今日は東京の名門、三千院家令嬢、三千院とわこの結婚式だ。彼女の結婚式には新郎がいなかった。新郎の常盤奏は半年前の交通事故で植物状態となり、医者から年内の余命を宣告されていた。失意のどん底に落ちた常盤家の大奥さまは、息子が亡くなる前に、結婚させようと決めた。常盤家が、東京での指折りの一流名門だが、余命わずかの人間に喜んで嫁ぐ令嬢は一人もいなかった。…鏡台の前で、とわこは既に支度の整えた。白いウェディングドレスが彼女のしなやかな体を包み、雪のように白い肌が際立っている。精妙な化粧が彼女の美しさをさらに引き立て、まるで咲きかけた赤いバラのようだった。その大きくてつぶらな瞳には、不安の色が浮かんでいた。式開始まで、あと二十分、彼女は焦りながらスマホのスクリーンを何度もスライドして、返事を待っていた。無理矢理常盤奏との結婚を強いられる前、とわこには彼氏はいた。奇遇にも、その彼氏というのは、常盤奏の甥っ子で、名は弥だ。ただ、二人の関係はずっと伏せていた。昨晩、彼女は弥にメッセージを送り、東京から逃げ出して、一緒に駆け落ちしようと頼んだが、一晩中待っていても返事は来なかった。とわこはもう、待っていられなかった。椅子から立ち上がった彼女は、スマホを握りしめて、適当な口実を作って部屋を抜けた。回廊を抜けて、とある休憩室の前を通ろうとしていたところ、彼女は驀然と足を止まってしまった。閉じたはずの休憩室のドアの向こうから、妹のはるかのかわいこぶった笑声が聞こえてきた。「きっとまだ弥くんが来るのを待っているのよ、うちのバカ姉は!ねぇ、後で会ってあげなよ。もし後悔でもして、結婚してくれなかったら、どうするの?」弥ははるかを抱きしめながら、彼女の首に自分の薄い唇を走らせながら言った。「今更、あいつが嫁入りしたくないってわがままを言っても効かないんだろう?後悔したとしても、俺ん家の用心棒どもが多少強引な手を使って、結婚させてやる!」聞こえてくるはるかの笑声は先よりも耳障りだった。「弥くんが毎晩あたしといるの、とわこに知られたら、きっと発狂するわよ。あははは!」頭の中で轟音が鳴り響くのをとわこは感じた。彼女は気が抜けたように後退し、転びそうだった。両手でしっかりとウェディングドレスの裾を握りしめていた彼女は、ま
シャンデリアの下にいる奏の目は黒曜石のように深く、内に秘めた何かが垣間見えるかのようで、悩ましいと同時に危険なオーラを放していた。彼の視線はいつもと同様、身の毛がよだつほどの冷徹さを帯び、相手の心を脅かしていた。驚きで顔が真っ青になった弥は、がばっと数歩後退した。「とわちゃん…じゃなくて叔母さま、もうだいぶ遅くなりましたので、私はこれで失礼いたします」冷や汗が止まらない弥は、足元がおぼつかないまま主寝室から逃げ出した。弥が逃げ出す姿を見届けたとわこも、口から心臓が飛び出しそうになり、全身が小刻みに震えて止まらなかった。常盤奏が起きたの?!もう余命は長くないはずなのに!とわこは奏に話かけようとしたが、口から言葉が出られなかった。もっと近寄って彼の様子を見ようともしたのに、足がまるで床に縫い付けられたかのように、一歩も動けなかった。未知への恐怖に包まれた彼女は思わず尻込みをし…下の階へと走り出した。「三浦さん、奏さんが目を覚ました!目開いてくれたわ!」とわこのを声を聞いて、三浦は急いで上の階に上がってきた。「若奥さま、若旦那さまは毎日目を開けますが、これは意識が回復したわけではございません。今こうしてお話をしていても、何の反応もくれませんでしたよ」ため息まじりに三浦は「植物状態から回復する確率は極めて低いとお医者さまが」といった。「夜、明かりをつけたまま寝てもよろしいですか?何となく不安で」とわこの胸はまだどきどきしていた。「もちろんです。明日の朝はお家元の本邸へ行く予定ですので、若奥さまは早めにお休みください。では、明朝お迎えに参ります」「はい」三浦を見送ったとわこはパジャマに着替え、ベッドに上がった。彼女は男のそばで窮屈に座り込んだ。奏のきれいな顔を見つめながら、彼女は手を差し出して、彼の目の前で振った。「常盤奏、あなたは今何を考えているの?」しかし、男は何の反応もしてくれなかった。彼女の心境は突然悲しみに変わり。彼の境遇を思えば、自分の苦しみなど些細なものだと感じた。「常盤奏、目を覚ましてほしい。あんな大金が弥のクズの手に入れたら、あなただって死んでも死にきれないでしょう」彼女がそう呟いた瞬間、男はゆっくりと目を閉じた。彼をじっくりと見ているとわこはぼんやりとしながらも緊張が募り、心臓が高鳴り始めた。レアケースではあ
