三浦が階段を上がると、目に飛び込んできたのは、レラが大きな収納ボックスを必死に引きずって部屋から出ようとしている姿だった。「レラ、何してるの?」三浦は慌てて駆け寄り、しゃがみ込んで尋ねた。レラの目は真っ赤で、声を出した瞬間、涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。「お兄ちゃんが怒ったの。怒鳴られた」「泣かないで、ね?お兄ちゃんはちょっと怒っただけで、すぐに落ち着くよ。だから泣くのはやめよう?目が痛くなっちゃうからね」三浦はやさしく涙を拭き取りながら聞いた。「それで、この箱はどうして運んでるの?」「お兄ちゃん、気に入らなかったの」レラはさらに悲しそうに言いながら、涙が流れた。蓮はレラの泣き声を聞きながら、心がざわついていた。ドンッという音とともに、彼は部屋のドアを勢いよく閉め、鍵をかけた。三浦はその音を聞いて、ただ事ではないと察した。蓮は普段こそ寡黙で、人とあまり話さない子だったが、とても礼儀正しく、行儀の良い子だった。こんな風に反抗的な態度を取ることは一度もなかった。三浦は目を伏せ、収納ボックスの中をのぞいた。練習帳を見て、全てを理解した。「レラ、もう泣かないで。とにかく、まず下に降りよう。すぐにママに電話するから。ママが帰ってくれば、お兄ちゃんも元気になるよ」三浦はレラを抱きかかえながら、重い気持ちで階段を下りた。階下に着くと、三浦はスマートフォンを手に取り、とわこに電話をかけた。その頃、とわこは電話の着信音を耳にした。スマートフォンを手に取り、三浦からの着信を見て、ちょうど電話に出ようとした。だがその瞬間、和夫の不気味な笑みが目の前に現れた。彼女はすぐさま電話を切った。「とわこ、今日、うちの息子に電話したって聞いたけど?」和夫は笑いを浮かべながら言った。「そんなにあいつが気になるのか?」「家族みんなでこっちに来て、いったい何が目的なの?」とわこは深く息を吸い込みながらも、恐怖心を抑えることができなかった。「何を企んでるのよ」彼の顔を見れば見るほど、底知れぬ不安と恐怖がじわじわと心に染みこんでくる。「そんなに睨まれると、怖いな」和夫は彼女の心の奥を見透かすように笑った。「アメリカにいたとき、俺に奏と知り合いかって聞いてきたよな。あの時から疑ってたんだろ?」とわこの全身が、寒気に包まれた。和
「一度会って話そう!」とわこは真剣だった。彼が日本に来た本当の目的を突き止めなければならない。そうでなければ、彼は危険な人だ。「いいよ。でも俺たちが会うことは、奏には言わないでくれよ?」和夫は不敵に笑いながら続けた。「言ったら、困るのは奏の方だからな」「あなた、奏のこと知らないって言ってたじゃない」とわこは怒りをあらわにして叫んだ。「前に訊いた時、『知らない』って言ったわよね」「嘘はついてないよ?あの時は本当に知らなかった。こっちに来てから知り合っただけさ」和夫の声は軽薄で、どこかふざけたような調子だった。「そんなに怒ること?俺が奏と知り合いでもおかしくないだろ?それとも、あいつは雲の上の存在で、俺みたいな凡人じゃ手が届かないって?あはは!」とわこは心の中に渦巻く不快感を必死で抑え込みながら言った。「直接会って話しましょ。今どこにいるの?私が行くわ」「いや、来なくていい。場所を教えてくれれば、俺がそっちに行くよ」和夫の返事に、とわこは心の中でため息をついた。自分の居場所を明かすのを警戒してるのね。夕方、館山エリアの別荘。今日は蓮がいつもより早く学校から帰ってきた。先生から出された課題を早めに終わらせたのだ。それにもうひとつの理由。奏がくれたというプレゼントを、どうしても見たかった。朝、母からプレゼントのことを聞いた時は、思わずその場から逃げてしまった。でも、心のどこかでは、気になっていたのだ。家に着くと、レラが目を輝かせて彼に駆け寄ってきた。「お兄ちゃん、こんなに早く帰ってきたの?うれしい」レラは満面の笑みを浮かべ、提案した。「弟をカートに乗せて、一緒にお外に行こうよ!私、毎日お散歩させてあげてるから、弟が一番好きなのは私なんだよ」だが、蓮はプレゼントを見るために早く帰ったのであって、育児のためではない。彼は無表情でその提案を断った。「お兄ちゃん、宿題やるの?私もやる。一緒にやろ!」レラは蓮が階段を上がるのを見て、自分も後を追った。「そうだ、お兄ちゃん。パパが買ってくれたプレゼント、まだ見てないでしょ?」蓮の顔に、どこかぎこちない表情が浮かぶ。「朝、ママが言ってた」「うん、知ってる。でも、まだ開けてないでしょ」レラは彼の手首を取って言った。「一緒に見に行こう」二人は一緒に部屋へ入った。
