Masuk翌朝彼女がロビーへ降りると、真っ先に目に飛び込んできたのは、
窓辺でコーヒーを味わう彼の端正な姿だった。
朝の柔らかな光を吸い込むような漆黒のスーツ。肩のラインは体にぴたりと沿い、余計なたるみのないジャケットは、
前を一つだけ軽く留めて端正なシルエットをつくっている。シャツの襟はまっすぐに立ち、白の生地は皺ひとつなく清潔感が漂う。
ネクタイは結び目が左右対称に整えられ、胸元で静かに存在感を放ち、
袖口からはシャツのカフスがきちんと一センチほど覗き、
腕の動きに合わせて上品に揺れる。ただそこに座っているだけだというのに、
彼の周囲だけは別の時間が流れているかのような錯覚に陥る。その落ち着き払った佇まいは、
もはや「風格」という言葉を具現化したかのようだった。その刹那、鈴華の視線は釘付けになった。その気高さは、
極道としての峻烈な歩みが作り上げたものなのか、 あるいは、彼自身の本質から滲み出る天性の輝きなのだろうか。 「おはようございます。お待たせしてしまったでしょうか?」 「おはよう。いや、さっき来たとこや。昨夜はよう眠れたかいなあ?」 鈴華の気配を悟った彼は、手中のカップをソーサーへと静かに置いた。 口角に宿った微かな熱が、ゆっくりと形を成して笑みとなる。彼は急ぐことなく、慈しむような速度で、その瞳を彼女のほうへと漂わせた。
「はい…」 「ほな行こか」 彼は静寂を乱さぬよう緩やかに腰を上げると、 慈しむような手つきで彼女の行く先を指し示した。触れるか触れないかの距離で影を重ね合わせ、
静かに佇む高級車へと導いていった。 車のフロントガラス越しに、運転席に座る若い男の横顔があった。 彼は遠方の歩道に彼の姿を認めると、 一瞬目を見開き、すぐさま座席を蹴るようにして外へ出た。 アスファルトに降り立った男は、腰を深く折って不動の姿勢をとる。 彼が近づく足音に合わせて、男は指先をドアノブにかけ 後部座席のドアを引き開けた。 「こいつが昨日話しとったうちの若いもんや。 お前、在日コリアンに顔きくんやったな?」 「は、はい。自分も在日ですから。トンポ(同胞)には多少顔が利きます」 ハンドルを握る男の指先は、白くなるほどに強張っていた。 バックミラー越しに投げかけられる若頭の問いに対し、 彼は途切れがちな言葉を絞り出す。 男にとって背後に座るその人は、単なる上役ではない。組織において 若頭というその存在は、仰ぎ見ることすら畏れ多い、 遥か彼方に座す雲上人であった。「京司さん‼」ぶつりと切れた通話の向こう側へ、鈴華の悲鳴が虚しく吸い込まれていく。指が勝手にリダイヤルを繰り返すが、電波の海は二人の距離を無慈悲に隔てたまま京司の声を引き合わせることはない。 気がつけば、彼女は走り出していた。夜の闇を切り裂くように、ただひたすらに京都へ。愛しい人が待つ、その場所の引力に引かれるように。愛車である漆黒のセダンへと、滑り込むように急ぎ足で向かう鈴華。しかし、その焦燥を断ち切るように、容赦のない強靭な握力が彼女の細い腕を捕らえた。「お兄ぃ……!」ハッと息を呑み、鈴華が振り返る。そこに立っていたのは、彫刻のように険しい表情を浮かべ、彼女を真っ直ぐに見据える兄・宏一の姿だった。「どうした? その尋常ではない慌てぶりは。……一体、何があったんだ」静かだが重みのある声が、張り詰めた空気の中に響き渡った。宏一の瞳に映る己の動揺を見つめるうちに、鈴華の胸を騒がせていた激情は、凪いだ水面のように冷えていった。そっと、自らの腕を掴む彼の指を解く。その手から伝わる体温を拒むように、けれど名残惜しむように、静かにその束縛を身体から離した。「お兄ぃ……私、行かなくてはならないの」「……どこへ行くつもりだ」鈴華のまなざしに宿る、氷のように硬質な決意。