今のとわこはまるで背中に棘が刺さられいてるかのようで、居ても立ってもいられない気分だった。「とわこさんはまだ大学生だよね?こんな大事な時期に妊娠したら、勉学に支障が出ることになるでしょう…」と悟の妻が心配しているように言った。悟も相槌を打った。「そうだ、そうだ。とわこさんはまだ若いし、学業を諦めて、うちで子供を育てるなんて、彼女はきっと嫌だろう!」大奥さまは長男夫婦の思惑を予想していた。だからこそ彼女が意地を張っても奏の血筋を残すことにこだわっていた。「とわ、奏くんの子を産んでくれるか?」大奥様は率直に尋ねた。「あなたと奏くんの子供は、将来奏くんの遺産を継ぐことになるんだよ。あの莫大な遺産で、あなた達は贅沢にくらせるわ」とわこは躊躇なく、「ええ、喜んで」と答えた。弥が奏の家業を奪うのを阻止できれのなら、彼女は何でも試す覚悟だった。それに、拒んだところで、常盤家のやり方を考えれば、無理やりにでも彼女に子供を産ませるだろう。彼女から返事を聞けた大奥さまは、満足げな笑みを顔に浮かべた。「いい子だわ。さすが私が見込んだ人だ。そとの愚かの女どもとは違うだとわかっていたよ。あの連中は奏くんが死ぬから何も手に入れないと踏んでいるのよ…愚か者め!」お茶のもてましを終えて、屋敷から出たとわこは、奏の別荘に戻ろうとしていると、途中で弥に呼び止められた。汗ばむ炎天下で、蝉の声がひっきりなしに響いていた。弥の顔を目にして、とわこは虫唾が走るのを感じた。「三浦さん、先にお土産を持って帰ってきてちょうだい」と彼女は三浦婆やに指示した。頷いた三浦婆やは、お土産を持ち帰った。周りは誰もいないことを確認して、安心した弥はとわこに向けて話しかけた。「とわちゃん、俺は傷ついたよ!もう長く付き合っていたのに、とわちゃんは一度も触れさせなかったのに…それなのにどうして、今は喜んで叔父さんの子を産むの」「彼の子を産めば、遺産が手に入る。これ以上都合のいい話はないでしょう?」彼女はわざと軽い口で返事して、弥の心を抉った。思った通り、あいつはかなりな刺激を受けたようだった。「とわちゃん、これは確かにいい考えだ!でも、いっそうのこと俺との子供を作って、叔父さんの子供だと言えばいんじゃないか?どうせ常盤家の子供だし、お祖母様が怒っても、堕胎はきっ
「そうですね、早ければ三、四ヶ月で成功するケースもあります。遅ければ、もっと時間がかかることもあります」女医者は少し間を置いて続けた。「奥さまはお若いですし、きっとうまくいくでしょう!」時はあっという間に過ぎ、一雨の後、東京はすっかり秋になった。夜、風呂上がりのとかこは浴室から出て、ベッドのそばに腰掛け、今日買ったばかりの保湿クリームを手に取った、少しつづ肌に馴染ませ、丁寧に塗り広げた。「奏さんにも塗ってあげようか!最近は乾燥がひどいのよ」彼女はそう言いながら、奏のそばに寄った。ベッドの縁に座り、彼女はクリームを指先に取り、彼の顔に優しく塗り始めた。ふっと彼の目が開いた。琥珀のように奥深い瞳は、まるで宝石みたいだった。彼の目から感じ取れる微妙な揺らぎを察した彼女は、驚きのあまりに息が詰まった。毎日彼が目を開ける姿は見ていたものの、見るたびに驚いてしまう。「動きが荒かったせいかな?力を入れていないはずなのに」そう言いながら、彼女は指を動かしつづけて、彼の頬を丁寧にマッサージした。同時に、ぶつぶつと独り言を続けた——「ねぇ、奏さん。ネットのニューズで、奏さんは彼女を作ったことがないのは、きっと体が弱いからって…けど、私は奏さんがいい体をしていると思うよ!腕も太ももも立派だし…」彼の顔に保湿クリームを塗り終えた彼女は、軽く彼の腕や太ももをポンポンと叩いた。軽い叩き方なので、彼に何か影響を与えるはずもなかった。なのに彼女は男の反応に目を丸くした——それは…何となく男の声を聞こえたからだ。「奏さん?奏さんなの?今喋った?」とわこはぱっとベッドの縁から跳ね上がり、驚いた目で彼を見つめた。男も彼女を見つめていた——今までとは全然違った。これまでの彼も目を開くけど、両目には生気がなかった。でも今の彼確かにじっと彼女を見つめていて、その瞳には感情が宿っていた!ただその感情には怒り、敵意とわずかな疑念が混じっていた。「三浦さん!」尻尾の踏まれた猫のように、とわこは素早く寝室から飛び出して、下の階へと駆け下りた。「三浦さん、奏さんが起きたの!喋ったの!本当に起きたの!」彼女の顔が真っ赤になって、耳まで赤色に染まった。心臓が激しく鼓動し、胸も激しく起伏していた。奏は確かに目を覚ました。彼が意識を取り
