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旅立ち②

Author: rinsan
last update publish date: 2026-06-09 09:36:11

梅鈴は、数えで十七の春を迎えていた。

同じ年頃の娘たちは髪を結い、花のように色鮮やかな衣をまとい、

簪一つにも季節の移ろいを映しては、己を飾ることに余念がない。

だが梅鈴だけは違った。朝露に濡れた畑に立ち、陽が昇れば汗にまみれ、

陽が沈めば泥を落とす暇もなく眠りに落ちる。飾り気など一つもない。簪すら持たない。

けれど彼女はそれを恥じることも、不満に思うこともなかった。

彼女の胸にある願いは、ただひとつ。

――弟・飛鵬に学問を学ばせたい。

その思いは、飢えにも寒さにも負けぬほど強く、十七の娘が抱くにはあまりに切実で、

そしてあまりに優しいものだった。

梅鈴の人生は、己を飾るためではなく、弟の未来を照らすためにあった。

その覚悟が、彼女の背筋を静かに、しかし確かに伸ばしていた。

 ある日、屋敷の廊下に甲高い鈴の音が突き刺さった。

呼ばれたと悟った梅鈴は、針仕事の手を止め、糸の揺れもそのままに駆け出した。

「お呼びでしょうか……お嬢様」

血を分けた姉妹でありながら、彼女は頭を垂れ“お嬢様”と呼ぶ。

その声音がかえって杏姐の軽蔑を誘ったのか、

杏姐は梅鈴を見下ろす目に、まるで廊下の隅に落ちた塵でも見るような冷たさを宿していた。

「こののろま。呼ばれたらすぐ来なさいって言ってるでしょう!」

叱責と同時に、杏姐の手にあった茶碗が宙を描いた。淡い茶の雫が光を弾きながら飛び散り、

次の瞬間、熱を帯びた液体が梅鈴の頭上に降りそそぐ。

「も、申し訳……ありません。お嬢様」

濡れた髪が頬に張りつき、衣の襟元を伝う滴が冷たく感じられた。

それでも梅鈴は顔を上げない。叱責も嘲りも、彼女にとっては日々の営みの一部に過ぎなかった。

短く舌打ちした杏姐は、唾を吐くような声音で命じた。

「さっさと片づけて、荷造りの準備をしなさい。出発は五日後よ」

あまりに唐突な言葉に、梅鈴は瞬きを繰り返した。

胸の奥で何かが遅れて落ちるような、理解の追いつかない感覚。

「あ、あの……お嬢様。どちらかへご旅行に……?」

問いかけた瞬間、杏姐の目が細く歪んだ。その眼差しは、愚かさを見下すというより、

もはや人として扱う価値すらないと言わんばかりの冷たさだった。

「旅行? 寝ぼけてんじゃないの。帝都よ。新皇帝の後宮に入るのよ――この私が」

杏姐の顔には、揺るぎない自信が満ちていた。

まるで未来そのものが、彼女の美貌にひれ伏すと信じて疑わぬように。

「私ほど美しければ、必ず皇帝の御目に留まるはずよ。――あんたも、そう思うでしょう?」

その声音には確信しかなく、問いかけというより宣告に近かった。

梅鈴は胸の奥に小さな痛みを覚えながらも、逆らう術を持たない。

「は、はい……。では、すぐに支度を整えます」

深く頭を下げ、部屋を辞そうとしたその背に、杏姐の声が鋭く追いすがる。

「――あ、そうだわ。出発までに新しい着物を一着縫い上げておきなさい。

帝都へ行くのに、みすぼらしい格好で向かうわけにはいかないもの」

その言葉は、命令というより、当然の権利を告げるような響きを帯びていた。

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