LOGIN王都のはずれにある魔塔。
真っ黒の石壁から「黒曜魔塔」と呼ばれているが、元は真っ白な石壁を清掃する予算がないだけのボロボロの塔である。
高くそびえる塔の最上階で、この塔の主であるルシアン・ノクスは書類を睨んでいた。
「……また、減ってる」
机に広げられた予算表を、その長い指で叩く。
「防衛魔術研究費、三割減。代わりに“聖堂改修費”の増額……か」
ルシアンの向かいに座る研究員が、苦笑した。
「王都は平和ですからね」
「平和だから王都から出ない。出ないから、知らない振りができる」
ルシアンは椅子にもたれ、天井を仰ぐ。
「王都には聖女がいる。天然の対魔物結界だ。だから、魔術師は要らない。魔術師たちの研究棟であるこの塔もぼろぼろ……世知辛いな」
「でも、ほら、貴族からの依頼は、増えています……から」
「そんな下らないもの、増えなくていい。俺が欲しいのは、好きな研究をする時間と金だ。注文品の魔導具を作るために魔法を学んだわけじゃない」
ルシアンはぴしゃりと切り捨てる。
貴族からの依頼。
自分を三割増しによく見せる魔導鏡。
身にまとうだけで威圧感が出る魔導マント。
肌のハリや艶を増す魔導香炉。
(馬鹿馬鹿しい。誰が美人になろうが、それで俺に何のメリットがある)
このルシアンは究極の面倒臭がりだ。
できれば一日中ベッドの上で過ごしていたいという人物である。
「人間の三大欲求は全部ベッドですませられるのに、なんで排泄はそうはいかないんだ」
ルシアンの夢は体内の排せつ物が自動で別の場所に転移される魔導具と、ベッドの上から動かずに体を常に清潔に保てる魔導具を作ることである。
「そもそも、何だって聖堂改修費が必要なんだ?」
「聖女が見つかったからです」
「だから?」
「聖女と王太子殿下が結婚式をするから、聖堂をキレイにしようってことですよ」
呆れたようにルシアンは肩を竦める。
「今度の聖女様、一体どんな夢を見ているのだか」
王子様との華やかな結婚式を夢みているだろうと思ったルシアンは悪くない。
それは一般的な意見である。
ただ、今代の聖女が規格外なだけ。
今代の聖女、アリアが考えているのは王位簒奪である。
ある意味で、夢と言えば夢である。
ルシアンは、予算削減の紙を丸めてくず籠に放った。
ナイスイン。
流石、動かないためにコントロールを磨いただけはある。
そして、あくびを一つ。
「……まあ、俺には関係ない」
このときは、まだ。
*
同じ頃、北辺境の砦に、重たい沈黙が落ちていた。
集まったのは、国の端を支え続けてきた者たち。
王都からは「遠い土地」と切り捨てられ、魔獣と魔素汚染の最前線で生き延びてきた諸侯だ。
そして誰もが知っている、北辺境伯の末姫アリアが、聖女として王都に呼ばれたことを。
「単刀直入に聞こう」
最年長の東部辺境伯が口を開いた。
「アリア嬢は、王都へ行ってしまうのか?」
戦神アリアは、厳しい地で暮らす人々にとって希望だった。
その強さもあるが「みんなで頑張ろう」というアリアの言葉に励まされ、奮起して過酷な地で踏ん張って生きている者も多い。
アリアは、頷いた。
「行きます」
その場にざわめきが走る。
「やはりか」
「王家に逆らえるわけがない」
「……これで、辺境は終わりだな」
「違います」
誰かが呟いた絶望を、アリアはきっぱりと否定した。
「王都に行って、私が女王様になります」
沈黙が降りた。
北辺境伯一家を除くその場の者たちは、誰も彼も、アリアの言葉の意味が理解できなかった。
「……今、なんと言った?」
流石、年長者の意地かなにかで、東の辺境伯の口が動いた。
「王都へ行って、王様から王位を獲ってきます」
「いやいや、カブトムシを獲りにいくんじゃないんだぞ」
「分かっていますよ?」
父ローデリヒが苦笑しながら口を開く。
「勝算はあります……というか、アリアが聖女でなければできない策ですね」
「アリア嬢が……聖女だから……」
みんなの視線が集まり、アリアはむんっと力こぶを作ってみせる。
この場にいる男性陣に比べると細い腕だが、ちゃんと力こぶ。
今代の聖女、逞しい。