とわこは驚きのあまり、思わず後退してしまった。奏はまるで蘇った野獣のようだった。昏睡している時、彼からは一切危険な気配をしなかったが、その両目を開く瞬間、彼の全身から危険が溢れ出した。部屋から出てきた三浦婆やは、門を軽く閉じた。とわこの取り乱した様子を見て、三浦婆やは優しく声をかけた。「若奥様、安心してください。若旦那様はまだ目覚めたばかりで、すぐにこの状況を受け入れられないのでしょう。今日は一旦客間でお休みください。お話があるなら、まだ明日にでもしてください。大奥様は若奥様のことを気に入っていますから、きっとあなたの味方です」とわこの頭の中は混乱していた。奏が目を覚まさないまま最期を迎える覚悟ができていたのに、本当に目覚めるんなんて予想外だった。「三浦さん、私の荷物はまだ彼の部屋に…」中に入って自分の所持品を持ち出したいとわこは、主寝室のほうを覗いた。あの凶悪な目つきからして、彼は多分自分という妻を受け入れないだろうと、彼女は強く感じた。彼女はいつでもこの常盤家を離れるよう準備しないといけない。とわこの話を聞いた三浦婆やは、ため息をついた。「もし急ぎの物でなければ、明日、私が取って参りますよ」「はい。三浦さんもやっぱり奏さんのことが怖いの?」「若旦那様の元で働けるようになってからもう随分経ちました。一見怖そうな感じがしますが、私を困らせたことは一度もしませんでした」とわこは相槌だけを打って、これ以上何も言わなかった。彼女は彼の妻であったけど、厳密に考えると、今日のように直接顔を会わせるのは初めてだった。彼が敵意を抱くのも納得できる。この夜、彼女はよく眠れなかった。訳の分からない発想が脳裏に巡った。奏が意識を取り戻したことは、完全に彼女の生活を狂わせた。…翌日。朝八時、三浦婆やは主寝室から持ち出したとわこの所持品を客間へと持ってきてくれた。「若奥様、朝食の用意はできました。若旦那様がダイニングでお待ちですので、一緒にどうぞ。お話をして、お互いへの理解を深めるいい機会です」と三浦婆やが言った。とわこはためらった。「奏さんは私のことを知りたくないと思うよ」「それでも、朝食は取るべきです。行きましょう!先ほど、大奥様は若奥様のことを気に入っていらっしゃると言いましたが、若旦那様は怒りません
出血しているので、流産を防ぐ処置が必要となった。この知らせはまさに晴天の霹靂だった。とわこはパニックに陥った。「先生、もしこの子が欲しくない場合は、どうしますか」もうすぐ奏と離婚することになる彼女にとって、腹の中の子は実に間が悪かった。問いかけられたお医者さんは、彼女を一瞥した。「理由を聞いてもいいですか?世の中には、赤ちゃんがどんなに欲しくても授からない人は沢山いますよ」彼女は視線を少し下の方に向けて、沈黙を選んだ。「家族の方は?」と医者に問われた。「子供が欲しくないのも結構ですが、まずは夫婦二人で話し合ってから決めましょう」とわこは顔を顰めた。彼女がかなり困っているように見た医者は、カルテをめくりながら呟いた。「まだ21歳か!結婚はしていませんよね?」「してい…ませんかな」もうすぐ離婚するだと考えて、とわこはそう答えた。「人工流産も立派な手術です。今日決まったところで、今日中にすぐできるわけではありません。今日のオペ予定はもう埋めていますから。一旦帰って、よく考えることをおすすめします。彼氏との関係はどうであれ、子供はう無関係ですから」医者はカルテを彼女に渡した。「今出血しているので、処置をしないと、これから流産する可能性もあります」とわこの態度もふっと柔らかくなった。「先生、処置というのは?」医者は再び彼女の顔を見た。「人工流産希望でしたよね?もう気が変わりましたか?三千院さんは美人ですし、腹の子もきっと綺麗でしょう。流産を防ぐ希望なら、薬を処方します。一週間安静にしてください。一週間後まだ再診に来てください」…病院から出てきたとわこは、明るい日差しで目が眩んだ。背中は冷たい汗でじっとりと濡れ、両足は鉛のように重く感じた。今の彼女は迷っていた。どこに行くべきかも、誰に相談するべきかもわからなかった。ただ唯一確定できるのは、これは奏にのせてもらってはいけない相談だった。彼に教えたら、彼女は確実に彼の用心棒に、無理やり手術台に乗せられる。彼女は子供を産む決心をついたわけではないが、ただ今の彼女が混乱していて、一旦落ち着いてから決めようと思っていた。道端でタクシーを拾って、彼女は叔父の住所を運転手に教えた。両親が離婚した後、彼女の母親は叔父夫婦と暮らすことになった。叔父夫婦は三千
奏はパスワードを設置していなかった。それに、起動するのに時間が掛からなかった。早すぎて、彼女の心拍に乱れが生じた。彼女は深呼吸をして、USBメモリーを挿入し、自分のSNSアカウントにログインしら。完了したら、彼女は迅速にファイルを先輩に送った。驚くほど順調だった。ファイルは12時前に、無事送信した。彼女は書斎に長く居残る勇気がなかった。電源を落とす時、マウスを握った手が震えた。意図せず、あるフォルダをクリックしてしまった。このフォルダの中身が表示された。彼女はそのつぶらな目を大きく見開かれ、好奇心に引き寄せられるように、彼女はフォルダの中身を見てしまった。…5分後、彼女は書斎から出てきた。三浦婆やはほっとした。「ほら、若旦那様はそんなに早く戻りませんから安心して」とわこの内心はいつよりも複雑だった。