LOGIN聖女は、王家のもの――そんな常識を、北辺境の聖女は力で叩き壊す。 魔素汚染と魔獣に苦しむ辺境で育ったアリアは、神託で聖女に選ばれ、王家からの「求婚」という名の命令に激怒し、ふと、考えた。 「私が女王になれば、王子様と結婚しなくていいよね?」 革命を決意したアリアが手に入れた切り札は、超面倒くさがりな魔塔の主。 「研究費を優遇してくれるならいいよ」 恋愛感情ゼロの政略結婚はこの先どうなるのか。
View More(血の匂いに、もう慣れてしまったわ)
雪解け水を含んだ地面はぬかるみ、倒れた魔獣の体液と混じってアリア・ヴァルグリムの靴底に絡みついた。
空気は重く、肺に吸い込むたび、喉の奥がひりつく。
(魔素の汚れが増した)
「アリア、左!」
兄フィンの声が飛ぶのと同時に、アリアは身を沈めた。
長く戦いに身を置いてきたからできる、反射。
黒く歪んだ爪が、アリアの頭上をかすめて空を裂く。
「遅い」
短く言い放ち、アリアは踏み込む。
アリアの剣閃が走り、魔獣の胴を断った。
巨体が地面に崩れ落ちると同時に、アリアは異変に気づいた。
「なに!?」
胸の奥が熱を帯びるのを、アリアは感じた。
力が流れ出るのを感じる。
「これは……”浄化”?」
フィンの言葉に、アリアはハッとして周りを見渡す。
(世界が、きれいだ)
アリアを中心に、空気が澄んでいく。
濁っていた魔素が押し流され、楽に呼吸ができた。
「……はぁ」
アリアは小さく息を吐いた。
「空気って、こんなに美味しいのね」
*「終わったか」
アリアの長兄、カイムが剣を下ろす。
次兄のレオンハルトは肩を回し、困ったように息を吐きだした。
「また増えてる。王都から届く浄化の力が減っているのだろうな」
「もともと辺境は後回しだ」
レオンハルトの言葉に苦く笑い、カイムは周りを見渡して眉間にしわを寄せた。
「これは……聖女が、王妃様が亡くなったというのは本当にようだ」
「次の聖女はまだ見つかっていないから、王家はさぞ必死だろうよ」
普段は温和なレオンハルトの嫌味を込めた言葉に、カイムが皮肉っぽく笑った。
「王都に籠っていては見つかるわけがない。もしや辺境にいたりしたら……」
「カイム兄さん! レオン兄さん!」
慌てた弟、フィンの声にカイムとレオンハルトは揃って剣を構えた。
新たな魔獣が出たのかと思ったが……。
「なんだ?」
「あれ? なんか、とても呼吸が楽だ……」
レオンハルトの言葉に、カイムはある可能性に気づく。
「まさか……」
カイムの呟きに、レオンハルトは先ほど自分が言ったことを思い出した。
―― 次の聖女はまだ見つかっていない。
「「アリア?」」
カイムとレオンハルトの目が、末っ子のアリアに向かう。
アリアは、照れ臭そうに頬を描く。
「私が、次の聖女みたい」
「「聖女って柄じゃないだろ、お前!」」
兄たちの言葉に、アリアが目を吊り上げる。
「フィン兄さんと同じことを言わないで!」
*聖女。
神託によって選ばれ、魔素を浄化し、世界を正常化する存在。
だから、聖女は必要。
ルクスハイム王国最北、北辺境。
ここは王都から見れば、地図の端にある余白のような土地だ。
聖女の浄化の力も、ここまで届かない。
「ううむ……」
北の辺境伯、ローデリヒ・ヴァルグリム。
彼の率いるヴァルグリム家の施設騎士団「牙」はルクスハイム王国の武闘集団。
三人の息子、カイム、レオンハルト、フィンはそれぞれ一騎当千の勇将。
そして末っ子のアリア。
彼女は娘でありながら魔物の討伐に尽力し、兄たちと共に他の辺境にも遠征するため、「戦神アリア」の名で親しまれている。
「このアリアが……」
四兄妹の母親、エリスが腕を組んだ。