それを見た宏一の胸に、ぬるりと不吉な予感が這い上がってくる。「……京都。京司さんのもとへ」その地名が、二人の間に決定的な夜の深さをもたらしていた。宏一の目に宿った狂おしい光が、鈴華の細い肩を捉えて離さなかった。衣服の向こうの骨が軋むほどの力に、彼の切迫した魂が透けて見える。「……京都だと? 鈴華……お前はまだ、あの男の呪縛に囚われたままなのか!」だが、鈴華の瞳に宿る熱は、すでに別の夜を向いていた。彼女はただ、静謐な微笑すら湛えて告げる。「夢なら、もうとっくに醒めてるわ。これは私の意志よ。たとえ地獄の底であろうと、私は京司さんのもとに行くわ」鈴華の華奢な肩を掴む宏一の腕は、怒りと恐怖の狭間で激しく震えていた。「俺やオヤジを……六穣会を捨てるつもりか、お前は!」怒号とともに見開かれた彼の瞳から、しだいに理性の光が失われ、昏い狂気の淵へと沈んでゆく。「そんなつもりはないわ!」鈴華は悲痛な叫びで、彼の狂気を撥ね退けようとした。剥き出しの感情を瞳
「少し……考えさせていただいてもよろしいでしょうか?」かろうじて紡がれた京司の言葉は、ひどく頼りなく空気に消えた。「もちろんかまわないよ。こちらはいつでも君を歓迎するから」慈悲深いその返答とは裏腹に、部屋を満たす空気は凍てつき、 京司の肩に重くのしかかる。「……うちの山城の件、ありがとうございました。 どうか……山城をよろしくお願いいたします」退出の間際、京司は踵を返し、入り口の冷たい床に正座した。 極道の若頭という肩書きをすべて削ぎ落としたかのような、 あまりにも無防備で、深い一礼。 「山城補佐の心配は無用だよ。 宇治宮組長がどれだけ血眼になって探そうと、あそこへは辿り着けない。 法の網の目からも、組織の目からも外れた、 とびきり静かな場所で静養させている」京司の目に安堵の色が滲んだ。「しかし、君のところの補佐は、まるで手負いの猪だな。 組長の邸宅へ直談判に押し入り、凄まじい気魄でクスリの取引を撥ね退けたと聞いたぞ」京司の唇に、自嘲めいた微かな笑みが浮かぶ。「ええ……不器用で、あれしか生き方を知らない男ですから」ようやく幕を閉じた会食。 しかし、美味であったはずの料理の味はとうに失せ、 ただ底なしの沼に足を取られていたかのような、 悍ましい疲弊だけが彼の手元に残されていた。 京都へ帰る帰路、京司は車内に紫煙を燻らせ、ただとり留めのない思考の海に沈んでいた。 窓外を流れる景色とともに、槇村の放った言葉がいつまでも脳裏にこびりついて離れない。 ――『看板だけで飯が食えた時代はもう終わったんだよ』 「……そうかもしれへんな」 吐き出した煙のゆくえを追うように、京司は小さく自嘲の笑みを漏らした。その呟きは、変わりゆく時代に取り残されゆく己への、静かな諦観だった。 鈴華は大阪の街を一人歩いていた。 静寂を切り裂くように、鈴華のスマートフォンが不意に、 高らかな電子音を響かせる。 恐る恐る画面に視線を落とし、そこに浮かび上がった番号を目にした瞬間、 彼女の指先が白くなるほどに端末を握りしめる。 心臓の鼓動が、痛いほどの早鐘を打っていた。「……京司さん」零れ出たのは、祈りとも、あるいは怯えともつかない呟き。 世界からすべての音が消え去ったかのような沈黙のなかで、 鈴華は震える指で通話ボタンを滑らせ、耳
