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潮汐の瞳

潮汐の瞳

By:  彼女の痕Completed
Language: Japanese
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清水美羽(しみずみう)には、優しく深い愛情を注ぐ彼氏がいた。 毎日花を贈り、髪を結ぶ手助けも、999回もしてくれた。 三年間一緒過ごし、美羽は一度も同じ髪飾りを付けたことがない。 加藤悠斗(かとうゆうと)のプロポーズを受け入れた夜、彼は嬉しさのあまり酒を飲みすぎ、酔っ払って美羽を抱きしめながら「愛してる」を繰り返した。 周りの祝福と羨望の眼差しの中、美羽は氷のように冷たい気持ちでいた。 彼女は悠斗の完全な告白を聞き逃さなかったからだ。 「愛してる、花音」 彼女の姉、清水花音(しみずかのん)の名前だった。 美羽は踵を返した。「加藤悠斗、もう君を必要としない。汚らわしい」

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Chapter 1

第1話

清水美羽(しみずみう)には、優しく深い愛情を注ぐ彼氏がいた。

毎日花を贈り、髪を結ぶ手助けも、999回もしてくれた。

三年間一緒過ごし、美羽は一度も同じ髪飾りを付けたことがない。

加藤悠斗(かとうゆうと)のプロポーズを受け入れた夜、彼は嬉しさのあまり酒を飲みすぎ、酔っ払って美羽を抱きしめながら「愛してる」を繰り返した。

周りの祝福と羨望の眼差しの中、美羽は氷のように冷たい気持ちでいた。

彼女は悠斗の完全な告白を聞き逃さなかったからだ。

「愛してる、花音」

彼女の姉、清水花音(しみずかのん)の名前だった。

……

美羽は無理に笑顔を作り、周りの祝福に応対した。幸い悠斗は酔い潰れていたため、彼女は早めにその場を離れるができた。

駐車場まで悠斗を支えながら歩く途中、彼は何度も美羽の髪を撫で、ふと痴態のように頭を垂れて髪の匂いを深く嗅ぎ、「いい香りだ、花音」と満足げに呟いた。

もともとふらふらと歩いていた美羽は驚いてよろめき、悠斗は倒してしまった。

荒い息を吐きながら、美羽は地面に倒れた男を茫然と見つめた。さっきまでの上機嫌とは打って変わって、悠斗は体を丸め、顔を覆ってすすり泣いていた。

起き上がる気配がないのを見て、美羽はその場に座り、赤くなった目で彼の涙を拭いながら、嗄れた声で尋ねた。

「悠斗、どうして泣いてるの?プロポーズ成功したじゃない?」

すると手が悠斗の温かい手に握り返された。彼は顔を寄せながら、唇で手のひらをそっとキスした。

「離れないで、花音。他の人と結婚しないで……僕、変わるから。あなたが好きなように変わるから」

美羽は手のひらに伝わる悠斗の唇の温もりと、絶え間ない涙を感じていた。

もう一方の手でさっと自分の涙を拭い、美羽はかすかな期待を込めて声を震わせた。

「それなら、どうして清水美羽と一緒にいるの?彼女のこと……愛してた?」

「花音に似てるからだ。それに、花音の妹だから、これで僕は花音の家族でいられる」

美羽の最後の希望も、悠斗に冷たく打ち砕かれた。脳裏を駆け巡るのは「花音の妹」という言葉ばかり。

この三年間、悠斗の目に映っていたのは、美羽という一人の女性だったのか、それとも姉の代わりに過ぎなかったのか。

一ヶ月前、彼女が結婚の話をした時、悠斗は「急がないで、二年待とう」と言っただけだった。

数日前、南アフリカにいる姉が突然電話をかけてきて、「一生を共にしたい人ができた」と告げ、近々帰国して両親に紹介する予定だと言った。

そしてその日から、悠斗はプロポーズの準備を始めたのだった。

彼女が待ち望んでいた結婚は、悠斗の悔しさを晴らす手段になってしまった。

涙が乾くのを待ち、美羽は手を引き、苦労して悠斗を助手席に座らせた。

家に帰り、ソファに座らせると、悠斗はそのまま寝入ってしまった。だが携帯が床に落ちた。

悠斗は美羽に全く警戒心を持っておらず、全てのアカウントのパスワード、銀行カードの暗証番号まで教えていた。だから彼女は悠斗を疑ったことなどなかった。