元は王都の女性騎士だったが、その腕にローデリヒが惚れ込み、果たし状か求愛か分からない言葉から始まった恋愛結婚で北部辺境伯夫人となった。
「「「「「聖女……」」」」」
「ちょっと、なんなの、みんなして!」
「旦那様、奥様、大変でございますっ!」
北部辺境伯家の執事ハンスが慌ててやってきた。
ハンスは、ドラゴンが群れになっても平気で「来ましたよ~」と報告しそうな男。
めちゃくちゃ緊急事態だと、全員が身構えた。
「王都のほうから、王子様からの使者が来ちゃいます!」
ハンスの言葉に全員目をむき、全員揃って窓辺に寄った。
六人の視線の先、王太子の旗を掲げたの使者が雪を蹴散らして駆け込んでくるのが見えた。
「辺境伯ローデリヒ様! 王都より、王太子殿下の言葉を届けに参った!」
一瞬で、場の空気が変わった。
ローデリヒは、深く息を吸って、吐いた。
「来ちゃったよ」
目が覚めたとき、アリアが最初に感じたのは静けさだった。(そう言えば、ここはお城だったっけ……お城って、静かなのね)革命直後で、ほとんどの人を城から追い出したから静かなのである。しかし、まだ眠気にとらわれたアリアはそんなことは気にしなかった。分厚いカーテンの隙間から差し込む光はやわらかく、寝室の空気を淡く照らしている。アリアはぼんやりと天井を見上げていた。「……疲れた」ブハッと吹き出す声がした。アリアは横を見た。そこにはルシアンがいた。(魔力を吸い取る魔法陣の話を聞いて、急いで結婚して、そして――)そこまで思い出したところで、アリアは瞬きをした。痛みがないわけではない。体の奥に、鈍い違和感のようなものは残っている。けれど、それは覚悟していたものとは随分違っていた。(もっと、こう……大変なものだと思っていたのだけど)アリアはゆっくり息を吐いた。子どものころから、痛みには慣れている。両親も兄たちもアリアに対して気は使っていたが、武芸を身につけるのに無傷とはいかない。魔物討伐時には、数えきれないほど怪我をしている。骨が軋むような重さも、牙や爪が食い込むを感じたこともある。だから昨夜、アリアは当然のように耐えるつもりでいた。文句を言わず、黙って耐えるように教えられてきたのだから。(でも……)違った。少なくとも、アリアが想像していたものとは。「……おはよう」ルシアンはしばらく前から起きていたようで、背もたれ代わりに枕を重ね、それにもたれながら座っていた。いつも通りの無表情だったが、その目は少しだけ柔らかかった。「おはようございます」アリアは少しだけ体を動かした。その瞬間、体の奥に鈍い痛みが走り、思わず「う」と小さく声が漏れた。ルシアンの眉がぴくりと動く。「……無理はするな」「大丈夫……」「頑張るかどうかを聞いているんじゃない。無理はするなと言っている」アリアは不思議そうに瞬きをした。そんなアリアに、ルシアンはため息を吐く。「疲れたと言っていただろう……痛みは?」「大丈……多少の違和感、くらい」ルシアンにじっと見られ、アリアの訂正した言葉にルシアンは満足げに頷いた。アリアは、なんとなく、もう少しだけ話が続けたくなった。「思っていたより、ずっと」「思っていたより?」「もっと、こう……」言葉を
「力を奪うのであって、即死させるわけではない……王妃陛下も、二十年以上……ご存命だった」「そう、だったな」王妃陛下の意外な死因の判明に、その場の全員が沈黙した。哀悼がすんだと判断したところでルシアンが口を開く。「俺が見た限りではアリア嬢はあの魔道具が欲する以上の魔力を今は持っている」「それを、吸われ続けたら?」「魔力がなければ、生命力変換させるようになっていた」「大変じゃないか」「……だから、そう言っている」ルシアンの言葉に三兄弟は黙った。理解しているのか、していないのか分からない沈黙。