LOGIN真琴をベッドに下ろし、信行が口づけようと身を乗り出すと、真琴は両手でそっと彼の顔を包み込んだ。まるで大切な宝物を扱うかのように、優しく、繊細に。手のひらに伝わる温もりを感じ、信行は彼女の手首を握り、その瞳を深く見つめ返した。視線が絡み合う。真琴は彼を見つめ、そっと呼んだ。「……信行!」信行は彼女の右手を取り、その甲に口づけを落とした。同時に、体中が熱くなり、彼女を見る瞳は情熱的な色を帯びていく。手の甲をくすぐるキスに、真琴の目は潤み、口角を上げて微笑んだ。生き生きとした笑顔だった。顔から手を離し、真琴が目を閉じると、信行は唇に口づけた。ただ……信行がさらに深く求めようとした時、真琴は彼の優しいキスに誘われるように、すぅと寝息を立て始めた。無防備に眠ってしまった真琴を見て、信行は呆れつつも、愛おしさが込み上げた。最後に額にキスをし、着替えを持ってバスルームへ向かった。……翌日。真琴が目を覚ますと、もう午前九時を回っていた。信行はすでに起きており、部屋の隅で仕事の電話をしていた。腕を目に乗せ、ぼんやりと昨日の記憶を辿る。墓参りに行き、夜は皆に食事を奢り……結構な量を飲んだ。その後のことを思い出し、真琴の気は重く沈んだ。飲みすぎて、信行を紗友里と間違え、彼の顔を触り……あまつさえ、キスまでしてしまったなんて。しかも、昨夜の支払いは全部信行が済ませたようだ。バツが悪い。他の人は酔うと記憶が飛ぶというのに、どうして自分は鮮明に覚えているのだろう?すべてではないにしろ、肝心なことは何ひとつ忘れていない。信行の方を見ると、彼がちょうど電話を切ろうとしていたので、慌てて視線を戻した。その時、信行がベッドに近づいてきて、何事もなかったかのように告げた。「母さんが飯食いに来いって」腕を目に乗せたまま、真琴はゆっくりと答えた。「……分かりました。あと二分したら起きます」昨夜の失態に触れられなかったので、心底ほっとした。彼女の言葉を聞き、信行は腰をかがめて額にかかる髪を撫で、しばらく寝顔を見つめてから、またデスクに戻って仕事を再開した。部屋は静かで、キーボードを叩く音と、窓外の鳥のさえずりだけが聞こえる。しばらく横になってから、真琴は身を起こした。布団を畳み、
十時過ぎ。車が芦原ヒルズに着くと、真琴は「酔ってない」と言い張り、自力で歩いて家に入った。信行は仕方なく、いつでも支えられる距離で彼女に付き添った。寝室に戻るなり、真琴はソファに座り込み、動かなくなった。信行は彼女のバッグと携帯を置き、その前にしゃがみ込んだ。そっと両手を包み込み、優しく尋ねる。「どうした?」目を赤くして信行を見つめ、真琴は泣きそうな声で言った。「紗友里……私、お母さんもお父さんもいないの」その声は小さく、ひどく頼りなかった。信行は一瞬息を呑み、握った手に力を込めた。二回ほど手を握り締め、慰めた。「……俺たちがいるだろ」その言葉に、真琴は黙り込んだ。溢れ出る悲しみを見て、信行は愛おしそうに彼女の頬を撫でた。真琴は信行を見つめ返し、頬にある彼の手首を掴んで言った。「ありがとう、紗友里」泥酔して、目の前の信行を紗友里だと思い込んでいるのだ。信行は訂正せず、ただ指先で頬を撫でながら低い声で尋ねた。「シャワー浴びるか?浴びないならそのまま寝ろ」真琴はぼんやりと答えた。「……浴びる」そう言ってソファから立ち上がろうとし、信行もそれに合わせて立ち上がった。足元がおぼつかない彼女を見て、信行は先にクローゼットへ向かい、着替えのパジャマを取り出した。だが、振り返るよりも早く、真琴が背後から抱きついてきた。両手で腰を回し、その広い背中に頬を押し当てる。信行の動きが止まる。張り詰めていた心が、ふわりと解けていくようだった。しばらくして。振り返ると、真琴はとろんとした目で、今度は彼の胸に顔を埋めてきた。長い睫毛、通った鼻筋。どこを切り取っても、ため息が出るほど綺麗だ。しばらく見下ろしていたが、あまりに無防備で、珍しく甘えてくる様子に、信行は彼女の顎を指で持ち上げた。「よく見ろ。俺だ。紗友里じゃない」真琴は腰に腕を回したまま、彼を見上げる。じっと瞳を覗き込んでから、ぽつりと呼んだ。「……信行兄さん」学生時代、彼女はずっとそう呼んでいた。久しぶりに聞く懐かしい響きに、信行はパジャマを握りしめたまま、彼女を見つめた。視線が絡み合う。真琴の潤んだ瞳の中に、信行は自分の姿と……遠い過去の情景を見た。しばらく見つめ合った後、真琴が腕を解こうと