しかし、初めて悠斗の携帯を覗いた美羽は、隠しアルバムを見つけた。

悠斗から教わった全てのパスワードを試したが、全て失敗。

最後に姉の誕生日で、アルバムは開いた。

そこには花音の写真ばかり、笑っている顔、怒っている顔、ぼんやりしている顔……

そしてアルバムの説明欄には、悠斗が編集した一文が。「あなたの髪の香りを嗅ぎ、毎日結ってあげたい」

美羽は自分の乱れた長髪を見下ろし、崩れ落ちそうになった。

悠斗に出会う前、彼女はロングヘアの手入れが面倒で耳までのショートカットだった。一方、姉は腰まで届く長髪だった。

悠斗と付き合い始めた時、彼はこう言った。

「これからは僕があなたの髪を手入れして、結ってあげる。長く伸ばせ」

それから三年。この長髪は、ただ姉に似せるためだったのか。

以前の美羽なら、悠斗の着替えを手伝い、体を拭き、お吸い物を作ってベッドに運んだはずだ。

だが今、彼女は「花音」と呟く男を一瞥すると、黙って二階の寝室へと向かった。

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第1話
清水美羽(しみずみう)には、優しく深い愛情を注ぐ彼氏がいた。毎日花を贈り、髪を結ぶ手助けも、999回もしてくれた。三年間一緒過ごし、美羽は一度も同じ髪飾りを付けたことがない。加藤悠斗(かとうゆうと)のプロポーズを受け入れた夜、彼は嬉しさのあまり酒を飲みすぎ、酔っ払って美羽を抱きしめながら「愛してる」を繰り返した。周りの祝福と羨望の眼差しの中、美羽は氷のように冷たい気持ちでいた。彼女は悠斗の完全な告白を聞き逃さなかったからだ。「愛してる、花音」彼女の姉、清水花音(しみずかのん)の名前だった。…… 美羽は無理に笑顔を作り、周りの祝福に応対した。幸い悠斗は酔い潰れていたため、彼女は早めにその場を離れるができた。駐車場まで悠斗を支えながら歩く途中、彼は何度も美羽の髪を撫で、ふと痴態のように頭を垂れて髪の匂いを深く嗅ぎ、「いい香りだ、花音」と満足げに呟いた。 もともとふらふらと歩いていた美羽は驚いてよろめき、悠斗は倒してしまった。 荒い息を吐きながら、美羽は地面に倒れた男を茫然と見つめた。さっきまでの上機嫌とは打って変わって、悠斗は体を丸め、顔を覆ってすすり泣いていた。 起き上がる気配がないのを見て、美羽はその場に座り、赤くなった目で彼の涙を拭いながら、嗄れた声で尋ねた。 「悠斗、どうして泣いてるの?プロポーズ成功したじゃない?」 すると手が悠斗の温かい手に握り返された。彼は顔を寄せながら、唇で手のひらをそっとキスした。「離れないで、花音。他の人と結婚しないで……僕、変わるから。あなたが好きなように変わるから」 美羽は手のひらに伝わる悠斗の唇の温もりと、絶え間ない涙を感じていた。 もう一方の手でさっと自分の涙を拭い、美羽はかすかな期待を込めて声を震わせた。 「それなら、どうして清水美羽と一緒にいるの?彼女のこと……愛してた?」 「花音に似てるからだ。それに、花音の妹だから、これで僕は花音の家族でいられる」 美羽の最後の希望も、悠斗に冷たく打ち砕かれた。脳裏を駆け巡るのは「花音の妹」という言葉ばかり。 この三年間、悠斗の目に映っていたのは、美羽という一人の女性だったのか、それとも姉の代わりに過ぎなかったのか。一ヶ月前、彼女が結婚の話をした時、悠斗は「急がないで、二
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第2話