「それが……どうして、夜着になる?」「レオン、お前、学校で何を習った?」レオンハルトが首を傾げる。「剣」「……座学はからっきしだったな」呆れるルシアンに対して、レオンハルトは胸を張る。「お前の答えを一夜漬けで覚えてクリアしていたからな。お前がいなければ卒業できなかった自信がある」「そんな自信はいらん。あの装置の仕組みの詳細は不明だが、見たところ聖女の浄化魔法の術式の読み込みと魔力の吸い込みがあった」「なぜ? 浄化魔法ならいちいち術式を読み込む必要はないだろう」「聖女の浄化魔法は何かしら特別で、個体差があるのだろうな。アリア嬢がいる間、何度も読み込みが行われていた。だから一時的にアリア嬢の魔力を俺の魔力にしてしまい、魔導具に聖女の魔力だと誤認させれば、あいつは俺の魔力を吸い続ける」ルシアンが一拍置く。空気が凍った。先ほどまでの騒ぎが嘘のように静まり返る。ロザリーも、言葉を失っていた。「魔力を同質に……それで、夜着か」「そういうことだ」どういうことかと、理解できないロザリーはアリアを見た。見てしまった、という表現のほうが正しいのかもしれない。「私とルシアン様が房事を行い、ルシアン様の魔力を纏った精……」「姫様ストップ! マジで、ストップ!」ロザリーは急いでアリアの口を塞いだ。説明の途中だという目をアリアはしたが、ロザリーは無視した。「大丈夫です。理解できました」「そう? そういうことだから、夜着の準備をお願いできる?」「……姫様、その前に、急いで結婚しましょう。大丈夫です、姫様、まだピンピンしていますし」「そう言えば、閨は暗い中で行われると先生は言っていたわね」何かが違う。でも、何が違うのか説明するのは面倒臭い。
「ロザリー」名前を呼ばれたロザリー、アリアの侍女の女性はフィンとの話を切り上げた。「どうしましたか、姫様」軽やかに駆けてくるアリアの後ろ、ゆっくりと歩いてきたルシアンにロザリーは会釈する。ルシアンも会釈を返した。「ロザリー、昨日城下町で買ったものはどこ?」昨日、アリアから求婚が上手くいったと聞いたロザリーは城下町を歩き回り、アリアの嫁入り道具を買い集めた。金はあるが店がないという北の辺境伯領。金に糸目はつけないという北の辺境伯ローデリヒの言葉を遂行すべく、事前に情報を集め、無駄なく、アリア好みのものを集めた。「夜着はちゃんと用意している?」「……用意、は、してあります……けれど……」ここで聞くか、とロザリーは内心でアリアに抗議した。ロザリーは三兄弟のほうを顔を向けないように気をつけつつ、目線だけを向けた。三兄弟は揃って唖然とした顔をした後、さすが仲良し兄弟と言わんばかりの揃ったタイミングでルシアンを見た。(ルシアン様、おかわいそう……いや、でも、ローデリヒ様十人でも突破できない物理障壁を作れる方だと聞いているから大丈夫かしら)物理的には、ロザリーの思っているようにルシアンは安全である。だからこそ、アリアの白羽の矢がぶっ刺さったのだから。しかし、メンタルはボロボロである。でもデフォルトが無表情なルシアン、ぼろぼろのメンタルを誰にも認識してもらえなかった。 .「ルシアン、お前っ!」「レオン! 大いなる誤解だ! 剣を下ろせ!」 ガキンッレオンハルトは剣を下ろしたが、ルシアンが反射的に張った物理障壁に向かって振り下ろしていた。硬質な音にロザリーは吃驚したが、吃驚したのはロザリーだけだった。.「アリア、お前も嫁入り前で……」