そう言って、真琴は慌てて道を空け、隣の椅子を引いた。「座って」信行に対するその態度は、拓真たちへのそれよりもずっと他人行儀で、明らかな距離感があった。拓真たちはそれを見て、少し同情的な目で信行を見た。何しろ、彼は夫なのだから。信行はただ冷ややかに拓真を睨みつけただけだった。さっき真琴をハグしようとしたのを、まだ根に持っているようだ。間もなく料理が運ばれ、皆が口々に真琴へのお祝いを述べた。真琴は笑顔で、その一人一人に応えた。今夜、彼女は結構な量を飲んでいた。お開きになる頃には足元がおぼつかなくなり、まともに歩けなくなっていた。必死にこらえてはいたが、体質的に限界だった。彼女は酒に弱い。ホテルのエントランスで、真琴が目を回さないよう必死になりながら、よろめいて歩いていると、紗友里が彼女を信行の懐に押し付け、無理やりその腰に腕を回させた。「こういう時こそ兄ちゃんの出番でしょ。どうせもう長くはないんだから、抱っこさせてあげなさいよ」そして信行を見上げて釘を刺した。「真琴は今日お墓参りに行ったのよ。兄ちゃん、今夜は少しは大目に見てあげてね。嫌な顔しないでよ」確かに、午後のお墓参りのせいで感傷的になり、真琴はいつもより酒が進んでしまった。紗友里の忠告に、信行は淡々と彼女を一瞥し、真琴の顔にかかる髪を払ってやった。彼に寄りかかり、真琴は両手で信行の首に抱きつくと、うわ言のように呟いた。「紗友里……今夜は、紗友里のとこに泊まるわ……」「……」真琴を見下ろし、左手で彼女の腰を支えながら、信行はポケットから車のキーを取り出し、拓真に渡して言った。「運転手に俺の車を回させてくれ」拓真は言った。「そのまま運転手に送らせればいいだろ」信行は答えた。「回すだけでいい。送らなくていい」拓真は頷いた。「分かった」拓真がキーを受け取ると、信行は真琴が自分を紗友里だと思い込み、首にすがりついて胸に顔を埋めているのを見て、顔にかかった髪を整え……その頬にキスをした。傍らで見ていた紗友里は呆気にとられ、酔いも一気に覚めた。しばらく信行を凝視した後、酒臭い息を吐きながら、訝しげに尋ねた。「兄ちゃん、変な酒でも飲んだ?」信行は右手を振り、紗友里の顔を鷲掴みにして押しやった。紗友里
空が薄暗くなり始め、管理人が見回りに来る時間になって、真琴はようやくその場を後にした。帰路につくと、突然の夕立に見舞われた。ハンドルを握りながら、過去のことや仕事のことに思いを馳せていると、助手席に置いていた携帯が鳴った。拓真からだ。通話ボタンを押し、明るい声で出る。「もしもし、拓真さん」電話の向こうで、拓真は言った。「真琴ちゃん、聞いたぞ。特許が売れてプロジェクト責任者になったんだって?おめでとう」ハンドルを握りながら、真琴は笑って言った。「ええ、昨日高瀬社長と契約しました。ありがとうございます、拓真さん」「仕事が順調なのは何よりだけど、根詰め過ぎるなよ。たまにはみんなで集まろうぜ」真琴は答えた。「ええ、ぜひ」拓真と少し話して電話を切ると、すぐに司からもお祝いの着信があった。その後も、共通の友人たちから次々とお祝いの電話がかかってきた。皆からの祝福に、真琴の心はさっきよりもずっと晴れやかになった。ふと気づくと、雨が上がっている。フロントガラス越しに見上げれば、そこには大きな虹がかかっていた。その光景に、真琴は心から微笑んだ。人生には、まだ美しい瞬間がある。そう思い、先ほどの祝福の余韻に浸りながら、真琴は拓真たちにかけ直して夜の予定を尋ねた。最初の成功を祝って、夕食をご馳走したいと申し出た。拓真と司は二つ返事で快諾した。電話を切った後、二人は元々の予定をキャンセルしてくれたようだ。店を予約した後、真琴はやはり礼儀として信行にもメッセージを送った。【今夜、みんなにご馳走するんだけど、時間はありますか?】信行からはすぐに返信があった。【ある】真琴は店の場所を送り、彼を誘った。信行と拓真たちの関係は深いし、プロジェクトに出資してくれたのも彼だ。彼を仲間外れにするわけにはいかない。午後六時。真琴が個室に着くと、拓真と司がちょうど到着したところだった。他の数人も集まっている。紗友里は先に来ていて、皆の相手をしてくれていた。真琴の姿を見つけるなり、紗友里は駆け寄って抱きついた。「真琴、すごいじゃない!高校時代の特許が今でもそんなに価値があるなんて」紗友里を抱きしめ返し、真琴は笑顔で言った。「ありがとう紗友里。みんなの相手をしてくれて助かったわ」