翌朝、美羽が起きた時、ソファにはもう悠斗の姿はなかった。「もう起きたの?それなら、髪を結んであげようか」浴室から湯気をまとって出てきた悠斗は、二日酔いの疲れを残しながらも、昨夜の出来事は覚えていないようだった。鏡に映る、自分の髪を丁寧に梳かす男を見つめながら、美羽は探るように口を開いた。「悠斗、私、また髪を短くしようかなって思ってるんだけど、どう思う?」「うっ、痛い」「ごめん、つい力が入っちゃった。痛かった?どうして急に短くしたいんだい?長い髪の方が似合ってると思うけど」悠斗は手に取った長い髪を優しく見下ろしながら、穏やかに諭した。「今切ると、結婚式の時のヘアスタイルが制限されちゃうよ。最近、僕のケアが足りなかったのかな?それとも……もう僕は必要ないってこと?」「いいえ、ただ聞いてみただけ。切ってほしくないなら、このままでいいわ」美羽は鏡に映る腰まで届く長髪を見つめながら、心が冷めていくような感覚を覚えた。出勤前の悠斗は、まるで手品のように耳元に花を添え、満足げに眺めてから、「今日の花、よく似合ってる」「そうだ、今日は両親を呼んで結婚式の話をするんだ。急げば、あなたのお姉さんの結婚式と同時に挙げられるかもね」ドアが閉まった後、無理に笑顔を作っていた美羽は、すぐに耳元の花と髪飾りを引き抜き、ゴミ箱に投げ捨てた同時に結婚式?それなら、悠斗は心の中で姉を花嫁だと思い込んでいるんだろう。なぜ悠斗の目には、いつも自分が花音という影に覆われているのか。悠斗のプロポーズは派手だったため、美羽が大学に行くと、学生たちから祝福の声が次々と飛び交った。「清水先生、いつ結婚祝いのお菓子を配ってくれるんですか?」「先生!僕はプリンがいいです」「結婚式に参加してもいいですか?ご祝儀出すから」二十歳の学生たちの目は、純粋で無邪気だった。悠斗が愛しているのは自分ではなく、結婚したいのも自分ではない――そんな事実をどう伝えればいいのか。昼食時、悠斗が両家の両親を招いて結婚式の話をしようとレストランに向かう。会食の席で、美羽は衝撃的な光景を目にした。個室の中央に設置されたディスプレイには、南アフリカにいる姉が恋人レーメンと共にビデオ通話で参加していたのだ。美羽はドアの前で立ち尽くし、悠斗の視線は一度も花音から
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第3話
食事会は順調に進み、悠斗もこれまで通りの優しい彼氏として振る舞っていた。しかし、やはり何かが違っていた。悠斗は美羽の隣に座りながらも、注意力は常に花音に向けられていた。花音の言葉には一つ一つ反応し、たとえ彼女からまともに見られなくても気にしない様子だった。一方、悠斗は美羽には食べられない辛い料理を山ほど取ってくれた。美羽の胸に込み上げるのは、やりきれない悔しさだった。夜、家に帰ってからも悠斗の興奮は冷めやらず、結婚式の話を続けた。ほとんど彼一人の話だった。「悠斗、ちょっと疲れたから先に寝るね」美羽は疲れを感じ、悠斗を残して寝室に入った。しばらくして、悠斗は温かいミルクをを持ってベッドサイドに現れ、低い声で謝った。「ごめん、美羽。昼間は僕が悪かった。ただ嬉しすぎて、眠れないならミルクでも飲んで」美羽は目を閉じたまま無視した。悠斗の足音が遠ざかってから、ゆっくりと目を開ける。ベッドサイドのミルクはまだ湯気を立てていた。これは3年間、二人の習慣だった。悠斗は毎晩寝る前に温かいミルクを作ってくれていた。彼の気持ちと思い、ミルクが苦手な美羽も毎晩飲み干していた。だが今夜はもう、自分を犠牲にする必要はないと感じた。美羽はコップを手に取り、ミルクを洗面所で捨て、そしてベッドに戻り、再び目を閉じた。しばらくして、悠斗がそっとベッドに入り、美羽をきつく抱きしめた。彼の呟きが聞こえる。「たとえあなたが僕と結婚しなくても、少なくとも新郎の立場であなたが歩いてくる姿を見られるだけでいい」「花音、会いたくてたまらない、美羽はあなたに似てるけど、やっぱりあなたじゃない。今日も髪を切ろうとしてた。そうしたらもっと似なくなっちゃう」「あなたの妹を見た時まるで救われたように感じたんだ。わざと彼女がよく餌をやる野良猫に薬を仕込んで近づいた。完璧な代わりを見つけたと思った」「抱きしめてるのが本当にあなただったら、毎晩美羽に睡眠薬を飲ませて、あなたの代わりをさせることなんてしなくて済むのに」悠斗の熱い告白が続く中、美羽は全身が凍りつくような感覚に襲われた。目をぎゅっと閉じていても、涙は止まらなかった。「わざと近づいた」なんて残酷な真実だろう。最初から、彼女はただの代用品に過ぎなかった。臨市大学には多くの野良猫がいて、美
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第4話
