Chapter: 第20話 ミアとエレノア◆◆◆◆◆(一週間後 地下使用人休憩室)「おかしいわ……」ミアはスープの表面をスプーンでかき混ぜながら、小声で呟いた。セドリックから、ヴィオレットが娘を女当主にすることを諦めたと聞いた。なのに、一週間経っても彼女が実家に帰る気配はない。――悔し泣きする姿が見られると思ったのに……どういうこと?自分がいまだに地下の使用人休憩室で食事を取らされている状況にも、ミアは憤っていた。セドリックに自室で食べたいと頼んだミアだが、「検討しておこう」と返され、その後何の変化もない。清潔に整えられているとはいえ、地下の休憩室は質素で地味だ。特に夜は燭台の明かりだけが頼りで、上階の煌びやかな部屋とは比べ物にならない。「貧乏くさくて、食事も不味く感じるわ……」パンをちぎり、豆と鶏肉のスープに浸して口に運ぶ。周囲では使用人たちが談笑しながら食事をしているが、ミアは彼らと仲良くするつもりはなかった。一人で黙々と食べる食事は味気なく、早くこの場を離れルイの部屋に戻りたいとミアは強く思う。「ミアさん、少しお時間いいですか?」不意にかけられた声に、ミアは顔を上げた。声の主はリリアーナの侍女、エレノア・グレイウッドだった。「エレノアさん? どうしたの?」彼女は他の使用人たちよりも礼儀正しく、ミアに対して親切だった。ヴィオレットがいなくなれば、自分専属の侍女にしてやろうと考えるほどには気に入っている。「実は人手が足りなくて、食料庫の整頓を手伝ってほしいんです」「はぁ? どうして乳母の私が、食料庫の整頓なんてしなきゃならないの? あれは厨房担当の使用人の仕事でしょう」――こんなことを頼むなんて、エレノアを私の侍女にする計画はなしね!「そんなに怒らないでください。ミアさんもご存じでしょう? 今、使用人たちの間で風邪が流行っていること」「知ってるけど、それが何?」「その風邪で、厨房の助手が熱を出して寝込んでいるんです。今朝配達された食品が整頓されないままなのだそうで、皆困っているの」「それは私には関係ないわ」冷たく言い放つミアに、エレノアは困ったように肩をすくめ、苦笑した。「私も侍女ですし、正直気乗りはしません。でも、これはジェフリーさんの指示です。ミアさんも一緒に手伝ってほしい、と」――またジェフリー。ほんと嫌な男。「やりたくないわ。まだ食事中だし」「
Last Updated: 2025-05-19
Chapter: 第19話 おやつパーティー◆◆◆◆◆ルイの部屋を出ると、廊下にはミア・グリーンが立っていた。ヴィオレットがふと目を向けると、ミアと一瞬視線が交わった。次の瞬間、彼女は何も言わずヴィオレットの横をすり抜けると、無言のまま部屋の扉を開けた。「ミア、奥様にご挨拶をしなさい!」執事のジェフリーが声をかけるが、ミアは振り返ることなく扉の向こうに消えていった。「いいのよ、ジェフリー。子が泣いていては気もそぞろになるものだわ」ヴィオレットが穏やかにそう告げると、ジェフリーは申し訳なさそうに頭を下げた。「申し訳ございません、奥様」「しばらく二人きりにしてあげてね」「承知しました」ジェフリーに指示を与えた後、ヴィオレットは廊下の隅に立つリリアーナの方へ歩み寄った。「リリアーナ、今夜は一緒の部屋で過ごしましょうか?」その言葉に、リリアーナは少し驚いたように顔を上げたが、すぐに俯いてしまった。「どうしたの?」ヴィオレットが優しく尋ねると、リリアーナは小さな声で答える。「母上、怒ってる?」リリアーナの言葉にヴィオレットの心が痛んだ。そっと娘の頬に手を添えながら、ヴィオレットは微笑んで答える。「怒ってなんていないわ」「でも……がっかりさせちゃったでしょ?」「驚いたのは確かだけれど、がっかりなんてしていない」「本当に?」
Last Updated: 2025-05-13