目が覚めたとき、アリアが最初に感じたのは静けさだった。(そう言えば、ここはお城だったっけ……お城って、静かなのね)革命直後で、ほとんどの人を城から追い出したから静かなのである。しかし、まだ眠気にとらわれたアリアはそんなことは気にしなかった。分厚いカーテンの隙間から差し込む光はやわらかく、寝室の空気を淡く照らしている。アリアはぼんやりと天井を見上げていた。「……疲れた」ブハッと吹き出す声がした。アリアは横を見た。そこにはルシアンがいた。(魔力を吸い取る魔法陣の話を聞いて、急いで結婚して、そして――)そこまで思い出したところで、アリアは瞬きをした。痛みがないわけではない。体の奥に、鈍い違和感のようなものは残っている。けれど、それは覚悟していたものとは随分違っていた。(もっと、こう……大変なものだと思っていたのだけど)アリアはゆっくり息を吐いた。子どものころから、痛みには慣れている。両親も兄たちもアリアに対して気は使っていたが、武芸を身につけるのに無傷とはいかない。魔物討伐時には、数えきれないほど怪我をしている。骨が軋むような重さも、牙や爪が食い込むを感じたこともある。だから昨夜、アリアは当然のように耐えるつもりでいた。文句を言わず、黙って耐えるように教えられてきたのだから。(でも……)違った。少なくとも、アリアが想像していたものとは。「……おはよう」ルシアンはしばらく前から起きていたようで、背もたれ代わりに枕を重ね、それにもたれながら座っていた。いつも通りの無表情だったが、その目は少しだけ柔らかかった。「おはようございます」アリアは少しだけ体を動かした。その瞬間、体の奥に鈍い痛みが走り、思わず「う」と小さく声が漏れた。ルシアンの眉がぴくりと動く。「……無理はするな」「大丈夫……」「頑張るかどうかを聞いているんじゃない。無理はするなと言っている」アリアは不思議そうに瞬きをした。そんなアリアに、ルシアンはため息を吐く。「疲れたと言っていただろう……痛みは?」「大丈……多少の違和感、くらい」ルシアンにじっと見られ、アリアの訂正した言葉にルシアンは満足げに頷いた。アリアは、なんとなく、もう少しだけ話が続けたくなった。「思っていたより、ずっと」「思っていたより?」「もっと、こう……」言葉を
「力を奪うのであって、即死させるわけではない……王妃陛下も、二十年以上……ご存命だった」「そう、だったな」王妃陛下の意外な死因の判明に、その場の全員が沈黙した。哀悼がすんだと判断したところでルシアンが口を開く。「俺が見た限りではアリア嬢はあの魔道具が欲する以上の魔力を今は持っている」「それを、吸われ続けたら?」「魔力がなければ、生命力変換させるようになっていた」「大変じゃないか」「……だから、そう言っている」ルシアンの言葉に三兄弟は黙った。理解しているのか、していないのか分からない沈黙。「それが……どうして、夜着になる?」「レオン、お前、学校で何を習った?」レオンハルトが首を傾げる。「剣」「……座学はからっきしだったな」呆れるルシアンに対して、レオンハルトは胸を張る。「お前の答えを一夜漬けで覚えてクリアしていたからな。お前がいなければ卒業できなかった自信がある」「そんな自信はいらん。あの装置の仕組みの詳細は不明だが、見たところ聖女の浄化魔法の術式の読み込みと魔力の吸い込みがあった」「なぜ? 浄化魔法ならいちいち術式を読み込む必要はないだろう」「聖女の浄化魔法は何かしら特別で、個体差があるのだろうな。アリア嬢がいる間、何度も読み込みが行われていた。だから一時的にアリア嬢の魔力を俺の魔力にしてしまい、魔導具に聖女の魔力だと誤認させれば、あいつは俺の魔力を吸い続ける」ルシアンが一拍置く。空気が凍った。先ほどまでの騒ぎが嘘のように静まり返る。ロザリーも、言葉を失っていた。「魔力を同質に……それで、夜着か」「そういうことだ」どういうことかと、理解できないロザリーはアリアを見た。見てしまった、という表現のほうが正しいのかもしれない。「私とルシアン様が房事を行い、ルシアン様の魔力を纏った精……」「姫様ストップ! マジで、ストップ!」ロザリーは急いでアリアの口を塞いだ。説明の途中だという目をアリアはしたが、ロザリーは無視した。「大丈夫です。理解できました」「そう? そういうことだから、夜着の準備をお願いできる?」「……姫様、その前に、急いで結婚しましょう。大丈夫です、姫様、まだピンピンしていますし」「そう言えば、閨は暗い中で行われると先生は言っていたわね」何かが違う。でも、何が違うのか説明するのは面倒臭い。
