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星はもう、月の光を求めない
星はもう、月の光を求めない
Author: 苺まき

第1話

Author: 苺まき
浴室の中。

黒澤誠(くろさわ まこと)の手が、九条星良(くじょう せいら)の腰をがっちりと掴んでいた。

白く滑らかな肌には、すぐさま五本の紅い痕がくっきりと残る。

彼女がまるで反応しないのを見て、誠は苛立ちを露わにして身を寄せる。そしてそのまま、星良の肩に鋭い牙を立てた。

誠の鋭い犬歯が容赦なく肌を貫き、皮膚を破る。血がじわりと口元に滲み、舌の裏に鉄の味が広がった。

その突如として襲った激痛で、星良は目を見開いた。

だが、目の前の人物の顔を見た瞬間、彼女の手が無意識に動き、誠の身体を思いきり突き飛ばした。

壁にぶつかった誠は、驚いた表情で星良を睨みつける。その瞳の奥には、明確な凶悪の色が一瞬だけ走った。

それを見た星良は思わず身を縮こませ、恐怖に駆られて震えた。

「言われた通りにしたんだろう。半月は来ないって、そう言ったでしょ」

それは確かに誠の声だった。けれど、その響きにはどこか、少年のような感触が混じっていた。

星良は茫然と彼の裸の上半身を見つめ、次いで周囲に目を走らせる。

暗く湿った地下室でもなければ、あの忌々しいネズミの鳴き声もない。

まるで何かを思い出したかのように、星良は両手を勢いよく持ち上げた。そして、十本の指を確認する。

――全部、ある。

その事実を見た瞬間、彼女の瞳から涙が溢れ出す。

誠は困惑の色を深めたまま、星良の様子をじっと見つめていた。

返事がないままの彼女に、不安を拭えなかったのだろう。

彼は表情を強張らせながら、そっとその手を彼女のうなじに伸ばす。

けれど――

「っやめて!!」

怯えたように叫ぶと、星良は再び彼を突き飛ばす。

誠の我慢の限界が、今、音を立てて崩れる。

「寝たいって言ったのはお前だろ?触るなって言うのもお前。

……一体何がしたいんだよ」

その声音には、見下すような嘲りが滲んでいた。

星良の服はすでに水で濡れそぼり、身体は小刻みに震えていた。彼女は必死に震える声を抑えながら、ぽつりと呟く。

「……出てって……」

その言葉に、誠は意外そうに彼女を一瞥する。

しかしその刹那、スマホの着信音が鳴った。

「誠!すぐ来て!紗耶が大変だぞ!」

その声を聞くや否や、彼は一言も発せず浴室を飛び出して行った。扉を閉めることさえ忘れた。

彼の気配が消えた瞬間、星良はその場に崩れ落ちた。

身体の震えが、もう止まらなかった。

涙が頬を伝い、次から次へと流れ落ちる。

信じられない。

……誠と結婚前の日に、戻ってきた?

誠が九条家にやってきたのは、彼が十四歳のときだった。

父・九条雅信(くじょう まさのぶ)は慈善活動を好み、才能ある子どもたちの支援・引き取りを積極的に行っていた。

彼は惜しみなく教育の機会を与え、彼らに最高の環境を用意してきた。

世間では、九条家に息子がいないことから、「娘のために、幼い頃から将来の婿養子候補を何人も育ててきたのだ」との噂が囁かれている。

いずれその中から最も優秀な者を選び、婿として迎えるつもりなのだろうと。

そして、その知性と才能を持っていた「最も優秀な一人」は、間違いなく誠だった。

彼は星良にとって、唯一無二の「憧れ」だった。

彼女の想いは、まるで夜空の星が、ただ一つの月を追いかけるように純粋だった。

けれど、誠は終始冷たく、心を開かなかった。たとえ彼女が自分を育ててくれた恩人の娘であっても、その態度は変わらなかった。

星良は、そんな彼を好きで好きで、何年も追い続けた。けれど誠は、その想いを何年もの間、何度も拒み続けた。

そして、ある日。

誠が突然彼女の元に現れ、「俺と、結婚してくれ」と告げた。

突拍子もないその言葉に、星良は幸福の頂点にいた。ようやく自分の気持ちが彼に届いたと信じて、疑いもしなかった。

ためらうことなく、彼女は頷いた。

だが、結婚式の当日、彼の幼なじみ・雨宮紗耶(あまみや さや)が九条家ビルの30階から身を投げ、地面に叩きつけられて命を落とした。

その瞬間、結婚指輪のダイヤが彼女の指から転がり落ち、幾度か床を跳ねたあと、どこへ消えたのか分からなくなった。

式は、そのまま進行された。

結婚してからの三年間、誠は、星良の望むものをすべて与えた。だが、もともと笑わないその顔は、さらに不気味なまでに冷えきっていた。

そして、妊娠三ヶ月のとき。

突然、星良の父が失踪し、行方不明となったという知らせが届く。

警察に向かうと思いきや、誠が車を走らせたのは山の上だった。

車が山頂に着いたとき、彼女の目に飛び込んできたのは、車の後部に縄で繋がれ、血まみれの姿で山道を何度も引きずられていた父の姿だった。

全身に痣と出血、口や耳からも血が流れ、地面に倒れた父は今にも息絶えそうだった。

駆け寄ろうとした星良を、誠はためらいなく縛り上げた。

彼の子を身ごもっていたにもかかわらず、自らの手で彼女を車で引きずり回したのだ。

足の間から流れた鮮血が、両脚を真っ赤に染め、立ち上がる力すら失われ、照りつける灼熱の太陽に目を開けることもできず、痛みに耐える心も、もうどこにも残っていなかった。

浴室の床に座り込んだ星良は、自分の首に回していた手を、ふと緩めた。

荒く息を吐きながら、星良は静かに笑い、涙を流した。

「……黒澤誠。今度こそ、絶対にあなたなんか選ばない」
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