Chapter: 第18話 当主はルイに◆◆◆◆◆「当主はルイでいいよ。」リリアーナが発した言葉にヴィオレットは驚き、娘の名を呼んだ。「リリアーナ?」リリアーナは唇をぎゅっと噛みしめ、視線を下に向けながらゆっくりと言葉を紡いだ。「母上、私…女当主になりたいと思ったことない。ルイがいるからもうならなくていい?私を嫌わない?」その告白にヴィオレットは唖然とし、娘を見つめたまま言葉を失った。二人の様子を見ていたセドリックの心に、冷たい愉悦が広がる。――お前は娘のことを何も分かっていなかったな、ヴィオレット。そんなセドリックの心に気づかぬまま、ヴィオレットは娘に問いかけた。「……リリアーナはアシュフォード家を継ぎたくはないの?」「母上…ごめんなさい」「どうして、リリアーナ?」リリアーナはその質問に答える代わりに『ごめんなさい』を繰り返し、泣き出してしまった。ヴィオレットはそれ以上追及するのをやめ、娘をそっと抱き寄せる。「リリアーナ、私は貴女を苦しめていたのね…ごめんなさい」「母上…」ヴィオレットはリリアーナの背中を優しく撫で、リリアーナは涙を拭いながら母にしがみついた。その光景を見つめていたセドリックは、冷たい声で言葉を投げかけた。「残念だったな、ヴィオレット。」その一言にヴィオレットはハッとして、セドリックを見上げた。「あなた……」セドリックはさらに続ける。「女当主への道が絶たれたのはこれで二度目だな、ヴィオレット。」「…っ、」ヴィオレットは息を詰め、言葉を失った。セドリックの言葉は容赦なく、過去の傷を抉るようだった。「一度目はお前自身だ。旧法では女性には爵位継承の権利がなく、お前はルーベンス家を継ぐことを許されなかった。そのため、親族の話し合いで、従兄弟のアルフォンスが後継者として迎えられることになった。」セドリックは、感情を感じさせない声で続ける。「イザベラ様は、お前が女性初の爵位継承者になることを誰よりも望んでいた。アルフォンスを迎えた後も彼女は諦めず、父親である先代王に頼み込み、女性の爵位継承を認めさせる新法を制定させた。」ヴィオレットは唇を噛みしめ、反論しようとするが、セドリックがそれを遮った。「だが、新法制定の直後に、お前の両親は急な事故で亡くなった。先代王がこの世を去った今、お前を女当主にと望む者は誰もいない。」セドリックは一拍置いて、さら
Last Updated: 2025-05-05
Chapter: 第17話 リリアーナの本音◆◆◆◆◆セドリックはルイを腕に抱きながら、じっとヴィオレットの顔を見つめていた。その不躾な視線に気づきながらも、ヴィオレットは微笑みを浮かべ、彼の視線を受け流す。「私は子を抱くことに慣れていますよ…貴方よりも。侯爵家の物知らずの娘も、貴方のおかげで様々な経験をしましたので。さあ、私にルイを抱かせて下さい、あなた」ヴィオレットの言葉は穏やかだが、静かな反発が含まれていた。――セドリックは私を疑っている。私がルイに危害を加えるとでも思っているの?妻を信じられない夫の視線が、ヴィオレットの胸に冷たい刺のように突き刺さる。――そんなに私が信じられないの?なのに、あなたは私を繋ぎ止めようとしている。全てはお金のためよね?ヴィオレットは自分の中に渦巻く感情を押し殺しながら、セドリックに歩き寄ろうとした。「待て、ヴィオレット!」セドリックが突然声を荒げた。「私が抱いては駄目なの?なぜ?」ヴィオレットは一歩も引かない。「なぜって…アレだ」「アレ?」「ルイは慣れない大人に抱かれると泣いてしまうんだ。心臓の弱いルイには泣くことも体の負担になる。だから……」セドリックは一瞬間を置き、言葉を探すように視線をさまよわせた。「だから、一緒に子を抱こう!ヴィオレット、リリアーナ!」その言葉にヴィオレットは驚き、目を見開いた。セドリックがルイを抱いたまま膝をつき、リリアーナに手を差し伸べる。「私もいいの、父上?」
Last Updated: 2025-04-24