一週間後、花音はレーメンを連れて帰国した。 午前10時に到着する飛行機のため、悠斗は7時に起きて準備を始めた。普段は外見に気を使わない男が、クローゼットの前で30分も服を選び、ぶきっちょに髪を整え、香水まで吹きかけていた。 「これが本命の威力か」悠斗は3年間続けてきた習慣さえ忘れてしまっていた。 美羽は渋い表情でヘアゴムを使い、高いポニーテールを結んだ。 「美羽、お姉さんに花束を贈ろうか?ひまわりがいいかな?」 悠斗は美羽の意見を求めながらも、すでに車の方向を市内最大の花卉市場に向けていた。「どちらでも」美羽は窓の外を見つめたまま小さく答えた。 この3年間、彼女が最もよく受け取ったのはひまわりだった。姉はその花が好きだったが、彼女自身は好きではなかった。百合が好きだと悠斗に伝えたこともある。だが彼は聞き流し、ひまわりを贈り続けていた。1時間以上の待った後、ようやく花音とレーメンの姿が見えた。 車を降りた美羽は、彼氏が姉の荷物を取り上げようと小走りに近寄り、レーメンに不満を言っているのを見た。「女性に荷物を持たせるなんて紳士失礼だ。日差しが強いのに日傘を準備しなかった、花音が日焼けしたらどうするんだ?」 「私の恋人に対して、あなたが何か言う筋合いはないわ。それより、美羽を選んだのならきちんと彼女に向き合いなさい」 花音はレーメンの前に立ちはだかり、厳しく反論した。片手で荷物を取り返し、もう片方の手でレーメンを引き寄せ、悠斗を避けて前に進んだ。ようやく美羽の存在を思い出した悠斗は急いで戻り、彼女に日傘を差し出した。 普段は完璧に成熟している悠斗が、姉の前では何度も冷静さを欠いてしまう。美羽は苦笑を浮かんだが、以前のように胸が痛むことはなかった。結婚式まであと10日。この日は約束していたウェディングドレスのフィッティング日だった。 店内には様々なドレスが並び、美羽は思わず手を伸ばして触れた。 何度も想像した自分と悠斗の結婚式、お気に入りのドレスを着て、悠斗と共に家族の前で永遠の愛を誓う瞬間。 「美羽、このドレスはどう」 悠斗は終始上の空で、時折花音の方へ視線をやりながら、美羽の好みにまったく合わないドレスを選んでいた。 美羽は返事もせず、店員に自分好み
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第5話
一日中、彼らは市内の複数のブライダルサロンを巡り歩いた。ようやくウェディングドレスを決めて家に着帰ったときは、すでに夜も遅くなっていた。美羽は青白い顔をして一人で寝室に入った。悠斗は少し考えた後、キッチンへ向かった。ドアをノックして入ってきた悠斗に、美羽はいつものように睡眠薬入りのミルクを持ってきたのだろうと思った。しかし、彼が差し出したのはジンジャーティーだった。「ごめん、気を使ってなかった。今日は生理初日なのにあちこち歩かせて、辛かっただろう」「まずこれを飲んで温まって。お湯を汲んでくるから」美羽はマグカップを両手で包み込み、悠斗が忙しそうに動き回る姿をぼんやりと見つめていた。姉が戻ってきたら、悠斗はもうこんなことまで覚えていてくれないだろうと思っていたのに。悠斗がたっぷりのお湯を運んで戻ってくるまで、美羽は放心状態だった。「これは何?」額に汗を浮かべながら、悠斗は美羽の靴下を脱がせながら笑顔で言った。「さっき帰ってきた時、顔色が悪かったから。足湯でもさせようかと思って。温かくなれば、少し楽になるだろう」足元から程よい温もりが伝わってくる。美羽は「うん」と小さく答えて、ジンジャーティーをちびちびと飲み始めた。これまで飲んだものと違い、今夜のは底にたくさんのかすが沈んでいた。まるで鍋の最後の一杯をすくったようなものだった。しかし悠斗は長くは留まらなかった。出ていく前に、「お湯が冷めたら足を拭いて寝てな。洗面器は後で片付けるから。おやすみ」と念を押した。美羽がようやくジンジャーティーを飲み終えた頃、足湯も冷めていた。ベッドに戻ろうとした時、ドアの外から物音が聞こえた。レーメンが悠斗を床に押し倒し、殴りつけているところだった。花音が止めようとしていた。「夜中に僕の嫁の部屋に何しに来た!前からむかついてたんだよ、毎日僕の嫁を盗み見やがって」「ただジンジャーティーを届けに来ただけだ。今日も生理初日だろう?それに気づかない夫の方がおかしい。本当に彼女を愛しているのか?」二人の男は互いを押さえつけ、どちらも譲ろうとしない。ついには花音が二人を引き離すためにそれぞれに平手打ちを食らわせた。美羽はこの茶番を見て、自分がひどく滑稽に思えた。悠斗が今日の無関心を償おうとしているのかと思ったら、結局
