LOGIN妊娠初期でつわり真っ只中の永田美千花(ながたみちか・24歳)は、街で偶然夫の律顕(りつあき・28歳)が、会社の元先輩で律顕の同期の女性・西園稀更(にしぞのきさら・28歳)と仲睦まじくデートしている姿を見かけてしまい。 妊娠してから律顕に冷たくあたっていた自覚があった美千花は、自分に優しく接してくれる律顕に真相を問う事ができなくて、一人悶々と悩みを抱えてしまう。 (執筆期間2022/05/03〜2022/05/24) --------------------- ○表紙絵は市瀬雪さまに依頼しました。 (作品シェア以外での無断転載など固くお断りします)
View More「受付番号一四六番の方。第二診察室へお入りくださ〜い」
ここはこの町で唯一の総合病院。その中の診療科に属する、三〇近い科の中のひとつ『産科・婦人科』の待合室。 かつては市内に数カ所あったらしい子供が産める施設も、昨今の少子化の影響か、はたまた後継者が育たなかったからか、子供を産むことが出来る産科を有する病院は、ここともう一箇所の個人病院ひとつを残すのみとなってしまった。患者はその案内を見て、目当ての科へ行く前に検査センターで血液検査や尿検査等を済ませておかなければならないのか、それともそのまま診察を受ける科へ直行すればいいのかを判断する。 加えて、この病院では受付から会計に至るまで、名前の代わりに当日発行された整理番号で呼ばれるから。「うん」 美千花が首肯したのを確認した律顕が、「だから僕は再来機が見える位置でずっと君の事を待ってたんだ」と言って美千花を驚かせる。「そこからは君に見付からないよう気を付けながら、ずっと付かず離れず美千花の事を見守ってた」「嘘っ」 思わずつぶやいた美千花に、「ごめん。やっぱりストーカーみたいで気持ち悪いよね」と、律顕がしゅんとする。 美千花は、「だから言いたくなかったんだ……」と小声で付け加えて項垂れる律顕をじっと見詰めて。「確かに驚いたし……普通に付いて来てくれたら良かったのにって思ったよ?」 そう告げて、律顕を更に縮こまらせる。「でもね、気持ち悪いだなんて微塵も感じなかった! だって律顕。私の事を心配してくれての事だったんでしょう?」 知らない人にされたなら、確かに怖いし気持ち悪い。でも、相手は愛する夫だったから。 ニコッと笑ってそっと彼の手に触れたら、律顕がハッとしたように顔を上げて美千花を見た。「美千花、ここ最近ずっと調子悪そうだったから……」 診察が終わってからも、美千花の事が心配でそばを離れられなかったらしい。 だからなのだ。 美千花が失神した時、伊藤医師が言ったように、律顕がすぐさま手を差し伸べられたのは。 「律顕。私と赤ちゃんを守ってくれて有難う」 美千花の言葉に、律顕が泣きそうな顔をして「君が倒れた時、僕は本当に怖かった」とつぶやいて、美千花の枕元にポスッと額を押し付ける。 まるで情けない顔を見られたくないみたいに顔を伏せたまま動かない律顕の柔らかな髪をそっと撫でながら、 「心配掛けてごめんね」 美千花が言ったら「……うん」と小さな声が返った。 「美千花、迷惑かも知れないけど僕、向こう五日間程有給取ったから」 ややしてポツンとつぶやかれた声に、美千花はさっき稀更が言っていたやつかな?と思って。「しばらくの間、君はベッドから動けないって先生から聞いたんだ。――だから、何かして欲し
伊藤達が居なくなって、仕切りの中。 律顕と二人取り残された美千花は、改めて夫を仰ぎ見て口を開いた。「ねぇ律顕。今のって……どういう、意味?」 美千花が恐る恐る問い掛けたら、律顕は医者の診察に際して畳んで横に避けていたパイプ椅子を再度引っ張り出してベッド横に置いて。 そこに腰掛けて美千花と視線を合わせると、「ストーカーみたいで気持ち悪いって思われそうで言えなかったんだ……」 そう前置きをして口を開いた。「美千花、前回の健診の時、僕が付き添ったの、余り好ましく思ってなかっただろう?」「え、あ、あのっ、あれは……」 あの日、美千花は明白に夫を拒否したのだ。 勿論その気持ちを隠せていたとは思っていない美千花だったけれど、面と向かって問われたら素直に肯定出来なくて……口籠るようにオロつきながら謝った。「……その通りです、ごめんなさい」「別に責めてるわけじゃないから大丈夫。つわりのせいだったって今はちゃんと理解してるし、美千花にとっては仕方のない事だったって解ってもいるつもり。だからお願い、顔あげて?」 なのに律顕はどこまでも優しくて。その事が美千花には堪らなく申し訳なかった。「でも……私がきちんと気持ちを伝えられていたら、律顕を変に傷付けなかったと思う。……本当にごめんなさい。あの時は私、自分の事で一杯一杯で……律顕に優しくなかった」「有難う、美千花。僕はその言葉だけで十分だよ」 律顕は極々自然に美千花の方に手を伸ばすと、「僕も妊娠中の女性の事、ちゃんと勉強してなくて悪かったって反省してる。過去に関してはお互い様だからそこはもう今後に活かす教訓にしよう?」 そのままふんわり美千花の頭を撫でて微笑んで。 美千花はそんな律
