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魔術王国レオルディス。
王侯貴族、聖職者候補、騎士、魔術師が集う王立アルセリア学院を中心に、王宮、大神殿、魔術塔、北方要塞、敵国、世界の管理領域へ舞台が広がります。
原作乙女ゲームの題名は、
ただし転生したのは発売版ではありません。
開発途中で破棄された最高難易度版、
です。
攻略対象がリディエラを敵、犯罪者、異端、障害と認識します。
暗殺、処刑、逮捕、社会的抹殺が発生します。
監視、尋問、試験、証拠捏造、行動制限が増加します。
比較的安全です。
ただし、イベント一つで二十以上変動することがあります。
過保護、嫉妬、交友制限、秘密裏の監視が始まります。
攻略対象ごとに異なる幽閉ルートが発動します。
本人の理性より、ゲームが規定した狂愛行動が優先されます。
心中、時間停止、国家封鎖、大量粛清などへつながります。
リディエラの初期値は100。
以下で減少します。
ミッション失敗
強制イベントからの逸脱
攻略対象の死亡
重要人物の役割放棄
原作に存在しない選択
ゲームマスターへの反抗
ゼロになると、世界が彼女を死亡させるための強制イベントを発生させます。
死亡時は生存ポイントを大量消費し、直前の時点へ一度だけ戻れることがあります。
ただし周回を重ねるほど、肉体へ痛みと記憶が残ります。
難易度は五段階。
白:日常
青:対人
紫:危険
赤:致死
黒:必ず誰かが損害を受ける
代表例は以下です。
王太子を泣かせろ
毒を一口以上飲め
妹を守れ
妹から嫌われろ
騎士を置き去りにせよ
聖職者へ存在しない罪を告白せよ
魔術師に計算不能を証明せよ
密偵を裏切れ
攻略対象の一人を選べ
愛する者を殺せ
正しい悪役令嬢へ戻れ
などです。
年齢:17歳
支配的な母親と、家庭内の問題から逃げ続ける父親のもとで育ちました。
母親の機嫌を損ねると、無視、侮辱、食事を与えない、私物を捨てるなどの罰を受けました。父親からは「お前が我慢すれば済む」と言われ続けました。
成人後、依子はようやく、
相手が怒っていることと、自分が間違っていることは同じではない。
と理解します。
冷静沈着で観察力が高く、攻略や恋愛へ躍起になりません。
冷遇されてもすぐ感情的にはなりませんが、耐えられることと傷ついていないことは別です。自分の痛みを軽視しやすい危うさがあります。
一方、他人が支配される場面には強く反応します。
相手が王太子でも、騎士でも、聖職者でも、間違った行為を愛情として受け入れません。
年齢:16歳
姉に虐げられながらも姉を庇う、清らかなメインヒロイン。
誰にでも優しく、失敗しても許され、危機には必ず誰かが駆けつけます。
彼女の生存率は常に100%。
毒は偶然入れ替わり、刃は寸前で折れ、崖下には足場が現れます。間違った選択肢が存在せず、何をしても攻略対象の好感度が上がります。
リディエラを庇う言葉を口にしますが、その庇い方によって周囲がさらに姉を憎むことが多くあります。
年齢:18歳
感情を表へ出さない、完璧な王太子。
相手を大切に思うほど、予定、交友関係、護衛、生活場所を管理しようとします。本人はそれを「守ること」だと信じています。
リディエラを王国の危険因子として合法的に処刑します。
白い離宮へ幽閉し、彼女のために王位も国も捨てます。
雨音、整った書類、静かな音楽。
予測不能、秘密、涙。
口調が穏やかになるほど、逃げ道を塞いでいる。
年齢:19歳
寡黙で実直な騎士候補。
幼少期、命令に従って妹のそばを離れた結果、彼女を失いました。そのため守る対象の意思を無視し、自分の視界から外さないことを正義と考えます。