彼女は奏の秘密に触れてしまったと感じた。そんなことになるとわかっていたら、絶対彼のパソコンは借りなかった。「三浦さん、奏さんの書斎には監視カメラはあるか」「書斎の外ならありますよ」とわこの顔色は思わず悪くなった。「じゃ私が書斎に入ったの、きっと彼にバレるよ」「若旦那様が帰ったら、若奥様のほうから説明すれば問題ないと思います。この三浦婆やが見ていました、書斎にいたのは10分もありませんでしたから。怒らないと思いますよ」とわこは三浦婆やに慰められた。「チン」という携帯の通知音がなった。携帯を手に取ったとわこは、振り込みの通知を目にした。先輩から四万三千円の振り込みが届いた。報酬がこれほど高いのは予想外だった。たかが二時間で、まさか四万三千円を手に入れたとは!この振り込みはタイミングよく、彼女の不安は和らいだ。彼女はわざと彼のパソコンを使ったわけではなく、それに、わざと彼のプライバシーを覗こうとしたつもりもなかった。彼が帰ってきたら、ちゃんと説明しようと気合を入れ、彼が怒らないことを祈った。何しろ、彼女はもう離婚するのに承諾したので、離婚したら、もう二度と会うこともないはず。彼がどれだけの秘密を抱えても、彼女には関係のない話だ。昼飯の後、とわこは部屋に戻り、ドワを閉めた。彼女は鏡台の前に座り、まだ膨らんでいない腹を見つめながら、ぶつぶつと言った。「ごめんね、ママも
中へとドアが押し開かれて、外に立っていた大奥様は、部屋の中を覗き込んだ。体育座りをしていたとわこは、体を丸めて、壁に寄りかかっていた。下ろされた彼女の髪は、ぼさぼさになっていた。外からしてきた物音に気付き、呆然としながら、彼女は顔をあげた——「とわ!どうしたの?!」青白く蒼白な顔をしていたとわこを見て、大奥様の血圧は一気に上がった。「何にをどうしたらこんな様子になるの?まさか…奏の馬鹿者に…虐められたの?」そう言いながら、大奥様の声がやや震えてきた。前のとわこに比べて、彼女はすっかりと痩せた。彼女の顔には血色がなく、唇には浅いひび割れができていた。何かを言いたげに彼女の胸が起伏していたが、声が出なかった。三浦婆やは温めた牛乳を持ってきて、彼女の口元に差し出した。「若奥様、まずは牛乳を飲んでください。大奥様が来てくれたので、もう安心してください。ご飯が食べれますよ」大奥様は眉を顰めた。「これはどういうことなの?!奏はとわにご飯を食べさせなかったの?こんなにも痩せてしまって!とわを餓死させる気か?」大奥様はこのことに酷く驚かれた。彼女は急いでリビングに行き、息子の問い詰めるために、彼の前に立った。「奏、とわは私の判断であなたの妻になってくれたのよ。まさかこんな扱いとは、お母さん面目ないわ!」「過ちを犯したなら、罰を受けて当然だ。あの女を今まで放置していたのも、十分お母さんの気持ちを配慮した結果だ」彼の声はそっけなくて冷徹だった。奏にとって、丸二日何も食べさせないという罰は、とわこの腕を折るよりは、相当に軽いものだった。触れじゃいけないもの触れて、一線を越えたからには、そう簡単に許されるものじゃない。「過ち?何の過ち?」大奥様が知っているとわこは、大人しくて気の利く女性で、積極的に奏の顰蹙を買うような愚か者ではない。奏は黙ったまま返事をしなかった。「お母さんわかってるの…奏が結婚して子供を持つことを拒む理由を…お母さんはちゃんと知っているから、奏が一人になるのを見過ごせなかったの…とわはいい子だよ。愛情がなくてもいいの、お母さんただ奏ととわが一緒になってほしい。たとえ仮面夫婦だとしも、構わないわ!」まだ話の途中だけど、大奥様はもう苦痛で泣きそうになった。話し続ければ続くほど、彼女の感情が高鳴っ
子遠は頷いた。「うちの社長の性格知ってるだろ?とわこにバレることなんか、全然怖がってないよ」楽しい一日が、あっという間に過ぎていった。夕方、奏はみんなを夕食に連れて行こうとした。レラは今日は一日中園内で遊び、とても楽しんだ分、お腹もペコペコだった。だから奏のおごりという話には、何の異議も唱えなかった。そのとき、マイクのスマホが鳴った。マイクは携帯を取り出し、画面を見て、すぐに「シーッ」というジェスチャーをした。「とわこからだ。みんな、ちょっと静かにして!」そう言って電話に出た。「とわこ?レラとビデオ通話したいのか?今は外だから、家に戻ってからかけ直すよ」「もう帰国したよ。今、家にいる」とわこの声は落ち着いていた。「今すぐレラを連れて帰って来て」マイクは一瞬固まった。驚く間もなく、とわこは電話を切った。「マジかよ」マイクは顔を赤らめ、心臓がドクドク鳴った。「とわこが帰ってきた!今、家にいるって!レラを今すぐ連れて帰って来いって命令された!絶対なんか気づいてる!」子遠の心臓の鼓動も一気に早くなった。