LOGIN聖女は、王家のもの――そんな常識を、北辺境の聖女は力で叩き壊す。 魔素汚染と魔獣に苦しむ辺境で育ったアリアは、神託で聖女に選ばれ、王家からの「求婚」という名の命令に激怒し、ふと、考えた。 「私が女王になれば、王子様と結婚しなくていいよね?」 革命を決意したアリアが手に入れた切り札は、超面倒くさがりな魔塔の主。 「研究費を優遇してくれるならいいよ」 恋愛感情ゼロの政略結婚はこの先どうなるのか。
View More(血の匂いにも、もう慣れてしまった)
雪解け水を含んだ地面はぬかるみ、倒れた魔獣の体液がアリア・ヴァルグリムの靴底にまとわりつく。
重く淀んだ空気を吸い込むたび、喉の奥が焼けるように痛んだ。
(また魔素が濃くなってる)
北辺境では珍しいことではない。
(王都の浄化は、ここまでは届かない)
聖女の浄化が届かないこの地では、魔素に侵された魔獣との戦いが日常だった。
「アリア、左!」
兄フィンの鋭い声が飛ぶ。
考えるより先に体が動く。
身を沈めたアリアの頭上を黒い爪が掠め、空気を切り裂いた。
「遅い」
アリアは地を蹴る。
銀色の剣閃が走り、魔獣の胴を一刀で断ち切った。
巨体が轟音を立てて倒れた、その瞬間だった。
「……え?」
胸の奥が熱い。
心臓から全身へ何かが溢れ出し、見えない波紋のように広がっていく。
「これは……浄化?」
少し離れたところにいるフィンの呟きにアリアは目を見開く。
アリアも周囲を見渡して、息を呑んだ。
灰色に濁っていた空気が澄み渡り、肺が驚くほど軽い。
まとわりついていた息苦しさが消え、冷たい風が心地よく頬を撫でる。
「……空気って、こんなに美味しかったのね」
思わず漏れた呟きに、その場にいた騎士たちが一斉にざわめいた。
浄化が使える女性は『聖女』と呼ばれる。
この瞬間、北の辺境の地で新たな聖女が誕生した。
◇◇◇
「終わったか」
城壁に立っていた長兄カイムは、離れたところから上がった狼煙に肩の力を抜いた。
弟妹が派遣された場所から上がる煙は、魔物が掃討されたと知らせるものだった。
次兄レオンハルトも肩を回しながら辺りを見渡した。
そして気づく。
「呼吸が楽だ……」
レオンハルトの呟きで、カイムも肺の重さが減ったことに気づく。
「王都から届く浄化が急に強くなったのか?」
その言葉にカイムは首を横に振る。
「そんなはずはない」
王妃であり聖女でもあった女性が亡くなって一か月。
国中が次の聖女を探しているという噂は辺境にも届いていた。
「兄さん……でもこれは、浄化だ」
「……どういうことだ」
.
