Share

絶望と抱擁

Author: 雫石しま
last update publish date: 2026-04-17 09:03:14

真希のベッドサイドで、陸斗は膝をつくように座っていた。

彼の長い指が、真希の細く冷たい足首を、まるで壊れやすいガラスのように優しく包み込んでいる。

その指先が、わずかに震えていた。

「真希……今日のデータ、思ったより悪化してる」

「そう......」

陸斗の声は低く、掠れていた。

彼はカルテを握りしめ、目を伏せた。

白衣の肩が、まるで重い荷物を背負ったように落ちている。

「余命宣告を更新した。……3年以内だ。最長で5年。

治療を続けても、この進行を完全に止めるのは……俺にはもう、限界かもしれない」

真希が弱々しく微笑むと、陸斗の目尻に、うっすらと涙が浮かんだ。

医師として何百人もの患者を見てきた彼が、幼馴染の妹の前でだけ、声を詰まらせる。

「ごめん……俺がもっと早く、もっと良い治療を見つけてれば……

お前を、こんな体にさせてしまった」

陸斗は真希の手を両手で包み、額をその手に押しつけた。

肩が小さく震え、声にならない嗚咽が漏れた。

「ずっと一緒にいるって、誓ったのに……俺は、守れてない」

その姿は、ただの医師のものではなかった。

幼い頃から真希を守ると誓った少年が、大人になってもなお
Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter

Latest chapter

  • 新婚初夜あなたは妹のベッドにいた   復讐の計画

    数日後、私は美咲と都心の静かなホテルラウンジのカフェ個室で落ち合った。窓から見える夜景がぼんやりと輝く中、テーブルにはノートパソコンと私のスマホ、そして離婚届のコピーが置かれていた。美咲はいつものショートボブにシンプルなブラウス姿で、コーヒーを一口飲むとすぐに本題に入った。勘の良い彼女は、私の顔を見るなり眉を少し寄せた。「瑞希、目が本気だね。前のお茶のときより、もっと冷たくなってる。……本気で週刊誌に流す気なんだ」私は頷き、スマホの録画データを再生した。画面に映るのは、特別個室での熱いキスと抱擁。真希の細い腕が陸斗の首に絡みつき、陸斗が必死で真希を抱きしめる姿。真希がドアの隙間に向かって勝ち誇った微笑みを浮かべる瞬間も、はっきり映っている。美咲の目が細くなった。彼女は画面をじっと見つめ、録音された陸斗の掠れた声——「真希……お前を失いたくない」——を聞きながら、ゆっくりと息を吐いた。「これは……かなり強いね。新婚初夜に夫が義妹の病室にいた事実、結婚式での暴力映像、家族特別枠の契約書コピー……全部揃ってる。大学病院の理事長(陸斗の父)が、製薬会社から数億円の研究費を引き出すために『医師本人の配偶者家族限定』という裏条件を作っていた不正も、完璧に繋がる」美咲はノートパソコンを開き、メモを打ち始めた。記者モードに入った彼女の指の動きは速く、的確だった。「タイトル案はどうする?私は『新婚初夜、夫は義妹のベッドに…妊娠中の妻を放置した大学病院医師の二重生活』が効くと思うけど」私は一瞬、息を飲んだ。妊娠の事実はまだ美咲に明かしていない。美咲は私の反応を見て、にやりと笑った。「勘が働いたよ」瑞希の目が、ちょっと守るような動きをした。「……妊娠してるの?」私は静かに頷いた。「三ヶ月。まだ誰にも言ってない。離婚届はすでに陸斗の印鑑をもらった。スクープに合わせて、役所に提出するわ」美咲の表情が引き締まった。彼女はコーヒーカップを置き、真剣な目で私を見た。「わかった。じゃあ、戦略を固めよう。週刊誌は来週の号で第一弾。内容は『新婚初夜の裏切り+家族特別枠の医療費不正』を中心に。結婚式の暴力映像と録画データを匿名で提供。」「録画データはワイドショー番組にもリークする」「とことんやる気ね」「ええ」「第二弾で妊娠事