「でもさ、声のトーンは意外と優しかった気が......」マイクは自分に言い聞かせるように言った。「まだ気づいてないかも......とにかく、先にレラを連れて帰るよ。みんなはご飯行って!」そう言って、マイクはレラを抱き上げ、足早に駐車場へ向かった。子遠は心配して、奏に言った。「社長、僕も一緒に行って、とわこの様子を見てきます!」三人はあっという間に視界から消えた。奏はスマホを開いた。今日はレラの写真をたくさん撮っていた。写真に写るレラの笑顔は、彼の灰色だった世界を、ぱっと明るく照らしていた。館山エリアの別荘。とわこの突然の帰国に、蓮は大喜びだった。実はこれは急に決めた帰国だった。みんなを驚かせたくて、誰にも知らせていなかったのだ。マイクがレラを連れて戻ると、レラは一目散にとわこの胸に飛び込んだ。「ママ!やっと帰ってきた!すっごく会いたかったよぉ!」とわこはレラを優しく抱きしめ、笑顔で言った。「ママもすっごく会いたかったよ。弟が元気になったから、すぐに帰ってきたの」マイクと子遠は、その笑顔を見てようやくホッと胸を撫で下ろした。「マイク、今日レラをどこに連れてったの?」とわこの顔から
次のアトラクションに到着すると、入口にはまたもや長い列ができていた。レラは自然とVIPレーンへ向かい、列に並ぼうとした。だが、奏が娘を列に並ばせるはずがない。今日は屋外の気温も心地よく過ごしやすいとはいえ、長時間並ぶのは疲れるし、そもそも彼は並ぶのが大嫌いだった。彼は大股で歩み寄り、レラの腕を引いて優しく言った。「パパがそのまま中に連れてってあげるよ」レラは眉をひそめて言った。「それって、割り込みってこと?」奏は一瞬の迷いもなく頷いた。マイクは拳を握り、次に何が起こるのかすでに予想していた。その時、子遠が奏のそばにやってきて、1時間前に起きた出来事を耳打ちした。「割り込みなんて大っ嫌い!さっきも意地悪なおばさんが割り込んできたから、追い払ったんだよ!なのに自分がそれやったらおかしいでしょ?」レラは並ぶのが嫌いとはいえ、自分の信念を曲げるようなことはしたくなかった。娘の気持ちを理解した奏は、それでも彼女に辛い思いをさせたくなかった。そこで即断した。「割り込みはしない。じゃあ、パパが今日の営業を止めて、レラだけをここで遊ばせてあげよう」責任者の顔が一瞬で固まった。週末の一日営業中止がどれほどの損失か、社長は分かっているのか?開業してからまだ三ヶ月、利益の回収すら終わっていないのに。子遠は最初から奏がこうすることを予想していた。奏は人混みが苦手なのだ。今日ここに来たのも、レラが遊びたいと言ったから。仕事の視察だったら、部下に任せていただろう。レラは呆然とした。両親が不仲になる前、パパはいつもこうして何でも言うことを聞いてくれた。懐かしい、愛されていた感覚が蘇る。だけど、どこか不安な気持ちも混ざっている。「わたし......ひとりで遊ぶのはやだ。他の子と一緒に遊びたいの」レラはどもりながらも、列に並ぶと主張した。奏はレラを無理やり引っ張ることはしない。娘に並ばせず、かつ罪悪感を与えない方法を探すしかなかった。彼は横にいた責任者のところへ行き、対策を相談した。一方、マイクは子遠を引っ張ってこっそり愚痴をこぼした。「これ、とわこにバレたら絶対怒られるやつだわ」子遠は苦笑いした。「ごめん、とわこに知られたら、僕からちゃんと説明するから」「お前が説明しても意味ねーよ。結局
子遠の真剣な表情を見た責任者は、深く息を吸い込み、すぐに頷いた。何をすべきか、ようやく理解したようだった。すぐに、例の西野は責任者に連れられ、その場を離れることになった。連れていかれながらも彼女は大声で怒鳴っていた。「このクソガキ!覚えてなさいよ!ただじゃおかないから!」レラはその背中に向かって、ぺろっと舌を出し、変顔をした。西野が去ると、騒然としていた場はたちまち落ち着きを取り戻した。「レラ、もう大丈夫だよ。あの人、もう来ないから。怒らないでね?」子遠が笑顔でなだめた。「ぜんっぜん怒ってないよ。恥ずかしいのはあの人でしょ、私じゃないもん。」そう言ってレラはマイクの手を引き、元の場所に戻って列に並び直した。彼女の前にいた小さな女の子が、レラに向かって親指を立てた。「お姉ちゃん、すっごくかっこよかった!」レラは誇らしげに、太陽のような笑顔を見せた。その頃、責任者はすぐさま奏に電話をかけていた。「社長!お嬢様が園内にいらっしゃってます!」あの子が社長の大事なお嬢様なら、絶対にこのチャンスを逃してはならない。スマホの表示を確認し、相手が誰かを確かめると、奏は低く重たい声で答えた。「娘が?」「そうなんです。子遠秘書が社長のお嬢様だとおっしゃってました!間違いないかと!社長もこちらへ遊びに来られませんか?」「子遠が娘を連れてドリームタウンに行ったのか?」このことをまったく知らされていなかった奏は、驚愕した。