Chapter: 第16話 弟のルイ◆◆◆◆◆踏み台に乗ったリリアーナは、ベビーベッドの柵を両手でしっかりと握りしめ、眠る赤子を熱心に見つめていた。隣に立つヴィオレットの顔には笑顔がなく、どこか張り詰めた空気が漂っている。「赤ちゃんだ!赤ちゃん!」リリアーナが嬉しそうに大きな声をあげると、その声に驚いたようにルイが目を覚ました。だが泣き出すことはなく、小さな手を動かして周囲を見渡している。セドリックは微笑みながら娘に声をかけた。「俺にそっくりだと思わないか、リリアーナ?」リリアーナは父親の顔を見上げて、明るい声で答えた。「本当だ!父上にそっくり!」その言葉に満足したセドリックは、リリアーナの頭を優しく撫でた。リリアーナはさらに嬉しそうに笑いながら、ベビーベッドの中を覗き込んでいる。「まあ、泣かずに笑っているわ。賢い子ね。えらい、えらい」ヴィオレットはふくふくとしたルイの頬にそっと触れ、その小さな顔をじっと見つめていた。その手つきはぎこちないものの、どこか愛情が感じられるものだった。セドリックはそんな二人の様子を見ながら心の中で呟く。――俺の子供だから賢いのは当然だ。だが、女子供というものは赤ん坊や動物に弱いと聞くが、本当かもしれないな。単純な生き物だ。それでも、リリアーナが久しぶりに笑顔を見せたことは、大きな進展だとセドリックには思えた。ルイの存在が、少しずつ家族に変化をもたらしている。「母上!この子、目の色が青い!」リリアーナが新たな発見を声高に伝えると、セドリックは即座に応じた。「『この子』ではなくルイと呼びなさい。お前の弟だよ
Last Updated: 2025-04-13
Chapter: 第15話 悪党のダミアン◆◆◆◆◆裏玄関を飛び出したミアは、周囲を見回した。そして、邸の壁にもたれてタバコを吸う男の姿を見つけた。「よう、ミア」ダミアン・クレインはタバコの煙越しに不気味な笑みを浮かべている。彼女は一瞬動揺しながらも、彼に向かって駆け寄った。「ダミアン!」慌てて裏玄関の扉を閉じると、声を潜めて言った。「ここだと人に見られる」「お、見られたらまずいってか?」その挑発的な態度に、ミアは苛立ちを覚えながら彼の腕を掴んだ。「とにかく、移動して!」彼女はダミアンを引っ張り、玄関扉や窓から見えない建物の角へと急いだ。ダミアンはタバコを地面に投げ捨て靴で踏み消しながら、無言でついてきた。壁にもたれ直したダミアンが、薄笑いを浮かべながら口を開く。「で、どっちだった?」「は?」「赤ん坊だよ。俺と貴族の旦那、どっちの種だった?」突然の問いにミアは息を呑む。――なぜ今さらそんな話を……。「どっちだったんだ、ミア?」彼の執拗な視線に追い詰められるように、彼女は渋々答えた。「セドリックの子供よ」会話を早く終わらせたい――そんな焦りが言葉に滲む。「根拠は?」「根拠?」「お前、
Last Updated: 2025-04-12
Chapter: 第六十二話 揺れる食卓、交わされる決意◆◆◆◆◆夕暮れ時の柔らかな光が、食堂の高窓から差し込んでいた。重厚な木製のテーブルの上には、湯気の立つスープ、こんがりと焼かれたパン、香草でローストされた鴨肉、そして色とりどりの温野菜の煮込み料理が、所狭しと並べられている。どれも邸の料理人たちが腕をふるった品々で、香りが室内をほのかに満たしていた。使用人たちが食器を整え、静かに身を引くと、食堂には四人だけの静かな空間が残される。遥はまだ少し身体の重さを感じていたが、こうして皆と向かい合っているだけで胸がじんわりと温かくなった。自分が倒れたことを皆が気にかけてくれた。それが嬉しくて、感謝の気持ちで胸がいっぱいになる。「……いただきます」静かにそう口にすると、それに続くように他の三人の食事が始まった。「………」遥は香草の香り立つスープを静かに口に運び、ひと匙、またひと匙と黙って味わった。けれど、食べ進めるほどに胸の奥で何かが重くのしかかっていく。やがて、そっとスプーンを脇に置いた遥は、目の前の食卓に視線を落としながら、ゆっくりと口を開いた。胸の内には、ずっと伝えなければならない想いが燻っていた――。(今、言わなきゃ……このままじゃ、何も進まない)ふと手を止め、遥は深く息をつく。「……あのさ。俺、話があるんだ」唐突な言葉に、全員の手が止まり、視線が一斉に遥へと向いた。スプーンを置き、遥はまっすぐに三人を見渡した。 にぎやかだった会話が止まり、全員の視線が遥へ向けられる。「夢を見た。アーシェが出てきて……その中で、彼の兄――カイルが封印されている場所を見せられたんだ」コナリーの眉がわずかに動く。