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第2話:カイル=ヴァルド

last update Last Updated: 2025-05-12 21:58:52

静かな部屋だった。

壁は石造りで、窓には鉄格子。

寝具は清潔だったが、軍用のそれであることはすぐに分かった。

殺風景な天井を見つめながら、リリウスはゆっくりと瞬きをした。

喉が焼けるように痛い。

声を出そうとすれば、咳が止まらなくなりそうだった。

何より、魔力の気配が自分の身体からすっぽり抜け落ちている。

──まだ、封じられている。

思考だけが妙に冴えていた。

夢と現実がどこまで分離できているのかも曖昧なまま、彼は静かに横たわっていた。

やがて、扉が開いた。

革のブーツが床を叩く音。

視界の隅に、黒の外套と鋭い輪郭が映る。

男が立っていた。

黒い髪に、金の瞳。

魔法灯の白光を受けながらも、どこか温度を感じさせない色彩だった。

軍服の上から羽織られた外套には、見たこともない金糸の紋章が縫い取られている。

息を呑む。

あの時、雪の中で自分を拾った、あの男──

ただの軍人ではない。命を指揮する者の気配があった。

「目は覚めたか」

男はそう言いながら、無遠慮に椅子を引き、ベッドの脇に腰を下ろした。

リリウスは声を返さなかった。返せなかった。

喉の痛みもあるが、何より“言葉”というものに価値を感じていなかった。

男は構わず続けた。

「ここはヴァルド連邦。俺はカイル=ヴァルド。……軍の人間だ」

その名を聞いた瞬間、リリウスの睫毛がわずかに震えた。

──カイル=ヴァルド。

ヴァルド連邦第一軍管区総帥、“沈黙の王”と呼ばれる男。

アルヴァレスであれ、クラウディアであれ、その名を知らぬものはいないだろう。

(……馬鹿な、そんな男がなぜアルヴァレスの近くに……)

けれど、リリウスは表情を変えなかった。

ただ、ゆっくりと目を伏せ、体の奥にある疑念を呑み込んだ。

「……僕、は……」

「リリウス=クラウディアだろう?ああ、婚姻してリリウス=アルヴァレスか。クラウディア王国の王子にして、アルヴァレスの王子妃」

(……まさか、そこまで把握しているとは……いや、指輪を見れば、誰でも気づくか)

目を落とした左手には、王子妃の証である指輪が光っていた。

おそらく、捨てられる際に外し忘れられたのだろう。

もはや自分でも、その存在すら意識していなかった。

リリウスは、ゆっくりと一つ息を吐く。

カイルは懐から何かの紙片を取り出し、ベッドに放り投げた。

「お前に番の刻印があることは確認済みだ。だが、契約はもう無効らしいな。アルヴァレス王国から“行方不明”と報告があった」

紙片には、簡素な調書が記されていた。

内容は──“外交任務中の王族Ω、逃亡の疑い”という一文。

「は……?」

その文字にリリウスは思わず声をあげた。

カイルは嘲るように鼻を鳴らした。

「都合のいい話だ。捨てておいて、今さら体裁を保つための嘘を垂れ流している」

カイルはそう言いながら、ベッドの上のリリウスを見下ろした。

その瞳には興味も同情もない。ただ、“値打ちを測る”目をしていた。

リリウスは何も返さない。

喉の奥で、魔力とは無関係な静けさだけがうごめいていた。

「契約も番も、俺には関係ない。ただ……利用できるなら、それでいい。さて、お前に利用価値はどれだけある?」

カイルはそのまま、リリウスから視線を外さなかった。

睨むでもなく、見下すでもなく──ただ、天秤にかけるような眼だった。

今度の声は、先ほどよりも淡々としていた。

まるで、既に結論が出ているかのような口調で。

リリウスの睫毛がわずかに揺れた。

ベッドの上から、ゆっくりとカイルの顔を見上げる。

「……あなたも、同じか」

声はかすれていたが、明確な言葉だった。

沈黙を打ち破るように、重たく静かな音で。

カイルの目が、わずかに細められる。

その視線は、リリウスの言葉ではなく“目”を見ていた。

──値踏みするような視線。

「同じかどうかは、お前がこれから証明することだ」

カイルはそう言い残し、椅子を戻して立ち上がった。

その背中に、リリウスは何も返さなかった。

ただ、天井を見つめたまま、指先をゆっくりと握りしめる。

感覚の戻らない掌に、わずかに残った体温だけが滲んでいた。

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