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第6話
結婚式まであと七日。花音とレーメンは市内をほぼ見尽くしていたので、悠斗は自分が保護している野良動物の施設を見に行こうと提案した。庭に入るなり、花音は甲高い声を上げた。「わぁ!ふわふわの子たちがいっぱい!全部君が飼ってるの?」悠斗は小さな動物たちに飛び込んでいく花音を優しい目で見守り、甘やかすように微笑んだ。「そうだよ。あなたが気に入ると思ってた。暇な時に来ていいよ。すぐにドアロックにあなたの指紋を登録するから」「いや、結構だ」レーメンが悠斗の隠しもせず向ける視線を遮るようにして言った。「南アフリカで既に子猫を保護している。今後も彼女が望めば他の動物も飼うつもりだ。義弟にお世話になる必要はない」二人の男が入り口で火花を散らす中、花音は夢中で左右の手を同時に使って動物たちを撫でていた。美羽は居心地悪そうにしゃがみ込み、足元に寄ってくる子犬を弄んでいた。悠斗が野良動物を保護する施設を持っていることはずっと知っていた。だが、彼が自分を連れてきたことは度もなかった。好奇心から見学したいと言うたび、悠斗は様々な理由で断り続け、ましてや指紋を登録することなどあり得なかった。このドアは最初から彼女に向けて開かれることはなかったのだ。美羽が思いに耽っていると、危険が迫っていた。「花音」「あなた」悠斗とレーメンは、子犬が突然狂暴化したのを見つけると、即座に花音の方へ駆け寄った。美羽の方が子犬に近く、噛まれる危険が高いことに気づかなかった。二人は花音の元で彼女に怪我がないかしっかりとチェックする一方、美羽は子犬の突然の攻撃で地面に倒され、腕をがっしりと噛まれていた。「助けて、悠斗、お願い、姉さん、義兄」激痛のため、美羽は大声で助けを求めることもできなかった。逃げようとすればするほど傷口が引き裂かれるように痛む。地面に倒れ涙まみれの美羽は、夫が姉の肘の擦り傷を心配そうに見つめ、その後慌てて立ち上がるのを見た。美羽が自分の腕が噛み千切られるかもしれないと思った瞬間、子犬は制圧された。悠斗でもレーメンでもなく、姉の花音だった。「ごめんね、美羽。姉さんがちゃんと守れなくて、レーメン!早く!救急車を呼んで」小さい頃から、姉が泣くところを見たことはほとんどなかった。美羽の心の中で、姉は常に強く美しい存在だった。
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第7話
その後の一週間、美羽は家で傷を癒しながら過ごし、悠斗は結婚式の準備に追われ、朝早く出かけ、夜遅く帰ってくる日々だった。 毎朝目覚めると、ベッドサイドに飾られた花が目に入り、隣の布団はすでに冷めていた。 式まであと三日という頃、美羽はこっそり荷物をまとめ始めた。 彼女は誰にも気づかれずに去るつもりだったが、悠斗が新婚部屋を準備している最中に、何かを感じ取られてしまった。「美羽、どうしてクローゼットの服がこんなに減っている?この古いスーツケースを出して……待て、荷造りしているのか?」 ソファに寄りかかっていた美羽は、悠斗の詰問にも淡々とした口調で答えた。 「ハネムーンの準備をしてただけよ。傷のせいで何もできないんだから、前もって片付けてもいいでしょ?」 悠斗はしばらく考え込んだが、結局スーツケースを元に戻し、付け加えた。 「次からは僕に任せてくれ。けがしてるんだから無理しないで」 しかし、後から入ってきた花音だけは、少し考え込んでいるようだった。夜、三人で出かけたはずが、帰ってきたのは花音一人だけだった。 美羽は姉と二人きりになるのが気まずかった。