  • 新婚初夜あなたは妹のベッドにいた   離婚届

    夜のマンションは、いつものように静かだった。陸斗が珍しく早めに帰宅したその夜、私はリビングのテーブルに離婚届を広げて待っていた。ドアが開く音がして、陸斗が入ってきた。白衣のまま、疲れ切った顔で靴を脱ぐ。真希の病室から直接帰ってきたのだろう。彼の首筋には、まだ真希の香水のような甘い匂いが微かに残っている気がした。「瑞希……今日はどうした?」私は立ち上がり、テーブルに置いた離婚届を静かに押し出した。すでに私の署名と実印は捺してある。残るは陸斗の署名と印鑑だけ。「離婚しましょう、陸斗」陸斗の動きが止まった。彼はゆっくりと顔を上げ、私をまっすぐに見つめた。一瞬、医師としての冷静な表情が戻ったが、すぐに困惑と苛立ちが混じった。「……何を言ってるんだ。急に」「急じゃないわ。新婚初夜から、あなたは私のベッドではなく、真希のベッドにいた。結婚式で私を叩いた夜も、真希の病室に駆けつけた。そして、真希の余命宣告を受けた夜……あなたは私を抱きながら、真希の名前を呼んでいたかもしれない」私は淡々と、しかしはっきりと言った。声に感情を乗せないよう、喉の奥に力を込めた。陸斗の眉が寄せられる。「真希の容態が悪いんだ。余命3年……俺が主治医として、そばにいてやらなきゃいけない。お前は健康なんだから、少し我慢してくれ」「我慢?」私は小さく笑った。冷たい笑みだった。「家族特別枠の治療費が月150万円以上かかること、知ってるわ。あなたと結婚している限り、真希は無料で新薬と血管再生療法を受けられる。私が離婚したら、即座に枠から外される。それが、あなたが私と結婚した本当の理由でしょう?」陸斗の顔色が変わった。彼はテーブルに手をつき、声を低くした。「瑞希……真希は本当に死ぬかもしれないんだ。お前まで離婚なんて言い出したら、真希はどうなる?家族が崩壊する。俺の父の研究予算も……」「それが、私の責任?」私は離婚届をもう一歩、彼の方に押しやった。「私はもう、真希の影で生きるのはやめる。あなたが真希をどれだけ愛おしそうに抱きしめ、キスをしていたか……全部知ってるわ。ドアの隙間から、ちゃんと見ていた。録画も、している」陸斗の目が見開かれた。初めて、彼の表情に動揺が走った。「……瑞希、お前……」「印鑑を捺して。今すぐ」私はペンを彼

  • 新婚初夜あなたは妹のベッドにいた   真希の挑発

    その夜も、私は特別個室のドアをほんの数センチだけ開け、息を殺して中を覗いていた。前回とは違う日だった。陸斗は私たちのマンションにほとんど帰って来ない。来ても、着替えを持ってタクシーに乗り込む。真希の容態が少し悪化したと言って、陸斗がまた泊まり込んでいた夜。私はもう、ただ見ているだけではいられなかった。スマホを片手に、静かに録画ボタンを押した。画面に映る二人の姿を、しっかり記録する。音声も、息遣いも、すべて。陸斗は真希のベッドの横に座り、彼女の細い手を両手で包み込んでいた。白衣の袖が乱れ、疲れきった顔に深い影が落ちている。「真希……今日の検査結果、思ったより悪かった。呼吸筋の低下が止まらない。余命のカウントが、確実に減っている……」陸斗の声は掠れ、医師としての冷静さを失っていた。真希は弱々しく微笑み、陸斗の頰に自分の冷たい掌を当てた。「大丈夫よ、陸斗くん。あなたがそばにいてくれるだけで、私は生きていける。私を、もっと近くに感じて……」真希の細い腕が陸斗の首に絡みつき、ゆっくりと引き寄せる。二人の唇が重なり、静かなキスが始まった。前回より深く、熱を帯びたキス。真希の弱々しい吐息が陸斗の口内に流れ込み、陸斗は抵抗するように一度体を硬くしたが、すぐに真希の背中に腕を回し、強く抱きしめた。「真希……お前がいなくなったら、俺は……」陸斗の声がキスの合間に漏れる。彼の大きな手が、真希の華奢な腰を引き寄せ、病衣の上から背中を何度も撫でる。真希の細い体が陸斗の胸に密着し、二人の影が壁に大きく揺れた。私はスマホを少し傾け、しっかりと録画を続けていた。画面の中で、二人が絡み合う姿が鮮明に映っている。新婚の妻である私が、ドアのすぐ外にいるというのに——。その時、真希の目が、わずかに開いた。瓜二つの私の顔をした妹の視線が、ドアの隙間を正確に捉えた。キスをしながら、彼女の唇がゆっくりと弧を描く。ほくそ笑みだった。勝ち誇った、甘く、残酷な微笑み。目が細められ、唇の端が上がる。まるでこう言っているようだった。『見てて、お姉ちゃん。今も、陸斗くんは私の唇を求めている。あなたが健康で、強い体を持っていても……結局、彼の心はここにあるのよ。羨ましい? 悔しい? もっと、ちゃんと見ててね』真希は陸斗の首に腕をさらに強く絡め

