴えた。

「どんな姿になっても、あなたはあの子のお母さんなの。あなたがいなくなったら、その子は『母親のいない子』になってしまうのよ。たとえお父さんがいても、お母さんのいない子どもがどれほど寂しいか……それは一生の傷になるわ。

約束するわ。必ず治してみせる。たとえ元の顔と違っても、きっと美しく治せるから」

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