LOGIN時正は説明も慰めもせず、ただそっけなくそう告げると、赤くなった琴美の目を見ることもなく、まっすぐ書斎へと向かった。二人の世界を隔てるように、書斎のドアが静かに閉められた。リビングに一人取り残された琴美を、冷たい空気が包み込んだ。琴美はその場に立ち尽くすと、ついに堪え切れず涙が頬を伝ってこぼれ落ちた。しかし彼女には時正に問いただす勇気も、逆らう勇気も、騒ぎ立てる勇気もなかった。時正を愛するあまり、琴美はずっと気を遣いながら生きてきた。しかし今回ばかりは、我慢できなかった。麗蘭はここにいることを望んでおらず、海外へ行き、時正から離れたいと思っているのだ。それは琴美にとって、最も鮮明で、心ときめく言葉だった。麗蘭がいなくなれば、すべて元通りになる。彼女はまた彼の正式な婚約者となり、この家は再び彼女だけのものとなる。ある大胆な考えが、琴美の心に芽生えた。自分なら麗蘭を助けられる。誰にも気づかれずに彼女を送り出し、時正が気づいた時には、すべて手遅れの状態にすればいい。その時になって、時正が怒っても、どうにもならないのだ。琴美は手を上げて頬の涙を拭った。彼女は深呼吸し、騒めく心を落ち着けながら、階段に向かって歩いていった。二階の廊下は静かで、ゲストルームのドアは少し開いていたが中は暗く、窓から差し込む月明りが、ベッドの傍に座る麗蘭の姿を浮かび上がらせていた。琴美はドアの前に立つと、少しためらったが、結局そっとドアを押した。麗蘭は物音を聞いて顔を上げ、警戒した目で尋ねた。「何をしに来たの?」「あなたがここに留まりたくないのはわかっています」琴美は声を潜めて続けた。「私もあなたにここにいてほしくない」「麗蘭さん、手伝います。私が空港まで送り、無事に海外へ行けるように、永遠にここから離れられるようにしてあげます」麗蘭は呆然とした。彼女は琴美の、緊迫した表情を見つめた。麗蘭はもちろんここを去りたかった。この息苦しい場所から、時正の束縛から逃れ、誰も彼女を知らない海外へ行き、人生をやり直したいと思っていた。麗蘭にとって、それは執念に近い願望だった。「どうして私を助けてくれるの?」麗蘭は探るように尋ねた。「時正は許さないわ。彼に逆らうつもりなの?」時正の名前を聞いた途端、恐怖心から琴美の
相手は男を奪いに来たのではない。相手は追い詰められてここに来た。矛先が、まるで綿に当たったかのようだった。麗蘭は変わらず無表情で、弱気な様子も、媚びるような態度も見せず、そこに立つ姿は気高さと、たとえ窮地に追い込まれても決して屈しないという誇りを漂わせていた。「あなた――」琴美は言葉を詰まらせ、時正を見ながら言った。「時正、聞こえた?本人がここにいたくないのに、なぜ彼女を私たちの家に連れて帰らなければならないの?」時正は眉をひそめて言った。「彼女は今、ここを離れるわけにはいかない」「どうして?」琴美は声を震わせた。「彼女がどうなろうと、私たちに何の関係があるの?時正、ここは私たちの家なのよ」麗蘭は傍で、二人の口論を冷ややかに見ていた。二人に関わるのも、説明することも面倒に感じた。彼女はただ滑稽に思った。彼女は無理やり連れて来られたのだ。結局、琴美は麗蘭に傲慢な態度を取っていたものの、時正に逆らうことはできなかった。麗蘭は再び口を開き、淡々と言った。「もう一度言うわ。私はここにいたいと思っていない。あなたにできるのなら、私を追い出して。できないのなら、私を煩わせないで」麗蘭は気高く高慢で、他人を傷つけるようなことはしないが、他人から好き勝手に侮辱されることを決して許しはしなかった。口論せず、騒がず、弱みを見せることもなく、たった一言で確かな自信を明らかに示した。琴美は言葉を詰まらせ、何も言えなかった。彼女は怒を爆発させ、自分の立場を主張し、麗蘭を追い出したかった。しかし彼女にはそうする勇気がなかった。琴美は時正に逆らうことができない。琴美の青ざめた顔を見て、麗蘭の瞳に微かな軽蔑の色がよぎった。女主人とは名ばかりで、物事を決断する勇気すら持ち合わせていないなんて。少し開いたドアから、夜風が吹き込んできた。麗蘭は冷たい表情を浮かべ、顔をそむけた。彼女は争いたくもなければ、奪う気もない。ただここを離れたいだけだった。しかし、琴美は胸が痛み、もどかしく感じ、その場に立ち尽くしていた。彼女が最も恐れていたことが現実となっているのに、目の前にいるのは彼女と争そう気のない侵入者なのだ。時正は二人を見つめ、表情を曇らせた。時正は側にいたお手伝いさんに指示を出した。「