カイムのこの疑問は数時間後に解決した。
「アリア?」
父と母も揃い、彼らは前庭で魔物の討伐に送り出した者たちを出迎えた。
アリアたちがやって来る。
元気な姿にホッとした次の瞬間。
家族の顔がぴしりと固まった
アリアを中心に澄み切った空気が静かに広がり続けている。
誰が見ても分かる。
浄化だ。
「まさか……」
レオンハルトが息を呑む。
アリアは照れくさそうに頬をかいた。
「私が、次の聖女みたい」
「「聖女って柄じゃないだろ、お前!」」
兄二人の声がぴたりと重なり、アリアは膨れる。
「兄さんたちまで、フィン兄さんと同じこと言わないでよ」
アリアが頬を膨らませると前庭に笑いが広がった。
しかし、その笑いは長くは続かなかった。
「旦那様! 奥様! 大変でございます!」
屋敷へ戻るなり、執事ハンスが血相を変えて飛び込んでくる。
普段ならドラゴンの群れが現れても「来ましたよ~」くらいの調子で報告する男が慌てている。
「何事だ?」
緊急事態だと察した父ローデリヒが問うと、ハンスは大きく息を吸った。
「王都から王太子殿下の使者が出発したそうです」
一瞬で部屋の空気が凍りついた。
◇◇◇
数週間後――。
全員が窓から外を見ていた。
彼らの視線の先には、雪煙を上げながら一直線に駆けてくる騎馬隊。
そして風になびく王太子の旗。
そして数十分後。
「辺境伯ローデリヒ様! 王都より、王太子殿下のお言葉をお届けに参りました!」
父ローデリヒは深く息を吐き、苦笑した。
「……来ちゃったよ」
目が覚めたとき、アリアが最初に感じたのは静けさだった。(そう言えば、ここはお城だったっけ……お城って、静かなのね)革命直後で、ほとんどの人を城から追い出したから静かなのである。しかし、まだ眠気にとらわれたアリアはそんなことは気にしなかった。分厚いカーテンの隙間から差し込む光はやわらかく、寝室の空気を淡く照らしている。アリアはぼんやりと天井を見上げていた。「……疲れた」ブハッと吹き出す声がした。アリアは横を見た。そこにはルシアンがいた。(魔力を吸い取る魔法陣の話を聞いて、急いで結婚して、そして――)そこまで思い出したところで、アリアは瞬きをした。痛みがないわけではない。体の奥に、鈍い違和感のようなものは残っている。けれど、それは覚悟していたものとは随分違っていた。(もっと、こう……大変なものだと思っていたのだけど)アリアはゆっくり息を吐いた。子どものころから、痛みには慣れている。両親も兄たちもアリアに対して気は使っていたが、武芸を身につけるのに無傷とはいかない。魔物討伐時には、数えきれないほど怪我をしている。骨が軋むような重さも、牙や爪が食い込むを感じたこともある。だから昨夜、アリアは当然のように耐えるつもりでいた。文句を言わず、黙って耐えるように教えられてきたのだから。(でも……)違った。少なくとも、アリアが想像していたものとは。「……おはよう」ルシアンはしばらく前から起きていたようで、背もたれ代わりに枕を重ね、それにもたれながら座っていた。いつも通りの無表情だったが、その目は少しだけ柔らかかった。「おはようございます」アリアは少しだけ体を動かした。その瞬間、体の奥に鈍い痛みが走り、思わず「う」と小さく声が漏れた。ルシアンの眉がぴくりと動く。「……無理はするな」「大丈夫……」「頑張るかどうかを聞いているんじゃない。無理はするなと言っている」アリアは不思議そうに瞬きをした。そんなアリアに、ルシアンはため息を吐く。「疲れたと言っていただろう……痛みは?」「大丈……多少の違和感、くらい」ルシアンにじっと見られ、アリアの訂正した言葉にルシアンは満足げに頷いた。アリアは、なんとなく、もう少しだけ話が続けたくなった。「思っていたより、ずっと」「思っていたより?」「もっと、こう……」言葉を
