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第三十四話

Autor: 麻木香豆
last update Fecha de publicación: 2026-08-20 14:45:57

神社を後にして、二人はバスに乗った。

駅前まで戻ったら、どこかで昼食を取りながら、互いにどんなお守りを買ったのか見せ合おうという話になっていた。

ところが、しばらくすると圭が膝の上の鞄を開け、何やらガサガサと探り始めた。

「どうしたんだい? 何か探し物か?」

「うん……エコバッグがあったはずなんだけど……」

「エコバッグなら、なくても僕の鞄に入れればいいだろ」

「……お願いします」

そう答えたものの、圭はまだ鞄の中を探している。

海斗がその様子を見て、ふと思い当たった。

「そのエコバッグって、まさか僕がお土産であげたやつかな」

「そうです」

圭は探しながら答える。

「気に入ってたんですけど……昨日、浴場に行く時にも使ったんですよね」

「使ってたんだ、と思ったよ」

「そりゃ、もちろんです」

圭が少し笑った。

そのエコバッグは、圭が行った断捨離の中でも残したものの一つだった。

学生時代。

海斗が圭に土産として渡したものだ。

丈夫で使いやすく、何年使ってもなかなか傷まなかった。たくさん持っていたエコバッグの中でも、特に長く使い続け
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  • 捨てたはずの恋人が今さら執着してきますが、僕は自分の道を描く   第五十四話

     渉はうつ伏せになった。 けれど、胸の奥で激しく鳴っている心臓は、なかなか落ち着いてくれなかった。 身体の内側まで熱を持っているような感覚がする。呼吸を整えようとして、ゆっくり息を吸う。そしてふぅ、と吐く。 それでも鼓動は耳のすぐそばで鳴っているように大きく感じられた。止まらない、激しい鼓動が。 そして、その熱を感じているのは渉だけではなかった。 背中越しに、宙の体温が伝わってくる。すぐ近くにいる。 その事実を意識するだけで、また心臓が大きく跳ねた。 渉は目を閉じた。 久しぶりだった。こんなふうに、人の温もりに包まれるのは。 東京へ出てきてから、ずっと一人だった。 大学でも、サークルでも、バイトでも、それなりに人と話してきた。 それでも、自分の弱さを預けられるような場所はなかった。 だからなのかもしれない。 今になって、堪えていたものが一気に込み上げてきた。 目の端から、涙がこぼれる。「……」 頬を伝って落ちた涙が、シーツに小さな跡を残した。「大丈夫かい?」 渉は答えようとした。けれど、声が出てこない。 何が大丈夫なのか、自分でも分からなかった。 苦しいわけではない。怖いわけでもない。 ただ、今まで張り詰めていたものが、少しずつほどけていく。 その感覚に、自分自身が戸惑っていた。 しばらくしてから、渉は小さく頷いた。「……はい」 ようやく、それだけを返す。声は少し震えていた。それでも息はできる。 さっきまで速かった心臓の鼓動も、少しずつ普段の速さへ戻っていく。 大丈夫。 そう自分に言い聞かせるように、もう一度ゆっくり息を吐いた。 すると、宙の手が渉の手を探すように伸びてきた。 指先が触れる。そして、そのまま手を握られた。「……っ」 途端に、また鼓動が速くなる。 さっきまで落ち着きかけていたはずなのに。胸の奥が大きく跳ねる。渉は握られた手を見つめた。 その手の温かさが、妙に鮮明だった。 宙は何も言わない。ただ、手を握っている。その温もりを感じながら、渉は目を閉じた。 まだまだ……。 まるで、身体のほうがそう告げているかのようだった。 まだ、完全には落ち着けない。まだ、この温もりに慣れるには時間が必要なのだと。 それでも渉は、その手を振りほどかなかった。ゆっくりと渉は仰向けになり宙と目を合わ