「少し……考えさせていただいてもよろしいでしょうか?」かろうじて紡がれた京司の言葉は、ひどく頼りなく空気に消えた。「もちろんかまわないよ。こちらはいつでも君を歓迎するから」慈悲深いその返答とは裏腹に、部屋を満たす空気は凍てつき、 京司の肩に重くのしかかる。「……うちの山城の件、ありがとうございました。 どうか……山城をよろしくお願いいたします」退出の間際、京司は踵を返し、入り口の冷たい床に正座した。 極道の若頭という肩書きをすべて削ぎ落としたかのような、 あまりにも無防備で、深い一礼。 「山城補佐の心配は無用だよ。 宇治宮組長がどれだけ血眼になって探そうと、あそこへは辿り着けない。 法の網の目からも、組織の目からも外れた、 とびきり静かな場所で静養させている」京司の目に安堵の色が滲んだ。「しかし、君のところの補佐は、まるで手負いの猪だな。 組長の邸宅へ直談判に押し入り、凄まじい気魄でクスリの取引を撥ね退けたと聞いたぞ」京司の唇に、自嘲めいた微かな笑みが浮かぶ。「ええ……不器用で、あれしか生き方を知らない男ですから」ようやく幕を閉じた会食。 しかし、美味であったはずの料理の味はとうに失せ、 ただ底なしの沼に足を取られていたかのような、 悍ましい疲弊だけが彼の手元に残されていた。 京都へ帰る帰路、京司は車内に紫煙を燻らせ、ただとり留めのない思考の海に沈んでいた。 窓外を流れる景色とともに、槇村の放った言葉がいつまでも脳裏にこびりついて離れない。 ――『看板だけで飯が食えた時代はもう終わったんだよ』 「……そうかもしれへんな」 吐き出した煙のゆくえを追うように、京司は小さく自嘲の笑みを漏らした。その呟きは、変わりゆく時代に取り残されゆく己への、静かな諦観だった。 鈴華は大阪の街を一人歩いていた。 静寂を切り裂くように、鈴華のスマートフォンが不意に、 高らかな電子音を響かせる。 恐る恐る画面に視線を落とし、そこに浮かび上がった番号を目にした瞬間、 彼女の指先が白くなるほどに端末を握りしめる。 心臓の鼓動が、痛いほどの早鐘を打っていた。「……京司さん」零れ出たのは、祈りとも、あるいは怯えともつかない呟き。 世界からすべての音が消え去ったかのような沈黙のなかで
「あの老い損ないめ、どこまで恥の上塗りを…」京司の五指は掌に深く食い込み、怒りのあまりその輪郭を震わせていた。対する槇村の視線には、いっそのこと残酷なほどの静寂が宿っている。まるで、檻の中の猛獣を観察するかのような、絶対的な俯瞰。「……六穣会は今後、大阪港を九条組には一歩たりとも踏ませない。これが意味する断絶を、君が理解できないはずはないよね。実際六穣会にはそれが可能だ。うちは大阪港湾の利権の全てを掌握している。だからこれからの大阪港に九条組の影すら落とさせない。あの老害が別の流通ルートをゼロから開拓するなんて技、可能だとは到底思えないけどね」大阪湾の利権は、六穣会の絶対的な不可侵領域だ。九条組という老舗のブランド力をもってしても、そこに割り込む隙間など一ミリも残されてはいなかった。「薬なんぞ売らんでも、九条組は……死んじゃいません!」京司の絞り出すような怒号は、槇村の耳には、壊れたスピーカーのノイズ程度にしか響かなかった。「暴対法で首が回らないのは、君だってわかってるはずだ。看板だけで飯が食えた時代はもう終わったんだよ。九条組のようなオールドタイプの組織は、その毒(薬物)で命を繋ぎ止めねば、あとはただ枯れ果てるのみだ」京司の足元で、彼を支えていた世界が地鳴りを立てて崩れてゆく。仁義という名の虚飾、任侠という名の幻想、血の盃という名の呪縛。かつては彼の魂のすべてを形作っていたはずの絶対が、今や、祭りのあとに捨て置かれた安物の飾り物のように、惨めに、冷え冷えと転がっていた。「六穣会かて…同じ穴のムジナじゃないんですか!」京司の語尾は激しく波立ち、荒ぶる感情を隠そうともしなかった。対照的に、槇村の表情は氷のように凝固したままである。「うちは薬物には手を出さない方針でね。そんな不確かなリスクを背負う理由がないんだよ、六穣会は」槇村は皿の料理を綺麗に片付けると、ごく自然な動作で次の小鉢へと手を伸ばした。その平然とした捕食者のごとき佇まいが、京司の焦燥をいっそう深く削り取っていくようだった。「うちの命脈は、地下のカジノと、海の向こうで動く莫大な不動産取引にある。古臭い縄張りのあがりや、みかじめ料なんていう端金が、この巨大な組織をどう養うというんだい?」槇村の紡ぐ正論は、京司の守ってきた古い世界を容赦なく