「ロザリー」名前を呼ばれたロザリー、アリアの侍女の女性はフィンとの話を切り上げた。「どうしましたか、姫様」軽やかに駆けてくるアリアの後ろ、ゆっくりと歩いてきたルシアンにロザリーは会釈する。ルシアンも会釈を返した。「ロザリー、昨日城下町で買ったものはどこ?」昨日、アリアから求婚が上手くいったと聞いたロザリーは城下町を歩き回り、アリアの嫁入り道具を買い集めた。金はあるが店がないという北の辺境伯領。金に糸目はつけないという北の辺境伯ローデリヒの言葉を遂行すべく、事前に情報を集め、無駄なく、アリア好みのものを集めた。「夜着はちゃんと用意している?」「……用意、は、してあります……けれど……」ここで聞くか、とロザリーは内心でアリアに抗議した。ロザリーは三兄弟のほうを顔を向けないように気をつけつつ、目線だけを向けた。三兄弟は揃って唖然とした顔をした後、さすが仲良し兄弟と言わんばかりの揃ったタイミングでルシアンを見た。(ルシアン様、おかわいそう……いや、でも、ローデリヒ様十人でも突破できない物理障壁を作れる方だと聞いているから大丈夫かしら)物理的には、ロザリーの思っているようにルシアンは安全である。だからこそ、アリアの白羽の矢がぶっ刺さったのだから。しかし、メンタルはボロボロである。でもデフォルトが無表情なルシアン、ぼろぼろのメンタルを誰にも認識してもらえなかった。 .「ルシアン、お前っ!」「レオン! 大いなる誤解だ! 剣を下ろせ!」 ガキンッレオンハルトは剣を下ろしたが、ルシアンが反射的に張った物理障壁に向かって振り下ろしていた。硬質な音にロザリーは吃驚したが、吃驚したのはロザリーだけだった。.「アリア、お前も嫁入り前で……」
「……その、だな。交わると言うのは……えっと……」この場には自分しかおらず、自分から切り出した以上は自分が説明するべきだとルシアンには分かっているが……。(する相手からの説明って、いやらしくないか? こうやってしますって暴露する……いや、心の準備はしてほしいから、事前説明が必要ってことなら……いやいや)ルシアンの言葉も、思考も止まる。喉が上下し、視線が魔法陣へと逃げる。(そんな手を使わなくても、魔法陣を解読すれば……でも、この規模だぞ? 十年は余裕でかかるぞ……十年、王妃陛下が身罷られたのはご成婚から二十……三年、くらい)「この元気いっぱいな聖女様でも、さすがに十年は……」「何を悩んでいるか分からないけど、十年? それなら、交わりましょう」「はあ?」驚くルシアンに、アリアは首を傾げる。「交わるのが一番手っ取り早いといったのは、ルシアン様でしょう?」アリアの問いかけに、ルシアンはさらに困った顔をした。(時間だけを問題にすれば一番早いことに間違いはない)「難しいことなの?」「いや……難しくは、ない」「何か必要なものは?」「必要なもの……も、特に、これと言っては、何も……いや、それでいいのか?」ルシアンの問いかけに、アリアはきょとんとしたあとで、笑う。「質問しているのは私なのに」「そう、だな……」ルシアンは大きくため息を吐いた。「交わりというのは……一種の儀式と思ってほしい」「うん」
石造りの大広間の中央にそびえる巨大な魔道具は、見た目こそ朽ちかけた遺物だった。高さは三階建ての塔ほどもあり、六本の漆黒の柱が円環を描くように立ち並び、その中心にはひび割れた水晶球が宙に縫い止められたように浮かんでいる。「まだ魔力が残っているが……」(まるで生き物だな)魔力の流れを感じたルシアンは、この無機物がまるで生き物のように聖女、隣にいるアリアを標的と定めたことを感じた。(魔道具が、魔力を吸っている?)「王よりかなり若かったはずなのに、王妃陛下が早くに亡くなったのはそういうわけか」「この魔道具のせい?」「ああ。すでに君の力を吸い始めている。体に異常は?」「そうね、例えるなら生理中みたいな感じ」アリアの例えに、ルシアンはため息を吐く。「男の俺が分かるように説明してくれ」「痛みはないけれど、体の中から何かが流れ出るのを感じるの。ケガからの出血みたいに止めたいのだけれど……止める術が分からない」アリアが魔導具の一点、ヒビ割れた水晶を見つめた。水晶の内部で淡い燐光が揺らめきはじめる。アリアの呼吸に合わせて、脈打つように燐光は強弱を繰り返している。「ここに入るのは、初めて?」「ああ。先代は、魔道具だからメンテナンスをしたほうがいいと言ったようだが王妃陛下に不要だと断られたらしい」ルシアンは古めかしい魔道具の外観にため息をついた。柱の表面には苔がむし、金属の輪は錆びついている。(起動しているところを見ると、色褪せただけで魔法陣に欠けはないようだな……なんだ?)「何を、笑っている?」「笑っているように見える?」アリアの表情に、ルシアンは首を横に振った。「訂正する。いまにも泣きそうだ」「面倒くさそうに言うなんて、紳士失格だわ。こういうときはハンカチをそっと渡すのよ?」「洗うのが面倒