悠斗の所業は、今でも彼女の心に深く刺さっていた。「美羽、正直に言って。どこに行くつもりなの?」 花音は真剣な面持ちで妹の前に座り、じっと見つめた。 俯いて黙っている妹に、姉は静かにため息をついて言った。 「責めるつもりはないの。ただ、あなたは私を無条件に信じていいし、私も無条件にあなたを支える。あなたと両親は、私にとってこの世で一番大切な人たちだから」 ようやく顔を上げた美羽の頬を涙が伝い、震える声で姉にすべてを打ち明けた。 「ごめん、もっと早く悠斗の邪な考えに気付くべきだった。でも、もし本当に決めたのなら、私がかばってあげる」 花音は優しくティッシュで妹の涙を拭い、そっと抱きしめた。姉の協力で、すべてがスムーズに進んだ。 式の三日前、花音は「挙式前に新郎新婦は会わない方がいい」という理由で、美羽を空港近くのホテルに連れて行った。その三日間、美羽は花音に付き添い、三年間伸ばしていた長い髪を短く切らせた。 切り落とされた髪は一束に結ばれ、徹夜で書かれた別れの手紙とともに包まれていた。 結婚式当日、姉妹は
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第8話
悠斗は呆然とその束ねられた長髪を取り出し、がっくりとドア際に座り込み、手紙を読み始めた。気づけば涙が床に大きな水溜りを作っていた。式が終わり、花音とレーメンが家に戻ると、無数の空き瓶が転がり、悠斗は泥酔して床に倒れていた。その手には、美羽が残していった髪と手紙が握りしめられていた。しかし翌日、悠斗は何事もなかったかのように、花音たちのハネムーンの行程作りを手伝っていた。「美羽がいなくなって、焦らないの?」「僕にとって、あいつは元々あなたの代わりに過ぎなかった。あなたが戻った今、美羽はもう要らないんだ。ハネムーン最後の行程は白桐島で締めるのはどうだ?」花音の問いに顔も上げず、悠斗は攻略記事を書き続けた。その頃、美羽はすでにアメリカに到着していた。わずかな貯金を手に、彼女は辺鄙な安アパートを借り、新生活を始めた。平日は語学学校で国語講師のアルバイトをして生計を立てていた。「先生、どこへ行くの?乗せてあげますよ」金髪碧眼の青年がカッコよくバイクを停め、ヘルメットを外すと、サラサラと前髪を揺らした。ドナルドはこのところ、美羽の退勤時間に合わせて毎日のように現れてはアピールしていた。「好意はありがたいけど、結構です」美羽は相変わらず礼儀正しく、しかし冷たく断った。青年の整った眉ががっくりと下がり、「先生って本当に冷たいですね。僕と知り合う機会をくれますよ。一途なんですから」とわざとらしく嘆いた。「必要ありません。バスが来ましたので、失礼します」しかし美羽の拒絶も、ドナルドの熱意を冷ますことはなかった。彼は意図的に、あるいは偶然を装って日に4、5回も彼女と"偶然出会う"のだった。美羽がドナルドの猛烈なアプローチを受けている間、悠斗は花音たちのガイド役に忙殺されていた。本来なら二人きりのハネムーンに、悠斗が無理やり同行していたのだ。悠斗は護衛のように花音たちの後をつけ、彼女とレーメンの甘い時間を見守った。以前なら、嫉妬に狂ってレーメンを殺そうと思ったかもしれない。だが今、二人の仲睦まじい様子を見ても、心は波立たなかった。代わりに頭に浮かぶのは、花音によく似たあの姿だった。もし美羽が去らなかったら、彼らもこんな風に過ごせただろうか? 彼女と朝日を見て、夕日を追いかけ、メモリーカードいっぱいの写真
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第9話