ノエルは息をのむように頷き、ルイスは言葉を飲み込んだまま、無表情を保った。「彼は言ってた。『兄を目覚めさせてくれ』って……多分、それが、アーシェの最後の願いなんだ」その言葉に、ルイスの表情が険しくなる。「……だめだ」低く落ち着いた声だったが、そこには揺るぎない拒絶の意志があった。「魔王が再び生まれる可能性がある。もし異能が暴走すれば、手がつけられない。それを目覚めさせるのは、あまりにも危険すぎる」「それでも、俺は行きたい」遥は静かに言い返した。その声には、確かな熱が宿っていた。「彼の願いを、俺は無視できない。……それに、確かめたいんだ。あの兄弟が、本当に望んでいたものが何だっ
Last Updated: 2025-05-19
Chapter: 第六十一話 導かれし封印の地◆◆◆◆◆――岩に沈む王たちの影。冷たい空気が石の間をすり抜け、刻まれた封印陣の中心に光が集まっていく。「遥……」その声に、遥はゆっくりと顔を上げた。夢の中。彼は、青白く透けたアーシェの姿を見つめていた。「この先にある。僕の兄が眠る、あの場所が……」言葉と共に視界が揺らぐ。浮かび上がったのは、広大な石造りの広間。壁には古代文字が刻まれ、床には複雑な魔法陣。高く昇る天井の奥は、薄闇の中に沈んでいる。「君が来てくれるなら、道は開かれる。……指輪が、君を導くだろう」光が揺らぎ、アーシェの姿が淡く滲んでいく。その指先に手を伸ばそうとした瞬間――霧が立ちのぼるように、彼の姿は静かにかき消えた。(……ああ、ここが……封印の地)◇◇◇「……っ」遥はまぶたを震わせ、ゆっくりと目を開けた。部屋の中には、夕暮れの光が差し込んでいた。厚いカーテンの隙間から、赤く染まった空が見える。少し肌寒い風が、頬を撫でた。すぐ隣には、金の髪。コナリーが椅子に座ったまま、眠るように目を閉じていた。けれど遥が動いたのに気づくと、すぐに瞳を開き、柔らかな笑みを浮かべる。「……目覚めて、良かった」
Last Updated: 2025-05-13
Chapter: 第六十話 揺れる想い、目覚めの兆し◆◆◆◆◆遺物が並ぶ部屋の片隅。ルイスは、ゆっくりと扉の方を振り返った。その先には、コナリーの腕に抱かれて廊下へと消えていった遥の姿。ぎゅっと胸に抱きしめられて、まるで眠るように安らいでいた。(……本当は、俺があいつを抱きとめたかったのに)そんな思いが、胸の奥にじくじくとした痛みを残す。だが、言葉にはできなかった。王族の矜持が、簡単に感情を露わにすることを許さない。「……遥を頼んだぞ、コナリー」そう口にしたのは、せめてもの誠意だった。けれど、その言葉とは裏腹に、嫉妬にも似た感情がじわじわと胸の奥を蝕んでいた。遥の視線が自分ではなく、コナリーに向けられたこと。その笑顔を、自分ではなく彼が受け止めていたこと。(あの腕に包まれて、何を思った……?)自分が入り込む隙など、最初からなかったのかもしれない――そんな無力感が、静かに心を濁らせていく。ふと足元に目をやると、革表紙の手帳が落ちていることに気づいた。(……遥が倒れたときに)しゃがみ込んで拾い上げ、指先でページをめくる。見慣れない古代語の文と図が描かれていた。「ルイス様」すぐそばで声が上がった。振り返ると、ノエルが少し身をかがめながら、遺物の石板に手を伸ばしている。それが、遥が触れて気を失った原因の石板だと気づいた瞬間、ルイスは思わず声を上げた。「やめろ、それは……!」「大丈夫です。今のところ、何も反応はありません」ノエルはおそるおそる触れながらも、指で表面の文様をなぞる。「無茶するな。まったく、怖いもの知らずだな」「よく言われます。……でも、好奇心には勝てなくて」子どもじみた笑みを浮かべながらも、ノエルの瞳は真剣だった。彼は石板に刻まれた文字を慎重に追い、声に出して読み上げる。「『異能の魂、眠りの岩に沈みて、光に還る時を待つ』……これは詩のようですね。封印の術式の一部かもしれません」ルイスは手帳を閉じ、ノエルの隣に膝をつく。「魂ごと石に沈める……過去に見た幻とも一致する。恐らく、アーシェが封じられた時にも、この術式が使われたのだろう」そのとき、ノエルが指差した。「……ここ、“聖女”の文字があります」「……聖女、だと?」ルイスは表情を強張らせながら、石板に手を伸ばした。指先が触れたその瞬間、かすかに紫がかった光がじんわりと石板から滲み出す。「……っ
