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第9話

Author: 彼女の痕
美羽にとって、授業とアルバイトをこなす毎日は非常に充実していた。すべてが彼女の思い描いた通りに進んでいた、あの彼を除いては。

「先生、こんなところで会うなんて偶然ですね。この授業を取ってたんですか?」

ドナルドはカジュアルウェアを着て、生き生きとした笑顔で美羽に話しかけた。

美羽は返事をしなかった。教科書も持たずに来た彼の目的は明らかだった。

「先生、今度は僕のために席を取ってくれませんか?ちょっとでも寝坊すると、先生の隣にはろくでもない人たちが座っちゃうんですよ」

片肘をついて、ドナルドは甘えた声で美羽を見つめた。その言葉には、まるで釣り針のような含みがあった。

「シーッ、ちゃんと授業を受けなさい」

「はい、わかりました」

そう答えたのに、2分後には机に突っ伏してぐっすり眠っている彼の姿が美羽の目に映った。

チャイムが鳴り、美羽が立ち上がると、ドナルドは慌ててよだれを拭きながら目を覚ました。

「席を取るために早起きしすぎて、寝不足だったんです。普段は文学にはすごく興味があるんですよ」

美羽は「ふん」と小さくうなずいた。気づかぬうちに、彼女の口元には微笑みが浮かんでいた。

それからの日々、ドナルドは「早起きが辛い」と愚痴りながらも、毎日美羽より早く教室に現れた。

そして美羽の机の中には、必ず彼が用意した花が入れられていた。

悠斗と同じ手口だった。

向日葵の花束を取り出した時、美羽は嫌な記憶がよみがえり、声を冷ややかにした。

「もう花はやめてください。私に時間を費やすのもやめて」

「何か怒らせてしまったんですか?理由を教えてくれれば、反省します」

動揺したドナルドが慎重に尋ねたが、美羽はそれ以上答えなかった。

その日の帰り道、ドナルドは黙って美羽の後をついていった。

「アメリカって結構危ないですからね。でも先生、安心してください。僕が守りますよ」

それ以来、ドナルドは雨の日も風の日も美羽を送り届けた。

普段なら、帰り道でドナルドはさまざまな面白い話をしてくれた。

ハイキング、スキー、ロッククライミング、ロックコンサート……彼の趣味は常人よりずっと広く、美羽の知らない世界が広がっていた。

久しぶりの沈黙が二人をぎこちなくさせた。
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