意外だった。まさか、信行が迎えに来てくれるなんて。指折り数えてみれば、十日ほど会っていなかったことになる。今回の別れは、まるで何年も会っていないかのように長く感じられた。一日が千年のように重い。黒いマイバッハの傍らで、真琴の声を聞き、信行が振り返った。姿を認めるなり、彼は吸いかけのタバコを携帯灰皿に押し込み、慌てて煙を払う。月明かりが、二人の影を長く伸ばしていた。両手をポケットに戻し、信行は優しく声をかけた。「終わったか?」バッグのストラップを握りしめ、真琴は歩み寄りながら頷く。「ええ、終わりました」距離が縮まり、二人の影が重なる。信行は彼女を見下ろし、その頬が以前よりこけていることに気づいた。真琴が何か言う前に、信行は自然な動作で助手席のドアを開けた。「帰ろう」十日ぶりに会う信行もまた、少し痩せたように見えた。その瞳には疲労の色が滲んでいる。わざわざこんな遠くまで迎えに来てくれたこと、出張から戻ったばかりであろうことを思い、真琴は素直に「はい」と答え、車に乗り込んだ。車が実験区を出る。波が岩を打つ音が遠くに聞こえた。月明かりと街灯がアスファルトを照らし、郊外の夜景を幻想的に彩っている。ハンドルを握りながら、信行は横目で真琴を一瞥した。彼女がじっと前を見つめているのを見て、気だるげに毒づく。「高瀬の野郎、随分と人使いが荒いな」信行が話しかけてきたので、真琴は少し表情を緩めて答えた。「社長はいい方ですよ。ただ、ご自分のプロジェクトに責任を持っているだけです」その笑顔はどこか他人行儀で、言葉の端々に見えない壁がある。一呼吸置き、彼女は信行の方を向いて言った。「そうです、高瀬社長が私の特許を買い取ってくれました。『礼なら片桐さんに言うべきだ』と仰っていましたけれど」信行は鼻で笑った。「礼には及ばない……きっちり元を取らせてくれれば、それでいい」あくまでビジネスだと言う彼に、真琴は小さく笑って前を向いた。車内は静まり返り、風を切る音だけが響く。一日中張り詰めて仕事をしていた反動か、助手席の心地よい揺れに身を任せていると、いつの間にか強烈な睡魔が襲ってきた。頭がこっくりこっくりと揺れ、やがてシートにもたれて深い眠りに落ちていく。傍らで、信行は寝息を立て始めた
そこまで言って、智昭は口元を緩めた。「ただし……あいつの眼力は、ビジネスに限るようだがな」その皮肉に、真琴は思わず吹き出した。一呼吸置いて立ち上がり、居住まいを正す。「いずれにせよ、社長のご配慮には感謝しています。ご期待に添えるよう、精一杯努めます」智昭は真剣な眼差しで見上げる。「辻本さん。これは始まりに過ぎない。君の最初のプロジェクトだ……大成功を期待しているよ」智昭は真琴を高く評価しており、以前から彼女の特許に目をつけていたが、アークライトの資金繰りは厳格で、一銭たりとも無駄にはできなかった。長年の懸案だった家庭用ロボット開発に、使える資金には限りがあった。今回、信行がスポンサーとして助け舟を出してくれた形だ。真琴は力強く頷いた。「はい。必ず」契約書を持って自分のオフィスに戻り、間もなく真琴は車で実験室へと向かった。……夜九時、芦原ヒルズ。一週間以上の出張から戻った信行を、使用人の舞子は笑顔で出迎えた。「お帰りなさいませ、信行様」上着を預け、信行は家中を見渡して無表情に尋ねた。「……真琴は?」舞子は上着を受け取りながら答えた。「真琴様はこのところお忙しくて……ここ数日は実験室に泊まり込んで、お帰りになっていません。随分とお痩せになりましたよ」舞子の報告に眉をひそめ、信行は無言で二階へ上がった。寝室のドアを開けても中は静まり返っている。信行は窓際へ歩み寄り、ポケットから携帯を取り出して真琴に発信した。まくり上げた白シャツの袖。男の手背に浮き出る血管が、苛立ちを表すように脈打っている。格別にセクシーだ。しばらくして電話が繋がると、信行は感情を押し殺して尋ねた。「……まだ残業か?」電話の向こうで、真琴は仕事を続けながら答えた。「ええ、実験室です。まだやることが残っていますので」「帰らないのか?」真琴はパソコン画面を見つめながら、ゆっくりと言った。「明日は市内で会議がありますから、遅くなりますが帰ります……お待ちにならなくて結構ですので」信行はそれ以上何も言わず、無言で通話を切った。一方、真琴は智昭に言われた「礼なら片桐さんに言うべきだ」という言葉を反芻し、暗くなった画面をしばらく見つめてから、仕事に戻った。夜十一時過ぎ。ようやくデータ