「つわりは治ってきたのにストレスかな。余り胃腸の調子が良くないの。ちょっと心配事があったら今みたいにキュゥッと差し込んで辛くって。だから食事も余り摂れてなくてこんな情けない事になっちゃった。ごめんね」 ついさっきまでは、認めたら終わりだと思っていた胃痛だったけれど、今はその事を律顕に話して弱音を吐いてもいいと思えた。「こっちこそごめん。僕のちっぽけで情けない矜持もきっと、君を苦しめる原因になってるよね」 言いながら律顕が躊躇なくナースコールを押すと、すぐさま美千花の枕元から「永田さぁ〜ん、どうなさいましたか?」と看護士の声がした。「妻が胃痛を訴えて辛そうにしています」 律顕が答えて、「すぐ行きます」と声が返った。「処置が済んだら、僕が今日一日会社を休んで何をしていたか、ちゃんと話すよ」 律顕が躊躇いがちに美千花の頭をそっと撫でて。 美千花は久々に感じる夫の手の感触を心地良いと思いながら、コクッと頷いて目を閉じた。 *** 「――永田さん、お腹痛いって?」 丁度タイミングが合ったのだろうか。 結局病室にやって来たのは看護士ではなく、ナースを伴った伊藤医師だった。「先生……わざわざすみません」 胃が差し込むと言っても我慢出来ない程ではないのに、忙しい主治医の手を煩わせてしまった。 そう感じた美千花がしゅんとして謝ったら、「患者が医者に気を遣うものじゃない」と諫められた。「つわりも落ち着いてきたって話だったのに固形物が喉を通らないのは、そういう遠慮がちで気にしぃな性格のせいかな?」 何故かそこでチラリと律顕の方を見た伊藤から、「今日だってたまたまご主人と一緒だったから良かったようなものの。倒れた時に頭とか打ってたら大事だったよ?」と言われて。 美千花は「え?」とつぶやいて伊藤と律顕を見比べた。 今日律顕は健診にだって一緒に来てはくれなくて、美千花はずっと一人だったはずだ。 処
「あの、もしかして私がマスクして待ってた日も……」「……配慮が足りなくてごめんね、美千花。あれって家でもマスクしなきゃいけない程に僕のにおいがしんどくなってたって事だろ? それじゃなくても美千花は色々しんどそうなのに僕のせいで無理させて本当申し訳ないって思ってる。なのにどんなに外で時間を潰していても……どうしても君の顔を見に家に帰るのだけはやめられなかったんだ。――外で寝泊まりするとか……そんな事もしてあげられない様な中途半端な男でホントごめん。君が辛いならもっともっと風呂に入る頻度も上げる……。だから……えっと、一つ屋根の下にいるのだけはどうか許して欲しいんだ」「ちっ、違っ!」 流れるように滔々と言い募る律顕の暴走を止める為に思わず声を荒げたら、律顕がびっくりしたみたいに「……え?」とつぶやいて言葉を止めた。 あの日だけじゃなくて他の日も。 美千花は律顕に歩み寄りたくてアレコレ頑張っていたのに……。 律顕は律顕で美千花に嫌な思いをさせない事ばかりに気を取られて、必死に距離をあけようとしていたんだと気付いたら、「愛想を尽かされたに違いない」と落ち込んで距離を詰められなかった自分にほとほと嫌気がさした美千花だ。「私、今みたいに律顕と腹を割って話し合いたかっただけなの。あの時は確かにまだにおいに敏感だったから……マスクで緩和しようとして貴方に変な誤解を与えてしまったけれど。……私こそ配慮が足りてなかったね。本当ごめんなさい」 ただ単にちゃんと向き合って、思っている事を洗いざらい話したかっただけなのだ。「……嘘だろ」「嘘じゃないよ?」「今日の健診も……私、本当は一緒に来て欲しかったの。診察待ちの時とか行き帰りの車の中とか……ちょっとでも律顕と話せたらいいなって思ってたのに……」 仕事だと嘘を吐いて、律顕は今日一日どこで何をしていたんだろう? 忘れかけていた疑念が沸々と蘇ってきて、美千花はにわかに怖くなった。 稀更とどうこう言う事はなかったのかも知れないけれど、去り際の彼女の言葉を思うと、別に女性がいた可能性だって否定出来な