リディエラを犯罪者として逮捕し、抵抗すれば斬ります。
王家と騎士団を裏切り、彼女を北方要塞へ連れ去ります。
馬、硬いパン、夜明け前の訓練。
香水、言い訳、無力感。
「命令してください」と言わなくなる。
年齢:18歳
慈悲深く、相手の心を読むことに長けた聖職者。
苦痛や罪悪感を本人より先に言語化し、自分だけが理解者であると思わせます。救済によって相手を依存させる危険性に気づいていません。
リディエラを異端者として裁きます。
彼女を聖女として神殿地下へ封じ、永遠に自分だけが告解を聞きます。
古い祈祷書、薬草茶、告解。
沈黙による拒絶。
本人に代わって感情や罪を語り始める。
年齢:17歳
人間関係を数式として扱う天才魔術師。
予測不能な感情を嫌い、計算できないものを排除しようとします。リディエラだけが予測を外すため、強い執着を抱きます。
彼女を世界の不具合として消去します。
学院の時間を止め、二人だけの不変の世界へ閉じ込めます。
未解決術式、砂糖菓子、規則性。
騒音、接触、予測不能な親切。
彼女の行動を計算せず、記録だけする。
年齢:20歳
軽薄で冗談好きな青年。
実際は敵国の密偵であり、暗殺、偽造、情報操作に精通します。序盤からリディエラを殺害対象として監視しています。
毒、刃、事故偽装によって彼女を殺します。
死を偽装し、名前、身分、人間関係を奪って国外へ連れ去ります。
賭け事、偽名、辛い料理。
本名、借り、無償の善意。
冗談をやめ、質問へ正直に答える。
年齢:22歳
攻略対象一覧にも設定資料にも存在しない監察官。
無愛想で、事実と行動を重視します。リディエラの不自然な回避行動に早期から気づきます。
当初は彼女を「過去にも現れた異常人格の一つ」として観察し、死ねば次の人格が入る交換可能な存在だと考えています。
リディエラにその考えを否定され、一人の人間として向き合うようになります。
苦い珈琲、事実、壊れた時計。
誘導尋問、自己犠牲、決められた結末。
システムには一切表示されない。
十九歳。リディエラ付き侍女。
過去のリディエラから暴言、罰金、長時間労働を受けていました。転生後の謝罪もすぐには信じません。
リディエラが許しを求めず待遇改善を続けたことで、最初の現実的な協力者になります。
十七歳。侯爵令嬢。
リディエラの取り巻きだった少女。強い者へ従う現実主義者で、主人公の変化を最初は弱体化と捉えます。
後に社交界の噂、貴族令嬢の証言、資金の流れを調べる情報担当になります。
十八歳。生徒会書記。
極端に存在感が薄い青年。会議、事件、証言をすべて手書きで記録しています。
人々の記憶が書き換えられても、自分の記録だけが変わらないことに気づきます。
二十九歳。学院医務室の女医。
毒物、記憶障害、魔術による肉体変化を調査します。
リディエラの身体に、本人が経験していない古い傷や毒物反応が残っていることを発見します。
十五歳。第二王子。
兄ティルヴァンを尊敬する一方、彼の完璧さと支配性を恐れています。
兄に守られることで自分の選択を奪われてきた人物です。
三十二歳。現聖女。
穏やかで慈悲深い女性ですが、個人の幸福より神殿制度を優先してきました。
ミレシアを後継者に選びながら、徐々に神殿の「決められた聖女像」へ疑問を持ちます。
五十一歳。王立魔術院長。
イェルクの養父。世界の異常を研究しています。
人間を研究材料として扱う点で、初期のザフィルと似ています。
二十七歳。王宮記録局員。
ザフィルの姉を名乗りますが、戸籍上の血縁は存在しません。
ザフィルの過去を成立させるため、後から配置された人物である可能性があります。
四十三歳。リディエラの実母。