「力を奪うのであって、即死させるわけではない……王妃陛下も、二十年以上……ご存命だった」「そう、だったな」王妃陛下の意外な死因の判明に、その場の全員が沈黙した。哀悼がすんだと判断したところでルシアンが口を開く。「俺が見た限りではアリア嬢はあの魔道具が欲する以上の魔力を今は持っている」「それを、吸われ続けたら?」「魔力がなければ、生命力変換させるようになっていた」「大変じゃないか」「……だから、そう言っている」ルシアンの言葉に三兄弟は黙った。理解しているのか、していないのか分からない沈黙。「それが……どうして、夜着になる?」「レオン、お前、学校で何を習った?」レオンハルトが首を傾げる。「剣」「……座学はからっきしだったな」呆れるルシアンに対して、レオンハルトは胸を張る。「お前の答えを一夜漬けで覚えてクリアしていたからな。お前がいなければ卒業できなかった自信がある」「そんな自信はいらん。あの装置の仕組みの詳細は不明だが、見たところ聖女の浄化魔法の術式の読み込みと魔力の吸い込みがあった」「なぜ? 浄化魔法ならいちいち術式を読み込む必要はないだろう」「聖女の浄化魔法は何かしら特別で、個体差があるのだろうな。アリア嬢がいる間、何度も読み込みが行われていた。だから一時的にアリア嬢の魔力を俺の魔力にしてしまい、魔導具に聖女の魔力だと誤認させれば、あいつは俺の魔力を吸い続ける」ルシアンが一拍置く。空気が凍った。先ほどまでの騒ぎが嘘のように静まり返る。ロザリーも、言葉を失っていた。「魔力を同質に……それで、夜着か」「そういうことだ」どういうことかと、理解できないロザリーはアリアを見た。見てしまった、という表現のほうが正しいのかもしれない。「私とルシアン様が房事を行い、ルシアン様の魔力を纏った精……」「姫様ストップ! マジで、ストップ!」ロザリーは急いでアリアの口を塞いだ。説明の途中だという目をアリアはしたが、ロザリーは無視した。「大丈夫です。理解できました」「そう? そういうことだから、夜着の準備をお願いできる?」「……姫様、その前に、急いで結婚しましょう。大丈夫です、姫様、まだピンピンしていますし」「そう言えば、閨は暗い中で行われると先生は言っていたわね」何かが違う。でも、何が違うのか説明するのは面倒臭い。
「ロザリー」名前を呼ばれたロザリー、アリアの侍女の女性はフィンとの話を切り上げた。「どうしましたか、姫様」軽やかに駆けてくるアリアの後ろ、ゆっくりと歩いてきたルシアンにロザリーは会釈する。ルシアンも会釈を返した。「ロザリー、昨日城下町で買ったものはどこ?」昨日、アリアから求婚が上手くいったと聞いたロザリーは城下町を歩き回り、アリアの嫁入り道具を買い集めた。金はあるが店がないという北の辺境伯領。金に糸目はつけないという北の辺境伯ローデリヒの言葉を遂行すべく、事前に情報を集め、無駄なく、アリア好みのものを集めた。「夜着はちゃんと用意している?」「……用意、は、してあります……けれど……」ここで聞くか、とロザリーは内心でアリアに抗議した。ロザリーは三兄弟のほうを顔を向けないように気をつけつつ、目線だけを向けた。三兄弟は揃って唖然とした顔をした後、さすが仲良し兄弟と言わんばかりの揃ったタイミングでルシアンを見た。(ルシアン様、おかわいそう……いや、でも、ローデリヒ様十人でも突破できない物理障壁を作れる方だと聞いているから大丈夫かしら)物理的には、ロザリーの思っているようにルシアンは安全である。だからこそ、アリアの白羽の矢がぶっ刺さったのだから。しかし、メンタルはボロボロである。でもデフォルトが無表情なルシアン、ぼろぼろのメンタルを誰にも認識してもらえなかった。 .「ルシアン、お前っ!」「レオン! 大いなる誤解だ! 剣を下ろせ!」 ガキンッレオンハルトは剣を下ろしたが、ルシアンが反射的に張った物理障壁に向かって振り下ろしていた。硬質な音にロザリーは吃驚したが、吃驚したのはロザリーだけだった。.「アリア、お前も嫁入り前で……」