「……俺に、九条組を裏切れと?」京司の射抜くような眼光が、まっすぐに槇村を捉えた。刃めいたその視線を浴びながらも、槇村のなかの静寂が揺らぐことはない。傾けられたグラスから、琥珀にも似たオレンジ色の甘い液体が滑り落ち、彼の喉を艶やかに潤していく。「裏切る、か……」槇村は低く、どこか楽しげにその言葉をなぞった。「誤解しないでほしいな。俺はなにも、九条の金や利権を、手土産に持ってこいと言っているわけじゃない。俺が渇望しているのは、君という存在そのものだよ。――それでも君は、それを『裏切り』という安直な言葉で片付けるのかい?」「それが……盃で結ばれた血の結束でしょう」槇村の放った言葉が、じわじわと己の深層へと染み込んでいくのを京司は感じていた。ありえない――自分が九条組を裏切るなど、天地が覆ろうとも。その絶対の矜持によって形作られている自らの輪郭が、足元から音を立てて崩れ去るような、底寒い恐怖が彼の胸奥を支配し始めていた。「そうか。では九条組が解散すれば少しは考えてくれるかな?」「……は?」槇村の口から零れ落ちた一言は、京司の足元の世界を根底から融解させるほどに重いものだった。それなのに、彼の口調はどこまでも乾いていて、軽い。そのあまりに無邪気な軽快さこそが、京司の胸の奥底へ、底なし沼のような不安をじわじわと広げていくのだった。(なんなんや、この人は……。一体何を言うてんねん。九条組が解散? ありえへん、そんなこと……)京司の脳裏を支配した怯えを、槇村は冷酷に射抜いていた。紡がれる言葉は、甘い幻想を容赦なく打ち砕く、剥き出しの現実。その圧倒的な冷たさに、京司はただ息を呑むしかなかった。「九条組が捌いてるクスリのルート、あれ全部、大阪湾の六穣会のシマ(港湾)を通ってるんだよ。俺が首を横に振った時点で、九条組の取引は完全にストップする。……その顔を見る限り、本当に何も知らされてなかったみたいだな」その言葉は、京司の脳をダイレクトに殴りつけた。あまりに唐突で、あまりに致命的な真実。自分がこれまで信じていた世界の前提が、足元から音を立てて崩壊していく。頭が真っ白になり、京司は喉の奥がカラカラに乾いていくのを自覚した。槇村の顔から、営業用の笑みが綺麗に消えた。「うちの組織は、香港の三合会と利権の深いところ
「山城銀行頭取の娘さんとの結婚の話、進んでるの?」向けられた言葉が、京司の背中にじっとりとした冷たい汗を滲ませていく。「……ご存知だったのですね」絞り出すような声とともに、彼は再び、額が擦り切れるほど畳に深く頭を垂れた。室内を包む沈黙が、罪人を断罪するように重くのしかかる。「私の分不相応な身勝手が、鈴華さんを深く傷つけてしまいました。どのようなお咎めを受けようとも、弁解の余地などございません」喉の奥から絞り出したのは、彼が持ち得る限りの、一切の虚飾を排した本心の謝罪だった。「それは鈴華と君、二人の間の問題だ。俺が口を挟むような筋合いじゃない。ただ……わざわざ神野の厳父に頭を下げてまで、君をこの奈良の地に呼び寄せてもらった意味は、どうやら泡沫に帰してしまったようだな」「あれは……会長の、お計らいだったのですか」その瞬間、京司の脳裏に、これまで霧の彼方にあった神野からの招きの真意が、鮮烈な光を伴って結像した。すべては仕組まれた、しかしあまりにも不器用で温かい、救いの手だったのだと。「九条組のために、君の人生全部を放り出すつもり?」槇村の口からこぼれたのは、場の空気にそぐわないほど軽やかな問いだった。