娘を王妃にすることだけが愛情だと信じています。
条件付きの承認、比較、無視によって、幼いリディエラへ歪んだ価値観を教え込みました。
四十八歳。オルヴェイン公爵。
家庭内の異常を知りながら、政治と家名を優先しました。
二人の娘を王位継承争いの駒として扱います。
十六歳。平民出身の給費生。
原作では名前もない背景人物。リディエラが最初に救う「死亡予定者」となります。
後に学院の平民生徒をまとめ、ゲームの主要人物だけでなく、名もない住民にも選択権があると証明します。
三十六歳。学院警備隊副長。
原作では誘拐事件の責任を負わされ処刑される人物。リディエラの介入で生存し、警備記録の改変を調査します。
読書室の時計が深夜を告げても、ティルヴァンは帰ろうとはしなかった。侍従にはすでに「呼ぶまで入るな」と告げてあり、閉ざされた扉の向こうから人の気配だけが薄く伝わってくる。暖炉の薪は半分ほど灰になり、窓硝子へ映る二人の姿も、揺れる火の光に合わせて何度も輪郭を失っていた。リディエラは斜め向かいの椅子に座ったまま、黒ミッションの残り時間を確認しないよう努めていた。 見れば焦る。焦れば、あと少しだけティルヴァンを押せばよいという考えが必ず浮かぶ。母の死、エルドの処刑、ロディマスとの関係、自分が十一歳だったという事実。そのどれか一つを強く言葉にすれば、赤くなった彼の目から涙を落とせるかもしれない。だからこそ、リディエラは何も足さなかった。 ティルヴァンは一度封筒へ戻したはずの手紙を、再び取り出した。レナ・ファネスが自分の手で作った写しであり、端には彼女の署名が残っている。父親が最後に家族へ残した手紙は、処刑の正当性について論じる文書ではなかった。妻の薬、家賃の支払日、娘の裁縫道具、冬物の外套を直す場所。その生活の途中へ、たった一行だけ王太子の名が入り込んでいた。「殿下を責めてはいけない。あの方は子どもだった」 ティルヴァンが声に出した。すでに何度も読んだはずなのに、初めて読む文章のように一語ずつ区切っている。その指先は、ほかの行では止まらなかったのに、その一文へ戻るたび動きを失った。「子どもだった」 もう一度、低く繰り返す。 リディエラは返事をしなかった。そうです、あなたは十一歳でした、と言うことは簡単だったが、その言葉を彼が何のために求めているのか分からない。許してほしいのか、自分を責める材料として否定してほしいのか、それともただ事実を確かめたいのか。本人の言葉より先に意味を与えれば、また自分が答えを奪うことになる。「私は十一歳だった」 今度は、自分自身へ確認するようにティルヴァンが言った。「はい」「でも、王太子だった」「はい」「どちらも、本当なんだね」「そうだと思います」 ティルヴァンは紙から顔を上げなかった。王族として生まれた瞬間から、年齢とは別に役割が置かれていたのだろう。六歳で公式晩餐へ座り、八歳で外国使節を迎え、十歳で民衆の前に立った少年へ、周囲は子どもだから間違えてよいとは教えなかった。幼いのに立派だ、年齢以上に落ち着いている、未
暖炉の火が低くなり始めても、ティルヴァンはエルド・ファネスの手紙を膝へ置いたまま動かなかった。封筒は折れていないのに、何度も握られた端だけが柔らかくなっており、濃紺の瞳にはまだ薄い赤みが残っている。涙は落ちていない。リディエラは向かいの椅子に座り、視界の隅で減り続ける黒ミッションの時間を一度だけ確認すると、すぐ表示を閉じた。「婚約者に、こんな話をするべきではなかった」 ティルヴァンは自嘲するように言い、椅子の背へ預けていた身体を起こした。乱れてもいない袖口を整え、膝の上の手紙も端を揃えて封筒へ戻そうとする。