子遠め、俺に何の断りもなく娘を連れて出かけるとは。なんて奴だ。「そうですそうです!そのお嬢様、背が高くてスラッとしてて、長い黒髪がすっごく綺麗で、お目目もぱっちり!まるで昔テレビで見た子役スターみたいでした!」奏の心はすでにドリームタウンへと飛んでいた。「今すぐ向かう」一時間後、奏は車を飛ばし、ドリームタウンに到着した。責任者に案内されて、レラが今遊んでいるアトラクションの場所へ。それは、レラが一番最初に並んだアトラクションだった。既に一時間近く待っていた。三十分後、ようやく順番が来て、レラが嬉しそうにアトラクションから出てきた。だが、奏の姿を見た瞬間、笑顔がピタッと止まった。「レラ、俺は今日は視察でここに来たんだ」奏は苦し紛れの言い訳を口にした。レラはすぐにウソを見抜いた。「今
レラはマイクの手を引き、大股で前へと進んだ。前方のスタッフがあの女性をどこか恐れている様子を見て、子遠は事態が大ごとになるのを恐れ、すぐにスマホを取り出して園内の責任者に電話をかけた。レラは偉そうにしているその女性の前に立ち、大声で言い放った。「おばさん!割り込みはダメでしょ!自分が悪いのに大声で騒ぐなんて、礼儀とか恥とか、学校で習わなかったの?」マイクは唇を引き結び、レラの剣幕に思わず呆気に取られた。この子、もう小学生か、話し方が、3〜4歳の頃とは全然違うな。彼女の言葉に、周囲は一瞬しんと静まり返った。中年の女性は眉をひそめてレラを睨みつけ、怒鳴り返した。「このクソガキ!何様のつもり!?ガキのくせに生意気な口きくんじゃないよ!」レラはまったく動じず、むしろ冷静に言い返した。「バカにするな、頭悪っ!」その瞬間、周囲は爆笑に包まれた。中年女性は顔を真っ赤にし、怒りに任せて手を振り上げた。とっさにマイクがレラの前に立ちはだかる。その女性の傍らにいた大男もマイクを睨みつけ、空気が張り詰めた。そこへ子遠が大股で駆け寄って来た。「西野さんですね?こんにちは、常盤グループの社長秘書を務めております、子遠と申します。こちらが名刺です。この少女は同行している子でして、まだ幼くて無邪気なだけです。どうか大目に見ていただければと」そう言って子遠は名刺を差し出した。先ほど電話で園内の責任者に連絡を取り、女性の素性を確認していた。割り込みは確かに園の責任者が許可していたようで、彼女の夫が相当厄介な人物だからだという。しかし、その女性は名刺を受け取ると、くだらないものを見るかのように後ろへポイッと投げ捨てた。「お茶汲みの秘書なんかに用はないわよ!割り込みだって、ここの責任者が許可したんだから問題ないでしょ?でもその子があんたの連れなら、手は出さないわ。代わりに大声でちゃんと謝らせなさい。そうじゃなきゃ、許さないからね!」その横柄な態度に、マイクは思わず吹き出してしまった。特に「お茶汲みの秘書」ってセリフ、なかなかの破壊力だ。子遠、大丈夫だったかな。「何がおかしいの!?あんた外国人だからって、調子に乗ってんじゃないわよ!ここは日本!ここは夫の縄張りなのよ!」「うん、旦那さんすごいね!でも調子になるな。今日の順番だけ
「レラ、君のパパは、君が彼の遊園地に行くって知らないんだよ。僕も言わないから安心して」子遠はそう説明した。「週末にちょっと見に行こう。つまらなかったらすぐ帰ればいい、どう?」レラは少し悩んだ後、ニコッと笑ってうなずいた。「あとでママとビデオ通話する時に、うっかり言っちゃダメだよ?バレたら行かせてもらえないからね」子遠が釘を刺す。「この遊園地、本当に楽しいんだよ!この前、姪っ子を連れて行ったんだけど、めっちゃ喜んでた!」レラの頭の中はもう、チラシに描かれたお城のことでいっぱいだった。子遠が何を言っても、うんうんと頷くばかり。そしてあっという間に週末がやってきた。ドリームタウンの入り口は、人でごった返していた。前回、子遠が姪を連れてきたときは天気が悪くて、そこまで混んでいなかったため、今回は混雑を甘く見ていたのだ。「蓮が来なくて正解だったな」マイクは人の波を見て、ぼそっとつぶやいた。蓮がここに来ていたら、この人混みを見て間違いなく引き返していただろう。彼はこういうガヤガヤした場所が大の苦手なのだ。「並ぶのにめっちゃ時間かかりそうだな」子遠は申し訳なさそうに言った。「ちょっと責任者に話してくる。スタッフ用の通路から入れるようにするよ」「通路から入れたとしてもさ、園内の方が人多いだろ。どうせどのアトラクションも長蛇の列じゃん」「じゃあどうすればいいんだよ?何もしないで帰る?」子遠が子どもたちをここに連れて来たのは、このプロジェクトの建築のうち、どれが奏の設計によるものなのかを説明したかったからだ。子どもたちに奏を尊敬させて、少しでも彼のことを許す機会を作りたかった。レラは眉をひそめて、唇をとがらせた。「帰りたくないけど、こんなに人がいるのはイヤ......」彼女の気持ちを察した子遠は、マイクに小声で相談した。「社長に電話してみようか?彼が来てくれたら、園内を一時閉園にして、レラだけで遊べるようにできるかも」「もしとわこが、俺がレラを奏に会わせたって知ったら......命ないぞ」マイクはその提案を却下した。「とりあえず中に入って様子見ようぜ」子遠は自分の立場を利用して、マイクとレラをスタッフ通路から園内に入れた。中に入ったレラは、すぐに自分が遊びたいアトラクションを見つけた。VIPカードを使ってい