奏が常盤家の他の人たちと違うのは、彼が、本当は常盤家の人間ではないからだった。けれど、瞳にはそんなこと、とても言えなかった。奏はこの事実を受け入れられない。だからとわこは、彼のためにこの秘密を永遠に守ると決めていた。「しかも、信じられないことに」突然、瞳の声がワントーン高くなった。「蓮くん、天才児なんだって、IQが飛び抜けてるって聞いたわ。レラちゃんは知能こそ普通だけど、芸術センスはまさに天才級、蒼のことも聞いたんだけど、まだ歩けないのに、もう犬の鳴き声を真似できるんですって?将来、有望すぎるじゃない」とわこは一瞬、言葉を失った。蓮やレラを褒められている時は、さすがに嬉しかったし、誇らしい気持ちにもなった。でも、蒼のところで急におかしな方向に話がズレたような?犬の鳴き真似ができるって、そんなにすごいことなの?昼食を終えたあと、2人はネイルサロンへ向かった。道中、話題は結婚式の「付き添い人」、すなわちベストマンとブライズメイドのことに。「彼の未婚の友達は結構いるから、ベストマンはすぐ決まるわ」とわこは眉間にわずかにしわを寄せてつぶやいた。「でも、私のほうは、昔親しかった子たちはみんなもう結婚しちゃってて」「じゃあ親戚から選べばいいじゃない?」瞳は気軽に提案した。「だったら会社の女子社員のほうがマシかな」とわこは淡々と答えた。「私の家が大変だった時、みんな私に借金を頼まれるのを怖がって連絡を絶ったの。そういう人たちと、今さら繋がりたくない」それから3時間後、2人はネイルを終えてサロンから出てきた。その時、瞳は電話中だった。とわこは少し離れて彼女が終わるのを待っていた。「家に誰か来てるの?」電話が終わると、とわこが尋ねた。「うちの義母が来てるのよ。サプリとか栄養ドリンクとか、いろいろ買って持ってきてくれたんだって」瞳は笑いながら言った。「前に裕之が、うっかり妊娠の可能性があるって話したらしくて、それ聞いた義母がまた張り切り始めちゃって」「そうなんだ。それなら、早く帰ってあげて。どんなに期待されても、自分にプレッシャーはかけすぎないようにね」「うん、分かってる。とわこ、今の時間ならもう会社戻らなくてもいいでしょ?そのまま家に帰ったら?」「うん、そのつもり」そう言って、2人はそこで別れた。とわこは車を
昼。とわこは仕事を終えると、自分で車を運転して瞳のもとを訪れた。瞳は今日2回目の心理カウンセリングを受けたところで、初回に比べると、明らかに心の状態が軽くなっていた。「たぶん、直美が死んだから、もうあまり恨みを抱かなくなったの」瞳はコーヒーを飲みながら、淡々と言った。「心理カウンセラーには、自分を責める必要はないって言われたわ。苦しみを与えた側こそが罪悪感を抱くべきだって」「うん。そういえば、前にネイルしたいって言ってたよね?あとで一緒に行かない?」とわこは話題を明るく切り替えた。「私、今日はちょっと色を塗ってみたくなって」瞳はじっととわこを見つめた。「いつからそんなにおしゃれに目覚めたの?今日はネックレスまでしてるし、もしかして、私に会うからおめかししてきた?それとも、この後奏とデートでも行くの?」とわこは思わず笑ってしまった。「彼、今は食事する時間すらないほど忙しいのよ。デートなんて無理。結婚って、思ってたよりもずっと複雑で手間がかかるのね」「それは、彼の家に式を仕切ってくれる年長者がいないからよ」瞳はズバリと本質を突いた。「私と裕之は、料理と招待客リストを決めたくらいで、他はほとんど両親に任せきりだった。普通は両家の親が色々と手配してくれるけど、あなたたち二人はどっちの親もいないんだものね」その言葉に、とわこは一瞬、感傷的な気持ちになった。「奏が一昨日の夜、酔っぱらったのもそのことが原因だったのよ」とわこは静かに息を吸い、長いまつげが微かに震えた。「こうして話してたら、私もお母さんに会いたくなってきた。彼女が生きていて、私と奏が仲直りして、子どもまでできたって知ったら、きっとすごく喜んでくれただろうなって」「もちろん喜んでくれたはずだよ。それで、お父さんのことは?」瞳は軽く訊いた。三千院グループは、とわこの父の太郎が一代で築いた会社だった。破産の後、とわこがそれをゼロから立て直した。太郎は生前に不倫という過ちを犯したが、死の直前に全財産をとわこに遺したことで、多少は評価を取り戻した。とわこは少し考え込んだあと、首を横に振った。「あんまり、会いたいとは思わない。母に与えた傷が大きすぎたから。彼がすみれと結婚しなければ、私たちの家族はあんな悲劇にはならなかった。もちろん、彼が残してくれた財産で私は大金を得たけど、