「セドリック、耐えるんだ」「……父上?」「三日……いや、七日耐えれば助けがくる」国王の言葉は楽観的であったが、それは事実だろうなとアリアは思った。国家の佞臣だろうと、彼らも人の子。霞を食って生きていけない以上は、金は必要になる。もちろん職を探すなり、領地をきちんと治めるなど、真っ当な方法で金は稼げるのだが、真っ当な方法には労働力が必要である。一度、それも長い間、甘い蜜を吸って、食って、寝って、アッハ~ンな生活をしてきた彼らに働く意思が生まれるとは思えない。『この世の春をもう一度!』と蜂起する可能性は高い。 .「皆が結託すれば、辺境の兵など恐れるに足らず」「父上!」国王はアリアに向かってふんっと鼻を鳴らして見せる。「まずは北だ。北を攻め、子どもにろくな教育をしなかった辺境伯夫妻を処刑してやるっ!」「あはははは、泣いて許しを請うがいい」セドリックはアリアをジッと見る。「安心しろ、お前は殺さない。お前は聖女だからな。俺が夫として、きっちり教育し直してや……ぶべっ」いやらしい目つきに耐えかねて、アリアは近くにあった盾を投げつけた。「ふっ……こういうじゃじゃ馬を御すのも一興」「気持ち悪い妄想をしないで。そもそも、私はあなたと結婚したくないから、女王様になることに決めたのよ」「そんな下らない理由で?」「あんたの嫁になるくらいなら、女王様のほうがマシ」「お前、貴族の娘だろう。貴族の娘なら、家が王家と繋がることを喜べ」「喜ばれないことを恥じなさいよね」「生意気なっ! 女のくせに王になど……いや、待て、女王になるだと?」「ええ、そうよ」アリアが頷くと、セドリックは笑う。「お前、やっぱり俺と結婚しなくてはならないだろう
「え、いいんですか?」あっさりし過ぎたのか、今度はアリアのほうが戸惑った。一方的に驚かされ続けたルシアンとしては、驚くアリアの表情に楽しさを覚えた。(こんな顔もするんだな)「ああ」「結婚、面倒じゃないんですか?」「面倒だが、金があれば我慢できる」アリアは、目を輝かせた。「札束で、頬を張り倒した甲斐がありました」「国家予算の二割、分厚い札束だった」ルシアンは、再びベッドに倒れ込む。疲れたが、達成感があった。 (そうだった……)「俺からも、条件がある」「なんでしょう?」「俺は、ほんっとうに動かないぞ」「分かりました。膀胱炎だけは気をつけて、トイレにだけはちゃんと行
それができるほど、ルシアンの魔力は膨大だ。高位貴族でも珍しい魔力量である。そんな子どもが平民の両親から生まれたため、母親は不貞を疑われた。父親は「俺の子じゃない」と言ってルシアンを殴り、不貞を責めて母親を殴り、母親は血を流しながら「化け物」と泣き喚いてルシアンを叩き続けた。ルシアンの幼い頃の記憶は、そんな地獄の風景に染まっている。そんなルシアンを、うわさを聞き付けた先代魔塔主が引き取った。彼はルシアンに、魔力を制御させることを覚えさせた。桁違いの魔力を隠さなければ、ルシアンを武器として使う者が出てくると、先代魔塔主はそれを危惧していた。いまルシアンの魔力を計測しても、本来の魔力
(この女は、王位を獲る……獲れない理由も、止める言葉も、全く見つからない……なるほど、それで、俺に求婚か)ここにきてようやく落ち着いたルシアンは、アリアの求婚の理由を察した。「法典か」王配となる男がいないと、女性は女王にはなれない決まりがある。「王位は奪うのに、法典は守るのか?」「王位を奪ってはいけませんって、法典に書いていないでしょう?」当たり前である。でも、とんでもない理屈だが、ルシアンにはアリアの言いたいことがなんと
「ちょっと待て」混乱する頭を整頓するため、ルシアンはアリアに待ったをかけた。ルシアンの制止に、何かを言おうとして開いていた口をアリアが閉じる。(素直だな)視線を少し外して、ルシアンの要求通り『待つ』姿勢のアリアにルシアンは新鮮な驚きを覚えた。ルシアンにとって、レオンハルトのような一部を除き、貴族とは話しをよく聞かない相手だった。特に、ルシアンの元にやってくる貴族令嬢たちは話を聞かない。ルシアンとて、丁度よく性欲が発散できると言っても、鬼畜生ではない。関係を持っても、結婚という形で責任をとる気はないと伝える気でいる。だから「待て」というのだが、彼女たちはルシアンを落とすという目