「……その、だな。交わると言うのは……えっと……」この場には自分しかおらず、自分から切り出した以上は自分が説明するべきだとルシアンには分かっているが……。(する相手からの説明って、いやらしくないか? こうやってしますって暴露する……いや、心の準備はしてほしいから、事前説明が必要ってことなら……いやいや)ルシアンの言葉も、思考も止まる。喉が上下し、視線が魔法陣へと逃げる。(そんな手を使わなくても、魔法陣を解読すれば……でも、この規模だぞ? 十年は余裕でかかるぞ……十年、王妃陛下が身罷られたのはご成婚から二十……三年、くらい)「この元気いっぱいな聖女様でも、さすがに十年は……」「何を悩んでいるか分からないけど、十年? それなら、交わりましょう」「はあ?」驚くルシアンに、アリアは首を傾げる。「交わるのが一番手っ取り早いといったのは、ルシアン様でしょう?」アリアの問いかけに、ルシアンはさらに困った顔をした。(時間だけを問題にすれば一番早いことに間違いはない)「難しいことなの?」「いや……難しくは、ない」「何か必要なものは?」「必要なもの……も、特に、これと言っては、何も……いや、それでいいのか?」ルシアンの問いかけに、アリアはきょとんとしたあとで、笑う。「質問しているのは私なのに」「そう、だな……」ルシアンは大きくため息を吐いた。「交わりというのは……一種の儀式と思ってほしい」「うん」
「アリア・ヴァルグリムと申します」(アリア・ヴァルグリム……)体幹が一切ぶれないキレイなカーテシーをぼうっと見ながら、ルシアンはアリアの名前を脳内で再生していたが……。(ヴァルグリムって……)ルシアンは、“ヴァルグリム”の名に気づいた。「北部辺境伯家の……」面倒臭がり、役所仕事は部下に丸投げのルシアンでも、魔塔のスポンサーくらいは把握している。それにヴァルグリム家の次男、レオンハルトはルシアンの学院時代の同期で、ルシアンにとっては知人以上で友人未満の存在だった。「ヴァルグリム家のご令嬢が何の御用ですか?」(魔道具の注文か?)辺境伯家から依頼される魔術を付与した武器や防具の
(この女は、王位を獲る……獲れない理由も、止める言葉も、全く見つからない……なるほど、それで、俺に求婚か)ここにきてようやく落ち着いたルシアンは、アリアの求婚の理由を察した。「法典か」王配となる男がいないと、女性は女王にはなれない決まりがある。「王位は奪うのに、法典は守るのか?」「王位を奪ってはいけませんって、法典に書いていないでしょう?」当たり前である。でも、とんでもない理屈だが、ルシアンにはアリアの言いたいことがなんと
「ちょっと待て」混乱する頭を整頓するため、ルシアンはアリアに待ったをかけた。ルシアンの制止に、何かを言おうとして開いていた口をアリアが閉じる。(素直だな)視線を少し外して、ルシアンの要求通り『待つ』姿勢のアリアにルシアンは新鮮な驚きを覚えた。ルシアンにとって、レオンハルトのような一部を除き、貴族とは話しをよく聞かない相手だった。特に、ルシアンの元にやってくる貴族令嬢たちは話を聞かない。ルシアンとて、丁度よく性欲が発散できると言っても、鬼畜生ではない。関係を持っても、結婚という形で責任をとる気はないと伝える気でいる。だから「待て」というのだが、彼女たちはルシアンを落とすという目
黒曜魔塔。王都の端、聖堂や貴族街から意図的に距離を取らされた場所に、その塔はそびえ立っていた。その塔の入口に、四人の人影が立っていた。四人は揃って全身を長いマントで包んでおり、ここが王都の端でなければ『不審者』として憲兵隊に連れていかれてもおかしくない姿だった。.「……ここ?」「そうだ」訝し気なアリアの言葉に、カイムが頷く。「ここって、お城から大分離れてはいるけれど……お城の敷地内なんだよね」目測で五百メートルほど先に見えるのは城の中央にあるという尖塔。「城壁を超えてきただろう?」「……城壁」来た道を見れば、五十メートルほど先にアリアの腰の高さの壁。それが城壁。越え