子遠は夕食をテーブルに並べながら、マイクにそっと目配せした。マイクはすぐに察して、軽くうなずいた。「みんな、週末はお出かけしようか!」子どもたちがテーブルに座ると同時に、マイクが提案した。レラはいつも通りノリノリだ。「いいねいいね!マイクおじさん、どこに連れてってくれるの?」蓮「今日はまだ火曜日だよ」マイク「でも先に計画しとくのは大事だろ?蓮、週末は空いてるよな?」蓮「空いてない」今学期は勉強がめちゃくちゃ忙しくて、遊ぶ時間なんてない。「まだ小学生なのに、大変すぎないか?中学生になったら、家に帰る時間もなくなるんじゃないか?」マイクは眉をひそめて呟いた。「俺なんてもっと気楽だったぞ?それでも結構優秀だったし!」「僕は将来、もっと優秀になるよ」蓮はゆっくり、真剣な口調で言った。その言葉はマイクの心にグサッときた。もし以前の蓮なら、マイクもすぐに言い返しただろう。でも今の蓮には、何も言い返せなかった。子遠は大笑いして、蓮に親指を立てた。「ママに頼んで、天才クラスから外してもらうぞ!」マイクはムキになって言った。「ママは君の言うことなんて聞かないよ」マイクはショックを受けて、背中を丸めて黙々とご飯を食べ始めた。「マイクおじさん、ママはいつ帰ってくるの?」レラはママの帰りを心から待ち望んでいた。帰ってきたら、一緒にお出かけしたいのだ。「もうちょっとかかるかな。弟が風邪ひいちゃってね、体調が良くなってから戻ってくるよ」「でも熱はないって言ってたよね?」「そうなんだけど、咳とか他の症状が出るかもしれないからね。完璧に治ってからの方が安心だよ」「弟って咳するの?聞いたことないけど!」レラは大きな目をパチクリさせて不思議そうな顔で言った。赤ちゃんは歩けないし、喋れないから、どこか別の生き物のように感じていた。「じゃあ弟ってオナラするの?ていうか、あの子いい匂いするけど、オナラもいい匂いなのかな?」ガチャン。蓮が食器を置いて、無言で席を立った。子遠はマイクの横を通りすがりに、笑いすぎて崩れ落ちた。マイクはため息をついて言った。「レラ、弟は毎回ミルクしか飲んでないから、オナラだってそんな臭くないよ。でもさ、もうちょっとまともなことに興味持とう?たとえばさ、週末どこに行くかとか」「さっき聞
「ここ数日、三木家で起きた一連の出来事について、みなさんに説明する必要があると思います」直美はカメラに向かって、ゆっくりと言った。「父は五年前、末期の肺がんと診断され、それ以来病魔と戦い続けました。彼の体はすでに限界を迎えており、薬を飲んで命を繋いでいた状態でした。私の結婚式の日、残念ながら彼は命を落としました」「三木さん、もっとあなたと奏さんの結婚について知りたいのですが」と、会場から記者の鋭い質問が飛び込んできた。すぐに、別の記者も尋ねた。「三木さん、なぜ奏さんは結婚式の日に姿を現さなかったのでしょうか?結婚式を改めて挙げる予定はありますか?」直美は、記者たちがこれらの質問をすることを予想していた。「いいえ。私は奏と結婚することはありません」直美は言った。「私は彼が協力してくれたことに感謝していますが、すべては私の兄、和彦の仕業です。彼は三木家の財産を独り占めしようとし、私を殺すつもりだったのです。もし奏が昔の情を考えて助けてくれなければ、今頃私は和彦の手にかかって死んでいたでしょう」彼女の説明に、会場からは驚きの声が上がった。「父ががんと診断されると、和彦は父に私を家族の後継者として認めさせようと圧力をかけてきました。外では父が男女の差別をしているように見せかけていましたが、実際には私をとても大切にしてくれていました。残念ながら、父は日々衰弱していき、私を守ることができなくなりました」直美は続けた。「三木さん、あなたが顔を傷つける前、和彦さんとの関係は良好だったようですね。和彦さんのアパートで火事が起きた時、あなたはそこで暮らしていたのでは?」と、記者が疑問を投げかけた。「その通り、それは私が顔を傷つける前のことです。顔を傷つける前、私が知っていた男性たちはみんな良くしてくれました」直美はここで一瞬、胸の奥で悲しみを抑え込んだ。「それらはもう過去のことです。これからは信和株式会社を率いて、さらに輝かしい未来を築いていきます」記者会見が終わった後、直美は車に戻り、マスクを外した。手を上げて、顔の傷に触れた。彼女はすべてを手に入れたようで、何も手に入れていないような気がした。信和株式会社を手に入れ、たくさんのお金もある。けれど、それは彼女が望んでいた生活ではなかった。常盤グループ。この日、奏は出社しなかった。