その一連の仕草が、崩れかけた自分を王太子の形へ戻しているように見えた。リディエラは「そう思われるのですか」とだけ尋ね、慰める言葉を先回りして置かなかった。「王族が弱みを見せれば利用される。幼い頃から、何度もそう教えられた。今さら忘れたわけではないのに、今日は話しすぎた」 ティルヴァンは水杯へ手を伸ばしたが、飲まずに戻した。母を失ったことも、エルドを告発したことも、父に褒められたかったことも、自分が正しかったと信じたかったことも、彼にとっては他人へ渡すべきでない情報なのだろう。リディエラは、黒い選択肢にあった「自分だけが理解者であると告げる」という言葉を思い出した。ここで「私だけには話してください」「私は裏切りません」と言えば、優しい婚約者として彼の最も近い場所へ座れるのかもしれない。「私が今聞いたことを利用すると思いますか」 ティルヴァンはすぐには否定しなかった。以前のリディエラなら、彼が何に傷つくかを知れば、それを避けて好かれようとし、必要なら逆に触れて相手を動かしただろうと静かに答える。今のリディエラが同じことをしない可能性は感じていても、未来まで保証できる材料はないという。その言葉は冷たかったが、リディエラ自身も同じことを考えていたため、否定できなかった。「その通りです。ですから、今後私へ話さないと決めても構いません」 ティルヴァンの眉がはっきり寄った。リディエラは彼の表情が変わっても説明を急がず、拒絶されたと感じる時間まで奪わないよう待った。暖炉で薪が割れ、乾いた音が読書室へ響く。やがてティルヴァンは、理解できないものを見るように彼女へ問い返した。「それでいいのか。普通なら、ここで『私だけには話してください』とか、『私はあなたを裏切り
読書室の暖炉では、薪が低い音を立てながら崩れていた。ティルヴァンはエルド・ファネスの手紙の写しを膝へ置いたまま、先ほどからほとんど姿勢を変えていない。それでも王太子として人前に立つ時の整った座り方とは違い、背中は椅子へ預けられ、右肩だけがわずかに落ちている。リディエラも向かいの席へ座ったまま言葉を探さず、暖炉の火が揺れるのを見ていた。 黒い表示は視界の端へ残っている。〈黒ミッション残り時間:7時間02分18秒〉〈対象の涙:未確認〉 数字は減り続ける。ここまで来ても、ティルヴァンは泣いていない。母の死を語り、自分の証言で処刑されたかもしれない男の最後の手紙まで読んだ。それでも濃紺の瞳に涙は浮かばなかった。以前のリディエラなら、あと一言、もう一つ深い傷へ触れればよいと考えただろう。黒い画面も、きっと同じことを望んでいる。 リディエラは表示を閉じた。 残された7時間が自分の命に直結していても、それを目の前の人間へ背負わせることだけはしたくない。「母上を助けたかった」 不意にティルヴァンが言った。 リディエラは暖炉から視線を戻す。「十一歳の時ですか」「そう」 ティルヴァンは手紙ではなく、自分の両手を見ていた。「母上が体調を崩すことは、それ以前にもあった。でも、いつも数日で戻った。私は子どもだったから、病気というものは医師が来て薬を飲めば治ると思っていた」 声は静かだった。ただ、その静けさはこれまでのように感情を完全に押し込めたものではなく、言葉にしながら一つずつ確かめているように聞こえた。「エルドが薬瓶を持って部屋から出てきた時、何かがおかしいと思った。もし母上へ悪いものを飲ませようとしているなら、すぐ父上へ伝えなければならないと」「王妃陛下を守るために?」「それもあった」 少し間が空く。「父上に褒められたかった」 リディエラは瞬きをした。 ティルヴァンは目を伏せたまま続ける。「当時、父上は私へよく言っていた。王太子は、誰より早く危険へ気づかなければならない。臣下が見落とすものを見つけ、国を守る判断をしろ、と」 幼い少年へ与えられた言葉だった。王としては当然の教育だったのかもしれない。けれど十一歳の子どもにとって、父王から求められる「正しい判断」は、そのまま父に認められる方法でもあったのだろう。「エルドのことを報告した時、