F州は危険すぎる。時正にはリスクを冒す勇気も、余裕もなかった。感情は、時正は与えたくないわけではなく、ただ与える勇気がないのだ。時正はゆっくりと目を閉じた。時正は、そっと手を伸ばし、麗蘭の頬に触れようとしたが、彼女は猛然と避けた。「私に触らないで」麗蘭は厳しく怒鳴り、時正を睨みつけた。時正は手を宙でしばらく止めた後、ゆっくりと引っ込めた。彼は静かに言った。「川上さんを連れて帰れ」もはや、躊躇う者は誰もいなかった。二人の部下が前に出て、恭しくも断る余地のない態度で麗蘭の傍に立った。目の前にいる頑固な男の目に宿る、読み解けない執着や深い愛情を見つめると、麗蘭の心に痛みが再び広がり、理性を押し流していった。麗蘭は悟った。自分は今日、発つことはできない。-別荘で。玄関の明かりが灯った途端、空気が凍り付いた。時正は冷たい空気を纏いながら入り口に立ち、麗蘭の手首を握っていた。彼は強引に麗蘭を連れ戻した。麗蘭は抵抗せず、泣きわめくこともなかった。彼女はただ、感情を隠すように、わずかに目を伏せていた。彼女の身体は外の夜風を纏い、髪の毛は少し乱れ、気取った様子は微塵もなかった――川上家の令嬢は、たとえ強引に連れ戻されても、決して動じることはない。琴美はリビングから出てくると、指先がこわばっていた。彼女は一晩中時正を待っていた。待っていたのに、彼は別の女性を連れて家に帰って来た。「時正」琴美は口を開いた。声は静かだが、緊張で張り詰めていた。「誰を連れて来たの?」時正は眉をひそめて言った。「川上麗蘭さんだ。暫くここに泊まってもらう」「ここに?」琴美は笑ったが、目は笑っていなかった。「私たちの家に泊めるの?」琴美は、時正の後ろにいる麗蘭を見つめた。麗蘭はゆっくりと目を上げた。瞳には感情がなく、彼女は弱みを見せることも、自ら争いを仕掛けることもなく、ただ冷ややかに琴美を見つめていた。その冷たい視線に、琴美の胸は締め付けられるように痛んだ。彼女が最も忌み嫌うもの――侵入者であるにも関わらず、どうでもいいというその高慢な態度。「麗蘭さん」琴美は女主人としての態度を保ちながら言った。「ここは私と時正の家なので、部外者を泊めるわけにはいきません」麗蘭は唇をわずかに結んだ
麗蘭は顔を上げて琴美を見た。温かさを微塵も感じさせない冷たい目は、まるで見知らぬ通行人を見ているようだった。麗蘭は琴美と余計な言葉を交わす気など微塵もなく、ただ薄い唇を軽く開き、淡々とした口調で言った。「私は今、ボディーガードと話しているの。ボディーガードの婚約者に私を怒鳴りつける権利があるのかしら?」その一言は、鋭いナイフのように、琴美の痛いところを突いた。琴美の顔が青ざめ、怒りで全身が震えていた。琴美が最も気にしていたのは、他人が彼女と時正の関係について話すことだった。また、麗蘭が琴美を見下したような目で見ることも我慢ならなかった。「あなた!」琴美は怒りのあまり言葉を詰まらせ、麗蘭を指差した。「麗蘭さん、いい気にならないで!時正は私の婚約者なんです。彼はもうすぐ私と結婚する、あなたはもう彼にとって過去の人なんです!」「私が時正の代わりにあなたに仕返ししてやるわ!」言葉が終わらないうちに、琴美は猛然と手を上げ、先ほどの平手打ちの仕返しをしようと、麗蘭の顔をひっぱたこうとした。彼女の動作は素早く、目は怒りに満ちており、周りの者たちが反応する間もなかった。麗蘭は隠れたり恐れることもなく、ただその場に立ち、軽蔑した目で琴美を見つめていた。琴美の手が麗蘭の頬を打とうとした瞬間、突然大きな手が伸び、彼女の手首をしっかりとつかんだ。その力は、琴美が痛みで顔を歪めるほど強かった。