しかし、それがかえって刃のように鋭く、京司の胸の奥を抉る。「……それが、盃を交わした者の、恩義ですから」喉の奥で幾重にも渦巻く迷いを無理やり押し殺し、京司はあらかじめ用意されていたかのような、味気ない言葉を吐き出した。割り切れない自らの心を、冷え切った義務感の仮面で覆い隠すように。「九条組は、君が人生のすべてを賭すに値する器かい?」槇村の放った言葉は、夜の静寂を切り裂く容赦のない光となって、京司の胸の空洞を射抜いた。「それは……」唇を衝いて出るべき言葉が、喉の奥で凍りつく。望まぬ婚姻、闇を這う薬物の白濁した澱み――。それらは、彼がかつて憧憬を抱き、命を捧げると誓った“”九条組の気高き輪郭を、内側からじわじわと侵食し、意図せぬ形へと歪めていくようだった。「実はね。君をここに呼んだのは、京都での恩義に報いるためだけではないんだ」京司はゆっくりと顔を上げ、その真っ直ぐな視線を槇村へと注いだ。「烏丸君……どうだろう、六穣会に身を委ねてみる気はないかい?」
幾重にも折れ曲がる細路地の最果て、朽ちゆく廃屋の群れに紛れるようにして、 その店は息を潜めていた。時の流れに取り残されたかのようなその佇まいに人の気配は感じられない。外界との繋がりを断ったその店は、ただひっそりとそこに存在するだけの ものとなっていた。指先をかけた古びた扉が開く事はなく、ため息を吐くような重みで 沈黙を守っているだけだった。 「ガサが入ってからけっこうな時間がたってるさかいなぁ。パクられたか体をかわしたか…」 ※パクられ…逮捕される 体をかわす…逃亡する 揺らめく煙が彼の輪郭を曖昧にぼかす。彼は指先の火影を見つめたまま、断続的な言葉を夜の闇へ放り投げた。
「特別な意図などありません。ただ久々に友人に会いたかったという、私的な逍遥に過ぎません」「ほう、、、六穣会は関係ないと?」腑に落ちぬ表情を隠そうともせず、彼はあからさまな不快を滲ませた。 しかし、それ以上の追究が空隙を埋めることはないと悟ったのか、 やがて重い口を閉ざし、言葉の礫を投げるのを止めた。「・・・で、君をどこに送ったらええんや?」答えを拒むかのように、鈴華の視線がわずかに彷徨う。 喉元まで出かかった言葉を一度飲み込み、彼女は覚悟を決めたように、彼に向かって目的地を口にした。「西木屋町にあるスナックです」「西木屋町、、、うちのシマやな。なんて名前の店や?」「…ヨ
彼女は呼吸ひとつ分の沈黙を経て、『はい』とだけ告げた。彼女の沈黙という深淵に、どのような想像が沈んでいるのか。彼は一瞬その淵を覗き込もうとしたが、すぐにそれを止めた。ただ静かに言葉を紡ぎ、その静寂を破る。「そういうたら、まだ名前をきいてへんかったなぁ。君なんて名前?」「鈴華、、、槇村鈴華です」「鈴華、、、ええ名前やな。、、、で、君何者やの?カタギの娘が血生臭い九条組の『顔』に辿り着くはずがあらへん」「私はしがない小娘にすぎません。ただ、父が六穣会という場所に身を置いておりますので、普通の方なら知り得ないようなことが、自然と耳に届いてしまうのです」「六穣会の槇村やと⁉」溢
「どうせこのまま大阪に戻るつもりはあらへんのやろ?」 鈴華はただ、薄闇のなかで唇を噛みしめた。こぼれ落ちなかった 言葉の代わりに、重く冷たい沈黙が二人の間に横たわる。 その静寂が、彼の疑念をゆっくりと、 しかし抗いようのない事実へと塗り替えていった。 「うちの組の中にも在日の人がおるんや。そいつから顔役に繋いでやろか?」 鈴華の動きがふいに止まりその瞳に、戸惑いの色がさざ波のように広がった。 しばしの沈黙が、彼女の内なる葛藤を雄弁に物語る。 やがて意を決したように、彼女は固く閉ざしていた唇をゆっくりと開き 静かに言葉を紡ぎ出した。 「ありがたいお話ですが… 他組織の人







