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第984話

Author: 金招き
「そうだな……」

明雄も赤ん坊を見つめながら、ぽつりと呟いた。

――この子は、将来きっと、由美に似た女の子になるだろう。

情に厚く、義理堅い。

一度誰かを好きになれば、命すら惜しまないような――

そんな人間を、どうして愛さずにいられようか。

憲一はため息をついた。

「結局……お前の方が、俺よりずっと幸せだな」

明雄は、否定しなかった。

憲一は、赤ん坊を名残惜しそうに抱いたまま、そっと明雄に手渡した。

どんなに手放したくなくても、自分にはこの子を連れて帰る資格がなかった。

彼はポケットから一枚のカードを取り出した。

「この子のために……」

自分にできることといえば、せめて金銭的な援助くらい。

明雄は、そのカードを断らなかった。

これは憲一が子供に贈るものだ。

それを拒む理由も、権利も自分にはない。

受け取ったお金は、その子の名義で貯金しよう。

大きくなったら、すべてを話して渡すつもりだ。

選ぶのは彼女自身。

自分の実の父親を知る権利も、人生をどう歩むかも、彼女の自由だ。

明雄の自然体で寛大な態度に、憲一は心から敬意を抱いた。

憲一は、心から感服した。

「……そういえば、一杯おごるって言ってたよな?」

憲一は言った。

少しでも酔わなければ、この胸の妬みを押し殺せそうにない。

明雄はうなずき、赤ん坊を再び抱えて帰宅した。

由美は部屋で彼を待っていた。

「珠ちゃんを頼むな。ちょっと外してくる」

由美は静かにうなずいた。

……

明雄は憲一を近くの屋台に連れて行った。

「……こういうとこ、慣れてないだろ?」

明雄の生活に高級店など縁がない。

彼の生活は質素そのものだ。

ごく普通の庶民の暮らし。

シンプルで、平凡な。

憲一は彼をじっと見つめ、ふっと笑った。

「慣れてないわけないさ。……むしろ、羨ましいくらいだよ」

明雄は、幸せそうな笑顔を浮かべながらも言った。

「羨ましがるようなもんじゃないさ」

「うそつけ」

憲一は彼に酒を注いで笑った。

「はい、罰として一杯な」

酒は大したものじゃない。ちょっとの酒だった。

明雄は気にせず、ぐいっと一気に飲み干した。

明雄がグラスを仰いで酒を飲んでいるとき――

憲一の視線が、彼の首元にふと留まった。

鎖骨に近い位置、シャツの襟元からのぞく赤い痕跡。

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