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第171話

Penulis: 雨の若君
素羽は宙で手をばたつかせ、何かに掴まろうとしたものの、結局は空を切り、そのまま後ろへ倒れて尻もちをついた。尾てい骨に響く鋭い痛みが全身を駆け抜け、彼女の顔から一瞬にして血の気が引いた。

一方で、傍らにいた美宜はすでに司野の腕の中に収まり、これ以上ないほど大切に守られていた。

「素羽さん、大丈夫?手を貸すから、俺の手を掴んで」

頭上から洋介の声が降ってきたのと同時に、彼が手を伸ばしてくる。

服越しであっても、素羽はその触れた感覚に、まるで毒蛇に絡みつかれたような戦慄を覚え、全身の毛が逆立った。洋介の指先が触れた箇所が、じわりと腐食していくような錯覚すら覚える。

二人の距離が縮まるにつれ、素羽は彼の笑みの奥に潜む陰湿さを見てしまい、あの日の恐怖が再び蘇った。

「来ないでっ――」

喉から絞り出すような声だった。体は硬直し、呼吸さえ浅くなる。

「素羽さん……?」

「あっち行けって言ってるでしょう――!」

感情が爆ぜ、震える体が彼女の恐怖を物語っていた。

利津が眉をひそめ、呆れたように言う。

「お前、どうしたんだよ?相手は親切で手を貸そうとしてるだけだろ。何キレてんだ」

利津は、自分を睨みつける素羽の虚ろな瞳の奥に、かすかな狂気が滲んでいるのを見て取った。

……こんなふうに突然叫ぶなんて、ついに頭がおかしくなったのか?

司野もようやく我に返り、尻もちをついた素羽を見るなり瞳の色を揺らした。美宜をそっと下ろして振り返り、素羽の前に膝をついて手を伸ばす。

だが、司野に対する素羽の反応は、洋介に向けたものと同じ。「拒絶」だった。彼女は身をかわし、その手に触れられる前に自力で地面を押して立ち上がった。

宙を切った司野の手は、行き場を失って震え、彼の瞳には深い後悔の色が浮かんだ。

「素羽……」

「どうしたんだ」と続く前に、素羽はすでに踵を返し、個室の外へと歩きだしていた。

司野は慌ててその後を追った。

素羽にとって、背後の個室は深淵そのものだった。醜悪な魑魅魍魎が蠢く場所に思え、もう一秒たりとも留まりたくなかった。

「素羽!」

追いついた司野が腕を掴む。

「どこへ行くんだ?」

腕を引かれた衝撃で尾てい骨に痛みが走り、素羽の体は強張った。目を閉じ、ゆっくり開くと、ほとんどの感情が消え失せ、淡々と告げた。

「離してもらえる?」

司野は戸
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