  • 捨てたはずの恋人が今さら執着してきますが、僕は自分の道を描く   第五十三話

    「ああっ……」 広いベッドの上に、渉は乾き切っていない身体をうつ伏せに押し倒された。 まだ浴室の温もりが身体の芯に残っている。 髪の先からは、わずかに水滴が落ちていた。首筋や肩にもまだ湿り気が残り、シーツに触れた肌がひやりとする。 その上から宙が覆い被さる。温かい。 身体と身体の距離が近くなり、渉は思わず息を止めた。 身体がベッドに沈む。 その瞬間、ふわりと甘酸っぱい香りが立ち上った。 自分の身体からも、同じ香りがする。 渉は少しだけ顔を横に向け、自分の腕に鼻を近づけた。「……」 知らない香りだった。甘いけれど、ただ甘いだけではない。 どこか爽やかで、それでいて肌に残るような柔らかさがある。 香水のようでもあり、石鹸のようでもある。 渉が今まで使ってきた安い石鹸とは、明らかに違った。 自分からこんな匂いがする。 その事実が、妙に現実感を失わせていた。 シーツにも、その香りが残っている。ふっと鼻先をくすぐる。 それだけで、さっきまでいた浴室の光景が鮮明に蘇ってきた。 宙の浴室は、渉がこれまで使ってきたものとは何もかも違っていた。 広いバスタブ。 身体を伸ばしても余裕のあるほどの大きさ。 そして、浴室全体を満たしていた高級な香水のような香り。 渉は最初、落ち着かなかった。 こんな場所に自分がいることそのものが場違いに思えた。 けれど宙は、そんな渉を急かさなかった。 バスタブの中で、渉の身体を丁寧に洗ってくれた。泡を立てて、ゆっくりと。肩から腕へ。 背中へ……そして……疲れて力の抜けた身体を労わるように。 渉は、されるがままになっていた。恥ずかしさはあった。 けれど、それ以上に不思議な感覚だった。 誰かにこんなふうに世話をされることなんて、ほとんどなかったからだ。 いつもならシャワーだけで済ませている。 だから、身体を洗ってそれで終わり。 使っている石鹸だって、近所の店で安く買ったものだ。 香りなど気にしたこともなかった。風呂は身体を綺麗にするためのもの。 ただ、それだけだった。 けれど、この浴室にいると、それすら違って感じられる。 石鹸も。シャンプーも。浴槽も。タオルさえも。 何もかもが、自分の知っているものとは違う。そして何より、肌に残ったこの香り。 湯から上がったあとも消えず、身体を包み

  • 捨てたはずの恋人が今さら執着してきますが、僕は自分の道を描く   第五十二話

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  • 捨てたはずの恋人が今さら執着してきますが、僕は自分の道を描く   第五十一話

     あれから一ヶ月。 渉は大学の試験に追われていた。 講義に出て、ノートをまとめ、過去問を探して、空いた時間があれば図書館へ行く。 単位を落とすわけにはいかなかった。 親から仕送りをもらって大学へ通わせてもらっている以上、遊んでばかりいるわけにもいかない。 そのため、バイトにもほとんど入れなかった。 週一回。それが、この一ヶ月の渉にとって唯一のバイトの日だった。 久しぶりに店へ来た渉は、休憩時間になると賄いを食べた。「うま……」 思わず声が漏れる。久しぶりにまともな食事をした気がした。 試験期間中は食費すら惜しくなって、コンビニのおにぎりやパンで済ませる日も多かった。 それだけに、店の賄いはありがたい。 温かい料理を腹に入れると、ようやく身体の奥から力が戻ってくるようだった。「おい、例の……宙さんが来てるよ」 突然、明先輩が顔を出した。「……え?」「宙さん」 その名前を聞いた瞬間、渉の箸が止まった。 チーフもこちらを見る。 どうやら明先輩から、渉があの男から名刺をもらったことを聞いているらしい。 ……言わないでほしかった。 そう思ったが、今さらだった。こういう話は広まるのが早い。「さっき俺が水を持っていったんだけど、今日は一人だ」 明先輩がニヤニヤする。「それで、渉を呼んでくれって」「……僕を?」「おい、指名じゃんかよ」 明先輩が肘で渉の膝をぐいぐい押してくる。「いや、その……」 渉は困った。 あれから一ヶ月。 結局、宙の家には行かなかった。 連絡もしなかった。事実上、無視していたようなものだ。「何度か来ていたみたいだぞ」 チーフが言った。「……そうなんですか」「ああ」 渉は少しだけ気まずくなった。それでも、今さら逃げるわけにもいかない。 チーフは渉の肩を軽く叩いた。「まだ君は学生だ。何かいいきっかけになるかもしれない」「……」「可愛がってもらいなさい」 その言葉に押されるように、渉は立ち上がった。 制服の襟元を整える。深く息を吸う。 仕事だ。ただ、それだけだ。 そう自分に言い聞かせて、VIP席へ向かった。 ドアの前で一度だけ姿勢を正す。そして、ゆっくりと扉を開けた。「失礼します」「……ようやく会えたね」 そこには宙が一人で座っていた。 以前のように、隣に若い男はいな

