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第4話

Author: 緋色の追憶
玲子は、侵入者としてどう振る舞うべきかを熟知しているようだ。

彼女は強引ではないが、その脆さは決して哀願ではなく、むしろ言葉ではなく、効率的な指令のようだ。

彼女がわずかに不安や欲求を見せただけで、涼太は最優先のプログラムが起動するかのように、すぐに無条件に満たし、慰めようとする。言葉で求める必要さえない。

夜、彼女がほんの少し寝返りを打ってため息をつくだけで、あるいは暗闇をじっと見つめる横顔を見せるだけで、涼太は晴美のそばから静かに起き上がり、リビングのソファで夜更しをしたり、気にかけて主寝室の扉の外でしばらく見守ったりすることもあった。

彼が晴美にこう説明している――「玲子は警戒心が強く、眠りが浅い。少しの物音でも目を覚ましてしまうんだ。俺が少し離れていれば、彼女はもう少しよく眠れるかもしれない」

まるで彼の存在そのものが、玲子の睡眠の質を守るためにあるかのようだ。

食卓では、涼太の視線はいつも無意識のうちに玲子の器へと向かってしまう。

彼女がある料理を一口多く取れば、次の食事では必ず彼女の手元にその料理が置かれる。

もし彼女が箸を数回動かしただけで置き、眉をひそめて「食欲ないわ」と呟けば、涼太はすぐに自分の茶碗を置き、反射的に「何か別のものが食べたい?俺が作るよ」と声をかける。

その声に滲む気遣いと焦りは、晴美が長い間耳にしていなかったものだ。

晴美の目の前のご飯が冷めているかどうか、つわりで青ざめて、少しでも食欲をそそる果物が必要かどうか、彼にはまるで見えていないようだ。

彼はついには、玲子の必要とするものを「予測」し始めた。

ある日、玲子がただ自分の乾いた手の甲を撫でながら、「ここの空気は本当に乾燥しているわね」と小さくつぶやいた。すると翌日、涼太は外国のマイナーブランドの高価な保湿スキンケア一式を持ち帰った。それはまさに玲子が以前から愛用していたブランドだ。

彼はそれを主寝室のバスルームに置き、「ここの気候、合わないみたいだね。これを使ってみたら」と玲子に言った。

一方で、晴美が常用していて、もうすぐなくなりそうな洗顔クリームには、彼はまったく気づいていない。

玲子へのこの従順さはごく細やかなものだが、しかし全面的なものだ。

玲子は決して声高に主張したりはしない。しかし、家の隅々にまで空気のように浸透している。そして、彼が本当に気にかけているのは誰か、そして、無意識のうちに真っ先に反応してしまうのは、いったい誰の願いなのかを、はっきりと物語っている。

晴美はまるで透明人間のように、かつて自分のものであったこの家の中を漂っている。

腰や背中の傷の痛みがまだ消えず、妊娠の初期症状も現れ始めている。吐き気と倦怠感に襲われながら、彼女はただ黙って、すべてを見つめている。

だが、涼太の視線が彼女に向けられることはほとんどない。

彼の注意力のすべては、玲子が放つ無形の引力に強く引きつけられ、条件反射にも似た深い服従と注目へと変質していくようだ。

コメント欄は相変わらず活発だが、その風向きにはかすかな変化が見え始めている。

【このヒーロー……マインドコントロールでもされてる?脇役がチラッと見ただけで、もうさっさと行っちゃうよ】

【これは必要だからじゃない、服従だ!まぎれもない服従だわ!】

【見ててイライラが止まらない。ヒロインが完全に背景の一部みたいだ】

【でも脇役、本当に危険な状況なんじゃ……?ヒーローの心配、演技じゃないよね】

【危険も何もないわよ!ヒーローをあんなに自然に操ってる様子見てよ!これはもう習慣、第二の天性だわ!】

晴美は、コメント欄の内容にはもう麻痺している。

何を言われても、もはや心の中に大きな波を立てることはない。

そんなある日の午後、彼女は書斎で古い物を整理している。母が残した他の品がないか探してみようと思ったのだ。

何気なく涼太の机の一番下の引き出しを開けると、そこはかつて彼の「過去」の品々が入っている場所で、彼は決して晴美に触れさせようとはしない。

引き出しの中はかなり空になっているが、隅に黒くて小さな金属製の装置がひっそりと横たわっている。それは改造されたGPSの位置情報装置のようで、緊急通報ボタンが付いている。

晴美はそれに見覚えがある。

それは、涼太が過去を断ち切った後、自ら手を加えた最初の「防犯装置」だ。

彼はそれを、「過去との決別を意味し、新たな人生を歩む普通の人間としての安心感の象徴だ」と言っていた。

結婚して間もなく、彼はそれを慎重に彼女の手に渡し、「晴美、これを君に預ける。俺のすべての安全は、これから君に託す」と言った。

そのとき彼女は、彼が少し神経質すぎると笑ったが、それでも大切に受け取り、寝室の引き出しの奥にしまっておいた。

彼女はまさか本当にそれを使うことになるとは思っていなかった。しかし、それは一つの象徴だった。彼が一切を隠すことなく、全てを差し出したことの。

だが今、なぜそれがここにあるのだろう?しかも……電池ボックスが開いており、中には電池がなかった。

嫌な予感がして、背筋が凍り付く。

晴美ははっと身を起こすと、主寝室の入り口へと歩み寄った。

玲子はベッドのヘッドボードにもたれかかり、本を読んでいる。その傍らにあるナイトテーブルの上には、黒い位置情報装置が置かれ、インジケーターランプがかすかに緑色に点滅している。

ちょうどその時、涼太が水と薬を手にして部屋に入ってきた。その動作には全く淀みがなく、慣れきった自然な仕草だった。

彼は玲子にコップを差し出し、その後で位置情報装置を手に取り、インジケーターを慎重に確認した。そしてストラップの長さを少し調整すると、まるで日課をこなすかのようにごく自然な仕草で、それを玲子の首にそっとかけた。

彼の指先は、ストラップが髪に絡まないようにと、彼女の長い髪を気遣うように整えてやった。

玲子はほんの少し顎を上げ、彼の動作をしやすくしただけで、顔には驚きも感謝も浮かばず、まるでそれが当然のことのようだ。

彼女は彼の方を見ず、視線をまだ本のページに向けたまま、かすかにうなずいた。

涼太はその一連の動作を終えると、ようやく安堵の息をついた。まるで重大な任務を果たしたかのように。

彼女の掛け布団の端を整え、小さな声で「ゆっくり休んで、心配しないで」と言った。

晴美は扉の外に立ち尽くし、全身の血が凍りついたように感じる。

彼女は音を立てないようにそっと扉を閉める。

さっきの光景は氷の錐のように、まっすぐ彼女の心臓を貫いた。

それは願いでも要求でもない。ただごく自然な流れで、当然のように与えて、そして従ったのだ。

晴美に一言さえも尋ねず、この物がもともと誰のもので、何を意味していたのかを思い出そうともしなかった。

彼の頭の中の優先順位では、玲子の安全を守ることが、もう考えるまでもない本能になっており、晴美の感情や権利は、まるで上書きされるようにして忘れ去られていた。
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