Last Updated: 2025-05-05
Chapter: 第五十九話 抱きしめられて◆◆◆◆◆二人のやり取りを少し離れた場所で見守っていたルイスは、ふと視線を逸らした。「コナリー、遥を頼む。私たちはここで調査を続ける」「承知しました」「それと――」そう言いかけて、ルイスは一歩だけ近づくと、遥の頬にそっと触れた。「……体調が戻るまで、無理はするなよ。顔色が、まだ少し悪い」「……う、うん……ありがとう、ルイス……」ルイスの優しい気遣いに顔を真っ赤にしながらも、遥はコナリーの腕の中で小さく息を吐いた。◇◇◇そのまま、コナリーに抱きかかえられて部屋へと向かう。扉が閉じられ、静かな寝室に入った瞬間、空気がふわりと和らいだ。ベッドに優しく降ろされた遥は、コナリーの顔を見上げた。「……なにか、見たのですか?」コナリーの問いに、遥は思わず目を伏せた。幻で見た全てを――カイルの封印を解く方法を、自分が知っているということを、今ここで言うべきなのか。躊躇いと、恐れと、罪悪感。その狭間で言葉を選べずにいると、コナリーはそっと遥の髪を撫でた。「無理に話さなくても大丈夫ですよ、遥」その声音は柔らかく、包み込むようだった。
Last Updated: 2025-04-24
Chapter: 第五十八話 目覚めの祈り◆◆◆◆◆白の空間に戻った遥は、しばらく何も言えなかった。石化の中で眠る王と聖女の記憶。祈りによって封印が緩むよう仕組まれた術式。その真意。すべてを視た遥の隣に、アーシェが立っていた。彼の表情は、以前よりも穏やかだった。「……これが、すべての始まり。そして、僕がずっと願ってきたことでもある」「願い?」「兄を、カイルを……目覚めさせたい。ずっと、あの暗闇の中で叫んでた。誰にも届かない、ただの祈りのように」遥は視線を落とし、左手の指輪を見つめた。「君は……その祈りの声を、この指輪を通して伝えてたのか」アーシェは小さく頷く。「僕は、あの時――魔王として討たれた。でも、すべてが失われたわけじゃなかった。指輪に残された“僕”は、まだ兄に会いたいと思ってた。……王国を恨んでもいた。でも……」彼はそっと視線を遥へ向ける。「君が……あのとき、手を伸ばしてくれたから。コナリーに力を与えた、あの祈りに……優しさに、触れたから。だから、今の僕はこうして話していられる」遥はその言葉を聞きながら、胸の奥がきゅっと締めつけられるような感覚に襲われていた。「君の願いは……カイルを目覚めさせること。でも、それって……」「新たな魔王
Last Updated: 2025-04-19
Chapter: 第五十七話 祈りの果てに◆◆◆◆◆再び、記憶が動き出す。白の空間に色が流れ込み、空が、風が、大地が姿を変えていく。視界の中に現れたのは、かつて見た王都とは違う――静かで穏やかな街並みだった。人々の顔には笑みがあり、農地は実り、街には歌声が流れていた。「……これが、竜を倒した後の王国」遥の隣でアーシェがそっと頷く。「しばらくの間、すべてが平和だった。王国は潤い、民は笑い、王と聖女は並んで国を支えた……。直人の知識と、レオニスの誠実さが実を結んだ、輝きの時代だったよ」◇◇◇だが、ある日。空を吹き抜ける風が、突如として刃と化した。街を歩く人々を切り裂き、大地は亀裂を生み、幾人もの命を呑み込んでいった。「これは……何だ……?」レオニスは胸を押さえながら呻いた。魔力が制御できない。力が暴走している。王都では突発的な魔力災害が相次ぎ、人々は怯えて家に閉じこもった。「王が……あの優しかった王が……」人々のささやきは恐れと失望に満ち、やがて王宮を遠巻きにするようになる。直人は、毎日のように王の元に駆けつけた。「俺がもっと、早く気づいていれば……」
Last Updated: 2025-04-18