  • 新婚初夜あなたは妹のベッドにいた   妊娠

    「おめでとうございます。三ヶ月です」マタニティクリニックの診察台で、私は凍りついた。医師の明るい声が、遠くから聞こえるように響く。呼吸が止まり、耳鳴りが激しくなって、思考回路が現実に追い付かなかった。……三ヶ月?元々、生理周期が定まらず、遅れがちな体だった。「また遅れているのか」程度にしか考えていなかった。まさか、こんなタイミングで——。私は診察台の上で体を起こし、ゆっくりと息を吐いた。白い紙のガウンが、かすかに震える。陸斗に抱かれたのは、二度だけだった。一度目は、結婚が正式に決まった夜。彼の部屋で、ぎこちないキスから始まり、義務のような抱擁だった。「これで家族が喜ぶ」とでもいうように、陸斗は淡々と私を抱いた。その時、私はまだ「愛されるかもしれない」と、ほんの少しだけ期待していた。二度目は……真希が余命宣告を受けた夜のことだった。あの夜、陸斗は特別個室から戻ってきて、珍しく酒の臭いをさせていた。真希の「余命5年」という言葉が、彼を追い詰めていた。私はただ、夫として寄り添おうとした。でも、陸斗の目は私を見ていなかった。暗い部屋の中で、彼が私の体を抱きしめるとき、囁いた名前は「真希」だったのかもしれない。避妊は、していたはずだった。コンドームを着けていたはずだった。なのに——。今思えば、あの二度目の夜、陸斗が私を抱いたのは、同じ顔をした私の中に、真希を投影していたからかもしれない。華奢で、弱々しく、すぐに壊れてしまいそうな真希の体を、健康で強い私の体で代用しようとしていたのかもしれない。「……避妊は、していたはずなのに」私は独り言のように呟いた。医師が心配そうに私の顔を覗き込む。「奥様? 大丈夫ですか? 三ヶ月ということは、もう胎児の心拍も確認できていますよ。旦那様に連絡しましょうか?」私は首を横に振った。連絡など、できるわけがない。今、陸斗は真希の病室で、余命を宣告された妹を熱く抱きしめ、キスを交わし、涙を流しているはずだ。あの熱い抱擁の記憶が、鮮やかに蘇る。真希の細い腕が陸斗の首に絡みつき、陸斗の大きな手が真希の背中を必死で引き寄せる姿。私はその夜、ドアの隙間からすべてを見ていた。そして今、私の体の中には、陸斗の子供がいる。呆然としたまま、診察室を出た。病院の廊下を歩きながら、左手で自分の下