美羽にとって、授業とアルバイトをこなす毎日は非常に充実していた。すべてが彼女の思い描いた通りに進んでいた、あの彼を除いては。 「先生、こんなところで会うなんて偶然ですね。この授業を取ってたんですか?」 ドナルドはカジュアルウェアを着て、生き生きとした笑顔で美羽に話しかけた。 美羽は返事をしなかった。教科書も持たずに来た彼の目的は明らかだった。 「先生、今度は僕のために席を取ってくれませんか?ちょっとでも寝坊すると、先生の隣にはろくでもない人たちが座っちゃうんですよ」 片肘をついて、ドナルドは甘えた声で美羽を見つめた。その言葉には、まるで釣り針のような含みがあった。 「シーッ、ちゃんと授業を受けなさい」 「はい、わかりました」 そう答えたのに、2分後には机に突っ伏してぐっすり眠っている彼の姿が美羽の目に映った。 チャイムが鳴り、美羽が立ち上がると、ドナルドは慌ててよだれを拭きながら目を覚ました。 「席を取るために早起きしすぎて、寝不足だったんです。普段は文学にはすごく興味があるんですよ」 美羽は「ふん」と小さくうなずいた。気づかぬうちに、彼女の口元には微笑みが浮かんでいた。 それからの日々、ドナルドは「早起きが辛い」と愚痴りながらも、毎日美羽より早く教室に現れた。 そして美羽の机の中には、必ず彼が用意した花が入れられていた。 悠斗と同じ手口だった。 向日葵の花束を取り出した時、美羽は嫌な記憶がよみがえり、声を冷ややかにした。 「もう花はやめてください。私に時間を費やすのもやめて」 「何か怒らせてしまったんですか?理由を教えてくれれば、反省します」 動揺したドナルドが慎重に尋ねたが、美羽はそれ以上答えなかった。 その日の帰り道、ドナルドは黙って美羽の後をついていった。 「アメリカって結構危ないですからね。でも先生、安心してください。僕が守りますよ」 それ以来、ドナルドは雨の日も風の日も美羽を送り届けた。 普段なら、帰り道でドナルドはさまざまな面白い話をしてくれた。ハイキング、スキー、ロッククライミング、ロックコンサート……彼の趣味は常人よりずっと広く、美羽の知らない世界が広がっていた。 久しぶりの沈黙が二人をぎこちなくさせた。
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第10話
ドナルドは初めて会った時のバイクに乗り、カッコいいレザージャケットとパンツで颯爽と現れた。そのスタイルは彼のすらりとした体型を一層引き立てていた。「先生!ドライブに連れて行きますよ」美羽はドナルドから渡されたばかりのヘルメットを抱え、被ろうとした瞬間、彼に取り上げられた。「僕が被せてあげましょう、いいかな?」ドナルドは探るような視線で美羽の目を見つめた。「ええ」バイクに乗ると、ドナルドは美羽の手を自分の腰に回させた。「先生、しっかりつかまっててね」美羽は今まで規則正しい生活を送ってきたが、こんなに心臓がドキドキする感覚は初めてだった。道の凹凸でたびたび揺られ、思わずドナルドの引き締まった腰にしっかりと抱きしめる。彼の聞き取りにくい声が風に乗ってきた。「どうだい先生、気持ちいいでしょう」美羽は答えなかった。実際、彼の言っていることはよく聞こえていなかったが、彼の体が揺れるたびに感じ取ることができた。「何て言ったの?」声は風に散り、嫌な記憶も一緒に遠くへ吹き飛んでいくようだった。今の美羽はただ、頬を撫でる風を楽しんでいた。実は彼らは花火大会に間に合わなかった。ドナルドのバイクが走っている途中、すでに花火は上がり始めていた。ドナルドはバイクを止め、悪びれる様子もなく謝った。「あー、時間を間違えちゃったみたいです。ごめんね、先生、ここで二人きりで花火を見ることになりました」美羽は彼の小さな策略を見逃さなかったが、「大丈夫、こっちからの眺めもいいわ」ドナルドが選んだのは小さな草地だった。人里離れた場所だが、かえって花火を一望できる絶好のスポットだ。ここを見つけるのにかなりの時間をかけたのだろう。美羽にとって、これは確かに記憶に刻む価値のある時間となった。一方、遠く離れた国内にいる花音は新婚旅行を終え、レーメンと南アフリカへ戻る準備をしていた。花音を南アフリカへ送り出した時と同じく、悠斗は遠くから二人が視界から消えるのを見つめていた。ただ、今回は以前のような胸が張り裂けるような痛みはなかった。花音とレーメンが手をつないで去っていくのを見ても、最初に感じたような無念さはなかった。彼の心の中で思い浮かんだことはただ一つ、結婚式の日、美羽も同じようにスーツケースを引きずり、異郷へと旅立
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