琴美は顔を歪めて言った。「あっ――、時正!放して!何するの!」琴美の手首をつかんだのは、時正だった。時正の目は冷たい怒りで満ちており、全身から滲み出るような威圧感に、琴美は言葉を失い、全身を震わせた。「誰が彼女に触れていいと言った」時正は冷ややかに言った。時正は琴美を見つめた。その目は冷たく、優しさや慈しみの色はなかった。「時正……彼女はあなたに手を上げたのよ!」琴美は悔しそうに泣きながら言った。「あなたのためにやっているのに、なぜ私を止めるの?どうして彼女を守ろうとするのよ?」時正は琴美を無視し、力いっぱい彼女の手を振り払った。その勢いで、琴美はよろめいて数歩後ずさりし、転びそうになった。時正は再び麗蘭を見つめた。その目からは冷たさや敵意は消え、彼は心配そうな表情を浮かべた。「大丈夫ですか?」時正は心配そうに尋
「何様のつもりなの!」麗蘭は完全に激怒し、十二年間蓄積してきた悔しさや、不満、失望が、一気に爆発した。目の前にいるのは、かつて彼女が心から愛し、そのたびに彼女を拒んだ男だ。その彼が今、強引なやり方で彼女を引き留めようとしている。麗蘭は心の中に怒りと苦しみが入り混じり、めまいがした。麗蘭はためらわず手を上げ、全身の力を込めて時正の顔をひっぱたいた。「パチン」という音が、空港のロビーに響き、瞬く間に辺りが静まり返った。まるで時間が止まったようだった。時正の部下たちは、皆うつむいて息を殺し、口を閉ざして固まり、こちらを見ることさえできずにいた。彼らは長年、時正の側近として仕えていたため、誰よりも彼の手腕や気性を知っていた。時正は寡黙だが、決断力があって手腕が鋭く、業界では、その名を聞くだけで誰もが戦慄するほどの恐ろしい存在だ。平手打ちどころか、少しでも彼に失礼な態度をとれば、その結末は想像を絶するものになる。その彼を、麗蘭は人前で平手打ちしたのだ。時正は、その場に立ち、麗蘭の平手打ちをまともに受けた。彼は避けることも、怒ることもせず、眉一つ動かさなかった。時正の頬は赤く腫れ、麗蘭の手形がはっきりと浮かんでいたが、彼は怒らず、ただ心配そうな表情で麗蘭の顔をじっと見つめていた。麗蘭の手は微かに震えていたが、気分は晴れず、心は全身を覆うような痛みに覆われた。麗蘭は赤く腫れた時正の頬を見て言った。「時正、ずいぶん図太くなったものね」「以前のあなたは、私の言うことに従い、逆らおうとはしなかった。私が東へ行けと言えば、西に行こうとせず、立っていろと言えば決して座ろうとしなかったわ」「でも今は?あなたは人を使って私の邪魔をし、強引に私を連れて去ろうとする。私の意思に背き、私のすることに干渉してくるのよね?」「誰があなたをそんなに図々しくさせたの?!」一言一言に、身も凍るような冷たさを帯びていた。時正は下ろしていた手をぎゅっと握りしめた。彼は何も言わず、周囲の空気は凍り付いたかのように、息が詰まるほど重苦しかった。全員が時正の逆鱗に触れないよう、恐れて息を殺し、うつむいてその場に立ち尽くしていた。その時突然、遠くから愛らしい声が響き、死んだような沈黙を破った。「時正」皆が声のする方へ目を向ける
麗蘭は、今自分に選択肢がないことを悟った。背の高い数人の男たちが、麗蘭の前に立ちはだかった。彼らはお辞儀をしながら言った。「麗蘭さん、すみませんが、一緒に来てください」周りにいた旅行客は彼らのやり取りに驚き、好奇心の目を向け、ひそひそと話し始めた。空港の警備員も彼らのやり取りに気付き、早足で近づいてきたが、男たちから漂う威圧的なオーラと、彼らが差し出した身分証明書を見て、顔色を変え、黙って引き返していった。麗蘭の心は、少しずつ沈んでいった。空港でこれほど迅速に、これほどの人員を動かし、麗蘭の搭乗を的確に阻止できるのは時正しかいない。麗蘭はその場に立ち尽くした。先頭の男はうつむき、麗蘭と目を合わせず繰り返し言った。「麗蘭さん、私たちを困らせないでください。一緒に来てください」「お断りするわ」麗蘭は冷ややかな表情で、その場に立ち尽くした。麗蘭がそう言い終えると、背後から重々しく馴染み深い足音が聞こえた。