  • 新婚初夜あなたは妹のベッドにいた   絶望と抱擁

    真希のベッドサイドで、陸斗は膝をつくように座っていた。彼の長い指が、真希の細く冷たい足首を、まるで壊れやすいガラスのように優しく包み込んでいる。その指先が、わずかに震えていた。「真希……今日のデータ、思ったより悪化してる」「そう......」陸斗の声は低く、掠れていた。彼はカルテを握りしめ、目を伏せた。白衣の肩が、まるで重い荷物を背負ったように落ちている。「余命宣告を更新した。……3年以内だ。最長で5年。治療を続けても、この進行を完全に止めるのは……俺にはもう、限界かもしれない」真希が弱々しく微笑むと、陸斗の目尻に、うっすらと涙が浮かんだ。医師として何百人もの患者を見てきた彼が、幼馴染の妹の前でだけ、声を詰まらせる。「ごめん……俺がもっと早く、もっと良い治療を見つけてれば……お前を、こんな体にさせてしまった」陸斗は真希の手を両手で包み、額をその手に押しつけた。肩が小さく震え、声にならない嗚咽が漏れた。「ずっと一緒にいるって、誓ったのに……俺は、守れてない」その姿は、ただの医師のものではなかった。幼い頃から真希を守ると誓った少年が、大人になってもなお、罪悪感に潰されていく姿だった。瑞稀は病室のドアの隙間から、そっと中を覗いていた。陸斗は真希のベッドに額を埋め、両手で頭を抱えていた。白衣の背中が、激しく上下している。「真希……俺は、何のために医者になったんだ……」声は嗄れ、涙がシーツに落ちて小さな染みを作っていた。「余命3年って宣告した瞬間、お前が笑った顔が忘れられない。『陸斗くんなら、きっと大丈夫』って……俺を信じてるのに、俺は何もできない」「陸斗くんがそばにいてくれるならそれでいいの」陸斗は拳を握り、ベッドの柵を叩いた。一度、二度。静かな、しかし抑えきれない慟哭だった。「瑞希には……悪いと思ってる。でも、お前がいなくなったら、俺は……」彼はそこで言葉を飲み込み、ただ真希の冷たい手を頰に押し当て、涙を堪えきれずに肩を震わせ続けた。医師としての冷静さはどこにもなく、ただ一人の男が、幼馴染の命の炎が消えゆくのを前に、崩れ落ちている姿だった。「陸斗くん……泣かないで」真希の声は、弱々しく甘く、しかしどこか勝ち誇った響きを帯びていた。「私、まだここにいるよ。あなたがいる限り、私は頑張れる。余命なんて…

  • 新婚初夜あなたは妹のベッドにいた   月150万円の結婚

    病院を後にした私は、タクシーに乗り、実家へと向かった。窓の外を流れる街並みが、ぼんやりと過ぎていく。白い芍薬の残り香が、まだ指先にまとわりついている気がした。腫れた頬は化粧で隠したものの、鏡で見るたび、昨夜の平手打ちの感触が蘇る。実家——暖かく優しい思い出のかけらなど、最初からなかった家。玄関の鍵を回す音が、妙に大きく響いた。中に入ると、いつものように母の声が飛んできた。「あら、瑞希? どうしたの、こんな朝早くに。……陸斗くんは?」母はキッチンから顔を出し、いつもの柔らかい笑みを浮かべていた。父はリビングのソファに座ったまま、新聞を広げていた。二人とも、結婚披露パーティーで私が頬を打たれた瞬間、何も言わず、ただ息を呑んで傍観していた顔が、まだ目に焼きついている。私は玄関に立ったまま、静かに、しかしはっきりと言った。「離婚するわ」一瞬、家の空気が凍りついた。母が慌ててエプロンを外しながら駆け寄ってきた。「え……何を言ってるの? 結婚したばかりじゃないの!」父も新聞を乱暴に畳み、立ち上がった。声が低く、明らかに動揺している。「待て、瑞希。お前、真希の治療費のことを考えてるのか?陸斗くんの病院の『家族特別枠』がなくなったら、どうするつもりだ?月百五十万円以上かかるんだぞ! 今までタダ同然で受けられてきた治療が、全部実費になるんだ!」母の顔が一瞬で青ざめ、声が震えた。「そうよ! 真希の新薬とリハビリ、全部あの枠のおかげなのよ!離婚なんかしたら、真希はすぐに枠から外されるって、理事長さんからも言われてるじゃない!あの子が寝たきりになったら……あなた、どう責任を取るの?」私はゆっくりと息を吸い、声を低くした。「真希のことも考えて?今までずっと、そう言われてきたわ。『お姉ちゃんだから』『あなたは健康なんだから』『真希の世話をしてあげなさい』 三歳の頃から、真希の車椅子を押して公園に行かされた。私が膝を擦りむいて泣いても、『真希ちゃんより痛くないでしょ?』って。陸斗が真希の肩を抱くのを、横で笑顔で我慢しなきゃいけなかった。結婚だって、陸斗の両親が『瑞希なら家を守れる』って言ったから、陸斗は仕方なく私に指輪を渡しただけでしょう?」母が必死に言葉を重ねてきた。「そんな……言い方……。真希の治療費が払えなくなったら

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status