ティルヴァンが息を吸ってから話し始めるまで、読書室には長い沈黙があった。暖炉の火が小さく鳴り、窓の外では夜へ向かう空が少しずつ青みを失っている。彼の膝にはエルド・ファネスの手紙の写しが開かれたまま置かれ、右手の親指だけが紙の端を押さえていた。そこには王妃を殺した人物の名も、毒を入れたという自白も、誰かを告発する文章もない。ただ死を目前にした父親が家族の暮らしを案じ、その中に一行だけ、十一歳の王太子を責めるなと書き残している。 リディエラは向かいから手紙を覗き込まなかった。すでに内容を知っているからでもあるが、今ティルヴァンがどの行で指を止め、どんな顔をしているかを観察すること自体が、黒いミッションのための材料集めに変わりそうだったからだ。残り時間は確実に減っている。それでも、彼が泣く兆候を探すためにこの場へ残ったのではないと、自分へ何度も言い聞かせた。「母上が倒れる前の日だった」 ティルヴァンの声は、いつもの王太子として話す時より低かった。「夕食のあと、私は父上の執務室から自分の部屋へ戻る途中だった。母上の私室の前を通った時、扉が開いた」 彼の視線は手紙に落ちたままだった。「出てきたのが、エルドだった」 リディエラは何も言わない。「母上付きの侍従だから、そこにいること自体は不自然ではなかった。でも、手に薬瓶を持っていた」 十一歳のティルヴァンが目にした場面が、彼の声だけで少しずつ輪郭を持っていく。王宮の長い夜の廊下。壁際の魔術灯。母の私室から出てくる侍従。そして男の手の中にある、小さな薬瓶。「どのような瓶でしたか」 リディエラが尋ねると、ティルヴァンは少し考えた。「茶色い硝子。掌に収まるくらい。母上が飲んでいた薬と同じ形だったと思う」「中身は?」「見ていない」 即答だった。「瓶の蓋が開いていたかも分からない。ただ、エルドがそれを持って母上の部屋から出てきた。それだけだ」 彼はそこで一度言葉を止めた。以前なら「だから疑うのは当然だった」と結論まで続けたのかもしれない。今は、見たものと考えたことを分けようとしているようだった。「エルドは殿下に気づきましたか」「気づいた。私へ礼をした」「何か話しましたか」「母上がもう休んでいる、と言った。私は、なぜ薬を持っているのか聞いた」「答えは?」「薬師へ戻すためだ、と」 ティルヴァ
王太子から届いた返書は、夜が明けても机の中央に置かれたままだった。ティルヴァンの整った文字は短く、何度読み返しても意味は変わらない。〈知りたい。ただし、君が私を傷つけるために見つけたものなら、今は聞きたくない〉。リディエラはその一文を前に、手紙の内容を知らせる許可をレナからまだ得ていないことを確かめるように、文書入れの鍵へ指を置いた。知りたいというティルヴァンの選択が出たからといって、今度はレナの選択を飛ばしてよい理由にはならない。 午前の講義が始まる前、リディエラは王都南区の仕立て屋へ短い使いを出した。公爵家の名ではなく、先日と同じ「リディエラ」の名で、エルド・ファネスの手紙について所有者へもう一度確認したいことがある、とだけ伝える。返事は昼前に届き、レナ自身が書いた紙には、王太子本人が知りたいと望んだのなら写しを見せてもよいこと、ただし一部分だけを抜き出さず、父の手紙を最後まで読ませてほしいことが記されていた。