三千院グループ。とわこは会社に到着すると、すぐにマイクのオフィスへ向かった。マイクはちょうど部門マネージャーと製品に関する話をしていたが、とわこを見かけるとすぐに歩み寄ってきた。「なんの連絡もなしにいきなり来るなんて、ちょっと怖いなぁ」マイクは自分のオフィスに入ると、冗談めかして言った。「今日は家で山ほどある宝石の整理でもしてると思ったのに」とわこはマイクの軽口を無視し、道中で思いついたアイディアを口にした。「ドローンを使って、黒介を探せるかもしれない」マイクの薄い碧色の瞳が一瞬で輝いた。「さっき黒介と電話で話したの。今は外出を制限されてるけど、電話はできるって」とわこは興奮気味に話を続けた。「赤い物を窓辺に置いてもらうように頼んだの。あとは探索者シリーズのドローンを飛ばして探せば」「確かに方法としてはアリだな。でも時間も労力もかかる」マイクは腕を組みながら真剣に考えたあと、提案した。「彼の家族から直接住所を聞き出せばいいんじゃないか?」「それができるなら、こんな方法思いつかないよ。今は電話すら出てくれないの」とわこは重い表情で言った。「でもね、私を怒らせたくないのか、黒介との通話は許してくれてる」「じゃあ警察に通報したら?」とマイク。「正当な理由も立場もないのよ。黒介と血縁関係があるのは彼らの方で、私は第三者」とわこは理性的に説明した。「しかも『知的障害を理由に保護している』って言われたら、警察は介入できない。だから」「だから、何?」「だから奏に頼むしかないの」とわこは小さくため息をついた。「これは自分で解決したいって言ったし、最近彼もすごく忙しいの。できるところまで、自分でやってみたいの」「分かった、手伝うよ」マイクは頷き、にやりと笑った。「もし俺が黒介を見つけられたら、それを新婚祝いってことにしよう。正直、何を贈ればいいか分からなかったんだ」そして、低くぼやいた。「あの奏の野郎、宝石を山ほど買いやがって、金持ちってだけで偉そうに」「昨夜ちょっと情緒不安定だったのよ」とわこは、昨夜すべての宝石の値札を合計したことを思い出した。合計金額は10億を超えていた。それも、子どもたちへの贈り物は含まずに。彼が本気になると、本当に手がつけられない。一方その頃、和夫は2億を持って家に戻ったが、気分は晴れず、
「お前を常盤家の門に連れて行ったのは、他でもないこの俺だぞ!俺がいなかったら、今のお前の栄光なんてあり得なかったんだ!」和夫は傲慢さを隠そうともせずに言い放った。まるで奏のすべてが、自分から与えられたものだと言わんばかりに。奏は冷ややかな目で彼を見下ろし、さらに冷酷な声で返した。「なら、なんでお前の長男を連れて行かなかった?」和夫はニヤリと意地悪く笑った。「お前の兄貴は年がいきすぎてたんだよ。しかも、奥様はお前を一目見ただけで気に入った。顔立ちはいいし、頭の回転も早そうだったからな。奥様の目は確かだったよ。実際、お前の方がよっぽど優秀だったじゃないか」奏の脳裏に、自分がまるで商品みたいに選ばれる場面が浮かんだ。そのイメージは不快だったが、ふと考え直した。もしあの時、常盤家に送られていなければ、裕福な暮らしも、十分な教育も受けられず、今ごろは哲也と似たり寄ったりの人生だったかもしれない。「和夫、お前の下心はもうバレバレだ。俺はお前を父親として認めるつもりはない」奏はきっぱりとした態度で言い放った。「正直、1円たりとも渡したくはないが、もし金を受け取って、今後一切俺の前から消えるというなら、考えてやってもいい」突然の提案に和夫は一瞬驚いたものの、すぐにブツブツと呟き始めた。「たった一度きりの金か?常盤夫人は毎月金を振り込んでくれてたんだぞ。まあ、もう死んじまったからな。お前がもうちょっと上乗せしてくれるなら、考えてやらんこともないけどな。で、いくらくれるつもりなんだ?」奏「2……」「20億円?おい、たったの20億かよ」和夫は奏の言葉を最後まで聞かずに叫んだ。「そんなはした金で済ませる気か?普通の人間には大きな額かもしれないが、お前、毎年何百億も稼いでるんだろ?実の親にこれだけしか出さないって、どんだけケチなんだよ!裁判で訴えてやるぞ。そうすりゃ判決でそれ以上もらえるはずだ!」奏はこんなにも厚かましい人間を見たのは初めてだった。怒りをこらえながら、歯を食いしばって言った。「訴えてみろよ。今すぐにでも!どこの裁判所がこの案件を受けるか、見ものだな!」「脅すつもりか?まさかとは思うが、もし俺が引き下がらなかったら、お前、本気で口封じに俺を殺すつもりか?」和夫は目を真っ赤にしながらも、奏の手段を恐れていた。つい最近、痛めつ