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第540話

Author: 佐藤 月汐夜
気づいたときには、二人とも少し気まずそうな表情になっていた。

桃も自分の行動が少し失礼だったかと思い、すぐに言い訳をした。「私、疲れてないから。彼をこのまま抱かせて。起こさないようにしたいの」

雅彦は空に止まっていた手をゆっくり引っ込めた。桃が無意識に自分に対して警戒心を抱いているのがわかった。

彼は怒るべきなのかもしれなかった。翔吾を連れ戻すために、多くの努力を費やしたのだから。しかし、桃の目の下の深いクマや、痩せて少し疲れた顔を見た瞬間、彼は何も言えなくなってしまった。

今回の一連の騒動は、もともとは彼が引き起こしたものだった。

雅彦は目を伏せ、気にしないふりをして「いいさ。君が彼を連れて行ってくれ」と言った。

桃は雅彦の表情に目もくれず、頷いて、急いで翔吾を抱きかかえて、階段を上がっていった。

桃は部屋に戻って翔吾をベッドに寝かせた。小さな手が桃の胸元の服をしっかりと掴んでいて、まるで彼女が再び去ることを恐れているようだった。

桃はその手を振り払うことができず、そのまま翔吾のそばに横たわり、小さな彼の顔をじっと見つめた。

再び手に入れた感じは、桃にとってまるで夢のようだった。彼の体温と穏やかな呼吸を感じながら、ようやく心から安堵した。今回の出来事を経て、今後何が起こっても、彼女は二度と母子が引き裂かれることを許さないと誓った。

雅彦は桃が階段を上がっていったのを見送り、追いかけなかった。

今、母子二人は心の傷を癒す時間が必要だと理解していた。彼はそっとその場を離れ、静かに見守ることにした。

もしも今自分が現れたら、桃の目に再び自然に湧き上がる警戒の色を見てしまうかもしれない......

雅彦は車に乗り、病院に戻った。

彼はすぐに美穂の病室へ向かい、彼女の容体を確認した。

ちょうど彼が到着した頃、美穂は昏睡から目を覚ました。目を開けると、自分のベッドの周りに人が集まっていたことに少し驚いた。「私......ここは?」

昏睡前の記憶が蘇り、美穂の顔色がやや青白くなったが、その瞳にはかすかな解放感が見られた。

これまで、伸安の死は彼女の心に重くのしかかっていた。この治療を通して、彼女はようやく息子の死という現実に向き合い、受け入れ始めることができた。

美穂は周りを見渡し、翔吾がいないことに気づくと、眉をひそめた。「翔吾は?」

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