登入普通の高校生活を送りたい転校生・久瀬湊人。学校では目立たず地味に過ごすつもりなのに、礼儀正しい所作や妙に整った振る舞いのせいで、隣席の柊坂真白から「変なやつ」と目をつけられてしまう。しかも湊人の裏の顔は、人気VTuber「天瀬アルト」。学校では存在感を消し、配信では“王子”として何万人もの視聴者を魅了する二重生活に加え、彼にはまだ誰にも明かせない秘密まであった。鋭い真白との距離が縮まるほど、平穏な青春は少しずつ難しくなっていく。
查看更多その夜、天瀬アルトとしての仕事を一通り終えたあと、久瀬湊人は珍しくすぐには配信アプリを閉じなかった。 デスクトップの右下に、小さく通知が出ている。 AstraLink内部共有サーバー。 新人支援チャンネル。 普段なら、必要な連絡だけを確認して終える。自分は事務所の中でも登録者二百万人を超える看板クラスのライバーで、ありがたいことに個別案件も多い。全体チャットや新人向けの共有に深く関わる余裕は、正直そこまでない。 けれど今日は、なんとなく目が止まった。 理由は分かっている。 小毬こはく、という名前だ。 まだ会ったことのない後輩。 同じ箱に所属している新人ライバー。 デビューからそこまで長くはないのに、登録者は二十万人を超えている。 数字として見ればかなり順調だ。だが、新人本人がその順調さをちゃんと“順調”として受け止められるかどうかは、また別の話だった。 湊人は通知を開く。 画面には、先輩ライバーたちの軽い雑談と、その合間に挟まる小毬こはくの短い発言が並んでいた。『本日の雑談枠、ありがとうございました。思っていたより緊張してしまって、言葉が飛んでしまいました』『いやいや、全然かわいかったよ〜』 緋月セレナだ。『
翌朝、鳴海すばるはいつもより十五分早く教室へ来た。 本人いわく、たまたま目が覚めただけで、別に特定の誰かを待っていたわけではない。 ……という建前を、自分で自分に言い聞かせるために、教室へ入る直前までコンビニで買ったカフェオレを無駄に振っていたくらいには、少し落ち着きがなかった。「いや、待ってないし」 小声で呟く。「ただ確認したいだけだし」 何を確認したいのかと問われれば、答えは一つだった。 久瀬湊人の声が、どこまで“推し”に似ているのか。 昨日の昼休み、そして一昨日の何気ない会話、さらにその前の自己紹介。点と点だった違和感が、すばるの中で少しずつ線になり始めていた。 もちろん、理屈では分かっている。 人気VTuber《天瀬アルト》と、庶民派高校へ転校してきたちょっと変な地味男子が、同一人物であるわけがない。 そんな都合のいい話、あるはずがない。 あるはずがないのだが――。「似てるんだよなあ……」 机に鞄を置きながら、すばるは小さくため息をついた。 声質だけなら、世の中には似ている人もいるだろう。 喋り方だって、丁寧な人はいる。 返し方が綺麗な人も、きっと探せばいる。
その日の朝、教室の空気はどこか落ち着いていた。 転校して一週間にも満たないのに、久瀬湊人はすでに二年三組の景色の中へ、うっすらと溶け込み始めている。 もちろん、本人の理想からすればまだまだ目立ちすぎだ。 隣の席の柊坂真白にはことあるごとに“変”と言われるし、鳴海すばるには相変わらず推し布教の対象として狙われている。日野直純はもう最初から友達みたいな距離で話してくるし、クラスの何人かも「転校生」ではなく「久瀬」として話しかけるようになってきた。 それはたぶん、学校生活としては悪くない兆候なのだろう。 だが湊人の中では、まだ「目立たず、普通に」が最優先事項であることに変わりはない。 問題は、その“普通”が日に日に遠ざかっている気がすることだった。「おはよう、柊坂さん」 席に着きながら声をかけると、真白は机に突っ伏しかけた姿勢のまま、ゆっくりと顔を上げた。「……おはよう」 返事はあった。 けれど、いつもより少しだけ覇気がない。 湊人は何となくその顔を見る。いつものようにきつめの目元ではあるが、今日はそれに加えて、微妙な白さがあった。肌の色も、ほんの少し冴えない。髪も乱れてはいないけれど、朝の整え方に余裕がなかったような気配がある。「どうかしましたか」「なにが」
翌朝、久瀬湊人はスマホの通知欄を見た瞬間に、静かに目を閉じた。 昨夜のクラス連絡グループは、鳴海すばるの投下したアーカイブURLをきっかけに、思っていた以上に賑わっていたのである。『また鳴海の布教始まってる』『夜更かししたくなるからやめろ』『この人たしかに声いいな』『真白、見た?』『転校生にもおすすめでしょこれ』『王子様系ってやつ?』 王子様系、という言葉がやけに目に刺さる。 ベッドの上で上半身だけ起こした湊人は、そのログを無言で見つめたまま、しばらく動けなかった。自分の配信アーカイブが、自分の学校生活の会話材料になっている。しかも本人がそのグループの中にいる。 冷静に考えると、かなり妙な状況だ。 いや、妙どころではない。危うい。 鳴海すばるが勢いに任せて貼っただけならまだいい。問題は、それに何人かが実際に食いつき始めていることだった。クラスメイトたちにとっては、ただ“オタク女子がまた推しを共有してきた”程度の出来事なのだろう。けれど湊人にとっては、自分のもう一つの顔が教室の話題として浸透し始める前兆にしか見えない。「……これは、あまり良くないな」