「……その、だな。交わると言うのは……えっと……」この場には自分しかおらず、自分から切り出した以上は自分が説明するべきだとルシアンには分かっているが……。(する相手からの説明って、いやらしくないか? こうやってしますって暴露する……いや、心の準備はしてほしいから、事前説明が必要ってことなら……いやいや)ルシアンの言葉も、思考も止まる。喉が上下し、視線が魔法陣へと逃げる。(そんな手を使わなくても、魔法陣を解読すれば……でも、この規模だぞ? 十年は余裕でかかるぞ……十年、王妃陛下が身罷られたのはご成婚から二十……三年、くらい)「この元気いっぱいな聖女様でも、さすがに十年は……」「何を悩んでいるか分からないけど、十年? それなら、交わりましょう」「はあ?」驚くルシアンに、アリアは首を傾げる。「交わるのが一番手っ取り早いといったのは、ルシアン様でしょう?」アリアの問いかけに、ルシアンはさらに困った顔をした。(時間だけを問題にすれば一番早いことに間違いはない)「難しいことなの?」「いや……難しくは、ない」「何か必要なものは?」「必要なもの……も、特に、これと言っては、何も……いや、それでいいのか?」ルシアンの問いかけに、アリアはきょとんとしたあとで、笑う。「質問しているのは私なのに」「そう、だな……」ルシアンは大きくため息を吐いた。「交わりというのは……一種の儀式と思ってほしい」「うん」
生き残る、つまり、死なない。死なない男ならいいじゃないか。アリアの出した解決策に、フィンが呆れた。「なんだ、その条件は?」フィンはアリアのツッコミ担当。呆れつつも、仕事はこなす。「誰かが言っていたんだけど、兄弟から紹介された人との結婚ってうまくいくらしいの」「俺が言った条件はそっちではないが、“誰か”なんて出典の怪しいものを信じるなよ」「でもフィン兄さんも、私の周りに可愛い子がいたとき“紹介して”って強請るじゃない」「……そうだな」肩を落としたフィンに、レオンハルトが呆れる。「お前、そんなことを妹に頼んでいたのか」「仕方がないだろう、アリアのほうが女の子にモテるんだから
「やることは簡単なのです。聖女として城に入って、王様たちを制圧します。聖女の護衛ということで、お兄様たちが帯剣して謁見する許可も下りています」「三人とも、か?」「ええ、三人全員です。辺境の田舎者である兄たちに、滅多にできない王城見学を許す……みたいな手紙が王子様から届きました」アリアの言葉に、誰かが深いため息を吐いた。「……馬鹿なのか?」「馬鹿なんだな」「馬鹿だろう」馬鹿の三段活用。「ヴァルグリム三兄弟の武力なら国一つを落とせると言われているのだぞ」辺境伯たちの呆れた声に、アリアが口を開く。「だから、その、国落としをしにいくんですってば!」「あ、ああ、そうだったな……自
王都のはずれにある魔塔。真っ黒の石壁から「黒曜魔塔」と呼ばれているが、元は真っ白な石壁を清掃する予算がないだけのボロボロの塔である。高くそびえる塔の最上階で、この塔の主であるルシアン・ノクスは書類を睨んでいた。「……また、減ってる」机に広げられた予算表を、その長い指で叩く。「防衛魔術研究費、三割減。代わりに“聖堂改修費”の増額……か」ルシアンの向かいに座る研究員が、苦笑した。「王都は平和ですからね」「平和だから王都から出ない。出ないから、知らない振りができる」ルシアンは椅子にもたれ、天井を仰ぐ。「王都には聖女がいる。天然の対魔物結界だ。だから、魔術師は要らない。魔術師たち
王都ルクスハイム。白い城壁に囲まれた都は、今日も平和だった。少なくとも、城の中にいる者たちはそう思っていた。「辺境から聖女が見つかったと聞いた」王座に座る国王オスヴァルトは、宰相ヴァルターを呼び出した。王妃である聖女が亡くなって一ヶ月。彼は喪に服すどころか、愛人たちの宮殿を行脚して、愛欲に耽っていた。その分の仕事がどさっと宰相のところにいったため、彼は多忙を理由に国王への報告をサボった。どうせ読みはしない。人と時間は有限。節約できるところは節約するとヴァルターは宰相になった日から決めていた。読まない報告書は、最初から作らない。いつか呼ばれて聞かれるのだから、そのとき随