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第3話

Autor: 筋肉ゴリラ193
かつて稔は、特別救助隊隊長の妻ともなれば長く孤独な結婚生活に耐えられなくなるはずだと言っていたことがあった。万が一離婚することになったとき仕事の邪魔にならないよう、先に離婚届に署名しておこうと提案されたのだ。

あのとき清海は、その離婚届を金庫の奥へしまい込みながら心に誓っていたものだ。

「私たちの結婚生活は、きっと長く続く」

まさかこんなにも早く、あの紙が役立つ日が来ることになるとは思いもしなかった。

喉の奥にこみ上げる苦いものを無理やり飲み込み、清海は離婚届を手に区役所へ向かった。

「すみません。離婚届を出したいんですが」

窓口の職員は書類を受け取り、端末で確認した途端、わずかに表情を曇らせた。

「秋庭様……確認したところ、河合稔様との離婚届は、すでに1年前に受理されています」

清海は耳を疑った。

「……え?」

「記録上では、1年前にお二人の離婚が成立しています。それに……河合稔様はその同じ日に、別の方との婚姻届も提出されています」

清海は何も考えられないまま、職員の言葉を聞いていた。

「お相手は、桑垣千鶴様です」

頭の中が真っ白になった。

清海との離婚が成立したその日に、稔は千鶴と結婚していたのだ。

つまり、この1年間。

清海が自分を稔の妻だと信じ、彼の帰りを待ち続けていたその間、稔の妻はとっくに別の女になっていた。

紙を握る指に力が入り、爪が手のひらに食い込んでいることさえ、もう分からなかった。

覚悟を決めてようやく別れを切り出そうとしていたのに、まさか自分の全く知らないところで、とうの昔に勝手に婚姻関係を解消されていたなんて思いもしなかった。

――つまり、自分こそが「不倫相手」だったのだ。

魂が抜けたような足取りで河合家に戻ると、姑が不機嫌そうに腕を組んでソファに座っていた。

「今までどこをほっつき歩いてたの!稔があんなに身を粉にして働いてるっていうのに、あんたときたら家にも寄りつかないで、どこの男と遊んでたんだか!」

テーブルの上のコップを掴むと、姑はそれを容赦なく清海めがけて叩きつけた。

ガチャンという音と共に額に鋭い痛みが走り、生温かい血がゆっくりと頬を伝い落ちた。

清海は顔を上げ、7年間黙々と尽くしてきた姑を静かに見つめた。

「……お義母さん。稔に他に女がいるってこと、知ってたんですか」

姑の顔に一瞬、気まずそうな色がよぎった。

「何を訳の分からないことを言ってるの。あんたが暇すぎるだけでしょう。稔の友達が怪我して入院してるの。食生活アドバイザーの資格、持ってたわよね?さっさと滋養のある料理でも作りなさい。30分後には稔が取りに来るから」

食材はすでに買い揃えられ、キッチンに山のように積まれていた。

かつての清海は、家事ひとつしたことのない箱入り娘だった。稔が雨の日も風の日も危険な現場を駆け回っているのを不憫に思い、わざわざ食生活アドバイザーの資格まで取って、少しずつ彼の体を気遣ってきたのだ。

その優しさが、まさか不倫相手の体を気遣うために使われる日が来るとは。

「……いいえ」

清海の声はひどく乾いていた。

「体調が悪いので、お断りします」

彼女はそのまま寝室へ戻り、背後で罵り続ける姑の声を扉の向こうへ締め出した。

姑は怒り狂い、泣きながら稔に電話をかけた。

「あんたのとこの、子ども一人産めない役立たずが頭おかしくなったのよ!千鶴ちゃんにご飯を作ってあげてって言ったのに、部屋に引きこもって仮病使ってるの!」

電話口の稔はこめかみを押さえた。

「分かった。今すぐ戻る」

しばらくして寝室のドアが開く音がして、稔がベッドの脇に立ち、責め立てるような目で清海を見下ろした。

「また何を駄々こねてるんだ」

――駄々こねてる?

清海は狂ったように笑いたくなった。自分が稔の意に沿わなければ、それはいつも「駄々をこねる」ことになるのだ。

涙がはらはらとこぼれる。彼女は顔を上げて稔を見つめた。

「もう二度と、駄々なんてこねないわ」

5分前、会社からはすでに海外赴任の辞令が正式に下りていた。

半月後にはこの町を離れ、二度と戻らない。稔と千鶴のために、綺麗に場所を空けてやるつもりだった。

「稔?私、どのお部屋を使えばいいの?」

リビングから無邪気な千鶴の声が響いた。

清海は自分の耳を疑い、はっと顔を上げて稔を睨みつけた。

「千鶴さんを、この家に住まわせるつもり?」

「今回の地震は被害範囲が広い。千鶴の家は震源に近い地域にあって危険だから、しばらくうちに住まわせることにしたんだ」

「ここは私の家よ!両親が私に遺してくれた大切な家なのよ!」

清海は怒りと絶望で全身が震えた。

7年前の大地震では、両親が自分の体を盾にして彼女を守ってくれた。

「清海、絶対に生き延びるのよ」

「清海、家さえ残っていれば、お父さんとお母さんもそこにいるからな」

この家は、清海にとって唯一の心の支えだったのだ。それなのに今、稔はよりによって不倫相手をこの家に住まわせようとしている。

稔は非難がましく彼女を一瞥した。

「お前、両親の遺体を捜してほしくないのか?」

そのひとことに、清海は完全に言葉を失った。

この7年間、何度も稔に父母の遺体を捜してほしいと懇願してきたが、そのたびに「個人的な理由で特別救助隊は動かせない」と冷たく断られてきた。

それなのに今、彼はその遺体を交換条件として使おうとしている。

「千鶴が無事に子どもを産んで、少し落ち着いたら、俺はあいつと別れて家に戻る。だから1か月だけ、千鶴の面倒を見てくれ。そうしてくれるなら、お前の両親の遺体も捜索できるよう手配する」

清海は全身の力が抜けたように、力なくベッドへ腰を落とした。

背後で、部屋のドアが開いた。

千鶴が主寝室のドアを押し開け、清海を目にした瞬間、眉をひそめた。

「どうしてこの人がここにいるの?」

稔が甘く優しい声で説明した。

「母さんが、清海は子どもを亡くして暇だろうから、しばらく家政婦代わりにお前の面倒を見させればいいって言ってた」

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