ゆっくりとしたその足音は、彼女の心を踏みつけるように響いた。麗蘭は身体をこわばらせ、息を殺した。振り返らなくても、誰が来たのかわかった。麗蘭が十二年間愛し、守り、彼女を拒み続けた男。時正は麗蘭の後ろまで来て、足を止めた。麗蘭はゆっくりと振り返り、彼を見上げた。久しぶりに会う彼は、何も変わっていないようで、またずいぶん変わったようでもあった。彼は普段通り、全身黒のカジュアルな服装で、背筋をピンと伸ばしていた。ただ、かつては瞳に穏やかで恭しい眼差しを宿していた。しかし今、彼の瞳には麗蘭でも読み取れないほどの複雑で執拗な感情が渦巻いていた。時正は麗蘭の姿を瞳に刻み込もうとするかのように、視線を彼女に注いだ。「時正」麗蘭は声を震わせながら尋ねた。「これは一体どういうことなの?」時正は手を上げて言った。「川上さんをお連れしろ」「やれるものならやってみなさいよ!」麗蘭は後ずさりして叫んだ。「時正、言っておくわ。私は今日必ずここを去る。あなたには止められないわ!」「私はあなたを行かせない」時正はついに口を開いた。「あなたはどこにも行けない、私の傍を離れられない」「あなたの傍に?」麗蘭はとんでもない冗談を聞いたように呆れ、目に涙を浮かべた。「時正、自分の立場を忘れないで、あなたは私のボディ
窓に少し隙間が開いていた。冷たい風にあおられて、レースのカーテンが静かに揺れている。部屋の中には、薄暗い灯りがひとつともっていた。そんな環境がかえって寂しさを際立たせ、幾分か不気味でもあった。真衣は眉をひそめ、さっと起き上がって窓を閉め、遮光カーテンを引いた。遮光カーテンを引き切ろうとした瞬間、彼女の手がぴたりと止まった――彼女はまるで化石にでもなったかのようその場に固まって立ち尽くし、見ていた方向をじっと見つめ直した。夜空に赤く点滅する光の点のようなものが見えたような気がした。しかし、よく見ても特に何か問題は見当たらなかった。真衣はこめかみを揉み、ここ数日の疲
萌寧はそれを聞いて、真衣はちゃんと自覚していると感じた。以前のように、身の程知らずというわけではなかった。真衣は今、礼央の心の中での自分の位置をはっきりと認識しているようだ。しかし、礼央は何も言わなかった。萌寧は礼央を見て、自分から進んで言った。「礼央、私は海外でもこういうイベントの企画をした経験があるわ。だからこの件は私に任せて。きっと立派なパーティーになるわ」萌寧は高瀬家と多少の縁があるので、パーティーを主催するというのも理にかなっている。礼央は何も言わずにいると、真衣が先に立ち上がった。「じゃあこれで決まったね」その言葉を吐き捨てるようにして、真衣は背を向けて
礼央は荷物を18階に置いた後、萌寧と一緒に去っていった。礼央と真衣の間には特に余計な会話もなかった。まるで偶然知り合った他人が、気まぐれに手伝ってくれたようだ。宗一郎は礼央と真衣の関係を見て、眉を吊り上げた。宗一郎は真衣を見つめて言った。「あなたと高瀬社長は結構親しそうだね。彼が誰かの荷物を運ぶのを見たことがないからな」真衣は目を伏せて荷物を部屋に運び込み、宗一郎の言葉には特に気にとめなかった。真衣はただ淡々と答えた。「それほど親しくはありません。礼央はただ人助けが好きなだけだと思います」宗一郎はその返事を聞き、それ以上は何も言わず、彼女の荷物を部屋に運ぶのを手伝った。
礼央は富子の言葉を聞きながら、表情に変化はなかったが、ただ黙り込んでいた。「萌寧はあなたと幼馴染みだから、彼女を助けるのは当然だけど、幼い頃の情に流されて真衣を傷つけてはいけないわ」「私の言っていることはわかる?」富子は携帯を持ちながら、庭で剪定していた。礼央と萌寧の関係が派手すぎて、噂が富子の耳まで届いていた。富子はますます二人の関係がおかしいと感じ、気になり出した。もともとこういうニュースには無関心だったが、今では放っておけないこともある。真衣は決してこれらのことについて富子に話さないが、だからこそ富子は積極的に情報をとりに行っている。「離婚したくないって口