  • 捨てたはずの恋人が今さら執着してきますが、僕は自分の道を描く   第五十話

    とある日のことだった。バイトの休憩時間のことである。 バックヤードの隅にある小さな喫煙スペースで、渉は煙草をくわえていた。プハーッと煙を出す。もう慣れたもんである。 もともと煙草を吸うつもりなんてなかった。吸うものではないと思った。 高校時代なら、煙草を吸っている同級生を見ても「あんなもの身体に悪いのに」と思っていたくらいだ。 けれど、大学に入って東京へ出てきてから、少しずつ考え方が変わっていった。 テニスサークルでは煙草を吸う人間が多かった。 喫煙所に集まれば、講義の情報や試験の過去問、教授の癖、飲み会の話など、いろいろな情報が飛び交う。 そこにいなければ、知らないままになることも多い。だから渉も、いつの間にか煙草を覚えていた。 ……こんな都会に馴染む。 それだけのために、身体に良くないものまで取り入れる。 上京してきた学生の中には、渉と似たようなことをしている人間も少なくなかった。 田舎にいた頃なら必要なかったもの。 でも、ここではそれが人間関係を作るためのきっかけになる。 渉も、その一人だった。もっとも、家では絶対に吸わない。そんな余裕はない。 一箱買えば、それだけで昼飯何回分かが消える。 「……高いんだよな、煙草」 渉は小さく呟きながら煙を吐いた。バイト先でも似たようなものだった。 吸う人間と吸わない人間。 完全に分かれているわけではないが、休憩時間に喫煙所へ集まるメンバーには、なんとなく独特の繋がりがある。 今夜、一緒にいるのは二つ年上の大学院生――明先輩だった。 明先輩は渉がこのバイト先で一番よく話す相手でもある。 東京育ちということもあって、渉からすると何となく垢抜けて見える。 ワンレンボブという少し独特な髪型も本人によく似合っている。 服装もおしゃれで、話し方にも妙な余裕がある。 ただ、個性もかなり強い。 渉は最初こそ少し苦手だったが、付き合ってみると面倒見のいい先輩だった。 「そういえば、明先輩」 「ん?」 渉はポケットから一枚の名刺を取り出した。 「こんなの、前にもらいまして」 「名刺?」 明先輩が覗き込む。 「この前、VIP席にいた客から」 「ああ?」 明先輩は名刺を受け取り、表と裏を確認した。 そこには

  • 捨てたはずの恋人が今さら執着してきますが、僕は自分の道を描く   第四十九話

    (VIPがこういうの頼むの、珍しいな) 少し意外に思いながら、個室の扉を開ける。 「失礼します。お待たせしました」 「おう、来たか」 中にいたのは、一人の男だった。黒のスーツ姿。 年齢は三十代くらいだろうか。 落ち着いた雰囲気を漂わせているが、すでにワインのボトルが二本、テーブルの上に並んでいた。 そして、その隣には若い男が一人。顔を赤くしていて、シャツの襟元も少し乱れている。 (もう二本開けてる……) 渉は内心で驚いた。料理もほとんど手をつけていない。 隣の若い男は酒ではなく、ソフトドリンクらしい。 「テーブルに適当に置いてくれ」 「……はい」 適当に、というのが一番困る。渉は空いている場所を探し、料理を置いた。 そのときだった。 ふと視線を向けると……二人がキスをしていた。 「……」 渉は何も思わなかった。この店には個室もある。 カップルが利用することも珍しくない。 少し親密な客がいても、いちいち気にしていたら仕事にならない。 見なかったことにして、テーブルの上の空いたグラスを確認する。 すると……。 「君」 「はい?」 「綺麗な顔してるね」 突然、スーツの男から声をかけられた。 「……ありがとうございます」 渉は営業用の笑顔を作った。ホストクラブではない。ここはあくまで飲食店だ。 客から声をかけられることはたまにあるが、余計な会話はせず仕事をする。 そう思っていた。 「もう少し、こっちを見せてくれないか」 「……はい?」 渉は仕方なく男のほうへ顔を向ける。男はじっと渉を見つめた。 隣にいた若い男が、渉を睨んでいる。 ……なんだ? 嫉妬でもしているのだろうか。 「綺麗な顔をしているな。オールバックにしても、その顔立ちが分かるとは……」 男は興味深そうに渉を見る。 「君、名前は?」 渉は胸元のネームプレートを見る。 店員のプライバシー保護のため、そこに書かれているのは一文字だけだ。 「……渉です」 「渉、か」 男は満足そうに頷いた。そして、胸ポケットから名刺を取り出した。 「俺は……こういう者でね」 差し出された名刺を、渉は受け取った。 「宙、と呼んでくれ」 「宙さん……」 名刺には、有名企業の系列グループ名

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