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第3話

Author: 長月
隆司と翔太の体は途端に強張り、凛が何の反応も示さないのを確認すると、そっと安堵の息を漏らした。

翔太は適当に返事をして通話を切り、隆司をちらりと見上げると、二人そろって箸を置いた。

隆司は食器を片付け終えると、エプロン姿の凛を抱き寄せ、親しげな口調で言った。

「じゃあ、先に息子を遠足に送ってくるよ。夜、迎えに来るのを待ってて。会社の親睦会で、家族同伴が必須なんだ」

凛は頷き、ふと振り返って何気なく尋ねた。

「あなたの同僚はみんな来るの?白石さんも……来るの?」

隆司は一瞬きょとんとし、彼女の鼻先を指で軽くかすめて、照れ隠しのように笑った。

「美月も俺の同僚で、パートナーでもあるし、もちろん来るよ。どうした、やきもちか?」

隆司は口角を上げてからかうように言いながらも、胸の奥は奇妙な満足感で満ちていた。

――凛が嫉妬してくれる、それは、彼女がまだ二人の関係を大事に思い、どこかに危機感を抱いている証だ。

一方で凛は、伏し目のまま黙り込んでおり、心中には一片の波も立っていなかった。

彼女はさりげなく隆司の腕に新しい腕時計をつけた。斬新なデザインだ。

隆司は気づいていないが、その内部には盗聴器が仕込まれている。

凛と隆司の離婚はもはや避けられず、そのためには隆司が以前から美月と不倫していた証拠を、前もって集めておく必要があった。

隆司は手首を軽く回し、嬉しげに目を細めた。

その後、彼と翔太が簡単に凛へ別れを告げると、広々とした部屋には凛ひとりが取り残された。

凛は俯いて自分の姿を一瞥し、そのままバッグをつかんでデパートへ向かった。

彼女の行動は淀みなく、夕方にはもう家に戻り、隆司の帰宅を待っていた。

部屋の明かりはついておらず、帰ってきた隆司はまだ電話を耳に当てていた。

「美月、翔太をそっちに預けられるなら安心だ。明日迎えに行くよ。ああ、それから夜の親睦会、忘れるなよ。君のあの白いワンピース、いちばん好きだ。すごく似合ってる」

ふざけた声音が途切れることなく続く中、凛が咳払いを一つすると、空気は瞬く間に氷点下まで冷え込んだ。

「どうして今頃帰ってきたの?翔太は?」

凛の問いに、険しく寄っていた隆司の眉がわずかに緩む。

彼は申し訳なさそうな声音で早足に凛へ近づき、言った。

「今夜は帰りが遅くなるかもしれないから、友達の家に泊まらせることにしたんだ」

凛は胸の内に渦巻く問いただしたい思いを抑え、苦々しい笑みを浮かべた。

「そう、わかったわ。翔太、最近私にすごく不満があるみたいだけど……理由、知ってる?」

隆司は息子の勉強には一切口出しせず、夫婦はそれぞれ「厳しいママ」と「優しいパパ」という役を演じていた。

その結果、凛は息子の中で嫌われ役となり、隆司は息子の味方という立場を得ていた。

彼の返事を待つことなく、凛は玄関へ歩き、背中越しに促した。

「早く行きましょう。遅れてしまうわ」

隆司は一瞬戸惑いを見せたが、すぐに足を速めて彼女の後に続いた。

すぐに二人はパーティー会場の入るビルの前へと着いた。凛は込み上げるような吐き気に耐えきれず、先にトイレへ駆け込んだ。

痛みがようやく引きはじめたところで外に出ると、そこで隆司と美月が口づけを交わしている場面に、真正面から鉢合わせてしまった。

周囲では、彼らの同僚たちが歓声を上げ、二人を取り囲んでいた。凛だけが何も知らず、ほかの全員はとうに二人の関係を把握していたのだ。

「隆司、そんな派手にやってさ、奥さんにバレるのが怖くないのか?」

「だよな。お前、奥さんがいない時だけ羽伸ばしてんだろ」

「美月ちゃんは俺たちのマドンナなんだから、絶対裏切んなよ」

美月は恥じらうように隆司の胸へ身を寄せながらも、穏やかな声で同僚たちをたしなめる。

「みんな、隆司さんにあんまりプレッシャーかけないで。家のことは、彼がちゃんと片づけるから」

隆司は大きな手で彼女の艶やかな髪をやさしく撫で、その目は甘さを湛えていた。

「ああ、うちの嫁は会社と金が命より大事でさ。息子にまでガチのプレッシャーで、翔太なんて、もう鬱っぽくなってるんだよ。

俺たちは幼馴染なんだけど、気がつけば仕事一辺倒の人間になっちまって……今はすっかり、ルームシェアしてる他人みたいな感じだよ」

その言葉が胸に突き刺さり、凛の瞳はみるみる赤く染まる。

雷に打たれたように、足が床に縫いとめられたかのように動かなかった。

隆司があんな表情を見せるのも、あんな言葉を口にするのも初めてだった。

心のどこかで薄々察していたことのはずなのに、現実として目にすると、その衝撃は想像の何倍も重かった。

同僚たちと軽く挨拶を交わしたあと、隆司と美月は並んでレストランの個室へ入っていく。

凛は隣のトイレに身をひそめ、個室から漏れる二人の声が完全に聞こえなくなるまでじっと耐え、そして一度も振り返らずその場を離れた。

隆司と結婚したばかりの頃、二人はまさに裸一貫のスタートだった。

凛は契約の獲得と資金集めに奔走し、会社を一歩ずつ育ててきた。

その道のりで、土下座をしたことも、頬を叩かれたことも、酒の席で胃から血を吐いたことさえあった。

そんな苦しみも痛みも、泣き腫らした顔のまま、すべて自分ひとりで飲み込んできた。

だが結局、凛がこの家庭のために積み重ねてきたすべての努力は、たったこういう言葉に変わってしまった。

――仕事一辺倒の人間。

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