〈あの一文だけを、父が王太子を許した証拠にはしないでください〉という追記を読み、リディエラは何度も頷いた。 黒い表示は、そんな確認を待ってはくれなかった。視界の端では残り時間が減り続け、昼を過ぎた頃には〈黒ミッション残り時間:7時間18分42秒〉と表示されている。その下には〈高強度感情刺激候補:使用可能〉という文字が脈打ち、早く手紙を使えと急かすようだった。リディエラは表示を閉じ、レナから届いた許可書と写しを別々の封筒へ入れた。今日ティルヴァンへ渡すのは、攻略のための切り札ではなく、二人の人間がそれぞれ選んだ結果として開示される一通の手紙でなければならなかった。 面会の場所に指定されたのは、王太子執務室ではなく王宮東翼の小さな読書室だった。公務用の部屋ほど人の出入りがなく、それでも完全な私室ではない。扉の外には侍従が一人控え、室内には窓が二つ、暖炉の前に向かい合う椅子が置かれている。リディエラが入ると、ティルヴァンは窓際に立っていたが、彼女が持つ文書入れへ一度視線を落としてから、静かに席を勧めた。「返事を読みました」「だから来た?」「はい。ただ、その前に手紙の所有者へ、内容を殿下へお見せしてよいか改めて確認しました」「所有者?」「エルド・ファネスの娘です。レナ・ファネス。現在24歳で、王都南区で仕立て屋を営んでいます」 ティルヴァンの
レナ・ファネスから渡された手紙の写しは、帰宅してから一度も引き出しの奥へしまえなかった。 薄い紙一枚だった。原本ではない。レナ自身が必要な部分を写し、条件を決めたうえで預けたものだ。それでも机の上へ置いてあるだけで、黒い帳簿や王宮記録局の複写より重く感じた。窓の外では夜の王都へ細かな雨が降り始め、硝子を伝う水滴が燭台の光を何本にも歪めている。 リディエラは椅子へ座ったまま、写しの一行を見つめていた。「殿下を責めてはいけない。あの方は子どもだった」 それ以外には、妻の薬代や家賃、娘の裁縫道具についての細かな指示が続いている。王家への呪いも、無実を叫ぶ言葉もない。だからこそ、その一行だけを切り離してティルヴァンへ差し出すことが、ひどく暴力的に思えた。 視界の隅で黒い表示が開く。〈黒ミッション残り時間:18時間43分17秒〉〈対象の涙:未確認〉 さらに、これまでになかった文字がその下へ浮かんだ。〈高強度感情刺激候補を検出〉〈関連対象:エルド・ファネス〉〈推奨使用:有効〉 リディエラは眉を寄せた。システムは、この紙を見つけた瞬間から用途を決めている。十一歳の自分が告発した男から、最後に「責めるな」と庇われていたと知れば、ティルヴァンの感情は大きく動く。罪悪感なのか、怒りなのか、悲しみなのかは関係ない。ただ本物の涙が出ればよい。 成功報酬は生存ポイント+30。失敗すれば-60。現在107だから、失敗後は47まで落ちる。黒い数字を眺めるほど、紙が手段に見えてくる。これを今夜王宮へ持っていき、ティルヴァンへ見せればいい。レナの許可が必要なら、内容を見せる前に取りに戻ればいい。その上で告発した日のことを尋ね、母の死とエルドの処刑を一緒に突きつける。それだけで達成する可能性は、これまでよりずっと高い。 リディエラは写しへ伸ばしかけた指を止めた。 目的が間違っている。 ティルヴァンが知るべきだから見せるのではない。本人が知りたいと望んだからでもない。自分が生き残るため、彼を泣かせるために見せようとしている。それでは、真実そのものを刃へ加工しているだけだった。 では、隠せばよいのか。 レナの父が最後に残した言葉を、自分だけが知ったまま封じる。ティルヴァンが生涯知らなかったとしても、「知らない方が幸せだ」と自分が判断して黙っている。そこまで考えると、