とわこは、彼からの電話を見た瞬間、迷わず切った。彼の自尊心はとても強い。きっと、彼女が電話を切ったのを見て、もう二度と掛けてこないだろうと思った。だが、奏は電話がすぐに切れたのを見て、しばらく呆然とした。とわこが電話に出ないのは理解できる。結局、彼は自分の過ちで、彼女の心を傷つけてしまったからだ。しかし、彼女があまりにも早く電話を切ったことに、思わず驚き、慌て、深い悲しみに沈んだ。もしとわこがこれで彼が諦めると思っているなら、彼女は自分をあまりにも甘く見ている。奏は三浦の電話番号を見つけると、迷うことなく番号を押した。電話をかける前に、彼はすでに理由を考えていた。それは、蒼が熱を出したと聞いたので、そのことを確認したいという理由だ。もし三浦が出たら、その理由を使おうと思った。だが、三浦もまた、奏の電話を切った。奏は切られた電話の画面をただ黙って見つめ、表情が凍りついた。三浦が自分のもとを離れてからまだ1ヶ月も経っていない。どうしてこんなにも冷たくなったのか?何十年もの主従関係が、たった数ヶ月のとわこと三浦の絆に勝てなかったのか?その現実に、胸が張り裂けそうだった。 アメリカ。三浦は奏の電話を冷たく切った後、とわこが明らかに安堵したのを見た。三浦はバカではない。さっき、とわこが電話を切ったとき、三浦ははっきりとそれを見ていた。そして、とわこは以前から、三浦に対して奏と連絡を取らないようにと言っていた。だから、三浦がとわこの前で奏からの電話を受けるわけがなかった。もし連絡を取るなら、こっそりと裏で取るものだ。「とわこ、私は電話を取らなかったわ。でも、あんな時間に電話をかけてきたのは、何か急用かもしれないわね?」三浦は携帯をポケットに戻しながら言った。とわこは首を横に振った。「たぶん、蒼の風邪のことを聞きたかっただけよ」さっき、マイクと話しているときに、マイクに理由を説明してもらうよう頼んだ。だから、再度電話をかけて、蒼のことを話す必要はない。「そう、あの時間に彼が来たのは、もしかして私の荷物を届けに来たのかもね?」三浦はそう言った後、すぐに訂正した。「でも、彼、私に直接荷物を届けるなんて言ってなかったわよ」「三浦さん、私は彼と別れたけど、敵対しているわけじゃないわ。彼
とわこは分かっていた。奏は子どもを奪おうとしたり、無理に何かを強要するような人間ではない。それでも、胸の奥に広がるこの不安は、どうしようもなかった。「とわこ、いったん切るよ。あいつ、まだ俺の車の後をつけてきてる」マイクの声には、奏を振り切ろうとする意思が感じられた。とわこはすぐさま口を開いた。「マイク、スピード出しすぎちゃダメよ!ついて来させとけばいいじゃない。レラの学校の中にまで入ってくるわけじゃないんだから」「わかったよ。あいつ、蒼のこと心配してるんだろうな。蒼が熱出したって聞いたとたん、顔色真っ青になってさ。俺も最初、同じこと思ったからな、また前みたいに、って」マイクの声からは、すでに焦りは消えていた。「じゃあ、あとでちゃんと説明してあげてね。運転気をつけて。私、先に切るね」「うん、わかった」通話を切ったあと、マイクはバックミラー越しに後部座席のレラを見た。レラは唇を尖らせ、目は赤く泣きはらしていた。もう涙は止まっているが、その顔には明らかな不満と不安が浮かんでいる。「レラ、さっきは怖かったか?大丈夫、大丈夫。あいつ、俺に手を出すようなヤツじゃないさ。たとえケンカになったって、俺が負けるとは限らないぞ」マイクは優しくなだめた。「もし彼があなたを殴ったら、もう二度と彼のこと好きにならないもん」レラは真剣な顔で言った。「え?ってことは、今はまだ好きってこと?」マイクは驚いた。レラは眉を寄せ、悩ましげに言った。「彼が、チャンスをくれって言ったでしょ?だから、まだ考えてるの」マイクは思わずため息をついた。「そんなに簡単に人を許すなよ?後々苦労するぞ。とわこにもっと学べって。だって、とわこは......」「だって、彼カッコいいし、お金持ちだし、甘いこと言うの得意だし......だからママは彼の子を3人も産んだんでしょ」レラは真顔で事実を言った。マイクは何も言えなかった。数秒の沈黙のあと、ようやく反論した。「甘いこと言うって?あいつのどこが?」「だって、ベイビーって呼んでくれたもん」マイク「......」確かに、奏みたいなクール系男子がそんな甘い言葉を口にするなんて、よほどの覚悟が必要だったに違いない。レラの心を取り戻すために、どれだけ努力しているのかが見えてくる。約15分後、車は小学校の正門前に